ロマンチック街道とスイスアルプス秀峰の旅
ルックJTB ロマンチック街道と氷河特急を楽しむアルプスの秀峰11日間のツアーに参加しました。 |
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ドイツ |
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スイス |
1日目 11:00 成田集合
13:00 JL407 成田発フランクフルト行き
18:00 フランクフルト着。
2日目 午前 ライン川クルーズ、午後 ハイデルベルグへ
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09:00 フランクフルト→(約1時間/65km)リューデスハイム→ライン川クルーズ(約2時間)ザンクトゴア。緑溢れるライン渓谷とローレライ岩などの景色をお楽しみ下さい。
昼食:ライン川近くの古城レストランにてお楽しみ下さい。
午後ザンクトゴア→バス約2時間147km ハイデルベルク。
17:00 ホテル着。Hotel ベストウエスタン レーガハイデルベルク |
ホテルはフランクフルト駅の近くで、朝食後、駅周辺を散策しました。
ライン川下り
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ライン川下りは、リューデスハイムからザンクトコアまででした。
ザンクトコア直前に詩に詠まれたローレライの岩山が見えました。 |
リューデスハイム
とても美しい街です。船の出発時間まで時間があったので、ワインの飲める喫茶店に入りました。
お店はワインボトルを売るのが商売の様で、試飲が出来るようになっていました。
旅行社がお客を連れてゆく常連の場所のようでした。 |
今回のツアーはライン下りから出発です。河の両側には数え切れないほどの古城が見えました。
むかし、これらのお城は、ライン川を通る船から通行税を取る為に作られました。
日当たりのよい急斜面にはブドウ畑が広がっていました。ドイツ人の勤勉さが感じられます。
歌に詠まれたローレライは意外と小さな岩山でした。 |
ブファルツグラーフェンシュタイン城
ルートヴィヒ四世が14世紀に作った川中のお城です。
この城もライン川を通行する船から通行税を徴収する目的で作られました。
以来、洪水や冬季の流氷により幾度となく破壊されては改修されています。
19世紀、通行税が廃止された後は信号灯として使用されていました。
中州に作られた城としては唯一です。一般には両岸の少し高いところに作られています。 |
ローレライ
川幅が狭く、昔は通行の難所として恐れられていましたが、現在は安心して通行できるようになっています。 |
昼食はライン川を見下ろす素敵なレストランでした。昼には必ずビールを飲みました。これがツアーの醍醐味のひとつです。 |
ハイデルベルク
午後は大型バスでハイデルベルクに向かい、ホテルにチャックインした後、市内を散策しました。 |
ハイデルベルクはドイツ最古の大学を持ち、山の上にはハイデルベルク城がそびえ、18世紀からゲーテやショパンが訪れ、それらバロック風の街並みがそのまま残っています。
旧市街の中央にはビスマルク広場があります。 |
3日目 午前 ハイデルベルグ市内観光
昼食後 古城街道を経由してローテンブルグへ
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9:00 ハイデルベルグ市内観光 山とネッカー川に囲まれた古都の見どころをご案内します。
昼食後古城街道を経由してローテンブルグへ。
午後:ハイデルベルグ→バス約3時間195kmローテンブルグ。
16:30ホテル着 お泊りはローテンブルグ旧市街:城壁内のAグレードホテルです。
ホテル ティルマン リーメンシュナイダー、ローテンブルグ |
午前中はハイデルベルグ城と市内の見学でした。街並みが美しく、その周りの人家も立派なのは驚きです。
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ハイデルベルグ城
13世紀ごろからプファルツ伯の居城として作られましたが、その後の30年戦争などで半ば、廃城のようになってます。ドイツの歴史を示す城です。 |
白からの眺めですが、家々の豪華さには驚かされます。
再び、高台の城から大学広場まで戻ってきました。
大学牢
大学と古城で有名なハイデルベルグですが、かって、大学内は治外法権で、学生が町に出て悪さをしても、大学に戻れば、警察は立ち入ることが出来ませんでした。その代わり、大学当局がこの牢屋を作り、学生に罰を与えました。この牢は 1712年〜1914年と200年間も使用されていました。
個の落書きは投獄中の学生が描いたそうで、今は観光名所の一つになっていました。 |
聖霊教会
マルクト広場に面して建っています。
広場から見上げたハイデルベルグ城です。
カール・デオドール城(アルテ橋)
歩行者専用の古い橋です。たくさんの観光客が歩いていました。
ハイデルベルグ城がはっきりと見えます。
ローテンブルグ
午後は古城街道を通り、ローテンブルグに到着です。チェックインの後、ゆっくりと市内を観光しました。
ローテンブルグは人口がわずか1万2千人の小さな町です。
城壁に囲まれたこの街にはドイツ中世の遺産とその面影をぎっしりと残しています。
ローテンブルグはドイツ中世後期、14世紀から16世紀にかけてその全盛期を迎えました。しかし、1630年に始まる宗教戦争の波がこの町にも押し寄せます。
プロテスタント側のローテンブルグは当時、南ドイツで絶大な力を誇っていたカトリックに敵対したため、何度も侵略が繰り返され、街はすっかり寂れ発展は止まってしまいました。
19世紀になると、ナポレオンによるドイツ侵攻が始まります。それに対し、愛国心の強い若者たちが、ドイツの再発展に警鐘をならすべく運動をおこしました。
その時、ドイツ中世の町をほぼ完ぺきに残したローテンブルグが一躍注目を浴びます。
ローテンブルグは世界中から人が訪れるようになり、中世ドイツの真珠といわれるほどになりました。
街には中世と変わらない看板や紋章を見かけることができます。
ローテンブルグの紋章やこの地を支配したハクスブルグ家の紋章も見えます。
町の中心はマルクト広場です。そこにはゴシック、ルネサンス、バロックなどの様々な様式の建物が並んでいます。 |
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ローテンブルグの旧市街は、城壁でしっかりと囲まれ、入り口の門は6か所あります。
はじめてくるとどれも同じような門なので、区別するのが大変です。
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市内の散策です。中世の面影をそのまま残しているそうです。
城壁から下を覗くと、タウバー川が見えました。
城壁で囲まれた旧市街はかなりの高台に作られていることが分かります。
再び、旧市街の中を歩いてみました。
お土産屋に日本語の案内書も売られていました。
4日目 ロマンチック街道を南下。
ローテンブルグ→ ディンケルスビュール→
ギーンゲン→フュッセン/シュバンガウ地区
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10:00 朝、すこし遅めの出発です。ホテル周辺の散歩などでロマンチック街道屈指の美しい町並みをお楽しみ下さい。
ローテンブルグ→バス約1時間53km ディンケルスビュール→バス約1時間75km→ギーンゲン→バス約2時間160km→フュッセン/シュバンガウ地区
ロマンチック街道を通り、フュッセン/シュバンガウへ。途中、木組の家並みのディンケルスビュールでの散策(30分)とテディベアのふるさと、ギーンゲンにてテディベア博物館(入場)をご案内します。18:30ホテル着
フュッセン ホテル アルペンローゼ Jupiterstrasse 9, 87484 Nesselwang, Germany |
ロマンチック街道と名付けられたこの道は、北端のヴュルツブルグから南端のフッセンまで続いていますが、フランクフルトとミュンヘンの間を通り、スイスに向かって南下しています。
朝の出発前にもう一度、ローテンブルグの街を散歩しました。市庁舎の高い塔にも登ってみました。
ロマンチック街道の名前は、ドイツのロマン時代の、どちらかと言うと、近代化に遅れをとり、寂れかかった町まちに、観光客を呼び寄せたいと願ったドイツ観光局がつけた名前で、現在の男女間のロマンチックとは全く異なるそうですが、その名前をつけた後、アメリカ人を初め、日本人など多くの人が訪れるようになったそうです。 |
城壁
城壁には歩道が作られていたので、歩いてみました。
市庁舎
町の中心のマルクト広場に接して建っています。高さ60mの鐘楼があり、登ってみました。 |
鐘楼から見たローテンブルクの街並みです。
ディンケルスビュール
手工業や交易で繁栄した帝国自由都市で、15世紀まで外敵を守るため、城壁が築き続けられてきました。
その後、現在に至るまで、ほとんど戦争の被害を受けていない町です。 |
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ディンケルスビュールで、また、街の見学と昼食でした。この街も城壁で囲まれており、ロマン時代の面影を残しておりました。
城壁の門から中に入り、聖ゲオルク教会にも入ってみました。 |
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キーンゲン
ギーンゲンは、いわゆるロマンチック街道からは少し外れていますが、ドナウの支流ブレンツ川に沿った小さな町です。
この町に住むマルガレーテ・シュタイフという女性がくまのぬいぐるみを考案し、それが評判となり世界中に売られるようになりました。 |
ホテル アルペンローゼ
ホテルはロマンチック街道終点のフュッセンに近いスキーのリゾート地で、綺麗な山小屋が沢山ありました。 |
ホテルの周りを少し散策してみました。
ちょうど虹が出ていましたが、このような大きな虹を見たのは久しぶりでした。 |
5日目 ノイシュバンシュタイン城観光。
その後、バスでスイス、インターラーケンへ
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8:00 ノイシュバンシュタイン城観光
ルードヴィッヒ2世が17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んだ城へ。(ヨーロッパ100選)
マリエン橋から勇壮な外観もごらんになれます。(入場約1.5時間)
12:00 フュッセン/シュバンガウ地区→バス約3.5時間182kmマイエンフェルト→バス
ホテル ロイヤル サン ジョルジュ、インターラーケン、スイス
Hoeheweg 139, 3800 Interlaken, Switzerland
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ノイシュバンシュタイン城
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バイエルン国王のルートヴィヒ2世(1845〜1886)が17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで作り上げたお城です。中世のお城の形をしていますが、作られたのは19世この後半でした。
ルートヴィヒ2世は妃をめとらず、孤独で数奇な狂気に満ちた人生を送り、41歳でシュタルンベルク湖で謎の死をとげています。 |
朝、一番、ロマンチック街道の目玉、ノイシュバンシュタイン城を見学です。日本人、韓国人、中国人などで大変混雑していました。ちょうど休日らしく、我々が見学し終わった頃、現地の人は、入場券を買うために、100メートル以上もの長い列を作っていました。フリーで来ると、駐車場探しや切符の購入に苦労するようです。我々の入場券には、入館時間が指定されていて、スムーズに入れましたが、昔は団体でも入館に苦労したそうです。 |
マリエン橋からの眺め
お城から歩いて20分ほどの所にある橋で、お城を眺める最高の場所です。
ノイシュバンシュタイン城
坂を上り、これから内部の見学です。
中からは、先ほど往ったマリエン橋が見えます。このお城の素晴らしさは、なんといっても外観のようです。
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ホーエンシュヴァンガウ城
お城の中からホーエンシュヴァンガウ城が見えます。
ルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世が1832年〜1832年に荒れ果てていた城を再建し、夏の狩りの城としました。
ルートヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城の建設中、ここから進行状況を見ていたそうです。 |
坂を下りる途中、ホーエンシュヴァンガウ城の近くを通りました。駐車場の近くです。
比較的小さいお城です。観光はありませんでした。 |
お城を見学した後は、ひたすら、スイスのインターラーケンに向かいました。途中、手洗い休憩も兼ね、ハイジの家にも寄りました。
インターラーケンはスイスのほぼ中央に位置しています。 |
6日目 ユングラウヨッホ観光
8:00 ユングラウヨッホ観光
登山電車を乗り継いでヨーロッパで最も高い鉄道駅である3454mの頂上駅へ。
お天気がよければ、途中駅クライネシャイデックからアイガー、メンヒ、ユングフラウの大パノラマをごらんにただけます。
昼食:名峰群を望む絶好のスポット、クライネシャイデックのレストランにてお楽しみ下さい。
18:00 ホテル着(昨夜と同じ) |
朝は、残念ながら雨で、今日はだめかなと覚悟を決めました。列車が山を登るにつれ、時々晴れ間が見えるようになりました。でも、また、まったく曇ったりして気まぐれです。時々晴れると、車内から大きな歓声が上がります。
幸い、わずかな時間でしたが、アイガー北壁や、ユングフラウヨッホの頂上を見ることが出来ました。山を降りる頃はすっかりと晴れて来ました。 |
頂上駅に到着
ヨーロッパでは最も高い駅です。到着する直前まで、ほとんど山の中に掘られたトンネルの中を通ってきました。 |
外に出て、歩いてみました。
帰りです。かなり混雑しています。ヨーロッパの最高、3454mと書かれていました。富士山よりは低いようです。
なお、ユングフラウの標高は4158mで、アイガーは3970mです。 |
クライネシャイデック
ここで電車を乗り換え、来た時とは違う鉄道で、グリンデルヴァルトに向かいます。
約1時間、各自、適当に散策しました。晴れ間にユングフラウが見えました。 |
登山鉄道でグリンデルヴァルトへ向かいました。下りるに従い、町がだんだんと近づいて来ます。 |
計画ではこのままホテルに戻る予定でしたが、天気が良いので、乗換駅であるグリンデルワルドで1時間半ほど自由時間をとり、街の散策となりました。
結構歩きました。その後のビールも最高でした。 |
美しいお花畑です。しばらく歩いてみました。
ビールを飲みながら一休みです。
登山鉄道で、再びインターラーケンに戻りました。
私たちの座席には、JTB 用と書かれた用紙が窓に張られていました。
インターラーケンはとても美しい街です。
ホテルも驚くほど素晴らしく、山のホテルらしい外観でした。
私たちの前のホテルも、いかにもスイスの山のホテルの外観です。。 |
7日目 インターラーケン→ アンデルマット
→氷河特急約3時間ツェルマット
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10:00 インターラーケン→バス約3時間194kmアンデルマット→氷河特急約3時間ツェルマット。
18:00 ホテル着。夕食:スイス名物、お肉のフォンジュです。
ホテル アルバトロス、ツェルマット Steinmattstrasse 93, 3920 Zermat, Switzerland |
朝遅い出発で、朝食後、インターラーケン市内を散策しました。昨夜泊まった私たちの部屋は何処かと、ホテルの窓から手を振って、外から見たら、一番上の最上級の部屋でした。見晴らしは最高でした。
花に囲まれた道路の向うにある建物はカジノ場で、昨夜、覗いてみました。
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インターラーケンからバスに乗り、氷河地帯を越えてツェルマットへ向かいました。
途中、トイレ休憩で、地元のホテルを使用させて頂きました。 |
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急にトイレを必要となった人がいたので、ホテルで一休みです。
また、山を越えて行きます。 |
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アイデルマットからは氷河特急に乗りました。イヤフォーンが配られましたが使い捨てでした。
飛行機に乗ると、通常、イヤフォーンは回収されますが、ここでは使い捨てです。
中国製と思われますが、1個100円程度で出来るようになったためでしょうか。時代は変わったものです。なにか寂しくなります。 |
ツェルマット
ツェルマット市内は許可された電気自動車のみが通行可能で、タクシーも電気自動車でした。山岳の美しい町でした。ホテルは山小屋風でしたが、この街の全てのホテルは、そのような感じでした。
なんと部屋にはバブルジェットの風呂が付いていました。部屋のテラスからはアルプスの山々を見ることが出来ました。晴れていれば風呂に入りながらマッターホルンが見えるのでしょうか。 |
8日目 午前:マッターホルン観光 、午後:自由行動。
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午前 マッターホルン観光
19世紀末に完成したアプト式登山電車で標高3131mのゴルナーグラート展望台まで登ります。
マッターホルンの素晴らしい展望をお楽しみ下さい。
午後:自由行動 |
朝起きると、曇っていて山が見えません。せっかく来たのに、とにかく残念です。
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ホテルのフロントで部屋の鍵を預けたら、なんと、誰でも取れるところに吊るしてくれました。さすが、山小屋風のホテルです。どろぼうなど居ないのでしょう。
それにしても、このようなシステムは初めてです。何のための鍵なのでしょうか。 |
近くにも同じようなホテルが並びます。車はすべて電気自動車です。
ホテルを出て、登山電車で出発です。今日も曇りで、山が見えません。残念だなー!
電車で少し登り始めると、やったー。見えてきた!。その感動は忘れられません。
マッターホーンの頂がくっきりと見えました。下界は雲海の中です。 |
電車を降り、しばらく山小屋の近くを歩いてみました。
下山
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帰りは途中で電車を降り、1時間強、歩いて山歩きを楽しみました。
昼食を途中のレストランで食べた後、ホテルまで戻りました。 |
午後は自由行動ですが、私たちは、地下にモグラのように穴を掘ったケーブルカーで、スネガという所まで登りました。自転車を持って登る人も居ます。
帰りは頂上駅から歩いて戻ってきましたが、ゆっくり歩いて3時間掛かりました。
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無事に、ふもとの街に到着しました。さすがに足はガクガクになりました。満足の1日でした。 |
9日目 ツェルマット→電車でテーシュ→バスでジュネーブへ
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8:00 ツェルマット→電車テーシュ→バス約3,5時間230kmジュネーブ
途中、レマン湖に美しい姿を映すシヨン城へ入場します。
夕刻:ホテル着。夕食:アルプフォルンの演奏とともにお楽しみ下さい。
ジュネーブ泊まり。
ホテル モーベンピックホテル&カジノ ジュネーブ
20, Route de Pre-Bois 1215, Geneva Switzerland |
ツェルマットを一駅電車で下り、そこからまたバスに乗り換え、一路、ジュネーブへ向かいました。所々に昔のお城が見えますが、ビックリするのが、急な斜面を開墾して作られているブドー畑です。スイス人もまた、勤勉です。
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途中、昼食です。
シヨン城
世界遺産シヨン城です。昔の牢屋、武器庫なども見学しました。
シヨン城からの眺めです。
夏のレマン湖です。トップレスで日光浴を楽しんでいる御婦人たちが居たので、家内の写真を撮るふりをして、写真におさめました。 |
10日目 午前、午後、自由行動 (ジュネーブ観光)
夕刻 ジュネーブ→フランクフルト→ 成田行き21:05発
LH 3669 ジュネーブー>フランクフルト 18:20→19:40
JL408 フランクフルト発成田行き 21:05
帰りの飛行機は夕刻なので、今日一日は自由行動です。空港に隣接したホテルから、市内まで電車で出かけ、終日、ジュネーブの観光をしました。
はじめは土地勘を得るため、列車風に連結された細長い観光バスで市内を一周し、その後、再び歩いて回りました。
日曜日で、店は完全に閉まっており、人通りもほとんどありません。レストランも大半が閉まっていました。 |
観光バスで市内一周
土地勘が全くないので、まず、市内観光バスに乗ってみました。バスなので、かなり狭いところにも入りました。 |
日本風のレストラン
日曜日のためか、お客はだれも居ませんでした。
もう一度、気に入った所に歩いて行ってみました。
私たちは今夜の飛行機で日本に戻りましたが、ツアーの大半の人たちは、オプションのパリ観光2日間に参加していました。
そのため、添乗員はパリに行ってしまいましたが、特に問題はありませんでした。
今回のツアーは6組のご夫婦のみで、人数も少なく十分に旅を楽しめました。ただ、丁度夏休みの時期で、ツアー料金が通常よりもかなり高かったため、参加者が少なかったようでした。 |
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