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ナイアガラ、ニューヨーク、ボストン、
ワシントン観光ツアー
ナイアガラには25年ぐらい前に一度、また、ニューヨーク、ボストン、ワシントンには数十回以上行っていますが、観光という目的ではまだ行ったことがありません。
これらの都市にもう一度行ってみたいと思ったのと、個人旅行ではかなり高くなってしまうので、今回はクラブツーリズムのツアーにしました。
全泊スイートルームに泊まれることと、一度乗ってみたいと思っていたアムトラックの企画が気に入りました。参加人員は遂行可能人数の15名ぎりぎりで、ご夫婦が5組、他の5名は中年以上の女性でした。
ツアーに参加していつも思うのですが、いろいろなご夫婦が居て、観察しているととても面白く、二人の性格がよくもこれほど一致しているものかと感心する場合が多くあります。 |
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再生速度は右下の三つの点を押すと早くしたり遅くしたりできます。 |
旅行ルートは成田より、カナダトロントに飛び、そこからナイアガラまでパスで行き、また、トロントに戻り、そこからニューヨークに飛び、ボストンはアムトラックを使用し、日帰り旅行で、その後、ワシントンまでアムトラックで行き、ワシントンから、トロント経由で成田まででした。下にそのルートを示します。 |
内容とリンク先を下に示します。
1日目 ナイアガラ到着、ライトアップされた滝を見学
部屋からも、そして、バスルームからもナイアガラの滝全体が見える素敵な部屋でした。
ガイドさんに連れられ、夜、ライトアップされた滝を見学しました。ホテルから10分ぐらい歩きます。
25年前に来ているのですが、全くと言ってよいほど記憶に残っていません。ただし、その時は、車で通過した程度の見学でしたのが、今回はゆっくりと過ごせました。 |
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ナイアガラの川は、中州によって大きな滝と少し小さな滝に分かれて流れ落ちています。上は大きな滝で、左は少し小さな滝です。
大きな滝はカナダ滝と呼ばれ、小さな滝はアメリカ滝と呼ばれています。
いずれの滝もカナダ川からだとよく見えいるため、観光は一般にカナダからになります。 |
小さな滝の方は、ライトアップされていて、その色が数分おきにいろいろと変わります。 |
ナイアガラの滝の概要
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昔、学校で、アメリカとカナダの間には大きな湖、五大湖があると勉強したことがあります。
ナイアガラはアメリカとカナダにまたがっています。 |
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エリー湖の水面標高は174mで、オンタリオ湖は75mであるため、二つの湖の標高差は100mもあります。その二つの湖は狭い川で結ばれ、途中にあるナイアガラの滝の落差は最大53mもあります。 |
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国境は川の中央にありますが、滝の近くの中洲はアメリカの属しており、大きな滝はそのほとんどがカナダに属し、小さな滝は完全にアメリカに属しています。
カナダ滝は落差53m、幅670m、滝壺の深さ56mで
アメリカ滝は落差21mから34m、幅260mです。 |
2日目 ナイアガラ観光
午前中、バスにてアメリカ滝、カナダ滝、発電所などを見学、昼食はナイアガラ全体が見渡せるヒルトンホテルのレストランでした。
ナイアガラの緯度は札幌と同じですが、たくさんの氷がまだ流れており、虹の乙女号はまだ出ておりませんでした。滝にも氷が残っていました。 |
カナダ滝の観光
まず、カナダ滝の観光です。本来なら滝の下を潜るボートに乗る予定でしたが、まだ、流氷が流れており危険のため、ボートは中止になっていました。川岸には氷の岩がへばり付いていました。
エレベーターで滝の中腹まで下り、そこから滝の下の見学になりました。さすがすごい流量です。滝の上から見ると、その壮大さが実感できます。 |
レインボーブリッジ近くから
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遠く下流にカナダとアメリカを結ぶレインボーブリッジがあります。そこからなら、カナダ滝を正面から見ることが出来ます。
バスに乗って移動しました。 |
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カナダ滝が正面に見えて来ました。
ものすごい水しぶきが上がっていました。 |
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左側にアメリカ滝が見えます。 |
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ナイアガラウォールプール
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さらに下流のナイアガラウォールプールと呼ばれる所にバスで移動しました。この近くには公園、ケーブルカー、発電所などがあります。
川は一見3つに分かれているように見えますが、左側の川はウォールプールと呼ばれる水だまりになっています。
ケーブルカーはカナダ側同士の丘を結んでいます。 |
ケーブルカー
ナイアガラ川は右側から右奥へと流れています。左側は水たまり(プール)になっています。 |
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大きな公園がありました。 |
発電所
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対岸にアメリカの発電所が見え、こちら側にはカナダの発電所がありました。滝の上流からこの貯水池まで人口の水路によって水を引き込み、この地の落差によって発電します。水量はアメリカとカナダで相談し決めています。アメリカの発電量は2.4GW,カナダ側の発電量は2GWです。
なお、黒部第四発電所の発電量は0.3GWですからその10倍以上になります。
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アメリカ側の発電所です。ナイアガラの水は、昼間はできるだけ滝に流し、夜は出来るだけダムに水を導くそうですが、全体の流量を滝とアメリカのダムとカナダのダムに三等分しているそうです。
滝の水量を少なくすることによって、滝が削られ後退してゆく悪影響を少なくする利点もあるそうです。
ナイアガラ川には幾つもの橋が架けられています。
数十年前に来た時は、夜で良く分からずカーナビ便りで来たのですが、その時、かなり狭くて小さい橋を渡ったためか、パスポートの検査がありませんでした。気が付くと、もうカナダに居ることが分かりました。
帰るときはしっかりと検査がありました。 |
昼食は滝を見下ろせる高層レストランでした。
食事をしながら、ご一緒した人といろいろ話をしていましたら、70歳ぐらいの女性の方ですが、「私、後4回ほど海外旅行が出来るんです」と言われました。不思議に思って、「なぜ4回なのですか」と聞くと、「4回分の貯金があるのよ」と言っておりました。
旅に魅せられ、人生、最後の貯金まで旅に使う気持には感心致しました。
また、同じぐらいの年の女性の方が、嫁の悪口を散々言っていました。こちらには閉口しました。 |
午後自由行動
午後は各々自由行動で、オプショナルツアーもありましたが、私たちは足に任せて、歩き回りました。 |
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ホテルから滝の上流に歩いてゆき、滝やその周辺を見学しました。
川の周辺には歩道橋などが作られていました。 |
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午前中もここをバスで通ったのですが、車窓からのみの見学でした。今度はゆっくりと見ることが出来ました。 |
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難破船が見えます。1918年、平底船がここで難破したそうです。乗組員は全員救助されましたが、仮に難破しなかったら、ナイアガラの滝から流れ落ちてしまい、全員死亡したことは確実です。
難破して助かった珍しいケースです。 |
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Niagara Parks Floral Showhouse
立派な花専用の温室があったので入ってみました。一応、有料でした。
まだ寒いのに、たくさんの素晴らしい花が咲いていました。 |
午前中は曇り模様で、虹を見られませんでしたが、午後は快晴になり、何時までも消えない虹を堪能することが出来ました。ただし、水しぶきが強いので、濡れる覚悟が必要でした。 |
レインボーブリッジを渡り、アメリカとカナダの国境を渡りました。パスポートが必要でした。 |
3日目 午前、飛行機でニューヨークへ移動、
午後、ニューヨーク市内見学
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市内観光はテロで崩壊したグランドゼロ、国連ビル、サウスストリート・シーポート、ロックフェラーセンター、セントラルパークなどで、ホテルはニューヨーク市の対岸のニュージャー州側でした。 |
中華街
昼食は中華街でした。中華街の見学はありませんでした。 |
自由の女神、グランドゼロ等を見学しました。自由の女神は遠くから見るだけでした。 |
サウスストリート・シーポート
マンハッタンを囲んで、船が運行されています。
国連本部
以前、内部ツアーに参加して見学したことがありますが、今回は外観のみでした。
セントラルパーク
市民の憩いの場所です。昼間は結構人で賑わいます。夜は極めて危険な場所だと、以前聞いたことがあります。 |
ロックフェラーセンター
1989年、日本のバブルの絶頂期に、三菱地所が2,200億円で買収し、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、アメリカでのジャパンバッシングの要因の一つになりました。
その後、日本のバブルが崩壊し、運営会社は破産してしまい、手放すことになりました。 |
ハドソン川
対岸のニュージャーシーまで渡し船で約10分で行くことが出来ます。
エンパイア・ステート・ビル
夕方、ホテルに到着、解散後、エンパイアーステートビルに登ろうと、家内と二人だけで、再度マンハッタンへ行ってみました。ホテルからマンハッタンまでは人専用の小型船がホテルのすぐそばの船着場か出ており、10分ほどでマンハッタンに行けます。陸上で行くよりも渋滞が無く快適だそうで、利用客は多いそうです。
ただ、エンパイアーステートビルの登るのには、切符の購入、手荷物検査などがあり、ものすごく混んでいて、エレベーターに乗るまで約1時間20分ぐらいかかりました。ただただ、辛抱のみですが、日本での美術館も最近はものすごく混むことがあり、こんなものでしょう。並んだときはまだ明るかったのですが、展望台に到着したときはもう、真っ暗でした。夜景が綺麗でした。展望台には窓ガラスがなく、直接外気に触れながら見渡せるのには感激です。
その後、マンハッタンを散策したあと、船着き場に戻ろうとしたおですが、タクシーを拾うのに苦労しました。 |
4日目 ニューヨーク、ボストン、アムトラックで往復
ボストンでは、市街地、ハーバード大学構内、ボストン美術館、松坂投手の入団で話題になっているフェンウエイパーク野球場などを見学しました。ボストンの緯度は室蘭と同じで、新緑はまだでした。あと1,2週過ぎると、いっせいに芽を吹き出すそうです。
ボストンはアメリカ最古の都市で、建国の舞台でもあります。アメリカで最初の議事堂がここに作られました。
1776年、ここで独立宣言文が読み上げられています。独立後、南北戦争が起こりましたが、北軍の中心部隊はこのボストンに置かれました。
南北戦争が終結した11年後、1876年に市民の手によって誕生したのがボストン美術館です。
ボストンには昔、仕事の関係でかなりの回数来ていますが、今回のツアーでは日本美術のコレクションで定評のあるボストン美術館を楽しみました。たぶん、三回目の美術館訪問です。 |
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アムトラックでこれからボストン往復です。 |
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ボストンは港町です。
海の見えるとレストランで昼食でした。 |
フェンウエイパーク野球場
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タクシーにも RED SOXのコマーシャルを載せていました。 |
ボストンは歴史のある町です。石畳の道路がまだ残されていました。
ボストン美術館
この美術館には、古今東西の美が集められており、その数は50万点に及びます。市民による寄贈や基金によってあつめられたものばかりです。
独立戦争からちょうど100年後の1876年に美術館が誕生しました。 |
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ギュスターヴ・ドレ 1832-1883
フランスの画家、ロマン主義
野の花と蝶
のどかな景色です |
日本美術コレクション
日本以外では世界最大の質を誇ります。日本にあれば国宝級の絵画や仏像がたくさん展示されています。
美術館には日本庭園も造られています。 |
ハーバード大学
ボストンを代表する大学で、1636年に創立されたアメリカ最古の大学です。6名の合衆国大統領、30名以上のノーベル賞受賞者を出しています。
建てられた像の足を触ると、もう一度来られるそうです。
もう一つの大学、MIT、すなわちマサチューセッツ工科大学も世界的に知られています。この大学には過去何回か来たことがありますが、ハーバード大学は初めてでした。 |
ボストン観光後、再びアムトラックで戻ってきました。ホテルは昨日と同じです。
5日目 午前中メトロポリタン美術館見学、
午後アムトラックでワシントンへ、着後市内見学
ニューヨークの緯度は青森と同じですが、ちょうど桜が咲いていました。 |
ワシントンには過去数10回以上訪れており、土地勘もかなりあり、昔を懐かしく思い出しました。
緯度は仙台とだいたい同じですが、桜祭りは4月初めだそうで、花は全く残っておりませんでした。 |
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午前、リンカーン記念 ホワイトハウス、国会議事堂などを見学、午後は、スミソニアン博物館の見学でした。
国会議事堂から西に渡って4kmほど続く公園地帯はモールと呼ばれ、たくさんの博物館などが続きます。
これら、スミソニアン博物館での見学時間はわずか3時間程度しかなく、各自、自分の好きな所を見学しましたが、今回は美術館を中心に廻りました。
昔感激した幾つもの名画にもう一度接することが出来ました。
アメリカがすごいと思うのはこれらの博物館、美術館が全て無料ということです。 |
アーリントン墓地
広い墓地の一角を見学しました。
リンカーン記念碑
普通の桜はすでに終わっていましたが、八重桜は今が満開でした。
まずは、リンカーン記念碑の見学からです。
ホワイトハウス
言わずと知れたホワイトハウスです。屋上には警備円が見えます。
ワシントン記念塔
高さ、169.3mの石造建築物で、合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンを記念して建てられています。
展望台があり、エレベーターで昇ることが出来るそうです。 |
国会議事堂
ナショナルギャラリー(国立絵画館)
その質と量は世界屈指と言われています。開館したのは1941年でした
絵画館は巨大な大理石で出来ており、その巨大さでも世界屈指といわれています。
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ワシントンの国立美術館の入り口で頂いたパンフレットです。 |
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
1452-1519
イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。
ジネヴラ・デ・ベンチの肖像
1474年~78年頃
アメリカで見られる唯一のダヴィンチの作品です。
20代のダヴィンチが友人の婚礼の祝いに書いたものです。しかしその結婚は幸せのものではありませんでした。陰りのある表情は画家が未来を予見していたかのようです。 |
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ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
1834-1903
19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。
浮世絵をはじめとする日本美術の影響を強く受けた。
白のシンフォニー第一番、白の少女
1862年
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サンドロ・ボッティチェッリ
1445-1510
イタリア生まれのルネッサンス期の画家
- ジュリアーノ・デ・メディチの肖像
- Giuliano de' Medici
- 1478/1480
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ヘンドリック・ホルツィウス
1558-1617
オランダの画家、版画家
The Fall of Man
人類の堕落
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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
Georges de La Tour
1593-1652
フランスの画家。
フランス王ルイ13世の国王付画家
悔い改めるマグダラのマリア
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エル・グレコ 1541-1614 ギリシャ出身。
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聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子
1597-1599年 |
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ラオコーン(Laocoonte)
1610-1614年頃 |
ラファエロ・サンティ 1483-1520 盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家
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ニコライナーッカウパーの聖母子
1508年 |
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アルバの聖母
1510年頃
聖母子と聖ヨハネが三角形に巧みに配置されています。
聖母の表情は、我が子の将来を予言して
悲しみに満ちています。
人間的な温かみをたたえた聖母子像で知られる
ラファエロの代表作です。 |
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ラファエロのカルトン
1515-1516 |
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ジョバンニ・パオロ・パンニーニ
Panini Panini
1691-1765
イタリア出身の画家、建築家
ローマ、パンテオン神殿の内部
Interior of the Pantheon, Rome」
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カナレット Canaletto
1697-1768
イタリア 18世紀景観画家
聖マルコ広場 |
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ベルナルド・ベッロット
1721-1780
イタリアの風景画家
ケーニッヒシュタイン要塞
1756 - 1758
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アルベルト・カイプ
1620-1691
オランダ
17世紀のオランダ絵画でもっとも主要な画家の一人
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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
1864-1901
フランスの画家
ロートレックは、幼くして足のけがのため、
成長が止まり、身長は短いままでした。
そして37歳の若さで世を去りました。
「シルぺリック」のボレロを踊るマルセル・ランデ-ル
1895 - 1896
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エドガー・ドガ Edgar Degas
1834-1917,
フランスの印象派の画家、彫刻家
四人のダンサー
Four Dancers
1899
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ルドルフ・バックホイヤセン
ロッキークレストでの遭難船
Ships in Distress of a Rocky Crest
1667年 |
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カミーユ・ピサロ Camille Pissarro
1830-1903
フランスの印象派画家
カルーゼル広場、パリ
1900年 |
ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir
1841-1919 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。
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ディアナ(ギリシア神話のアルテミス)
"Diana”
1867年
ルノワールが26歳の時に描いた宗教画・神話画です。
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ダンサー
- The Dancer
- 1874年
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フープを持つ少女
1875 |
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じょうろを持つ少女
A Girl with a Watering Can
1876
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髪を編む若い女性
1876 |
ポール・セザンヌ Paul Cezanne, French, 1839-1906
フランスの画家。元は印象派画家であったが、独自の絵画様式を探求し、彼独特の絵を生み出した。
パブロ・ピカソ 1881 - 1973 スペインで生まれフランスで制作活動をした画家。キュビスムの創始者として知られる。
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- 食いしん坊 Le Gourmet
1901年
ピカソ、青の時代の作品です。 |
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旅芸人の家族
1905年
純粋に造形的な表現を介して
現出する別世界のようです。
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二人の若者
- Two Youths
- 1906年
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静物とジャングラー
- Juggler with Still Life
- 1905年
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静物
- Still Life
- 1918年
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ピカソ婦人
- Madame Picasso
- 1923年
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恋人
- The Lovers
- 1923 年
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アルベール・グレーズ Albert Gleizes
1881-1953
フランスの画家
サッカープレーヤー
1912-1913年
グレースはピュトーグループに属していました。
ピュトーグループとはピカソの拠点としていた
モンマルトルに対抗して、
ピュトーという場所に集まった集団のことです。
ピカソやブラックが形を解体するにつれて
色彩がモノクロームに近づいていったのに対し、
彼らはより色彩を豊かに描こうとしました。
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アンリ・マチス Henri Matisse
1869-1954
フランスの画家
20世紀を代表する芸術家の一人
理髪
La Coiffure
1901年
マチスは若いころは柔らかい色調で描き、
27歳にしてサロンに出品し、
5点もの作品が入賞し
、画家として順調な滑り出しをし、
ほぼ、順調な人生を送りました。
しかし、一時期は印象主義的絵を発表し
ひどく非難を受けます。
その後、独自の画風を確立して行きました。
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ジョージ・ロムニー
1734-1802
英国の画家。主として肖像画を多数描いた
ウィロビー嬢の肖像
Portraint of Miss Willoughby
1783 |
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ポール・ゴーギャン
1848-1903
フランスのポスト印象派の画家
悪魔の言葉
"Parau na te Varua ino"
1892年 |
クロード・モネ Claude Monet, 1840-1926 印象派を代表するフランスの画家
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散歩、日傘の女
1875年
見上げるような視線で描かれているのは息子のヤン、そして妻カミユ
吹き渡る風、明るい陽射し、ぬくもりのある日差し、どこまでも心地よさに溢れたモネの傑作です。 |
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ヴェトゥイユの画家の庭
1880年
青い空と、咲き乱れるひまわり。陽光の降り注ぐ庭はモネ自身によって作られたものです。 |
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ルーアン大聖堂
1894
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アルジャントゥイユ橋
- The Bridge at Argenteuil
- 1874年
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セーヌ川の川岸、ヴェトゥイユ
1880年 |
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エルサレム アーティチョークの花
「Jerusalem Artichoke Flowers」
1880年 |
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日本橋
- The Japanese Footbridge
- 1899年
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エドゥアール・マネ 1832-1883 フランスの画家。印象派に属するが独自の境地を開拓した。
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鉄道 サン・ラザール駅
1873年
一人がこちらを見て、もう一人が背を向けている斬新な構図です。
線路の中の蒸気が、列車の過ぎ去ったことを暗示しています。
当時、鉄道は始まったばかりの新しい技術でした。 |
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ジャヤンヌ・ド・マルシー
A criar Printemps, Jeanne de Marsy
1881年
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フィンセント・ファン・ゴッホ
1853-1890
オランダ出身でポスト印象派の画家。
薔薇
1890年
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カミーユ・ピサロ Jacob Camille Pissarro 1830-1903 フランスの印象派画家
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イタリア人大通り、朝、陽光
1987
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チャーリングクロス橋
Charing Cross Bridge, London
1890
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庭師 - キャベツを持った年老いた農民
The Gardener - Old Peasant with Cabbage
893 - 1895
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ヨハネス・フェルメール 1632-1675 オランダの画家。バロック期を代表する画家の1人。
この部屋は空いてはいましたが、すごく暗くて写真は良く撮れませんでした。
7日目 帰国
朝早くワシントンからトロント経由で成田に向かいました。エアーカナダ便のトロント成田間は空席が幾つもあり、一人で2席を使用でき、楽に過ごせました。 |
ツアーの感想
アメリカは、最も思い出の多い国で、ニューヨークだけでも過去数十回、延べ2ヶ月以上居たと思います。ただ、この10年は、仕事関係の会社がニューヨークから脱出してしまい、行く機会がめっきりと減りました。
今回は過去の思い出を再確認する旅でもありました。いずれの町も、以前とほとんど変わらぬ面影を残していました。特に美術館は、昔とほとんど同じでした。ロンドンやパリもそうですが、それらの都市の思いでは美術館や博物館、そして街並みだと思います。
過去の思い出を確かめる町がまだまだ他にたくさんあり、再びこれらの町に来ることがあるかどうか分かりませんが、たぶん、これが最後だろうという思いを背負いながらの旅でもありました。時間は短かったものの、ほぼ満足した旅でもありました。
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付録
今回の美術館めぐりで、何枚かのフェルメールの絵に出会いました。インターネットで画像検索をし、フェルメールの絵を集めてみました。
フェルメールはオランダの地方都市デルフトで生まれ育ちました。当時、多くの芸術家はパリを目指しデルフトを離れて行きましたが、フェルメールはデルフトにとどまり、制作活動を続けました。フェルメールは11人の子供を抱える大家族で、かつ、妻の実家に間借りして暮らしていました。自らの実家の借金も抱えており、地元を離れる決断が出来なかったとも言われています。
フェルメールはここで日常の生活をたくさん描いています。
なお、上に示した絵画館での写真の説明は、主にNHK世界美術館紀行、日曜美術館などを参考にして書き入れています。
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メトロポリタン美術館
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眠る女
1656年~57年
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窓辺で水差しを飲む女
1662年~65年 |
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リュートを調弦する女
1662年~65年 |
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少女
1968年~69年 |
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フェルメール
信仰の寓意
1673年~75年
地球儀に足を載せ宙を見つめる女性。
不思議なポーズをしています。
神への信仰そのものを表しているそう
です。
後ろには磔のキリストが描かれています。 |
ワシントン National Gallary of Art
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天秤を持つ女
1662年~65年
窓から差し込む光と、天秤が静止する一瞬の姿を描いています。
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手紙を書く女
1665年~66年 |
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フルートを持つ女性
この絵はフェルメールの作品と思われると書かれていました。 |
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赤い帽子の女
まるでスナップショットのようです。
豊かな色彩と光の変化、フェルメールの卓越したまなざしを感じさせます。
ただし、この絵はフェルメールの作品と思われると書かれていました。 |
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その他
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