感動のアンコールワットと憧れの
ベトナム2都物語7日間
アンコールワットはテレビでの放映や平山郁夫の絵画で何度も見ており、ぜひ一度は行ってみたいと思っていましたが、乾季で比較的涼しいこの時期を選んで行ってみました。
ベトナムは仕事で数回行っていますが、観光は初めてでした。
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ベトナムの国旗
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カンボジアの国旗 |
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1日目 ハロン湾(世界自然遺産)に到着
成田を午前11時に出発し、ベトナムのハノイまで6時間の飛行でした。時差は2時間なので、到着は午後3時でした。
今日の宿泊地はハロン湾で、空港からバスに乗り、陸路200kmとかなり離れており、約4時間もかかりました。
地図を見ると、湾にはたくさんの島があるようです。 |
出発の1週間前、ハノイは大雨に襲われ、街中まで大洪水が襲ったそうです。日本のテレビでも放送され心配をしていましが、水はだいぶ引いてきたようです。
ハノイは初めての訪問ですが、ホーチミンへは仕事で何度か行ったことがあります。そのとき、オートバイの洪水には驚きましたが、ハノイもやはりオートバイの大洪水でした。 |
ベトナムは今、建築ラッシュだそうです。長い間、フランスに統治されてきたこともあって、フランス風の建物に人気があるそうです。 |
ハロン湾に向かう途中、陶器の村、バッチャンに立ち寄りました。日本の陶器市場のようにたくさんのお店が店を開いていました。 |
2日目 ハロン湾観光
時差2時間の影響は大きく、朝早く起きてしまいましたが、ホテルの部屋から外を覗いてみると、朝日に照らされたハロン湾が見えます。ハロンとはベトナム語で「竜が降りたった」という意味だそうです。
今回のツアーは21名なので、1隻を借り切り、ハロン湾観光です。この独特な風景は石灰岩で出来た大陸が海に沈み、柔らかいところが削り取られ出来たそうです。現在約3000もの無人島があるそうです。 |
船に乗り20分も経つと、鍾乳洞のある島に到着です。かなり大きな鍾乳洞で、内部はいろいろな色の照明で照らされています。如何にもベトナムらしい計らいです。こういった試みは中国と似ているようです。地理的にも中国に近いので、国民性も似ているのかも知れません。 |
約2時間ぐらい、船はゆっくりと湾内を進みます。船内では、土産物も売っていましたが、われわれ団体のみの乗船のためか、店番をしている人はおりませんでした。
現在、ベトナムは世界でも有数の安全な国だそうで、どろぼうなどはほとんど居ないそうです。ただ、マーケットに入るときは十分、貴重品に気をつけるようにと注意されます。数年前、スリが発生し、警官が取り押さえたことがあるそうですが、そのスリは、中国から来たおばさんだったそうです。
この湾は、島々に囲まれているため、海は何時も穏やかだそうです。今日も波はほとんどありませんでした。 |
バナナなど果物を載せた船が近づいて来ました。窓際に子供たちが登ってきて、一生懸命、売りつけていました。何とも逞しい光景です。 |
ハロン湾は世界的な観光地でもありますが、午後はその近くのホンガイ地区観光です。ただし、これといった見せ場は無いらしく、まず行ったのが龍天寺というお寺で、女性たちだけがたくさん集まり、何かのお参りの途中でした。入口には、お賽銭でなく、お札が置かれていました。200ドンのお札がたくさんありました。今は1ドルが15000ドンですから、200ドンは1円強となります。 |
次いで市場の見学です。テレビや携帯電話も売っていました。靴は18万ドン、1千円強もします。
市場からはハロン湾が一望でき、水上生活者も多いようです。 |
ホンガイ教会で、小高い丘の頂上にあります。フランス人が布教のために作ったそうです。ベトナムの花、プリメリアを至る所で見ることができました。
グアムでもよく見ましたが、南国の花です。 |
夕食後は伝統劇の観賞です。
お臍を出した踊りが多いようです。
今度は場所を移して伝統芸能「水上人形劇」の観賞でした。
初めての観賞ですが、はじめは人形使いを水中でしている程度かなと見ていましたが、そのうちに、このような激しい動きをどのようにして操っているのか興味が湧いて来ました。後ろから長い棒で操っているのは想像できますが、絡み合うようにたくさんの人形が上に下にと動いており、かなり複雑な操作が必要なようです。
手品と同じく、その種は決して明かさないのだそうです。 |
今日はまた4時間かけてハロン湾からハノイに戻り、市内を見学後、飛行機でカンボジアのシェムリアップへ行き、そこで宿泊です。
1965年、トンキン湾でアメリカ軍とベトナム軍が衝突し、戦争が始まり、ハノイは壊滅的な打撃を受けました。
その後10年間戦争が続きましたが、1975年、アメリカ軍はサイゴン(現在のホーチミン)から撤退し戦争が終わりました。
当時、テレビの放送を見ていて、ベトナム人はなんと忍耐強い人たちなのだろうと驚いたことを覚えています。
現在のハノイの電線を見ていると、まさにクモの巣のような配線には驚きます。どのようにして間違いなく配線するのか、不思議に思いますが、これでは漏話が大きく、インターネットでのADSLは無理なようです。携帯電話での高速インターネットは無理でしょうから、将来、光ファイバが必須になると思います。 |
道路に横断歩道もありますが、オートバイや車は絶対に止まりません。隙間なく車は続きますので、待っていたら絶対い横断できません。歩行者は数人集まったら勇気を出して渡ります。ゆっくりと一定の速度で道路を横切ると、車は上手に人を避けて通ります。車もオートバイも決して止まりません。横をすり抜けてゆきます。
何度か経験すると上手になりますが、出来たら避けたいものです。 |
広大な広場を前にホーチミン廟があり、ホーチミンが眠っています。
ホーチミンは1890年、貧しい儒学者の子に生まれ、後にフランスに渡り、フランス共産党に入党し、在仏ベトナム人愛国者団を組織しました。1941年、ベトナムに戻りベトナム独立同盟(通称ベトコン)を組織し、1945年、ベトナム民主主義独立宣言をしています。その後、フランスとインドシナ第一次戦争を戦いますが、1954年、80年に及ぶフランスによるインドシナ支配を終了させました。1965年からのアメリカとの戦争の途中の1969年、突然の心臓発作により、79歳の生涯を閉じています。 |
いよいよ、今日から今回の旅行の目的地、アンコール遺跡の見学です。バスで遺跡の入口まで行き、一人40US$を支払うと、一人ずつ顔写真を撮られ、写真入りの3日間の入園パスを作ってくれます。パスは1日間、3日間、1週間などがあるようです。たくさんの遺跡が点在してあるので、各々の遺跡の入口で見せて入ります。
アンコールワットについてはテレビや平山郁夫の絵画、また、写真集などでよく見る機会があり、一度はぜひとも行ってみたいと思っていました。確かに、その全体像は一度行ってみないと、とてもわかりません。
遺跡は大きく分けると一辺が3kmの城壁で囲まれたアンコール・トム、一辺が1.5kmの池で囲まれたアンコールワット、その他、タ・ケウ、タ・ブロムなど幾つもの遺跡があります。
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アンコール・トム
アンコール・トムとは「大きな町」という意味だそうで、高さ8m、一辺が3kmの城壁に囲まれており、その中心にバイヨン寺院があります。
1177年、クメールの覇者と呼ばれるジャヤヴァルマン七世がベトナムのチャンバ軍によって略奪されていたアンコール地域を制圧し、これを記念して都城アンコール・トムを建設しました。これと同時に、領土内各地にたくさんの寺院を建設し、道路網を整備し、病院、宿舎などの整備も行ったそうです。
遺跡に入るには5つの門があり、南大門、西大門、北大門、そして東側には勝利の門と死者の門があります。
勝利の門は、戦地から凱旋してきた兵士たちが入場するための門で、テラスから王族たちが閲兵を行いました。 |
アンコール・トム 南大門
午前中に見学する場合、太陽の光線の関係で、南門から入るのが一番良いのだそうです。アンコールワットの入口は西にあり、午前中に入ると逆光になってしまうそうで、ほとんどの人は午後に見学するそうです。
チケットを購入し、再びバスに乗り、アンコールワットの南側を通り、アンコール・トムの南大門に向かいます。世界的観光地というのに、悪路なのには驚きです。南大門に近づくと、もう、見学者で一杯です。
門は狭く、大型バスは入れないので、そこで降り、門を歩いて通ります。
門の上には四面頭が飾られ、顔の長さだけでも3mもあるそうです。 |
寺院 バイヨン Bayon
門をぐぐり、今度は2台の小型バスに乗り換えて、約1.3km進むと、アンコール・トムの中心部にある、寺院バイヨンに到着します。
この寺の頂上には穏やかな微笑みを湛えた観世音菩薩の四面塔が飾られています。このバイヨンは古代インドの宇宙観を表し、神々の住む聖域であり、大乗仏教に深く帰依していたジャヤヴァルマン七世の宇宙観の表現でもあると言われています。 |
入口に入ると観光客で通路は一杯でした。入口の柱にもいろいろな彫刻がなされています。バイヨンの中心には祠堂があり、それを囲み2重の通路があり、外側を第一回廊、内側の通路を第二回廊と呼びます。まずは、外側の第一回廊を進みます。 |
回廊には壁画が続き、それをガイドさんが一生懸命説明します。聞いていてもよくわかりませんが、当時の戦いの様子が描かれているようです。どのガイドさんも説明に熱心で、列はゆっくりとしか進みません。この絵をわざわざ見に来ている人も居るのでしょう。 |
回廊を周り、中に入ると、まさに迷路です。どこを通っているのかわかりません。ただ、石積みの中にかなりの空間があり、その技術には驚きでした。 |
空中参道
バイヨンを出ると、バプーオンと言われる3層からなるピラミッド風の寺院を長さ200mにも及ぶ円柱の列に支えられた空中参道が続いています。 |
昔、王宮もあったそうですが、生活のため、木造で作られており、今は残っていないそうです。王宮の前に象のテラス、ライ王のテラスがあります。
ライ王のテラスは三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」に出てくるそうです。 |
タ・ケウ
バスからちょっと下車し写真のみの観光でしたが、11世紀初頭、ジャヤヴァルマン五世によって作られたピラミッド式寺院です。王の急死により、完成に至っていませんが、窓がほとんどなく回廊もないのが特徴だそうです。 |
タ・プローム
1186年、ジャヤヴァルマン七世によって作られましたが、その後、ヒンズー教の寺院に直されたそうです。東西1000m、南北約700mの壁に囲まれてる広大な敷地の中にある寺院で、当時、約5000人の僧侶と615名の踊り子が住んでいたと言われています。歩いていると、まさに迷路です。方向感覚を失います。
熱帯地方の樹木の生長のすごさを見ることができます。現在は、故意に樹木を切らずにその生長を観測しているとのことでした。 |
午前中の見学はここで終了し、ホテルで昼食をとり、一休みした後、午後はアンコールワットの見学です。
トラックにたくさんの人が乗っていますがこれがタクシーだそうで、利用する人が多いそうです。現地の人の生活状態がわかります。 |
アンコール・ワットは12世紀前半、スールヤヴァルマン二世によって建設され、南北約1300m、東西約1500mの堀に囲まれています。
アンコールワットの建物を下からみている限り、その全体像をつかむのは極めて困難です。それで、Google Map から見てみました。 |
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アンコールワット全体
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アンコールワット中心部
横から見たアンコールワットの美しさは5つの尖塔ですが、なかなかよく見ることが出来ません。一番外側が第一回廊、その内側が第二回廊、中央が第三回廊で、その第三回廊の四隅と中心部に尖塔があります。
左がの入口から入ったところが十字回廊で、見学は第三回廊が修復工事のため、第二回廊まででした。
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全体図@
西参道正面近くから見た風景です。池の向うを見てみると、橋を渡った近くはきれいに修復されていますが、その左側はまだ修復がされていません。その修復作業がいかに大変であったかが想像できます。 |
全体図Aから見た風景です。橋に右側は修復が終わっており、左側はまだ放置されています。ただし、発見された時はまだまだひどい状態であったでしょう。西塔門をくぐり、内部に入ります。 |
中に入ると広大な広場が現れます。全体図Bからの風景です。
道路を通って、中心部に進みます。尖塔が見えて来ました。
全体図、C、Dからの風景です。
全体図Eからの風景です。ここからの風景が一番美しいそうです。5つの尖塔全てを見ることが出来ます。 |
西に面する第一回廊から中に入りました。レリーフについて、ガイドさんが延々と説明をしていましたが、難しい単語が続き、ほとんど覚えていません。インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」が描かれているそうです。 |
十字回廊などです。昔の宮廷踊り子は、おっぱいを出したまま躍ったそうです。第二回廊と第三回廊の間を歩いて、尖塔をまじかに見ることが出来ました。 |
第一回廊の東面南側のリリーフです。ヒンズー教の天地創世の神話で知られる「乳海撹拌」の説話が50mにもわたって描かれています。 |
プレルーフ遺跡からの夕日観賞
創設が961年のヒンズー教寺院で、ピラミッド式寺院です。夕日観賞に有名だそうで、すでにたくさんの人が登って日の沈むのを待っていました。残念ながら、日が雲の中に沈んでしまったので、帰途につきました。ちょうど満月で、旧暦1か月前のビクトリアの滝を思い出しました。 |
夕食をしながらの伝統芸能の観賞でした。ちょっと遠くて良くは見えませんでした。
5日目 午前中、アンコール遺跡群観光。 午後はマーケット散策
バンテアイ・スレイ
967年創建されたヒンズー教寺院です。周囲が約400mと比較的小さな美しい寺院で菩提寺建設されました。東洋のモナリザと呼ばれる美しいレリーフを見ることが出来ます。 |
ニャック・ポアン
12世紀末に建設された仏教寺院で周りが池で囲まれています。ニャック・ポアンとは「絡み合う蛇」という意味で、2匹の蛇の尻尾を絡ませています。
治水に対する信仰と技術を象徴する寺院で、一辺が70mの四角の池があり、その周りに4個の小さい池があります。小さい池には中央の池から水がライオンや馬、象を形どった口から流れ出しています。 |
午後はオールドマーケットを40分ほど散策しました。日用品はほとんど何でも売っており、お客も現地の人がほとんどでした。 |
ホーチミン行きの飛行機ですが、乗客が少ないという理由で、1便少なくなり、ほぼ満席でした。少し遅れての出発でした。 |
6日目 ホーチミンシティ観光
ホーチミンへは数年前、仕事のために数回行ったことがあります。その時もオートバイの洪水には驚きましたが、今もまったく同じでした。 |
メコン川クルーズ
チベット高原に水源を持ち、それは中国を通り、ラオスとタイの国境を流れ、カンボジアを通り、ホーチミンシティに到着し、その流れは4000kmにも達します。雨季には水量が増え、船の航行が難しくなり、乾季には水深が浅くなりすぎ、また、船の航行が難しくなるそうです。
メコン川までホテルからバスに乗り75km、約2時間の乗車です。車窓から町並みを見ていると、その貧しさを実感できます。 |
今は乾期で、水の流れは穏やかで、たくさんの小型遊覧船が走っています。20分ほどで、タイソン島に到着し、果樹園見学、フルーツ試食、ジャングルクルーズなどをしました。
ヤシの実や、ライチ、バナナなどがなっていました。 |
大きな蛇が籠の中に入れられていました、店の人が家内の首に巻いてくれました。私は恐る恐る近寄ってみました。 |
お産屋さんがたくさん軒を並べていました。ライチを直接見たの初めてでした。鈴なりでした。 |
ミニジャングル内のミニクルーズです。前後に2名の漕ぎ手と、4名の乗客で船は進みます。メコン川は泥んこでした。 |
昼食は岸壁に固定された船の上です。魚料理と、巧みにまん丸の風船状に油揚げされたお菓子などでした。 |
統一会堂
1966年、アメリカの援助の中、南ベトナムの大統領官邸として作られました。今は一般公開されており、要人歓迎や結婚式など、いろいろな目的でも使用されているそうです。会議室、応接室、映画館、作戦会議、第一夫人の部屋(第一夫人とは大統領夫人の意味)などがありました。 |
郵便局
なぜか、郵便局が観光場所になっています。確かにちょっと変わった郵便局です。
サイゴン大教会
ベトナムでは90%以上が仏教ですが、約5%程度がキリスト教だそうです。フランスの統治下の時代に作られています。 |
交通事情はハノイとほぼ同じで、流れは止まることがありません。
ベンタイン市場
バスの隣はオートバイの洪水です。多少ぶつかっても倒れたりせず、うまく乗りまわしています。うまいものです。 |
今夜も食事をしながら民族舞踏観賞でした。
ホーチミン市庁舎
フランス風の美しい市庁舎でライトアップされていました。
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