家内の実家である名寄まで、途中、温泉に泊まりながら、行ってきました。
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1日目 猪苗代湖まで
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朝、ゆっくりと家を出て、磐梯山や猪苗代の周りをドライブし、狭い道でしたが、車で雄国山の山頂まで行き、そこから雄国湿原まで下り、約1時間程度歩いてみました。
猪苗代の見える温泉宿に泊まりました。 |
中津川渓谷
ドライブの疲れをいやすため、渓谷の看板が出ていたので歩いてみました。
雄国沼
雄国沼は標高1000mと高いところにあり、湿原には、いろいろな花が咲きみだれる人気のあるハイキングコースです。一車線の狭い道路を車で登ると金沢峠にでます。そこから歩いて下って行くと約30分程度に沼に到着します。素晴らしい景色の湿原と沼でした。 |
2日目 青森の黒石市まで
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猪苗代から日本海側に向かい、自然世界遺産に指定されている白神山地を通り、黒石市の板留温泉に泊まりました。ちょうどねぶた祭りの最中でしたが、宿に着いたときにはすでに宿のバスが青森に向かってしまい、お祭り見学のチャンスを逃しました。ただ、宿の前の道路にもお祭りの車が何台も通り、結構楽しめました。
車が来るたびに、ご祝儀を集める係りが宿に顔を出し、女将からお金を受け取っておりました。女将が馬鹿にならないのよとぼやいていました。 |
日本海岸ドライブ
白神山地
板留温泉
3日目 北海道ニセコ温泉まで
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青森から函館までフェリーを使用し、五稜郭を見学しました。五稜郭見学は初めてでした。明治初期の歴史を感ずることが出来ました。
ニセコ付近にはいろいろはハイキングコースがあり、すごい霧でしたが歩いてみました。温泉は硫黄泉で、これだけ強い硫黄の臭いは久しぶりでした。 |
北海道に到着
青森から函館まで、約3時間でした。
函館
函館港は1854年の日米和親条約により開港され、その後、アメリカやヨーロッパと結ばれた通商条約により、横浜、神戸と並ぶ日本三大貿易港になりました。その結果、東北、北海道では、仙台、札幌を凌ぐ最大都市となりました。
第二次世界大戦により、その役割を失いましたが、今でも、明治時代の建物が異国情緒を伝えています。 |
五稜郭
五稜郭を見下ろせるタワーに登ってみました。
五稜郭は徳川幕府により1857年から7年かけてつくられた5角形の星形をした城で、星の角からは敵に十字砲火を浴びせることが出来、また、死角が少ないという利点があり、蘭学者の武田斐三郎(あやさぶろう)がヨーロッパの城をモデルにつくった洋式城郭です。
この城は戊辰戦争の最後の舞台としても良く知られています。
1867年、大政奉還により五稜郭は明治政府に引き渡されました。しかし、それに不満を持った榎本武揚(えのもとたけあき)の率いる旧幕府脱走軍艦隊が翌年五稜郭を占拠してしまいます。しかし、政府軍は旧幕府軍と戦い、約1ヶ月の戦いの後、明治2年5月、旧幕府軍は政府軍に降伏しました。なお、旧幕府軍に応援した新撰組副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)はこの戦いで銃弾に打たれ、戦死しています。
幕末から明治維新の史跡として知られる五稜郭は現在桜の名所として知られています。
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ニセコ神仙沼
神仙沼湿原にはたくさんの沼がありますが、このニセコ神仙沼は一番景色が良いと言われています。 |
4日目 名寄まで
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名寄は小さな町ですが、ちょうどお祭りがあり、子供たちがはしゃいでおりました。 |
6日目 名寄からと苫小牧フェリー乗り場まで
旭川動物園
途中、有名な旭川動物園や富良野などを経由し、道中を楽しみました。動物園の駐車場はかなり満杯でしたが、「わ」ナンバーのレンタカーの多いのには驚きました。半分以上がレンタカーというような感じでした。
苫小牧の出発はちょうど真夜中の12時で、時間をつぶすのに苦労しました。 |
ファーム富田
このお花畑にも観光バスがたくさん停まっていました。
八戸フェリー乗り場
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苫小牧-八戸間の乗船時間は8時間で、ちょうど午前0時に出港し、八戸到着は午前8時でした。
少し狭い3段式のベットでしたが、夜行列車よりは広い感じでした。 |
7日目 八戸から八幡平まで
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朝、八戸に到着し、八幡平の頂上まで車で行き、適当にハイキングをし、福島県にある国民宿舎、あぶくま荘に泊まりました。 |
八戸に到着
八幡平の湿原を散策しました。
途中、きれいな花が咲いていたので、少し休憩しました。
8日目 福島のあぶくま山荘に泊まり、一路、自宅に帰りました。
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観光地でもない、田舎の畑の一角に作られた国民宿舎で、地元の人には愛されているようでした。
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