幻想のネパール感動体験 9日間

2008年1月28日(月)−2月5日(火)

阪急交通社 trapics


 世界一高い山、エベレストの名を聞いたのは、小学生になった頃だと思いますが、実際に行って、自分の目で見てみたいと思い、一番空気が澄んで見えると言われるこの時期を選びました。
 ただ、ネパールという国や、神々が住むと言われるヒマラヤの山々の名前など、ほとんど何の予備知識も無く、また、どのようにして行くのかも知らないまま、阪急交通社の trapics を選んで行って見ました。
 参加者は合計15名で、男性が6名、女性が9名でそのうちご夫婦は3組でした。
 最高齢の参加者は82歳の女性でしたが、どうも私よりスタミナがある感じでした。


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 今回の旅は上図のように、成田から香港経由でネパールのカトマンズに飛びました。
 成田から香港まで5時間10分、香港からカトマンズまではちょうど5時間でした。


 ネパールを上の図に示しますが、北側の中国チベット自治区と南側のインドに挟まれた細長い国で、国土は北海道の 1.8 倍程度であり、人口は 2,800万人で、世界的にも貧しい国にランクされています。政治は何かと不安定で、国王と、民主化を望む政党が対抗しているそうです。
 昔、イギリスがインドに進駐し、戦争に勝ってインドを属国にしましたが、ネパールはあまりに貧しく、イギリスもネパールから得る物が無いため興味を示さなかったそうで、それが逆に世界の情勢から取り残されてしまったとも言われています。
 今回のツアーはカトマンズとポカラを訪ね、ヒマラヤ山脈を遠くから眺める旅でしたが、貧しさの中で懸命に働くネパール人と、仮に将来、日本の輸出力が無くなり、石油を輸入するお金が無くなったら、どのような生活になるかを体験した旅でもありました。


1日目 成田からカトマンズへ。22:05到着
2日目 カトマンズ市の近くの世界遺産「バグダプル」の町を見学
3日目 終日、ナモブッダを見るハイキング
4日目 飛行機にてカトマンズからポカラへ
5日目 ヒマラヤの日の出を見るチョーレパタンハイキング
6日目 ヒマラヤの日の出を見るサランコットハイキング
     再びカトマンズへ戻り、市内見学(お寺など)
7日目 ネパール市内観光、夜は民族舞踏見学
8日目 ヒマラヤ遊覧飛行。夜22:55香港へ出発
9日目 香港から成田へ到着 到着時間は午後2時05分でした。


   
1日目 成田からカトマンズへ
 成田空港での集合時間は朝の8時40分なので、車で自宅を7時20分に出発。民間駐車場に車を預け、駐車場のバスで空港まで送ってもらいました。
 成田、香港間はキャセイパシフィック航空で、出発は10時40分と多少ゆとりがありました。
 飛行機の座席は 2-4-2 の並びでトイレに行くのは便利な並びでした。香港までの飛行時間は向かい風のため5時間10分かかりました。
 香港でドラゴン航空に乗り換えましたが、待ち時間は約2時間50もありました。
 カトマンズ行きの飛行機は 3-3の並びで窓側に座らせられた人は悲劇ですが、空席が目立ち、問題はありませんでした。香港-カトマンズ間は5時間の飛行でした。

 さすが香港で、表示は漢字と英字の2種類です。
 カトマンズはこのように書くようです。


 カトマンズ空港へ到着したのは午後10時で、そこから迎えのバスに乗り、ホテル到着は午後11時半ごろでした。全員、ホテルの食堂で会食し、いよいろネパールツアーの開始でした。ホテルでビールを頼んだのは私たちだけで、今回はお酒好きが少ないようです。


   
2日目 カトマンズ市内見学

 犬や鶏の鳴き声と、自動車のクラクションで目を覚ましました。なにかとてもうるさい町です。ホテルのドアから外を覗くと、空気がとてもよどんでいて、遠くが良く見えません。
 バスの出発は10時なので、朝食後、ホテルの周りを歩いてみました。歩き出すとすぐに人が寄ってきて、いろいろと話しかけます。タクシーの運転手も降りてきて何処へ行くかと聞いてきます。

 街の空気はよどんでいます。カトマンズは盆地なので、風がないとよどんでしまうようです。



 
 ホテルはなかなか立派で、驚くことに無線LANが無料で繋がりました。ただし、ネパールで繋がったのはこのホテルのみでした。


 ホテルの周りを歩いてみました。とにかく汚い。誰も片付けないのでしょうか。人が寄ってきてうるさいのですぐにホテルに戻りました。



町全体が世界遺産に指定された「バクタプル」見学

 朝の10時にホテルを出発、観光開始です。
 ホテルを出るとすぐに街の貧しさを実感できました。税金の徴収が困難で、清掃車も無いのでしょうか。 相続税が無いので、王族など一部の人は非常に裕福だそうです。
 カトマンズから東に向かい約12kmで世界遺産「バクタプル」の町です。


 
 「バクタプル」の入り口にあるライオン・ゲートといわれる門に到着し、日本語のうまい現地のガイドさんに案内されて、遺産に指定された町の中を歩きましたが、とにかく汚くて、細い道路が曲がりくねり、町全体の把握は困難です。
 この町は15世紀から18世紀にかけて、マーラ王朝時代に3つの首都の一つとして発展したとのこと、昔の寺院や旧王宮、広場などが残っており、世界遺産に指定されたようです。


 しばらく歩くとタチュパル広場に出ます。中央には1427年に設立されたダッタトラヤ寺院があり、それを囲んで幾つもの建物があります。また、ネワール彫刻の最高傑作といわれる孔雀の窓も少し歩いたところに見ることが出来ました。


 近くのラマダンの絵描き学校に案内されました。印刷でなくて全部手書きです。大きいのは一枚書くのに数ヶ月掛かるそうです。A3程度の大きさで30$ぐらいだそうですが、買った人は居なかったようでした。


 また数分歩くと、トウマディー広場に出ます。画面左端は広場の中のレストランで、その2階で昼食でした。広場には5層の屋根を持ち、高さは30mのニャタポラ寺院があり、18世紀の初めに建てられたそうです。3枚目はバイラヴナート寺院で、17世紀に建てられ、その後、地震で崩壊したが、1934年に再建されたそうです。



 近くに旧王宮があり、宮殿は17世紀から18世紀にかけて作られたそうです。 



 見学後、約40分、バスに乗り、ドウリケルという町のホテルに到着でした。ホテルに近づくにつれ、棚田が延々と広がっています。驚いたことに、2000mクラスの山々の頂上まで棚田が続きます。
 

 このホテルに連泊ですが、この町では一番高級で、西洋風のに作られていました。ただし、驚きはこれからでした。
 現在は乾季で雨量が少なく、水力発電の能力が不足し、1日2回、合計6時間の停電があるそうです。部屋には電熱器が置いてありましたが、部屋はぜんぜん暖かくなりません。外とほとんど同じ温度です。ただし、寒いといっても、零度以下にはならないようで、雪は降らないそうです。
 ホテルの食堂で夕食をとり、部屋に戻ると、もう停電しており、用意しておいた懐中電灯で部屋に入ります。
 本も読めず、当然テレビもダメで、お湯も出ず、できることは寝ることだけです。持ってきたセーターやズボンを履いて寝ました。幸い、湯たんぽを入れてもらって、どうにか眠ることが出来ました。日本だったら暖房に石油ストーブを使うと思いますが、そのような風習は無さそうです。オイルを買うお金が無いのでしょう。



     
3日目 ナモブッダ ハイキング

  ハイキングといっても、ヒマラヤを見るハイキングではなく、ネパールの人たちの住んでいる姿を直接見ながら、山の頂上近くにあるナモブッダ寺院を訪ねるハイキングです。ナモブッダはチベット仏教の3大聖地と言われています。
 ホテルからバスで15分も走ると、いよいよハイキング開始です。バスを降りると、屋根上にたくさんの人を乗せたバスが走っていました。どうもこちらは屋根裏にも人を乗せるようです。
 ハイキングは、山道あり、バスも走る車道あり、また、民家の庭を歩くようなルートでした。


 ときどき、牛乳収集車が走っていました。途中、山から水を取り入れ、牛乳に注ぎ込んでいました。かなりい薄めてから出荷しようとしているようです。ガイドさんが知っているくらいですから、だれでも知っている事実かもしれません。そう言えば、ホテルで飲んだ牛乳も水っぽかった感じがしました。


 このハイキングルートの売りは、棚田の美しさのようです。ただ、空気がよどんでいて、写真に収めるのが困難でした。日本の春霞のような澱みでした。


 道路に沿って民家が建ち、近くには放し飼いの鶏、ヤギ、牛、水牛などを見ることが出来ました。動物は犬も含め、すべて放し飼いでした。時々、お店屋さんもありました。
 ネパールでの挨拶は、朝も昼も夕方も「なますて」と簡単です。行き会う子供にも大人にも「なますて」というと、「なますて」と応えてくれます。



土地が少しでもあれば耕地にするのでしょうか。一般に庭は非常に狭そうでした。



 ハイキングを開始し、ほぼ2時間も歩くと、山の頂上付近に達し、子供たちが集まって踊りをしていました。先生もいて野外実習のようでした。子供たちは踊りの後、皆で食事をし、近くに落ちているゴミの収集をしていました。
 私たちもここで、持ってきた弁当をほおばりました。その後、子供たちの写真を撮っていると面白がって集まってきたので、一緒に写真を撮りました。比較的裕福な家庭の子供たちの集まりのようで、ちゃんとした靴を履き、多くの子供は腕時計をしていました。とても素朴な子供たちでした。


 偶然、土地の女性たちが枯葉を集めて家に持って帰る風景を見ることが出来ました。私が子供の時も、よく山に行き、枯葉集めの手伝いをしたことを思い出しました。


 ようやく「ナモブッダ」に到着しましたが、雨が降ってきて、お茶屋さんで紅茶やミルクを飲みました。水のたっぷり入った牛乳でした。


 これから山を降り、先回りして待っているバスまで約2時間のハイキングです。雨が降ったので多少もやが晴れ、棚田の見通しが良くなりました。所どころ、道が急に悪くなり滑りやすくなりました。今は乾季なのでそれほどではないのでしょうが、雨季の時の道路はどうなのだろうかと不思議になります。なぜ、家の周りの人が集まり、道路を良くしないのでしょうか。音頭をとる人が居ないのでしょうか。


 現地の若い女の子が、私たちの前をずっと携帯電話で話をしながら歩いていました。かなりの山奥でも電話は通ずるようです。


 平地に出ると、日本にもよくある風景になりました。畑はきれいに耕され、これから、ジャガイモなどが植えられるとのことでした。所どころ、道路に沿って家が建てられて居ましたが、庭はほとんどありませんでした。


 再びバスに乗り、ホテルに帰る途中にあるパノウティでシバ寺院、マハデーフ寺院を見学しました。近く世界遺産に登録されるそうです。
 見学後ホテルに到着しましたが、今夜も2度ほど停電がありました。


      
4日目 バネパのバザールを見学、その後、
   
      カトマンズ空港からホカラ市のホテルへ移動

  
 ホテルを10時とゆっくり出発し、近くのバネパ市のバザールを見学しました。今は農閑期で農民は何もすることが無く、町に出てぶらぶらと見学をしている人が多いとのこと、市内は結構混雑していました。


 カトマンズ発14:30発のポカラ行きの飛行機は、ほぼ2時間遅れ、ポカラには午後5時ごろ到着しました。小さな空港で、手荷物は手渡しでした。
 ホテルは湖の向う側大森林に囲まれた中に作られており、イカダで渡ります。
 非常にきれいなリゾート風のホテルで日本の皇太子も泊まったことがあり、写真が張ってありました。
 人数の少ない時は、小さな船で渡ります。


     
5日目 チョーレパタン(日本山妙法寺)にて日の出鑑賞
   
               その後、パタン市内観光

 朝まだ暗い5時半、皆さんが懐中電灯を手にホテルのフロントに集合後、イカダに乗ってにホテルを出発。バスで約15分程走り、そこから登山スタートです。登ること約50分で頂上に到着しました。82歳のおばあさんも元気に到着でした。下界は雲海でした。まもなく、朝日に輝くヒマラヤの山々が見えてきました。アンナプルナ連峰です。日の出は7時10分頃でした。
 一番手前の三角に輝くマチャプチャレは近いので高く見えますが、 6,993mと比較的低く、その左右の山々がアンナプルナ連峰で7,500mから8,000mクラスの山々が続きます。連峰のだいぶ手前に低い山が見えますが、それがサランコットの丘で明日はそこに昇り、再び日の出を見る予定です。
 ゆっくりと山々を鑑賞後、日本山妙法寺にお参りし、お経を聞いた後、再び山を下りましたが、ここにも棚田が広がっていました。ホテルに到着後、朝食でした。 


 ホテルの船乗り場から手漕ぎボートに分乗し、フェワ湖遊覧です。もう、霧も晴れ、ホテルからも、また船からもアンナプルナ連峰がはっきりと見えます。
 ボートで町の中心地近くまで行き、ポカラの町中を散策しました。


 レイクサイドにある小さな町はアンナプルナ連峰への登山基地で、世界各国からたくさんの観光客が訪れるとのこと、カトマンズとは違い道路にゴミはなく、清潔な町でした。


 チベットから逃げて来た人たちの難民キャンプも整備されていました。機織の仕事も提供しているようでした。


 昼食はフランス料理で、メインデッシュはステーキでした。ヒンズー教のネパールでは牛を殺さないので他国から輸入しているとのことでした。レストランからは、マチャプチャレがきれいに見えました。


 ヒマラヤを愛する国々からの援助により建てられた国際山岳博物館を見学しました。ヒマラヤ登山の歴史が良く分かるように設計されており、国教のヒンズー教に関しての展示もありました。


 ポカラはネパール第二の都市で、大変賑わっていました。タクシーはすべてスズキで、だいぶ活躍しているのが分かります。町中にあるビンドウバミニ寺院を見学していると、ちょうど結婚式が行われており、また、別のグループが集団で写真を撮っていました。私もとらせてもらいました。

 

 今日も昨日と同じホテルで、連泊でした。夜はやはり停電がありました。でも、ポカラの標高は800m程度でカトマンズの標高1,300mに比べ低いためか、日本の春の陽気でした。


      
6日目 サランコット展望台よりヒマラヤの朝日鑑賞後
    
    カトマンズへ 午後はカトマンズ市内観光

 今日はサランコット展望台からのヒマラヤ鑑賞でした。バスで展望台の近くまで行けるためか、世界各国からの人たちで賑わっていました。今日は昨日より霧が多く、あまり良く見えませんでした。この山にも棚田が広がっていました。ホテルの対岸に水浴する女性たちが居たので、カメラに収めました。


 ポカラからカトマンズへ再び戻ってきました。カトマンズ空港では着陸待ちのため、飛行機は何度も旋回し、その為、ヒマラヤ山脈をたっぷり見ることが出来ました。飛行機は30人乗りのプロペラ機でした。残念ながら山々の名は全く分かりませんでした。


 カトマンズに到着後、市内を見渡せる高台に、ヒマラヤ最古の寺院、スワヤンブナートがある。バスでかなり上まで登り、最後の100段は歩いて登りました。そこには白いストゥーパや密教の本尊仏大日如来像、インド・シカラ様式の仏塔があります。


 寺院が立ち並ぶ旧王宮広場には、ダルバール広場、シヴァ寺院、カスタマンタブ寺院などがあり、また、女神クマリの化身として崇拝される少女が住むすマリの館がある。館の中で少し待っていると少女が顔を出した。写真は禁止でした。ネパールでは牛も繋がれておらず、道路を悠々と自分で歩いているが、夕方には自分の家に帰るそうです。歩いていると物売りが執拗に売りつけてくるには参りました。
 この地区は世界遺産に登録されています。



      
7日目 午前中:ヒマラヤ遊覧飛行中止
    
              午後パタン市内観光

 今日はいよいよヒマラヤ遊覧飛行です。飛行機はカトマンズ空港を8時半に出発するはずで、6時半には朝食を済ましましたが、酷い霧で、空港に連絡すると、出発が少し遅れそうだということで、7時にホテルを出発しました。
 空港で切符を受け取り、手荷物検査を済まし、飛行機の脇までバスで行きましたが、なかなか出発しません。確かにまだ霧が晴れません。
 結局の所、エベレスト近辺は雲が多く、せっかく行っても良く見えない可能性があるということで、中止になり、ホテルに戻ることになりました。
 明日の午前中は予備としてとってあるので、明日に期待しました。


 昼食は元王族の宮殿であったホテルで中華料理でした。立派なレストランでしたが、なんと、電気をつけず、暖房もなしでした。とにかく電力は不足しているようです。


 午後の観光のスタートはパタン市観光から始まりました。
パタンはカトマンズに隣接する古都で、ネワール文化を継承する美の都でもあり、芸術家の町とも言われています。美しい寺院や広場がありました。ここに住む住民の8割は仏教徒との事です。

 まず、町に入り、ゴールデンテンプルと書いてある門を入ると、靴が革でないか調べられ、その他、革製品の持込が無いかもチェックされました。中央にある本堂は金箔で覆われていました。この建物は19世紀に完成したとの事です。


       

 ダルバール広場にある建物はマッラ王朝の最盛期に当る16〜18世紀にかけて作られたそうです。3層の屋根を持つビムセン寺院、旧王宮、バタン美術館、その他、たくさんの寺院がありました。


 夕食はネパール料理で、郷土舞踏を見ながらの食事でした。ネパール焼酎も出され、薄めずそのまま飲みましたが、日本の焼酎と良く似ていて、とても美味しい味でした。


      

8日目 ヒマラヤ遊覧飛行 夜、香港へ出発、成田へ

 今日も残念ながら濃い霧が出ていました。一応、6時半までに朝食を済ませ、空港からの連絡待ちになり、部屋に戻り待機です。9時半ようやくOKが出てホテルを出発。10分ほどで空港ですが、空港に着くとすぐに手荷物の検査を受け登場でした。今日は大丈夫なようです。10時35分に出発することが出来ました。
 遊覧飛行は30名乗りのプロペラ機ですが、全員、窓際に座れるようになっています。カトマンズを離陸し、東に方向をとり、約25分でエベレストの近くに到着し、そこでユーターンし、さらにエベレストに近づきながらヒマラヤ山脈に沿って戻ってきます。
 希望者は一人づつですが、操縦席に入り、説明を受けることが出来ます。左前方にエベレストを見ることが出来ました。世界でもっとも天に近い山です。
 約45分の飛行でしたが、高度を下げると、山頂まで隙間無く作られた棚田を見ることが出来ました。


 飛行後、日本風のレストランに行き、ヒマラヤで作られたソバを味わいました。
 その後、市内の雑貨店やショッピングセンターを見学しました。ショッピングセンターには衣類や靴、電化製品など、ブランド品もいろいろと置いてありました。これらの製品の価格は万国共通なので、現地の人には高価なのでしょうが、結構賑わっていました。
 ショッピングセンターの前には、次々に乗り合いバスが入ってきます。運転手にお金を払い乗せてもらっています。かなり安いのでしょう。多くに人が利用していました。それにしても日本なら完全にポンコツ車と思われるような古い車が元気に走っていました。


 ホテルの部屋にいったん戻り、7時ごろチベット料理を頂き、その後、空港へ向かいました。
 午後10時55分発香港行きの飛行機で成田へ向かいました。
 今回の旅は驚きの連続でした。なんといっても、その貧しさに、まずは驚きます。基本的には農業国ですが、輸出するほどの生産性はなく、政治的にもいろいろと問題を抱えているようです。
 ヒマラヤの素晴らしさを実感するには、日本の山々などで体力を鍛えた後でないと、とても無理そうでした。遊覧飛行が良いところかも知れません。
 いろいろと勉強になった旅でもありました。





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