雪の草津温泉一泊ドライブ
紅葉と雪見を兼ね、草津温泉に行ってみました。孫たちとはJR軽井沢で合流することにしました。
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1日目
軽井沢で待ち合わせ時間までに、時間があったので、妙義山の紅葉を見ることにしました。
インターネットによる紅葉情報によると、妙義神社付近はまだ見ごろとのことでした。 |
妙義山
紅葉はほとんど終わっていました。
妙義神社
まだ、紅葉を楽しむことが出来ました。
ここの近くの道の駅で、富岡製糸場の割引チケットを頂きました。
タイヤをスタットレスにしたので、雪道も快適でした。ただ、ものすごく寒いのには参りました。
宿は土曜日のためでしょうか、家族連れでものすごく混んでいました。
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2日目
白糸の滝
帰りに少し寄り道をして、雪の白糸の滝に行ってみました。結構、人で賑わっていました。
富岡製糸場
昨日、妙義山近くの道に駅に寄った時、パンフレットを持った人が近づいてきて、富岡製糸場の割引チケットを渡してくれました。もし、そのパンフレットを貰わなかったら、今日の見学はなかったと思いますが、行ってみて驚いたのは、見学者の多さでした。
世界遺産登録を目指していることもあるのでしょうか、大変な力の入れようです。
ボランティアの案内員が次々と入場してくる人たちを集めて、内部の案内をしていました。私たちも、その案内に加わりましたが、ボランティアさんの案内がなかったら、当時の苦労など、ほとんど理解が出来なかったかもしれません。
ボランティアさんの話によると、その人は、私よりも一つ年上で、大学で機械科を卒業し、プリンス自動車に入社したそうです。そのプリンス自動車はニッサンに吸収されましたが、富岡製糸場の機械の一部はプリンス自動車によって作られたそうです。
この製糸所は、明治5年に操業開始されています。今から140年も前になります。外貨獲得のため、フランスから技術を導入し、指導者を招聘し政府肝いりの事業として発足し、日本の絹産業の基礎を築きました。
このように大きな工場でありながら、操業開始当時は、電気がまだなく、照明は天井のガラスからの太陽光のみでした。夏は猛烈に暑くなるので、正午近くの暑い時間は作業が中止されたそうです。
全国から女子の作業者が集められ、ここで絹糸製造技術を学び、その技術を日本全体に広げたそうです。
1909年当時は、生産量が世界のトップになるまでになっています。
作業環境は、女工哀史とは異なり、かなり模範的な労働条件だったそうです。
なお、現在の絹糸の生産量は、中国が圧倒的なシェアを握り、日本は輸入国になっています。
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