北欧4カ国とフィヨルドの旅
2005年7月

 海外へは過去、仕事で200回以上行っていますが、この種の観光ツアーは、はじめての経験でした。
 観光ルートを下の地図に示しましたが、フィンランドのヘルシンキからスタートし、スウェーデンのストックホルムへ大型の観光船で渡り、その後、飛行機でノルウェーのオスロ―へ飛び、フィオルドの観光後、ベルゲンの街を観光し、最後はデンマークのコペンハーゲンを廻るものでした。

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1日目 午前 11:45成田発 スカンジナビア航空にてコペンハーゲン乗り継ぎ、ヘルシンキへ

2日目 
ヘルシンキ 市内観光。観光後、豪華客船にてヘルシンキ からストックホルムへ

3日目 ストックホルム 着後、市内観光。 (ストックホルム泊)

4日目 ストックホルム 発 空路、オスロへ。着後、オスロ市内観光 (オスロ泊)

5日目 オスロ 発 ガイランゲル着 バス (約446km) (ガイランゲル泊)

6日目 ガイランゲルフィヨルド観光とブリクスダール氷河観光。(バーレストランド泊)

7日目 フロム鉄道とソグネフィヨルド観光。ベルゲンへ (ベルゲン泊)

8日目 午前 ベルゲン市内観光。 午後空路、コペンハーゲンへ。(コペンハーゲン泊)

9日目 終日、コペンハーゲン市内観光。 (コペンハーゲン泊)

10日目 午前 スカンジナビア航空にて成田へ。 (約10時間50分)(機内泊)

11日目 9:35 成田到着



       
1日目 成田からフィンランドのヘルシンキへ

 午前 11:45成田発 搭乗員も同行。スカンジナビア航空にてコペンハーゲン乗り継ぎ、ヘルシンキへ。(約14時間10分)。着後、ホテルへ。(へルシンキ泊)


 乗り継ぎのためコペンハーゲンで一休みです。ヘルシンキのホテルへの到着は、午後9時ごろでした。
 寝る前に駅前を散歩してみました。
 写真は成田での出発とコペンハーゲンでの乗り継ぎ風景です。


フィンランド

 ここでフィンランドについて書いておきます。
 面積は日本よりわずかに小さいく、約9割に当たります。
 日本の面積が世界ランキング60位に対し、フィンランドは63位になっています。


 ただし、人口はわずか 530万人で、日本の約4%と著しく少なく、北海道とほぼ同じで、千葉県よりも少い状態です。 GDPは、日本の約5.5%で、一人当たりのGDPは日本の1.3倍になっています。
 人口がわずか530万人であるがゆえに、独特な特徴を出すことが出来るようです。とくに、教育レベルの高さは世界トップクラスで、政治がうまく回りだすと、全体のレベルアップが比較的うまく行くようです。
 法律家や医師の半数以上が女性であることも、その特徴のようです。
 携帯電話で世界一のノキアは、かって電線の製造装置メーカーとして有名でしたが、携帯電話で突如、世界一になり、世界を驚かせました。教育レベルの高さがそのような成功をもたらしたとも言われっています。
 北欧の3国はいずれも手厚い社会保障制度で有名です。年収が500万円程度でも所得税が50%にも達し、手取りは半分になってしまいます。その上、消費税は25%と非常に高いのも特徴です。それがゆえに、教育は無料で、大学進学率は世界トップクラスですが、ラーメン一杯が2,000円もする物価の高さが、旅行者にとっては不満の多いところです。
 歴史的にみると、フィンランドはスウェーデンに支配されたり、ナポレオンに征服されたり、ロシアに征服されたりしてきましたが、第二次大戦後はソ連陣営に組み込まれていました。ソ連崩壊後は西側陣営に接近し、1994年にEUに加盟し、2000年にはユーロを導入しています。なお、ソ連の支配下に置かれていたため、何かとそれに反感を持つ人が多く、かってロシア艦隊を破り勝利した日本に好感を持つ人が多いようです。



       
2日目 ヘルシンキ市内観光。 夕刻、客船にてストックホルムへ

 9:00頃ホテル出発 午前 ヘルシンキ市内観光。 岩の中に造られたテンペリアウキオ教会、大聖堂、シベリウス公園、元老院広場、市民の台所マーケット広場を巡ります。
 午後 スオメンリンナ島観光。18世紀に建てられたスオメンリンナ要塞、歴史がわかるスオメンリンナ博物館へご案内いたします。観光後、ヘルシンキにもどりバルト海クルーズへご案内いたします。シリヤラインでのバルト海クルーズをお楽しみください。
 その後、ヘルシンキ 発 豪華客船シリヤライン(シリヤ・クラス海側キャビン)にてストックホルムへ向かいます。
 


 朝食を取り、出発まで時間があったので、駅周辺を散歩してみました。ホテルは駅から5分程度の便利なところにありました。駅の中まで入り、ホームにも入ってみました。
 ヨーロッパの駅は、独特な風情を持っています。


 朝9時、全員(5組の夫婦と添乗員の合計11名)大型バスで出発。最初の見学はマーケット広場で、さくらんぼを買ってほおばりました。今夜に乗るシリアラインも見ることが出来ました。



テンペリアウキオ教会
 
 ヘルシンキの中心部にあるテンペリアウキオ地区に作られたので、この名が付けられました。
 1969年に完成しています。
 教会は岩盤をくりぬいて作られ、上部の側面には自然光を取り入れるため、ガラスがはめ込まれています。壁面の一部は、氷河時代に削られて出来た岩肌をそのまま見ることができます。音響効果に優れ、しばしばコンサートホールとして使用されています。
 この協会は観光施設としても有名で、年間に約50万人もの人が訪れるそうです。



ヘルシンキ大聖堂と元元老院広場

 次はヘルシンキ大聖堂、元老院広場、市内の教会などの見学でした。この大聖堂は ヘルシンキの中央に位置し、市のシンボルとしても有名です。福音派ルーテルの大聖堂で、1852年に改築され、現在の形になりました。大聖堂の前にはとても広い元元老院広場があります。



ウスペンスキー寺院

 19世紀に、ロシア人建築家 ゴルノスタイェフがスラブ ビザンチン様式で作った、北欧最大のロシア正教の教会です。
 正教会の特徴は、キリストや聖人の画(イコン)が飾られ、床に椅子の無いのが特徴です。
 



シベリウス公園

 フィンランドを代表する作曲家、シベリウスを記念した公園で、大きなパイプオルガンを模した記念碑やデスマスクが置かれて居ました。 



元オリンピック競技場 

 1952年に夏のオリンピックがこのヘルシンキで開かれました。私がまだ小学生のころでしたが、日本は戦後初めての参加でもあり、連日、ラジオでその模様が大きく報道され、レスリングでの金メダルや競泳での銀メダル、体操での銀メダルなど、日本中が興奮しました。今でも当時の様子をよく覚えています。そういうこともあって、私たちの年代はヘルシンキといえば誰でも知っている知名度の高い都市でした。



スオメリンナ要塞(世界遺産)

 午後は世界遺産となっているスオメンリナ島にあるスオメンリナ要塞の見学でした。
 18世紀の中ごろ、スウェーデンは対ロシア帝国からの防衛のため,ヘルシンキ沖の6つの群島に要塞を作り,海軍基地を建設しました。当時、フィンランドはスウェーデンの支配下にあり,要塞はスヴェアボリ(スウェーデンの城)と呼ばれていました。
 19世の初め、要塞はロシア軍に包囲され,ロシアの統治下になり,1917年のフィンランド独立までの109年間ロシア軍がここに駐屯しました。
 1918年、日露戦争に敗れたロシア帝国は民衆の蜂起により崩壊しましたが、それに乗じ、フィンランドは独立に成功しました。以来この要塞をスオメンリンナ(フィンランド語でフィンランドはスオミといい、リンナは城壁)と呼び始めました。。
 この島には、日本の大砲が設置されて居ました。ロシア艦隊を破ったのが日本の技術が高く評価されたのでしょう。



豪華客船、シリアライン

 午後4時、豪華客船シリアラインでストックホルムへ向かいました。船はたくさんのお客でものすごく混んでいましたが、良いお部屋に泊まれました。
 部屋の冷蔵庫にはビールやワインなどが供えられ、飲み放題でした。
 白夜なのでしょう。真夜中なのに甲板にはうっすらと明かりがありました。
 



       
3日目 終日ストックホルム見学

9:30頃、ストックホルム 着、その後、ストックホルム市内観光です。
 ノーベル賞受賞晩餐会が開かれ、今世紀北欧の最高の建築美と称えられる市庁舎、現在も王室が使用しているイタリア・バロック様式の王宮、ストックホルムの発祥の地ガムラ・スタンを巡ります。
 午後はドロットニングホルム宮殿観光です。「北のベルサイユ」と呼ばれているバロック、ロココグスタヴィアンの三様式が美しい宮殿を訪れます。
【16:30頃ホテル到着】  (ストックホルム泊)



スウェーデン

 国土の面積は日本の1.2倍ほどありますが、人口は920万人と、日本のわずか7%程度です。
 昔から高福祉国家として有名ですが、その分、税金や消費税が高く、女性の労働率も70%と高くなっています。


 18世紀、ロシアと戦い、支配していたフィンランドの一部を失いましたが、ナポレオン戦争により、フィンランド全体を失っています。
 19世紀の初めノルウェーを併合しますが、20世紀の初め、両国は再び分裂します。
 1932年、社会民主労働党政権が誕生し、以来、高福祉国家を目指し、また、武装中立の立場を貫き、第二次世界大戦では中立を保ちました。
 冷戦終了後は、中立を放棄しEU寄りの立場を明確にし、1995年にはEUに加盟しています。通貨はスウェーデン・クローナです。
 政治的には立憲君主制をとり、国王は儀礼的職務を行います。
 通信機器メーカー、エリクソンや自動車メーカー SAAB(サーブ) やVOLVO(ボルボ)が有名です。また、スウェーデンはノーベル賞でも有名です。



マリエハムン港

 昨夕出発した船はゆっくりと進み、ちょうど真夜中に、オーランド諸島にあるマリエハムン港に立ち寄りました。この諸島はフィンランド内の自治領ですが、ここに立ち寄ることにより、第三国にも立ち寄ったことになり、税制などの面で有利になるそうです。
 白夜のため、日が暮れるのは11時過ぎで、2時過ぎにはもう明るくなり始めました。
 



ストックホルムへ到着

 船は滑るようにゆっくりとストックホルムに向けて進んでゆきます。対岸の風景を見ながらの朝食でした。
 ストックホルム周辺には無数の島が存在し、そのためか、たくさんの船が行き交っています。森と湖の都と言われるのも納得です。また、ストックホルムは北欧のベニス、水の都とも呼ばれています。ストックとはスウェーデン語で、丸太を意味し、当時、船をつなぐ丸太がたくさん島の周りに設置されて居ました。この丸太は、防衛のためにも使用されたそうです。ホルムは小島を意味しています。
  



市内見学

 到着後、さっそく市内見学です。
 市の中央の広場には、ノーベル賞の会場があり、アインシュタインの顔写真が飾られて居ました。
  



市庁舎

 東京都庁がその一部を開放しているように、この市庁舎の一部を開放しています。建築的にも優れているそうですが、ノーベル賞の晩さん会が開催される場所として有名だそうです。
 



ストックホルム湾を望む

 ストックホルムはまさに水の都でもあります。入り江のため、湖面は滑らかでした。



王宮 衛兵交代式

 王宮では運よく馬に乗った衛兵の交代式を見ることが出来ました。夏の間は毎日行われ、馬の列は街の中を通ってくるそうです。衛兵交代式はストックホルムの名物です。
 ガイドさんによると、今日の交代式はいつもより盛大だそうです。
 



ドロットニングホルム宮殿(世界遺産)

 午後は北のベルサイユといわれるドロットニングホルム宮殿観光です。この宮殿は、1686年、スウェーデン王カール11世の母の命によって建設されました。ドロットニングホルムとはスウェーデン語で「王妃の小島」を意味します。かなり広い王宮ですが、フランス式の幾何学模様の庭園や大きな湖も作られています。
 現在の国王、カール16世グスタフは1982年、ここに住居を移して住んでいます。この城は王家の住居を除いて一般に公開されています。スウェーデンの王室は開かれた王室としても有名です。
 1991年、世界遺産として登録されました。



ストックホルム駅周辺

 ホテルに到着後、まだまだ明るいので、駅の周辺などを散策してみました。




       
4日目 ノルウェー、オスロー市内見学
 

 ストックホルム 9:00頃ホテル出発 空路、オスロへ。(約1時間)
 着後、オスロ市内観光。彫刻家ビーゲランが人生をテーマに造った約200点もの彫刻が並ぶフログネル公園、ムンクの叫びで知られる国立美術館、ヴァイキング船博物館、オスロ市庁舎、王宮を巡ります。【18:00頃ホテル到着】 (オスロ泊)


ノルウェー

 国土は日本とほぼ同じですが、人口は480万人と非常に少なく、世界的にみても100位以下です。立憲君主制をとり、国王は居ますが、その権限は儀礼的行事を行うのみになっています。
 GDPは日本の9%程度ですが、一人当たりのGDPは世界第二位と非常に高いのが特徴です。

 男女間の社会参加の差や機会均等における差は世界で最も少ないと言われ、進学率、平均寿命なども世界トップクラスに位置しています。
 ノルウェーは10世紀ごろ、ヴァイキングにより栄えますが、14世紀にデンマークの配下に入りました。
 1818年、デンマークがナポレオンに占領されると、こんどはスウェーデンの配下になります。
 20世紀に入り、独立運動の成果が実り、国王を元首とする国家が成立しています。その時はすでに立憲君主制が成立しており、現在に至っています。
 第二次大戦ではドイツからの侵略を受け、イギリス側につき、対日宣戦布告もしましたが、実際にはほとんど戦争をしませんでした。
 20世紀後半、EU加盟の国民投票が2度行われていますが、いずれも否決され、EUには加盟しておらず、通貨はノルウェー・クローネを使用しています。
 ノルウェーも高福祉国家で有名ですが、その原資の多くは北方油田によるもので、原油輸出量では世界第6位に位置しています。



市内散策

 オスロ到着後、専用バスで市内を回りました。



バイキング博物館

 10世紀ごろ、北欧ではバイキングが大いに栄え、国の発展に尽くし、それがゆえに、各国にバイキング博物館が作られています。バイキングは大いに恐れられた海賊ですが、当時、流線形を持ち、速度をかなり出せる造船技術や、航海術が発展し、それが、バイキングの発展につながったようです。この船は、浅瀬にも、川にも入ることができ、船だけでなく、陸上の人にも脅威を与えました。ただし、船が小さく、屋根がなかったため、そのうち、途絶えてしまいました。また、海賊事業がそう長続きするはずもなく、12世紀ごろには、海賊から海運業へと変わってゆきました。
 なお、日本では、食べ放題の料理をバイキング料理と言っていますが、当時、バイキング族は海賊に成功すると、食べ放題の料理を味わったそうで、そこから来ているそうです。



ヴィーゲラン彫刻公園

 彫刻家グスタヴ・ヴィーゲラン(1869〜1943年)が人生をテーマに造った 212点もの彫刻が並ぶフログネル公園です。
 怒りんぼう小僧の前で、記念撮影をとりました。
 



オスロ―市内散策

 ホテルでの夕食後、オスロー市内見学に出かけました。とにかく、白夜で、夜遅くまで、町は賑わっていました。



ノーベル平和賞

 ノーベル賞の中で、平和賞だけがノルウェーから与えられます。その拠点がオスロ―市内にありました。 



宿泊ホテル

 ホテルは白夜のオスロ―湾を見渡せるところにありました。



       
5日目 オスローからガイランゲルへ

 8:00頃ホテル出発、ガイランゲルへ(約446km)。途中、ロムの村に立ち寄り、12世紀の木造教会、スターブ教会を訪れます。ホテル到着前には、ガイランゲルフィヨルドを眼下に望む標高1,500mのダールスニッパ展望台にご案内いたします。
【18:00ホテル到着】 (ガイランゲル泊)


 オスローを朝早くたち、まる1日バスに揺られ、フィヨルドの最奥地まで向かいます。途中、湖が無数にあり、美しい光景が続きます。



リレハンメル冬季オリンピック会場

 途中、冬季オリンピックが行われたリルハンメルのジャンプ練習場に寄りました。真夏なので雪が無く、絨毯の上で練習をしておりました。



ロムのスターブ教会

 途中、ロムと言う小さな村にあるスターブ教会を見学しました。この協会は12世紀に建てられた木造の教会です。スターブ教会とは中心に太い柱を持ち、それが屋根を支えているノルウェー独特の建築様式の教会です。



ダールスニッパ展望台


 目的地であるガイランゲルフィオルドの近くに標高1,500mのダールスニッパ展望台があり、バスは細くうねうねとした急坂を登って行きます。展望の悪い時は登頂中止になりその確率はかなり大きいそうです。幸い今日は天候がよく、ガイランゲルフィオルドを直接眼下に見下ろすことが出来ました。このようにすっきりと晴れるのはめったに無いことのようでした。
 



ガイランゲルフィオルド(世界自然遺産)

 バスは山を下り、フィオルドの奥地の村に近づいてゆきます。ここには、船着場、ホテル、教会などが並びます。フィオルドはここから海まで、200km以上もあり、川幅は、広くなったり狭くなったりしながら続いてゆきます。水の流れはほとんど無く、水面は滑らかです。今夜の宿はこの湖畔でした。



       
6日目 ガイランゲルからバーレストランドへ
 
 8:00頃ホテル出発、ガイランゲルフィヨルド観光とブリクスダール氷河観光。ガイランゲル→ヘルシルト間のガイランゲルフィヨルドクルーズをお楽しみいただきます。(約1時間)
 岸壁から流れ落ちるいくつもの美しい滝などがご覧いただけます。
 ブリクスダール氷河ではディーゼルカーと徒歩にて観光をお楽しみいただきます。間近に迫る氷河をご覧ください。【18:00頃ホテル到着】(バーレストランド泊)



ガイランゲルフィオルド(世界自然遺産) 
 
 いよいよ今日からフィオルド観光の始まりです。ガイランゲル村から出発する観光船は大きなフェリーで、バスごと一緒に乗りました。
 途中、かもめがたくさん寄ってきました。家内が手にパン屑をかざすと、かもめは見事、取ってゆきました。
 両岸からは滝の流れが見えます。湖面は滑らかですが、万一、氷河などの大きな雪崩が発生すると、津波が発生し、その被害は甚大だそうです。

 約1時間の乗船で少し下流の対岸に付き、そこからバスに乗り、山を越えてブリクスダール氷河に向かいます。途中、美しい景色が続きます。



ブリクスダール氷河

 ブリクスダール氷河は山岳氷河のヨステダール氷河から分かれた支流で、切り立った谷と谷の間を800mに渡って流れ落ちています。
 私たちは氷河の近くまで4輪駆動車に乗って行きましたが、多くの観光客は歩いていました。車に乗っているのは日本人ぐらいでした。時間的節約のためかもしれませんが、日本人は贅沢な事をすると感じました。
 氷河をこれから登る一団と、すでに登っている人たちも見ることが出来ました。



 次のフィオルドのホテルに向かう途中、牛の群れに出会いました。 



 再び、山越えです。美しい風景が続きます。



バーレストランドのホテル

 今夜の宿はバールストランド村にあるとても美しい宿でした。今日も白夜を楽しみました。 




       
7日目 ソグネフィオルド観光、フロム鉄道、ベルゲンへ 

 8::00頃ホテル出発 フロム鉄道とソグネフィヨルドの観光です。
 グドヴァンゲン→フロム間のソグネフィヨルドクルーズをお楽しみいただきます。その後、人気のフロム鉄道にて、フロム→ミュールダール間の迫力ある景観を車窓からお楽しみいただきます。その後、列車にてヴォスまで移動し、ヴォスからはハダンゲルフィヨルド沿いをドライブし、ベルゲンへ向かいます
 【18:00頃ホテル到着】(ベルゲン泊)


 朝、散歩をしており、教会に入ったら、ミサをしており、私たちも賛美歌を歌って来ました。 


 ホテルの内部には、調度品がたくさん置かれ、外観の美しさにも匹敵する素晴らしいものでした。 



 今日もフィオルドの船下りから開始です。  



 バスにて山を越え次のフィオルドへ



 途中、ホテル兼のドライブインに停まりました。部屋にはノルウェー独特の風景画が飾られていました。



 今度は小さな観光船に乗り、また、フィオルド見学です。




フロム登山鉄道

 いよいよフロム登山鉄道です。フロム鉄道は世界の鉄道ファンなら一度は乗ってみたいと言われる鉄道だそうです。濃いグリーンの色をしていました。
 途中、列車が一時停車しました。この路線のいちばんの自慢だそうです。列車は約5分ほど停まりました。滝から妖精が現れて来ました。実はフロム鉄道の社員だそうです。
 この列車はわずか20kmを1時間も掛けて進みます。
 



ボスからベルゲンへバスで移動
 
 また、バスに乗りベルゲンへ向かいます。バスはハダンゲルフィオルドに沿って進みます。下の写真はバスの中から撮ったものです。

 



ベルゲン市に到着
 
 夕方、 世界遺産の都市、ベルゲン市に到着し、一休みです。ホテルから小さい湾を挟んで向こう側にブリッケン地区の旧市街はが見えます。三角屋根にカラフルな壁の家が並んでいます。
 この古い建物は世界遺産に指定されています。


 夕食後、町の見学に出かけました。対岸まで歩いても10分程度です。白夜を楽しむ人たちが沢山いて、私たちもビールを楽しみました。大道芸人も夜遅くまでやっていました。



       
8日目 ベルゲン市内観光 

 午前 9:00頃ホテル出発。バスにて、ベルゲン市内観光。作曲家、エドワード・グリーグの家、ハンザ商人の生活ぶりを伝えるハンザ博物館、魚市場、中世の木造家屋が並ぶブリッゲンを観光します。
 午後は空路、コペンハーゲンへ向かいます(約1時間20分)。着後、ホテルへ。
 【17:00頃ホテル到着】 (コペンハーゲン泊)

 午前中、グリーク記念音楽堂を見学後、ハンザ同盟の中世の古い家並みが続くブリッゲン地区を見学し、午後は空路、コペンハーゲンへ行きました。



エドワード・グリーク記念音楽堂

 ベルゲンで生まれ育ったノルウェーの代表的作曲家グリークを記念した記念館や音楽堂の見学です。代表的な曲に「ペールギント組曲」やピアノ協奏曲があります。 



ベルゲン ブリッゲン地区の旧市街(世界遺産)

 14世紀から15世紀にかけて、ドイツ商人はその商業活動を発展させるため海外に沢山のハンザ同盟のための商館を作りましたが、このベルゲンの商館は4大重要商館の一つと言われています。
 このベルゲンではノルウェー海の海産物の交易を目的と作られました。これらの建物が現在まで保存され、内部の見学も可能ですが、当時、寝るためのベットは非常に小さく、足を抱えるように曲げて寝たそうです。
 


 ノルウェーは日本とともに捕鯨に賛成している海産国で、さすが、海の幸がいっぱいでした。


市内観光後、ベルゲンからデンマークのコペンハーゲンへ飛行機で向かいました。



      
9日目 終日デンマーク、コペンハーゲン市内見学

 9:00頃ホテル出発。郊外にある世界遺産のクロンボー城、 H.Cアンデルセンの童話で知られる人魚姫の像、ゲフィオンの泉、現代のお伽の国チボリ公園、王室の居城アメリエンボー宮殿を訪れます。
 【17:00頃ホテル到着】。(コペンハーゲン泊)



デンマーク

 デンマークは小さいというイメージがありますが、丁度九州程度の面積を持っています。ただし、首都、コペンハーゲンはシェラン島の中にあります。
 デンマークはバイキングの発祥の地としても知られています。中世のころは、どの国も同じですが、スウェーデン、ノルウェー、ロシア、ドイツなどと戦い、その後、フランスと同盟を組んだこともあり、ナポレオンが敗退すると、長年所有していたノルウェーをスウェーデンに奪われています。
 人口は約 550万人と、ノルウェーやフィンランドとほぼ同じにランクしています。
 一人当たりのGDPは世界5位と非常に高く、海運国として知られ、また、北海油田の一部を所有し、原油やガスの輸出国でもあります。EUに加盟していますが、ユーロには国民投票の結果、加盟していません。
 教育の高さや高福祉は世界トップクラスと言われています。



クロンボー城(世界遺産)

 この城はコペンハーゲン北 30kmに位置し、バルト海のカテガット海峡に面しています。わずか7kmと非常に狭い海峡の向こう側はスウェーデンです。
 この城はシェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台として良く知られています。
 昔、小規模ながら、バイキングがバルト海の要塞として建設し、その後、カテガット海峡の防衛、通行税の徴収として使用され、現在の城は16世紀、デンマーク王によって作られています。なお、近年まではデンマーク軍の指令基地としても使用されて来たそうです。
 



オスロー市内観光
 
 午後は人魚姫、ゲフォオンの泉、アメリエンボー宮殿を観光後、夕食まで自由散策です。
 私たちは美術館に出かけました。



人魚姫
 
 ビールで有名なカールスバーク醸造所の創立者の息子、ヤコブセンが人魚姫の物語を演じたバレエに感銘し、彫刻家エリクソンに制作を依頼し、その作品が1913年に公開されました。以来、何度も、破壊されたり色を塗られたりしていますが、2010年の上海万博に展示されるそうです。意外と小さな像でした。



ゲフォオンの泉

 北欧の神話に現れる神の像が、人魚姫のすぐ近くにありました。立派な彫刻です。
 隣接する教会は、聖アルバン・アングリカン教会です。



アメリエンボー宮殿

 デンマーク王室の住居だそうです。衛兵の交代を見ることが出来ました。北欧の国々の王室は、いずれも大変質素なようです。人口から考えても、それほど豪華には出来ないのでしょう。 



市内散策とローゼンボルグ城

 午後はお土産屋に案内された後、夕食時間まで、各自、自由行動です。私たちは案内書を片手に国立美術館まで歩いてゆきました。途中、ローゼンボルグ城の前を通りましたが、時間があまりないので見学は中止しました。 



国立美術館

 あまり時間がなく、急いでの見学でした。名画もたくさんあり、現代のコーナーもかなり広く作られていました。



チボリ公園

 久しぶりに中華料理を食べた後、夜はチボリ見学をしました。チボリ公園は1843年に開設され、現存する世界最古のテーマパークとして知られています。夜の照明の美しさが有名で、いろいろな場所で30分程度の照明アトラクションがありました。入園後は自由解散で、ホテルに帰ったのは夜の10時頃になりました。



        
10日目 帰国

  コペンハーゲン発 午前 スカンジナビア航空にて成田へ。(約10時間50分)(機内泊)

 ホテルを出発する前、市内を少し歩いてみました。北欧では自転車を奨励しており、自転車専用道路が整備されています。




終わりに 

 この様な観光ツアーは初めての経験でしたが、夢のような10日間でした。とにかく、全てが豪華でした。
 大型バスを10名で利用し、ホテルや食事も最高でした。よく歩いたので、食べた割には太りませんでした。同行者も少人数のため、すぐに親しくなりました。
 時期がちょうど日本の盆休みのためか、旅行費用が高かったのが難点でしたが、その為か、参加者が少なく楽な旅を楽しめました。





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