とっておき全食事つきのイギリス9日間 



  2009年6月4日(木)〜6月12日(金)

トラピクス
 
 1976年、ヨーロッパでの最初の光通信学会がロンドンで開催され、もう、33年前にもなりますがその時が初めてのロンドンでした。その時は1週間ほどロンドンに滞在しました。我が社からの出席者は私一人でした。ホテルから毎日バスに乗って学会に出席し、帰りは毎日ナショナルギャラリーを見てホテルに戻り、夜は毎夜、コンサートに出かけたのを覚えています。コンサートの入場料は非常に安く、300円ぐらいだったような気がします。
 それから、約10回ぐらいはロンドンに出かけていますが、観光をした記憶がほとんどありません。そういうこともあって、ロンドンで1週間ほど過ごしたいと思い、いろいろ計画していましたが、トラピクスから20周年記念、20万円でイギリス9日間の旅の案内を頂き、個人での計画に比べ圧倒的に安いので、個人旅行をキャンセルし、トラピクスのツアーに申し込みました。また、このツアーには追加料金一人当たり15万円で往復ともビジネスクラスに変更できる特典があり、通常の追加料金の半分と安いこともあり、ビジネスクラスで行くことにしました。ただし、ビジネスで行けるかどうかは、混み具合次第で、決定するのは出発の1週間ぐらい前との事でした。
 英国は日本と同じ島国ですが、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つのほぼ独立したような国の集まりで、ユナイッテッドキングダム(United Kingdam) が英国の正式名称です。北アイルランドとのアイルランドの紛争は我々も時々ニュースで聞くことがあります。
 3年ほど前、スコットランドのグラスゴーで光通信学会が開催され、1週間ほど滞在しましたが、通貨はスコットランド独自の通貨でした。その時は9月でしたが、毎日雨が降り、イギリスっていやな所だなと思ったことがあります。しかし、どうもこれが典型的な英国の気候らしく、今回も毎日、時々晴れ、時々曇り、時々雨とめまぐるしく変わりました。英国紳士が雨傘を手にぶら下げて歩くのは理解できます。
 現在、ワールドサッカー予選の最中ですが、スコットランドや北アイルランドからはイングランドと異なるチームが出ています。
 世界中に進出した英国は、その植民地を含め、現在もイギリス連邦(英連邦)を形成し、53カ国が加盟し世界人口の約30%が含まれます。元首はエリザベス2世で、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、パプア・ニューギニアのかなり多くの国の元首を兼ねています。これらの国々はオリンピックと同じようなコモンウェルズゲームズと言われる総合競技大会が4年に一度開催され、2010年にはインド、デリーで開催される予定になっています。
 今回のツアーは安いこともあって大変人気があり参加者は28名でした。男性は9名、女性は19名、御夫婦は7組でした。ガイドさんによると、参加者の平均年齢は 65.5歳だそうです。なお、全く同じルートを、同じ会社の別のバスが走っていましたので、実際の参加者はこの2倍の人数であったようです。ツアーの名前には、「全食事つき」という、何とも風情のない名前が付けられていました。


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 今回の訪問地はイングランド内を7日間かけて回ってくるもので、下の図の赤丸の所で、ロンドン市内の世界遺産以外にも3ヶ所、尋ねました。



9日間の日程は次のようで、行き帰りの2日間を除き、丸7日間の観光でした。

1日目 成田からソウル経由ロンドンへ ロンドン泊
2日目 カンタベリー(世界遺産)、ドーバー、ライ散策 ロンドン
3日目 バース(世界遺産)、カッスルクーム、バイブリー散策 バーミンガム
4日目 シェイクスピア生家訪問、ハワーズ(嵐が丘の地)散策 ランカスター
5日目 湖水地方観光(蒸気機関車と遊覧船)、散策 ランカスター
6日目 ウェッジウッド訪問、プレナム宮殿(世界遺産)観光 ロンドン
7日目 大英博物館(世界遺産)、ハンプトンコート観光 ロンドン
8日目 ロンドン自由散策、ナショナルギャラリー、セントポール寺院など 
9日目 成田到着



         

1日目 韓国インチョン空港経由ロンドンへ 

 成田9:00発の韓国アシアナ航空でソウルに行き、そこで飛行機を乗り換え、ロンドン着は17:30でした。
ロンドンでのホテルはロンドンの中心地から北に20kmも離れた所で、交通の便が極めて悪く、観光には不向きでした。ただし、一般にロンドン市内のホテルは非常に高く、このホテルは各種の格安ツアー専用に造られているのでしょうか。たくさんの観光バスが停まっていました。ホテル到着は19:50でした。
 成田空港は国際空港の常識からはかなり外れています。使用する飛行機の出発は朝の9:00でしたが、窓口のカウンターは7:00から開くとの事、我々はマイカーを使用し、近くの駐車場に車を入れ、6時半には空港に到着しましたが、まさに一番乗りで、まだ誰も居ません。
 旅行社のカウンターへの集合時間は7:00でしたが、この時間に成田空港に来るためには、遠くても横浜どまりでそれよりも遠い所の人は成田のホテルに泊まる必要があったそうです。  
 ソウルの入国時には豚インフルエンザの検査がありました。38度以上の熱があると隔離されてしまうそうですが、全員が通過できました。
 日本では、毎日放送されていたインフルエンザ問題もだいぶ下火になり、成田では検査が無くなりました。国によって差があるようです。
 今回はビジネスクラスを使用したので、ソウルではアシアナ航空のラウンジを使用できました。
 アシアナ航空は比較的規模が小さいのでしょうか。ソウルインチョン空港のラウンジの規模は比較的小さなものでした。
 会社に勤めていた時は、ビジネスクラスかファストクラスが当たり前でしたが、いざ、自分で料金を支払うとなると、いろいろと考えてしまいます。
 今回は差額が比較的少なかったのですが、経済危機でビジネスクラスの乗客が激減し、だいぶ安価に座席の提供を始めたようです。



       
2日目 カンタベリー、ドーバー、ライの町、観光

8:00ホテル発。
9:55カンタベリー到着。
11:50昼食。
13:30ドーバー車窓観光。
14:30 ライ散策 
18:50.帰りは大渋滞。ホテル到着
19:45 夕食。



カンタベリー市内観光(世界遺産)

 街は門と城壁によって区切られ、その中心にカンタベリー大聖堂が建っていますが、街全体が中世の雰囲気をかもし出しており、歩いているだけでも楽しくなる街です。
 街に入る時、立派なもんをくぐりますが、昔は7つの門がありました。城壁の外にはお堀もあり、水は極めて透明で、町の清潔感をかもし出していました。



カンタベリー大聖堂
 
 この街の象徴は何と言ってもこの大聖堂です。
 6世紀の末、ローマからやってきた聖アウグスティヌスが、当時のケント王をカトリックに改宗させカンタベリー大聖堂が建てられました。
 現在の大聖堂は1070年-1180年にロマネスク様式で建てられ、途中、200年間の中断がありましたが、1379年-1503年にかけて、ゴシック様式で増設されています。
 この大聖堂が完成したちょうどその頃、男子の出産を望むヘンリー8世は、最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を望み、その侍女、アン・ブーリンとの結婚を望んでいました。しかし、ローマカトリック教会は許可を与えませんでした。
 業を煮やしたヘンリー8世は、独自の英国国教会を設立し、トマス・クランマーをこのカンタベリー大司教の座に据え、キャサリンとの離婚を認めさせ、ヘンリー8世はアン・ブーリンとの結婚を獲得しました。それ以来、このカンタベリーはイギリス国教会の総本山になっています。


 立派な大聖堂で、その広さには圧倒されます。天井もきわめて高く、数名の人が寝転がって、撮影していました。



 中庭にはさすがイギリス、庭園にはバラが咲いていました。



 この大聖堂は、いろいろな事件の歴史でもありました。1170年、カンタベリー大司教だったトマス・ベケットが教会の自立性を主張し、国王ヘンリー2世と対立しましたが、国王の配下の4人の騎士によって大聖堂内で暗殺されるという事件が起こりました。
 その後、民衆はトマス・ベケットを支持し殉教者として聖人になりました。それ以来、この大聖堂は巡礼の地になっています。この建物の地下には、その暗殺場所に剣が飾られています。



ドーバー、車窓観光

 ドーバーは、イギリスの中で最もヨーロッパ大陸に近く、この海峡は第2次世界大戦の激戦地としても、また、イギリスとフランス間の海峡での遠泳でも有名です。
 我々を乗せたバスは、停車することもなく、この街を通り過ぎましたが、下の写真は車窓から撮ったものです。
 約1億5000年前に出来たホワイトクリフ(地層)が見えます。



ライ散策
 
 ライの街はイギリスで最も美しい街の一つといわれています。中世の面影を残した石畳の街で、レンガ造りの家が続き、屋根は橙色に統一されています。
 英仏海峡に面したちょっとした小高い丘の上にあります。


 丘の頂上にはセント・メアリー教会があり、その頂上に登ると美しい街並みを見下ろすことが出来ました。遠くにたくさんの羊が見えます。



 さすがロンドンは大都会です。テムズ川に架けられた橋は大渋滞でした。

         

3日目 バース、カッスルクーム、バイブリー観光後、バービンガムへ 

8:30 ホテル発。11:20ロイヤルクレッセント
11:45 ローマンバス
13:00 昼食。 14:45 カッスルクーム
16:45 バイブリー
19:10 ホテル到着
20:00 ホテルで夕食



ロイヤルクレセント(世界遺産の一部)

 ロンドンを出発しバースに到着する少し前、このロイヤルクレセントに立ち寄りました。
 クレセントとは三日月を意味していますが、この集合住宅は1775年、当時有名な建築家、ジョン・ウッド親子によって設計されたました。パッラーディオ様式の建物だそうです。最近ではこの様に弓なりになった建築物をよく見かけますが、当時としては、ローマ時代のような様式の住宅は斬新だったようです。



バース(世界遺産)

 バースはローマ時代に温泉の町として栄え、温泉の語源にもなった観光都市で、別府と姉妹都市になっています。街は、はちみつ色の石材で統一され美しい街並みを作っています。
 この街は18世紀になると高級リゾート地として繁栄し、現在は多くの人で賑わう観光都市になっています。とにかく観光客で賑わっていました。



バース・アビー

 町の中央にある教会で1499年建てられています。今回は時間がなく、内部の見学は出来ませんでした。



ローマン・バス

 この街を有名にしているのは何と言ってもこのローマン・バスで、この温泉は紀元前1世紀にローマ人によって造られました。
 中世時代に大部分が埋もれ、忘れされていましたが、19世紀末に発見され、きれいに復元されています。遺跡としての保存状態は非常に良いそうです。地下にもいくつかのお風呂があり、博物館になっています。



カッスルクーム散策

 14世紀の家々がそっくりと残され、時のない村とも言われています。聖アンドリュー教会では結婚式が挙げられていました。コングラチューションと言ったらサンキュウと言われました。
 イギリスの中で最も美しい村の一つと言われています。



バイブリー散策

 ここ、コッツフォルズ地方は、イングランド中心部で、羊毛の交易で栄え、最大の標高も330mだそうです。
 この村も英国で最も美しい村の一つと言われています。
 芸術家でもあり思想家でもあったウィリアムス・モリスはこの地を愛し住み着いたそうです。清流が流れていました。



     
4日目 スロラトフォードアポンエイボン、
     
        ハワース観光後、湖水地方・ランカスターへ

 8:00 ホテル発。
 8:50 ストラットフォード・アポン・エイボン
11:00 昼食。
16:30 ハワーズ観光
18;30 夕食
20:20 ホテル着



ストラトフォードアポンエイボン観光(Stratford-upon-Avon)

 何とも長い名前の町ですが、Avon とはイングランド中央部を流れる大きな川の名前で、この町の中心部に Avon が流れています。この町を有名にしているのは、何といっても400年も前に亡くなったシェークスピアで、シェークスピアの生家や奥さんの生家が保存されており、またシェークスピア博物館もあり、町全体が観光地になっています。
 今日もまた午前中は雨に見舞われました。



アン・ハザウェイの家

 シェイクスピアの妻、アン・ハザウェイが、結婚前に住んでいた実家で、立派な茅葺屋根で出来ています。アンは裕福な農家の出だそうです。隣には博物館やお土産やがありました。
 二人が結婚したのは1582年で、シェイクスピアが18歳、アンは26歳でした。


 雨のためか、街には人通りがほとんどありませんでした。近くの小さな公園には、シェイクスピアの作品に登場する人物像が作られていました。



シェイクスピアの家とシェイクスピアセンター

 ウイリアム・シェイクスピアの生家に隣接し、シェイクスピア・センターが作られており、どちらも見学することが出来ます。
 ウイリアム・シェイクスピアは1564年、商家の家に生まれましたが、センター内には誕生した当時の生活様式なども再現されていました。かなり裕福であったそうです。
 庭に出ると、ロミオとジェリエットの演技が披露されていました。


 昼ごろになると天気が回復し、街も賑やかになってきました。修学旅行でしょうか、日本から来た高校生に出会いました。



ハワース観光

 「嵐が丘」や「ジェーン・エア」など、英国文学史に偉大な足跡を残したブロンテ姉妹の家がありました。ただし、その博物館はお休みでした。ブロンテ姉妹の父はこの地のハワーズ・パリット教会の牧師をしておりました。
 遠くに「嵐が丘」の舞台になった荒野が遠くに見えますが、今は発電用風車が建てられていました。



 この近くは広大な荒野が続きますが、牧畜が盛んらしく、牛や羊がたくさん飼われていました。



ランカスター城

 今日のホテルは、ランカスター市にある高級ホテル、ランカスターハウスですが、夕食はランカスター城の近くでした。
 外観だけ、カメラに収めました。

           

5日目 湖水地方観光

 9:00 ホテル発。
 9:50 White Water Hotel
10:10 Haverthwaite Station 蒸気機関車に乗る
11:00 Lakeside Station ウィンダミア湖遊覧
12:00 ボウネス到着 
12:15昼食
13:30 ライダルマウント その後、フリータイム
18:00 夕食
20:00 ホテル着

 

 イングランドをドライブしていると、日本とは全く違った風景であることに気づきます。 どもまで行っても山がなく、なだらかな丘が続きます。ただ、イングランドの北部の湖水地方に来ると、1000m弱の山々が現れ、たくさんの湖が点在しています。


White Water Hotel
 これからバスは蒸気機関車の発車上に向かいますが、発車時刻まで少し時間があるので、その近くの、この地では有名なホテルの庭で一休みです。湖水地方の典型的な風景なのでしょうか。美しい風景です。



Haverthwaite Station

 ウィンダミア湖の南端から、観光客向けの保存鉄道、蒸気機関車が走っています。さすが、蒸気機関車発明の国で、保存への意気込みが違うようです。駅舎は可愛いおもちゃのような雰囲気でした。わずか30分程度の乗車でしが、並行して道路が走っており、我々を降ろしたバスは、先回りして、到着先で待っています。



Lakeside Station

 蒸気機関車に連結された列車が船乗り場に到着し、こんどはそこから遊覧船に乗ります。 



ウィンダミア湖遊覧

 細長い湖を遊覧船は約30分走りますが、船から見える湖畔のハウスはいずれもモダンで豪華でした。
 富豪たちの別荘なのでしょうか。ヨットやヘリコプターなどが見えます。
 



ライダルマウント

 湖畔の近くにワーズワースが愛した庭園があり、散策しました。山の斜面の自然も生かした英国式庭園です。紫シャクナゲがあちこちで咲いていました。椅子に座り、ゆっくりとライダル湖を見下すことができます。
 ワーズワース(1770-1850)はロマン派を代表する詩人で、その生涯をこの地で送り、湖水地方の美しい風景は彼の作品に大きな影響を与えたと言われています。 
 



フリータイム。

 午後2時ごろから3時間程度、湖畔の自由散策です。とりあえず、ビジターセンターを訪ね、地図を頂き、推奨散策ルートを聞いたところ、湖水地方の山々には幾つものハイキングコースが整備されているとの事、一番近くのコースを紹介されました。
 この湖畔の町「ボラネス」はリゾートの街として賑わっているようです。たくさんのホテルやレストランなどがありました。


 約50分も歩くと、見晴らしの良いことに到着です。それから再び山を降り、時間つぶしにビールを飲みながら、街ゆく人たちを眺めて過ごしました。今日は結構疲れました。



      

6日目 ウェッジウッド・ビジターセンター訪問、
       
     プレナム宮殿(世界遺産)庭園散策

 8:30 ホテル発
10:30 ウェッジウッドビジターセンター12:00 昼食
14:45 ブレナム宮殿(世界遺産)
18:00 夕食
20:00 ホテル到着(ボストン)



ウエッジウッド・ビジターセンター訪問

 ウエッジウッドの製品は、日本のどの家庭にも、お土産品や、結婚式の引き出物かお祝いの品として頂きいたのが飾られているかと思いますが、今回の経済危機でこの1月、破綻してしまいました。たしかに芸術品を思わせる高価なお皿などは、最近の低価格志向には向かないのかも知れません。
 このイギリスを代表するボーンチャイナは牛の骨灰を磁石に混ぜることで半透明の美しい表面層を作ることが出来ます。
 このストーク・オン・トレントは古くから陶器の町として栄えてきました。今も健在です。ビジターセンター内では、陶器づくりの実演がされており、また、会社発展の歴史映画も上映されておりました。
 我々は、このビジターセンター内の食堂で昼食をとりましたが、もちろん食器は全てウエッジウッド製でした。



プレナム宮殿(世界遺産)の庭園散策

 1704年、侯爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破った功績としてアン王女から贈られた宮殿です。
 バロック様式の傑作といわれるこの宮殿は、チャーチル元英首相の生誕の家でもあります。


 イギリス式庭園は、幾何学模様のフランス式庭園と比べ、自然をうまく利用しているのが特徴ですが、一般に非常に広く、この庭園には、バタフライファーム、バラ園、迷路、シークレットガーデンなどがありました。一日中、歩きまわっても足りないほどでした。



 庭園の一角にイタリア式庭園が設けられていました。

      

7日目 大英博物館、クィーンマリーローズガーデン散策、

                       ハンプトン・コート観光

 8:30 ホテル発。ロンドンは地下鉄の48時間ストで大渋滞
10:00 クイーンマリーローズガーデン散策
11:00 大英博物館
13:30 昼食。
16:40 プリヴィーガーデン
19:35 夕食
21:10 ホテル到着



クィーンマリーローズガーデン散策

 ロンドン市内には幾つもの広い公園があり、いずれも無料で利用できます。大英博物館の近くにあるこの美しいバラの庭園も入場無料なのには驚きです。今日も雨です。雨のそぼ降るロンドンでした。



大英博物館

 言わずと知れた世界最大級の博物館です。ただ、今回の見学時間はわずか1時間と少なく、堪能するにも全く不十分でした。早足で回りました。
 この博物館の目玉、ロゼットストーンの前は何時も混んでいましたが、それ以外は比較的空いていました。入場料無料、フラッシュ撮影OKの有難い博物館です。手荷物検査もありませんでした。
 下のギリシャのパンテノン宮殿の彫刻群は、今でも返還問題で揺れているそうです。


 この博物館のエジプト部門も豪華ですが、アメリカのメトロポリタン美術館など、世界のいろいろな美術館がエジプト部門を持っており、エジプトの遺品は世界各国に分散しているようです。ただし、この現象はエジプトに限られたものではなく、日本の国宝級の芸術品がアメリカや西欧に、また、ヨーロッパの印象派などの名画も世界中に分散されています。 


 エジプトの考古学博物館のミイラ館は本家本元ですが、そこでは写真禁止でした。この博物館では写真OKでした。
 

 今回は残念ながら時間がなく日本館を訪問できませんでしたが、廊下には東洋の仏像が置かれていました。


 ロンドン市内は車窓からの観光のみでした。下の写真はトラファルガー広場からバッキンガム宮殿への道です。たまたま今日と明日は地下鉄のストライキで電車は全く動いていません。その影響もあって市内は大渋滞でした。



ハンプトン・コート・パレス観光

 ロンドンから南へバスで1時間弱の所にあります。
 1514年、トマス・ウルジー枢機卿が建てたもので、その後、ヘンリー8世が無理やり奪ってしまったそうです。今回は庭園のみの見学でした。



パレス・ガーデン

 宮殿を囲み広い庭園があります。まさにイギリス式庭園で、ちょうどバラも満開でした。
 



大渋滞

 ロンドンへ帰る道も、地下鉄ストで大渋滞でした。この大渋滞で、まさにイギリスの仕事の仕方を学びました。夕方、現地の日本人のガイドさんが、勤務時間が切れるという理由で、途中下車してしまいました。また、夕食の時、今度は運転手が、時間オーバーになりこれ以上運転できないと言いだし、代わりの運転手が来てくれました。その運転手はたいそう愛層が良く、盛んにサービスを振りまいていました。イギリスには厳格な労働法があるようです。
 ストで、明日のロンドン市内観光が心配です。



         
8日目 ロンドン市内自由行動、その後、帰国へ

 8:50 ホテル発。ロンドン中心街の三越デパートへ
10:00 三越到着後解散。各自自由行動
17:30 三越の集合し、ヒースロー空港へ 
21:00 ロンドン発



ロンドン市内観光

 いよいよ、イギリス観光も今日で終わり、午後9時発の飛行機で日本に向かいます。今日は全員、自由行動で、めいめいが自分で計画を立て、ロンドン市内の散策です。朝、郊外のホテルからバスで、市内中央に位置する三越デパートに向かい、そこが夕方の集合地にもなります。
 残念ながら、今日も地下鉄はストライキです。ロンドンの地下鉄は非常の便利で、以前来た時は何時も地下鉄を利用しました。しかし、地下鉄は一駅でも乗ると4ポンドします。日本円にして、700円ぐらいもします。二人で足代わりに地下鉄を利用すると大変です。ただし、日本のスイカのようなカードを買うか、1日券を買うと格段に安くなるようです。もっとも、今日はストで全く動いておらず、別な方法を考えるか、歩いてゆける範囲の観光になりそうです。



ナショナルギャラリー

 私たちは、1日中でも、市内を自分の足で歩くのを苦にしませんから、観光ガイドの本と、朝、バス内で全員に配られた昼食セットを持って出発です。まずは、三越デパートのすぐそばのピカデリーサーカス広場の観光からスタートしました。次に行ったのは、ナショナルギャラリーです。
 最初にロンドンを訪れた1976年、約1週間をこの近くのホテルで過ごしましたが、その時は、毎日、学会からの帰りにこの絵画館を散策した思い出があります。今回訪れると、その時よりはだいぶ拡張され、隣のビルも絵画館になっていて、そこからの入場になりました。この絵画館は無料ですが、カメラは使用不可でした。
 エアフォンガイドを借りて、主だった所だけを回りました。とにかく、夕方の5時半までには三越デパートに戻る必要があり、あまりゆっくりとは見学でしません。
 約1時間程度見学し、すぐその前の、トラファルガー広場に出ました。幸い今日は快晴です。




海軍門

 トラファルガー広場のすぐそばに海軍門があります。ここをくぐれば、セント・ジェイムス公園の向うにバッキンガム宮殿を望むことが出来ます。今回は時間がないので、宮殿の見学は中止しました。



ホース・ガーズ

 トラファルガー広場から南側に向かって歩いてゆくと官庁街に出ますが、広い庭を持ったホース・ガーズがあります。
 ここには近衛騎兵隊の司令部があります。まずは、騎馬隊と一緒に記念写真です。



国会議事堂 (ウエストミンスター宮殿)

 さらに南に行くと、世界で最も豪華と言われる国会議事堂が現れます。正式名称はウエストミンスター宮殿です。
 かって、この宮殿は国王たちの住まいの場でした。この宮殿が最初に建てられたのは11世でしたが、1834年、全焼してしまい、1852年に再建されています。この宮殿の横の長さは300mで、部屋の数は1100個にも達します。ひときわ目立つビックベンの高さは96mで、時を告げる鐘の大きさの直径は3mもあります。
 毎年、国会の開会式に当たっては、エリザベス女王が豪華な衣装をまとい、王冠をかぶり、上院議院(貴族院)で、開会の宣言をするそうです。
 この宮殿は11世紀に造られましたが、その宮殿の主、ヘンリー3世は、13世紀、領土を広げ、国内の権威を高めようとフランスに戦争をしかけていました。しかし、その戦費を賄うため、国民たちに高い税金を掛けました。とくに負担の多かったのが、お金に余裕のある貴族たちでした。
 それに対し、貴族たちは結束して立ち上がり、ヘンリー3世と対等に論議を行い、何事も貴族達と相談して決めなけらばならないようにさせました。この様にして、国王の独裁を封じ込めました。これが議会誕生の引き金になりました。
 14世紀になると、イギリスの羊毛は北欧や、イタリアなど、ヨーロッパ全体に輸出されるようになりました。コッツウォルズ地方は特に羊の飼育に適していました。そして、その地方の人たちは莫大な富を蓄えました。当時、「イギリスの富の半分は羊の背中に乗っている」と言われたそうです。そして、そこから、ジェントリと言われる、貴族とはまた別の階級が生まれました。
 国王はその富に目を付け、羊毛の輸出に高い税金をかけるようになりました。それに対し、ジェントリ達は、ウエストミンスター宮殿に集まり、国王と直談判を行いました。それが下院議員の始まりだと言われています。
 1544年、貴族や聖職者たちの集まりである貴族院(上院議院)が設置され、1549年、ジェントリ達も庶民院(下院議院, The House of Common)を開きました。
 16世紀、国王はウエストミンスター宮殿を議員に明け渡し、17世紀になると、下院議院は国王を内部に入れなくするなど、大きな力を持つようになり、下院が政治の実態を握るようになり、現在に至っています。
 この様にして、二院制は、イギリスで生まれました



ウエストミンスター修道院

大人の入場料は15ポンド(2,6000円)と高価でした。60歳以上は12ポンドでした。

 国会議事堂の隣にある英国王室の教会で、1066年のノルマン征服以来、歴代の王の戴冠式がここで行われており、ダイアナ妃の葬儀もこの教会で行われています。
 13世紀、ヘンリー3世は、この修道院の大改築を行いました。高さは31mと5階建てのビルと同じ高さで、天井は吹き抜けのように高くなっています。改修には今の金額で数十億円かかったと言われています。修道院の中心には国王の豪華な椅子が置かれています。
 入場料は一人15ポンド(2,600円)と非常に高いのですが、入ってみると、ものすごいく混み合っていました。これでは撮影禁止もやむを得ないかも知れません。オーデオガイドは無料で借りることが出来ました。
 内部は非常に広く、歴代の王のお墓や、ニュートンなど、物理学者、政治家、詩人など多くの分野の著名人のお墓があります。ヘンリー3世のお墓は、全面、金箔で覆われていました。豪華なお墓です。
 オーデオガイドを聞きながら回りますが、丹念に聞いていると数時間はかかりそうです。残念ながら時間がないので、1時間ぐらい見学し、寺院を後にしました。
 ちょうど午後1時ごろでした。



テムズ川クルーズ

 もし、出来たら、ロンドン塔やセント・ポール寺院へも行って見たいと思っていましたが、今日は地下鉄がストライキで、道路も非常に混雑していて、どうしてロンドン塔に行こうかと迷っていましたが、3年前、ロンドンに来た時、会議終了後、ホテルに帰るためテムズ川の遊覧船に乗ったのを思い出しました。ウエストミンスター寺院はテムズ川に面しており、その近くに船乗り場があったので、とりあえず、乗り場まで行って見ました。
 幾つかの船会社がいろいろな船を出ており、間違って乗ると、時間までに帰れなくなり大変です。確認するとロンドン塔まで45分とのこと、1時30分発の船で行くことにしました。
 昨年乗ったパリでのセーヌ川クルーズよりは周りの景色が良く見えました。堤防が低いためかも知れません
 世界最大の観覧車ロンドン・アイ(現在は第2位だそうです)が、近くに良く見えます。135mもあるそうです。そのうち、セント・ポール大聖堂が見えて来ました。
 出発から30分も過ぎるとロンドンブリッジが見えて来ました。私たちはその近くで下船しました。2時15分でした。集合まであと約3時間あります。



ロンドン塔

 このロンドン塔は血に塗られた塔とも言われています。イギリス王室の歴史を語る城でもあり、また、残酷な悲劇の舞台でもありました。
 イギリスの首都ロンドンにイギリス王室が開かれたのは11世紀中頃とのことです。その最初の王、ウイリアム1世は1066年、テムズ川沿いに、まず木造の要塞を築きました。要塞はその後、王宮となり、歴代の王によって増築されて行き、ロンドン塔と呼ばれるようになりました。しかし400年を経て、残虐な歴史の舞台に変貌します。
 16世紀に入って絶対王制を築いたヘンリー8世は別な所に館を建て、ロンドン塔を監獄にしました。当時、ウェストミンスター宮殿は裁判所でしたが、そこでヘンリー8世は自分に逆らう者たちを反逆者として裁かせました。そして、テムズ川からロンドン塔へ送りました。船から入る門はトレイターズゲート(反逆者の門)と呼ばれていました。この門をくぐると二度と生きて出られないと言われ、難攻不落の城塞は脱出不可能な監獄となりました。拷問が容赦なく繰り返され、自白を強要させられました。囚人のほとんどが王侯貴族や僧侶などの政治犯でした。

 悲劇の女性、アン・ブーリンはヘンリー8世の2番目の妻でした。最初の王妃が男の子を産まなかったため、王はアンに求婚したのです。離婚を禁じたローマカトリックに逆らい、国の宗教を変えてまでの結婚でした。アンは女の子は産みましたが待望の男の子を流産してしまいます。怒った王は新たな妻をめとろうとたくらみ、アンに姦通罪や反逆罪を着せて、ロンドン塔へ送ったのです。アンはわずか18日間の拘留の後、斬首されます。王妃アン・ブーリン、29歳でした。アンが残した女の子は、後にエリザベス1世として即位、世界に冠たる大英帝国を築くことになります。
 ヘンリー8世の在位は 1509年から1547年までの38年間にもおよびました。
 
(NHK世界遺産100より抜粋)


 ロンドン塔から三越デパートまでは約4kmで、信号時間などを入れても歩いて1時間半もあれば十分到着するはずです。ただし、この歴史あるロンドン塔の内部を見ているとセントポール大聖堂を見ることが出来なくなりそうです。そういう理由で、内部見学は中止し、その周りをまわってみました。外側からトレイターズゲートが見えます。



シティ

 ロンドン塔から西にセントポール寺院をめがけて歩いて行くと、経済危機の時テレビによく登場した経済の街シティに入ります。道路にはシティの入口を示すドラゴンの象が建てられていました。
 シティにはたくさんの銀行がありますが、ユーロ、ドルと並び、日本の円も表示されていました。昔なら考えられないことです。世界第二の経済大国になった証拠でしょうか。
 イギリス人はビールが大好きなのでしょうか。ダークスーツを着た英国紳士がパブで何人もビールを飲んでいます。まだ、勤務時間のはずなのですが。一方、街中をランニングしている人もたくさんいました。



セントポール大聖堂

 入場料は大人が 11ポンド{1,800円)、60歳以上は 10ポンドでした。

 ロンドン塔から早足で約30分も歩くと、セントポール大聖堂に到着です。ここでも入場料を取られました。内部は空いていましたが、撮影は禁止でした。少し疲れてはいましたが、ドームの上まで登ってみました。530段あると書いてありました。そこからはロンドン全体を見渡すことが出来ます。
 1666年、ロンドンで大火災が発生し、シティを呑み込み、旧セントポール大聖堂も焼け落ちてしまいました。1675年から35年かけて、大建築家のクリストフィアー・レンのもとで復元したそうです。
 なお、入場に当たっては一人11ポンドと無視できない金額が必要でした。
 世界的に見ても、教会に入るのにお金をとられるのは稀ですが、ロンドンでは1回入るのに2000円近くも取られます。ちょっと入ってお参りをして出てくるという訳には行きません。その代わり、ロンドンでは、公園や博物館、美術館には無料で入ることが出来ます。また、音楽会の入場料も非常に安く抑えられています。税金で補助するものと、そうでないものをはっきりと区別しているようです。
 日本でも、京都、奈良を見学して歩くと、ばかにならない金額がかかりますが、それと比較すると、ロンドンが高いとは言えないかも知れません。 


 大聖堂を後にし、再び、三越デパートを目指して歩き出しました。幾つもの寺院や、道路にはシティの出口を示す標識が、また、王立裁判所が見えます。
 イギリスの特徴でしょうか、カメラ設置を示す標識が、非常にたくさんあります。田舎にさえもカメラがあります。犯罪防止には、非常に良く役立っているそうです。



コヴェントガーデン散策 (コヴェントとは修道院を意味します。)

 集合時間まで少し時間があったので、途中、コヴェントガーデンを散策しました。昔の修道院の広場に市場を開設したもので、レストランや果物屋、花屋などがたくさん集まっており、市場もあります。
 ここはオードリーヘップバウン主演のミュージカル「マイ・フェア・レディ」の舞台としても有名です。
 


 集合時間の30分前に三越デパートに到着しましたが、喉が渇いていたので道路上のレストランでビールを注文し乾杯でした。
 出発時間には 28名全員が到着し、無事、空港に向けて出発です。
 ガイドさんが「遅れた人があったら置いてゆきます。待っていると全員が飛行機に乗り遅れます」と何度も念を押したのが良かったのでしょう。下の写真は今朝出発したピカデリー・サーカス広場で車窓から撮ったものです。街は大変賑わっていました。


 これから韓国ソウルのインチョン空港に向けて出発です。ビジネスクラスにしたこともあって、疲れがたまらず助かりました。
 二週間後は、中欧五カ国(ハンガリー、チェコ、スロバキア、オーストリア、ドイツ)の旅に出る予定です。
 それまでには、時差が取れてしまいそうです。



付録 ナショナルギャラリーの絵画

 カメラ使用不可でしたが、エアフォンガイドを借りた時、名作ガイドを頂きました。それを頼りに、絵画館の名作を再現してみました。下の写真はインターネット検索により集めたものです。ミケランジェロ、ラファエロ、レンブラント、フェルメール、ターナー、モネ、 ゴッホなどがありますが、ナショナルギャラリーのホームページ、  http://www.nationalgallery.org.uk/
を見た方がはるかに詳しく出ています。



13〜15世紀の絵画 

Wilton diptych 作者不詳
Uccello

The Battle of San Romano
Jan van Eyck

The Arnorfini Portrait
Botticelli

Venus and Mars
Bellini

The doge Leonardo Loredan
Piero della Francesca

The Baptism of Christ



16世紀の絵画
Hans Holbein

The Ambassadors
Michelangelo

The Entombment
Raphael

The Madonna of the Pinks
Titian

Bacchus and ariadne
Gossaert

The Adoration of the Kings



17世紀の絵画

Claude

Landscape with Psyche
outside the Palace of Cupid
Rembrandt

Self portrait at the age of 34


レンブラント  「34歳の自画像」
Vermeer

A Young Woman Standing at a Virginal


フェルメール 
「ヴァージナルの前に立つ女」
Rubens

Portrait of Susanna Lunden
Van Dyck

Equestrian Portrait of Charles
Diego Rodriguez de Silva y Velazquez

ヴェラスケス 「鏡の前のビーナス」



18世紀〜20世紀の絵画

Drouais

Madame de Pompadour
at her Tambour Frame
Turner

The Fighting Temeraire
Stubbs

Whistlejacket
Gainsborough

Mr. and Mrs. Andrews
Canaletto

The Stonemason's Yard
Monet

Bathers at La Grenouillere
Seurat

Bathers at Asnieres


ジョルジュ・スーラ  

「アニエールの水浴」
Van Gogh

Sunflowers







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