ギリシャ・エジプト紀行8日間

エーゲ海クルーズとピラミッド堪能

2008年4月2日(水)〜4月9日(水)

クラブツーリズム

 ギリシャとエジプトには、それぞれ、1983年と1985年に一度ずつ行ったことがありますが、20年以上も前で、ほとんど記憶に残って居ません。ただ、ギリシャのアテネではホテルから空港へ行くとき、飛行機が深夜便でバスが無く、タクシーで行ったのですが、わずか350円ぐらいで行けたのを覚えています。エジプトのカイロでは、ホテルから見下ろす家々が砂に覆われ、さすが砂漠の国だという漠然とした記憶がありました。
 アテネは4年前の2004年に第28回のオリンピックが開かれたこと、エジプトはハイビジョンで遺跡の紹介が何度も放映されたのを見て、もう一度行ってみようと思い、クラブツーリズムのツアーに申し込んで見ました。
 エジプトへはエジプト航空が成田から直行便を飛ばしており、行きは14時間15分、帰りは12時間10分と、飛行時間は長いものの乗換えが無く、比較的楽に往復が出来ました。エジプトはアフリカとは言え、ニューヨークに行く時間とほとんど同じでした。
 エジプト航空はイスラムの国ゆえ、アルコール飲料を出さず、飲みたい人は、手荷物検査の後、適当にビールやお酒などを買う必要がありました。
  参加者は合計21名で、7組がご夫婦、残りの7名は女性たちでした。いずれも定年退職組みで、平均年齢は男性65歳、女性55歳という感じでした


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エジプト Egipt の国旗

 


 ギリシャはヨーロッパの最南端に位置し、トルコの沿岸まで自国の領土であり、南のクレタ島も含んでいます。ヨーロッパでは南に行くほど物価が安くなるといわれ、事実、ギリシャの物価は非常に安いので、夏のバカンスシーズンは観光客で一杯になるようです。
 神話の国ギリシャは、過去の繁栄とは別に、現在では、一人当たりのGDPがイタリアの半分程度で、世界的に見ると25位程度に位置し、トルコよりは少し良いようです。
 隣国のトルコとは海岸の境界線をめぐっていろいろとトラブルがあり、あまり良好ではないようです。
 エジプトは古代遺跡の国と言われていますが、一人当りのGDPは100位以下であり、貧民国にランクされています。
 エジプトの97%は砂漠で、ナイル川の流域に人口が集中し、有名なスエズ運河も有しています。


 (注:日本の一人当りのGDPは1993年は2位、2000年は3位だったのに2007年は18位まで落ちています。過去の成功に慢心し、ボーダレス競争の重要性を見失い、その上、日本の財政は世界的にみても極端に借金を膨らませていますが、政治はそれを重要視することなく、争いに終始し、安定していないなどいろいろと問題を抱えており、良くなる方策も見当たりません。私たちが世界旅行を出来るのも、過去の蓄えを使っているためで、将来はどうなるのでしょう)

ギリシャ Greece の国旗



1日目 成田からカイロへ

2日目 終日、エジプトのアレキサンドリア市内観光

3日目 AM アテネへ、PM アテネ市内自由観光

4日目 エーゲ海1日クルーズ

5日目 アテネ市内観光 アクロポリス(世界遺産)など
     その後カイロへ

6日目 カイロ、AM モハメド・アリ・モスク市内観光(世界遺産)
     PM スフィンクス、ピラミッドなど(世界遺産)

7日目 AM エジプト考古学博物館見学、夕方成田へ

8日目 成田到着



       

1日目 成田からエジプトのカイロへ

 成田のクラブツーリズム団体チェックインカウンター集合は13時00分と書いてあり、その15分ぐらい前にカウンターに行ったところ、自分の座席は各自航空会社の窓口で決めてくださいと言われ、航空券を手にエジプト航空のカウンターに向かったところ、すでにものすごく長い列が出来ていてビックリでした。チェックインが遅かったためか、家内も私も、全く離れた席で、どうなるものかと思ったのですが、添乗員が並びで通路側の席に変更してくれて助かりました。座席は完全に満席でした。
 成田出発は15時30分で、飛行時間は14時間15分、カイロ到着は時差が7時間あるため、夜の22時45分でした。エジプト航空はお酒を出さないので、久しぶりに、お酒抜きの夕食でした。
 到着後、バスで今夜のホテル Ramses Hilton へ直行し、すぐに部屋へ入り、寝酒のあと5時間ぐらい寝て、一応、時差は解消したようでした。
 調べたところ、この Ramses Hilton は 1983年に行った時のホテルと同じでした。

 今日は写真を撮らなかったので、エジプトの現代史について調べました。
 5000年にわたるエジプトの歴史は、幾多の変遷を経て、

@ ムハンマド・アリ朝が1952年、当時中佐だった「ナセル」のクーデターにより滅ぼされ、2300年ぶりにエジプト人による国家が成立した。それにより、ヨーロッパからの支配から解放された。

A 1970年、ナセルの死後、サダトが大統領を継承し、経済の自由化、言論思想の民主化を進め、西洋化を進めた。サダトはイスラエルとの第四次中東戦争を有利に戦うなどの実績を上げた。その後、暗殺される。

B 1981年、その跡を継いだムバラク大統領は、アメリカ、イラクの湾岸戦争でアメリカ側に組し、イスラエルとの和平も確立する。1997年、ルクソールにおいてイスラム原理主義者過激派集団により、日本人を含む多数の観光客が犠牲になったが、テロリストの検挙を徹底的に行い、現在は、観光客もたくさん来るようになった。

     

2日目 アレキサンドリア市内観光

 エジプトの古代文明は、ナイル川沿岸やナイル川下流のデルタ地帯で発展してきました。本日観光するアレキサンドリアは地中海に面し、カイロに次ぐエジプト第2の都市で、紀元前4世紀アレキサンドロス大王によって建設され、大いに栄え、当時、首都が置かれました。
 その時の最後の王朝の女王が「クレオパトラ」です。その後、ローマに征服され、大いに繁栄しましたが、7世紀にアラブの侵入を受け、廃墟の多いさびれた町となりました。19世紀、ムハンマド・アリ朝の時代に再び繁栄し、ヨーロッパの色彩を強く感じる町です。


 カイロのターミナル駅「ラムセス駅」はオスマントルコ時代のものでトルコブルーの装飾が残っています。
 アレキサンドリアまでは約3時間の鉄道の旅でした。列車は正確に午前8時に走り出しました。車両と車両のつなぎめが喫煙場所で数人の男性がほぼ3時間大きな声でおしゃべりをしていたがよく話しがあるものです。
 切符は座席指定の1等車のためか、左のように大きめでした。
 駅名はエジプト大統領と同じ名前でしたが、過去の大統領に名前を付けたムバーラク駅、サーダート駅などもあります。




ポンペイの柱

 ポンペイの柱
 高さ27mのポンペイの柱はローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てた図書館の柱の1本とされおり、赤色花崗岩で出来ていて、アスワンから運ばれて来ています。継ぎ目の無い一本の石で、よくもこの様な大きな石が、運ばれてきたと思うと驚きです。
当時にはこのような柱が400本あったといわれています。

 

 そこへ行くときに通った道路には路面列車が走っていて、過ぎ去った後には、すぐに道路わきのお店が製品を飾りだします。バスの時も同じです。
 一日中、衣類などの製品を道路に持ち出したり、引いたりして、それが仕事となっているようでした。
 買い物をしている人はほとんどが現地人で、道路からはみ出して売っている方が売れ行きが良さそうでした。
 店の人は慣れてもいるようでニコニコしながらバスに手を振る余裕もありました。



古代の墓場カタコンペの見学

 撮影禁止なので、残念ながら記録は残っていません。
 地下に作られ、古代の貴族のお墓に、一般の人のお墓も追加され、一人当りのお墓の面積がだんだんと小さくなり、積み上げられた犬小屋のような穴が、たくさん作られていました。お墓参りに来た人が食事なども出来るようになったいます。全部地下に作られていました。



アレキサンドリア国立博物館

 2003年オープンした博物館で、アレキサンドリア市の近くで発見されたものを中心に飾ってあり、最近、海底から発掘されたものなどもありました。
 地下にはファラオの時代のものが、1階はグレコローマン、2階は近代のものが飾ってあります。

 



カーイトゥベーイの要塞
 
 古代世界の7不思議と言われ、紀元前3世紀に建立された120mの大灯台が、14世紀の大地震で崩壊しました。この灯台は、当時57km先からも光が見えたと言われています。
 15世紀に、その跡地にこの要塞が建てられ、今は海軍博物館となっています。なんという美しい建物でしょう。


 帰路は観光で使用したバスに乗ったまま砂漠街道を通り、カイロへ向かいました。デルタ地帯を通るこの道路は、本当に平らで、ナイル川により運ばれた土により形成されているのが理解できます。
 帰る途中1回のトイレ休憩をはさみましたが、エジプトのトイレ事情は厳しく、特に女性用には長い列が毎回出来ました。使用時のチップは1ポンド、約20円が相場でした。公共の施設内はノーチップのはずが、空港も必要で、博物館ではチップを払うと、なんと、10人抜きで並ばせてくれました。地獄のさたも、ならぬトイレのさたもでしたが、抜かれた人々には当然にらまれます。とてもお金を払って前に行く勇気はありませんでした。(家内の話です)。


            

3日目 アテネ市内 自由観光 

 午前中の飛行機でカイロからアテネに向かい、今日から3日間ギリシャで過ごします。
 午後は自由散策で、私たちは地下鉄に乗り、アテネ市内を見学しました。
 


 地下鉄の切符:近くのゾーンは 0.8ユーロ約120円でした。
 さすがギリシャです。数学で見慣れたギリシャ文字が国の言語です。



 市内の散策は、アテネの中央駅、シンタグマを中心に歩いて回りした。3枚目の写真は国会議事堂ですが、質素なのには驚きます。市内からは古代遺跡、アクロポリスを見ることが出来ます。
 夕食後、ライトアップされたアクロポリスを見学しました。


      

4日目 エーゲ海一日クルーズ 

 ギリシャには無人島も入れると3千もの島があり、燦々と降り注ぐ太陽の中、コバルト色に輝くエーゲ海をゆっくりとクルーズする旅が人気で、たくさんのクルーズがあります。夏になると値段も高くなるそうです。


 クルーズ船は朝8時半に出向し、10時ごろポロス島に到着しました。その後、イドラ島に向かい、帰りはエギナ島に寄り、アテネ港に戻って来ました。アテネ港に着いたのは午後の6時ごろで、丸一日のクルーズでした。
 残念ながら雨模様で、午前中は何とかなったものの、午後になると雨になってしまいました。





ポロス島

 初め、アテネ港からポロス島へ向かいましたが、残念ながら曇りで、甲板に出ている人はほとんどいなく、室内でめいめいが時間つぶしをしていました。島に近づくと、丘一面に白い屋根の家が敷き詰めたように建っていました。
 船着場からちょっと登ったところに時計台があり、皆が上り始めたので、一緒に登ってみました。民家の近くを通り丘に登ると、港、全体が見おとせました。ケシの花やミカン、レモンなどがたくさん実っていました。



イドラ島
 
 船に戻るとすぐに昼食となり、窓から海を見ながら、少し豪華なフランス料理でした。1時間も経たずにイドラ島に到着し、各自適当に1時間ほど島を探索しました。
 船着場近くにはたくさんの商店やレストランがあるものも、ちょっと奥には入ると、大邸宅がたくさんあります。この島は自動車禁止で、荷物の運搬は馬やロバになります。アテネからは船で2時間以上も掛かり住むには不便だと思いますが、ギリシャのお金持ちはこの様な場所でゆっくりとした人生を送りたいのでしょうか。
 



船内のアトラクション

 イドラ島からエギナ島まで2時間以上も掛かりますが、その間、退屈を紛らわすためか、民謡舞踏や手品などのショーが行われていました。
 ただ、手品の腕前は、素人並みでした。たくさんのクルーズ船があるので、手品師も不足しているのでしょう。一日かけて30分ぐらいの芸を1回見せるだけですから、収入も少ないと思います。
 



エギナ島
 
 エギナ島はアテネから30kmぐらいの所にあり、人口も1万4000名と島の中では大きいほうで、古代、独立した国家であり、アテネとは競争関係にあった島で、一時的にはギリシャの首都ともなったことがあります。
 島の中央には紀元前6世紀から5世紀にかけて作られたアフェア神殿があり、私たちは、オプショナルツアーのバスに乗り、見学に出かけました。
 遺跡の柱はこの島で取れる石灰岩の一枚岩で出来ているそうです。


 建設途中の聖ネクタリウ修道院も見学しました。この修道院はトルコのアヤソフィアを模して作られたそうで、スケールは小さいものの、確かに似ていました。


 1日かけてのクルーズは始めての経験でした。3ヵ所の島を回り、合計10時間でしたが、船に乗っている時間は、6時間ぐらいでした。幸い船は空いていて、デッキも室内も好きな席に座ることが出来ましたが、シーズン中は満席になるそうです。
 島巡りとはいえ、島から離れると船上から見えるのは海だけです。曇っていると寒いので、ほとんどの人は室内で過ごしていますが、とくにすることも無く、皆さんは、話や居眠りをしています。ただし、リクライニング付きの椅子があるわけではないので、座っているだけでも疲れます。
 今回のような、島々を見て帰って来るクルーズは、その島が特別素晴らしいものでない限り、意味が無いと感じました。すなわち、船に乗っている時はかなり苦痛なので、島に着くと、その島に何も無くても、降りてみることになります。今回訪れた3つの島はそれぞれ特徴がありましたが、エギナ島では雨になってしまい、オプショナルツアーに参加しない人たちは、何もすることが無く、船着場のお土産屋を2時間もかけて覗いているぐらいでした。早く帰りたいというのが本音でしょう。 
 以前経験したバルト海クルーズは、個室でベットもあり、快適でしたが、長時間のクルーズには、個室が必須だと思います。
 私の場合、たった1日でギブアップですから、何日も続く船旅はとても耐えられないと思いました。とにかく退屈でした。


         

5日目 アテネ市内観光

 アテネ市内観光の目玉は、なんと言っても小高い丘の上に立つアクロポリスと、古代ギリシャの遺跡を集めた国立考古学博物館です。今日はその二つを見学しました。
 見学後、再び飛行機でカイロに向かいました。



国立考古学博物館


 ギリシャで発掘された古代遺跡のほとんどがこの博物館に収められています。
 下の写真の4枚目の青年の微笑みは、日本の弥勒菩薩の微笑みの原点とも言われているそうです。
 その他、美術の教科書に現われるいろいろな美術品を直接見ることが出来ました。
 有名な黄金で出来たアガメグノンのマスクも飾ってありました。

 


 古代オリンピックは紀元前からローマ時代まで、4年おきにギリシャで行われていましたが、現在の国際オリンピックの第1回は 1906 年、ギリシャで開催されました。下の写真はその時の会場です。この地からは、丘の上に立つアクロポリスが良く見えます。
 2004年に行われたアテネオリンピック会場は郊外に建設されましたが、この競技場は女子マラソンのゴール会場として使用され、今日の現地ガイドさん(日本人)もこの場所で見ていたとのこと。「一番目に入って来た野口みずきを見たときは本当に感動しました」と言っていました。




アクロポリス遺跡

 アクロポリスは「高い丘の上の都市」という意味で、2,500年も以前に建設されました。
 丘を登って行くと、アテネの町全体が見えるようになります。白い家が町全体を覆っています。ほんとうに美しい風景です。
 登りの道は観光客で一杯でした。シーズンになると通行規制が行われ、20分以上も待たされるそうです。途中立ち止まると、監視員が上から見ていて笛を鳴らし警告します。
 丘の上はかなり広いので、それほど混んではいませんでした。

 


 午後、再びカイロに戻りました。飛行機が着陸態勢に入り空港に近づきましたが、下を見下ろしたところ、全くなにも見えません。しばらくして、黄砂の影響だと気づきました。カイロ飛行場の滑走路も着陸直前まで見えませんでしたが無事に着陸できました。
 3日前に来た時は、空気が澄んでいたのですが、今日は風が強く、サハラ砂漠から運ばれた砂がカイロ全体を包んでいるようです。太陽も砂で遮られてしまいます。カイロはやはり砂漠の中の町でした。
 3月から5月にかけて砂嵐が強くなるそうです。ただし6月を過ぎるとものすごく暑くなるそうです。


      

6日目 ガーマ・ムハンマド・アリとピラミッド見学
 

 ホテルはピラミッドの近くに位置し、市内でも有数の高級ホテルでした。リゾート風の作りで、南国風の花々がたくさん咲いていました。ホテルの前からはピラミッドが見えました。



ガーマ・ムハンマド・アリ
 

 ガーマとはモスクのことで、エジプトではガーマと呼んでいます。すなわちムハンマド・アリ・モスクという意味です。
 このガーマは1857年に完成しましたが、イスタンブールのモスクを真似して造ったそうです。鉛筆形の2本の高いミナレットが特徴で、エジプトのガーマにはこの様なミナレットはないそうです。
大きなドーム状の屋根や、巨大なシャンデリア、たくさんのランプなどがあります。
 ガーマに入るときは靴を脱ぎます。イスラム教はお祈りの時、額を床につけるので、床は何時もきれいにしておく必要があります。

 



 ガーマの外庭からカイロ全体を見渡すことが出来ます。古く廃墟のようになったビル群や、新しいビル群なども見えます。遠くにピラミッドが見えました。



 バスから撮った町の風景です。貧しさが感じ取れます



パピルス

 箒のような植物、パピルスの繊維を縦横状に配置し、重ね合わせ、紙を作っていました。この展示場には、その紙に絵画学校で描かれた製品が飾ってありました。エジプトを旅行しているとこの様なお土産を良く見かけます。
 



ピラミッド見学

 ピラミッドはカイロの中心地からバスで30分ぐらい入った所にあります。
 ピラミッドは下の1番目の写真のように、3つありギザ地区のピラミッドは3大ピラミッドと呼ばれています。一番高いのがフク王のピラモッドと言われ、その高さは146mですが、頂上部分が盗まれてしまったので、現在は137mになっています。
 フク王のピラミットのちょうど真中付近に比較的大きな部屋があり、そこまで歩いて入ることが出来ました。うさぎ飛びのような格好をして、狭い洞窟を登って行くのですが、立って歩ける場所も在ります。中央の部屋はピラミッドの真中ですから、50mぐらいは登ることになります。お陰で、数日間、ひざに痛みを感じました。
 中央の部屋は、30畳ぐらいの広さで、高さは2階建てぐらいありました。


 2番目の高さのピラミッドはカフラー王のピラミッドといわれ、頂上近くには化粧岩がまだ残っていて、美しい姿をしています。ピラミッドは石段で出来ていると思っていましたが、全面が化粧岩で平に覆われていたのを想像すると、如何に美しく見えたかが想像できます。
 鼻とあごひげを取られてしまったスフィンクスがピラミッドの近くに鎮座していました。
         



ナイル川クルーズ
 
 今回の旅の最後の夜はナイル川クルーズでした。夕食を取った後、デナーショーが行われ、ベリーダンスやクルクルと何時までも回り続けるメプラーナなどが披露されました。
 ダンス嬢が私の手を取ったのでステージで一緒に踊りました。皆さんから拍手を頂きました。
 トルコで見たベリーダンスと比べると、トルコのほうが格段に上でした。

            

7日目 カイロ市内見学、夕方帰国

エジプト考古学博物館

     

 ここは撮影禁止で、写真を撮れませんでした。ただし、それも納得です。とにかく満員電車並みの混雑で写真どころではありません。幾つもの団体客がツアーガイドに案内され、我々も前の団体が去るのを待って、ガイドが人を掻き分けながら説明する始末でした。
 この博物館の売りは黄金に輝くツタンカーメンで、その部屋でのガイドは禁止されているため、比較的良く見ることが出来ました。 特別展示のミイラ館は別料金なので、入りませんでした。というか、時間の制約もあり誰も入らなかったようでした。ガイド案内が終わった後もう一度館内を回ったところ、今度はだいぶ空いていました。団体客はどうも一時期に集中するようです。


 博物館の庭に入るのにも、手荷物検査があり、長い列が出来ていました。
 日本の美術館での長い列を思い浮かべればまだまだ天国です。


 ネパールやモロッコで見たと同じ風景です。まだまだ貧しさが感じられます。


 昼食は鳩料理でした。あまり美味しいものではありませんでした。



ハーン・ハリーリバザール

 カイロでは有名なバザールですが、どちらかと言うと観光客用のバザールでした。トルコやモロッコのバザールに比べると、だいぶ小さい感じでした。家内が簡単なお土産をお友達用に買い込みました。



カイロ空港へ向かう

 いよいよ旅が終わりました。午後5時45分、カイロ発のエジプト便で成田に向かいます。
 今回の旅は、約25年前に訪れたと同じ所を回った旅でもありました。そういうこともあって、それほどの驚きは感じませんでしたが、以前の時よりもゆっくりと、詳しく見ることが出来ました。
 この25年で東京や上海など、アジアでは大発展を遂げ、町全体が変ってしまいましたが、カイロやアテネではあまり変っていないようでした。だだ、前回の記憶はぼんやりとしたもので、あまり定かではありません。
 エジプトには古代遺跡がナイル川沿岸に沿ってたくさん発掘されています。それらの遺跡を見て歩くツアーもいろいろと企画されていますが、古代遺跡に特別な興味が無い限り、地下の洞窟に入り、昔のお墓を見て回るのも飽きてしまうような気もしました。
 それよりも大自然を見て歩くほうが私には向いているようでした。


 家内が俳句をよみました。

エジプトの涙の瓶やかげろえる
  (ピラミッドの中には故人を偲んで涙をいれた瓶がミイラと一緒に埋葬されているそうです)

ロバに乗る少年の汗春望

春塵や歴史を映す古代文字






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