京都、大阪、兵庫、奈良などのドライブ観光
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1日目 自宅から京都へ。京都御所、妙心寺、仁和寺観光
京都御苑
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御苑の近くを通った所、何人かが散歩しているようなので、立ち寄ってみました。
もう、何度もこの周辺を通っていますが、入るのは初めてでした。
御苑の中にある京都御所を見学するには前もって予約しておく必要があることは知っていましたが、御所内部に入っている人たちは、ほとんどが観光バスで来ている人たちの様でした。
管理している人に聞いたところ、今日申し込めば明日、京都御所の見学は可能とのことでした。見学は無料だそうです。
御苑は京都市の中心に位置し、東西約700メートル・南北1300メートルで、一周すると4㎞もある非常に広い国民公園で、市民に無料で開放されています。テニスコートやグランドなども付随しています。
この御苑はかって200あまりの邸宅が立ち並ぶ公家町でした。
明治2年、明治天皇とともに公家らが東京へ移った後、著しく荒廃してしまいましたが、明治10年、岩倉具視が公家屋敷を撤去し、周囲の土塁と濠を整備しました。
明治16年、御苑の管理は京都府から宮内庁に移り、大正4年、ほぼ現在の姿になりました。
昭和24年、厚生省の管理のもと、国民公園となり、現在は環境省が管理しています。
京都御所以外にも公家の邸宅をはじめとする遺構が数多く残されていますが、それらの一部は二条城に移築されています。
御苑内には500種類以上ものっ植物があり、約5万本の樹木が生育されています。
我々にとっては全く縁のない京都迎賓館ですが、御所の隣に作られています。この迎賓館は日本の建築や工芸技術の粋を集めて作られ、また一流の料理人を集め運営されています。日本の誇るべき、お客様へのおもてなしの頂点に位置しています。
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入り口近くの駐車場に車を停め、御苑内を少し散策してみました。とにかく広いので、京都御所の周囲を歩いてみました。
京都御所は塀で囲まれていて、中を見ることは出来ません。塀はどこも似ているので、自分の居場所が分からなくなるほどでした。 |
妙心寺
日本最大の禅寺と言われ、臨済宗妙心寺の本山で、敷地内部には46もの塔頭寺院が点在しています。
また、幼稚園やホテルも運営しており、私たちの今日の宿は妙心寺が運営する花園会館でした。
妙心寺の伽藍配置は禅宗寺院の典型とも言われ、山門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈、小方丈、大庫裏などが一直線に配置されています。
山門は赤く塗られていました。
なお、近くにある枯山水の石庭として有名な龍安寺は、臨済宗妙心寺派に属しています。 |
寺院内は一般に無料で解放され、通学路であったり、自転車で院内を通り抜ける人もいます。
幾つかの寺院や庭園に入るのは有料になります。 |
下の大方丈や法堂の参観には見学ツアーに参加する必要があります。ツアーは約20分おきに開催され、私たちが参加した時は約15名程度でした。
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仏殿
お堂の前面には細かい網が付けられていました。中央に仏像が配置されていました。
法堂
案内者が法堂の鍵を開け、見学者を中に案内し、天井の大きな雲龍図の説明がありました。
下の天井の雲龍図は、見学者に配られたかなり大きなパンフレットのコピーです。
法堂内を一周すると、龍は下り龍になったり、昇り龍になったりします。
この法堂は1656年に建造されています。 |
明智風呂
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ツアーの最後は明智光秀が秀吉に追われ、この寺に立ち寄り、死の直前に寄進した通称、明智風呂でした。それにより、光秀を弔うために、1587年、この浴室が作られました。
内部の写真は禁止でした。 |
退蔵院
妙心寺山内寺院中でも屈指の寺院で、方丈には模写ですが国宝瓢鮎図が飾られていました。 |
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瓢鮎図の写真をうまく撮れなかったので、パンフレットからコピーしてみました。
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元信の庭
方丈のすぐ横にあり、室町時代の画聖、狩野元信による枯山水庭園です。
絵画的手法で作庭され、優美豊艶の趣を失わず、独特の風格を備えています。
庭の背景には常緑樹を主に植え、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求めた物と考えられます。(パンフレットより) |
庭に入ると、陰の庭、陽の庭と呼ばれる石庭が現れます。
もうすでに散ってしまっていますが、ここのしだれ桜は特に素晴らしく、JRの「そうだ、京都へ行こう」のパンフレットを飾っています。
さらに進むと素晴らしい日本庭園が続きます。 |
水琴窟
水をかけると、滴る水により、お琴のような音をだします。
茶室
かなり大きな茶室でしたが、奥には小さな茶室もありました。
院内にはたくさんのお寺があり、全部見るのは大変です。
南の正門から入り、北門を出て、仁和寺まで歩いてゆきました。
仁和寺
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仁和4年(888年)、宇多天皇が先帝のご意志を継がれ完成させました。
以来、皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ、親しまれて来ました。
広大な境内には御室御所跡として史跡に指定され、国宝、重文の伽藍が配されています。
現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり、また、世界遺産に登録されています。 |
南の二王門を入ると、正面に中門が、すぐ左に御殿の入り口が見えます。
二王門は江戸時代に建てられ、左右に金剛力士を安置しています。
宸殿
宸殿に入ると白川砂と杉松の淡色の世界が現れます。簡素な美を表した南庭、池を配し、五重塔が見える北庭に続きます。
南庭に面した白書院、さらに奥にある黒書院が回廊で結ばれており、その中の数々の襖絵が公開されています。
京都ならではの美しい風景が続きます。
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襖絵
廊下を歩くと、数々の襖絵を見ることが出来ます。
廊下の脇の扉にも山水画が描かれています。
国宝(秘佛) 薬師如来坐像 平安時代後期
中門
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参道をまっすぐ行くと朱も鮮やかな中門が現れます。門をくぐると、右手に五重塔が、左に名勝の御室桜があります。もう完全に桜は終わっていました。
さらに進むと国宝の金堂が現れます。
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金堂(国宝)
仁和寺が寛永年間に再建されたとき、京都御所の紫震殿を移築し本堂としました。
本尊は阿弥陀三尊です。 |
経蔵
五重塔
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各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示しています。 |
霊宝館
たくさんの国宝、重文が保管されています。
内部は写真禁止でした。
阿弥陀如来像はパンフレットのコピーです。
花園会館
妙心寺が経営するホテルですが、修学旅行生も良く利用するそうです。
そこでの朝食の御膳は法堂の天井画、昇龍が描かれていました。
なお、夕食の懐石料理は、よくある温泉旅行の料理とは、一味も、二味も違う、非常に美味な料理で、その味の良さには驚きました。これが京都料理なのでしょうか。
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2日目 二条城、大阪城観光
今日も雨模様です。五月連休谷間の4日間は雨との天気予報でしたので、覚悟はしていたものの、予報はよく当たりました。
家内はまだ二条城に行っていないというので、立ち寄ってみました。 |
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二条城は1603年、徳川幕府初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上楽の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が1626年に改修したもので、絵画・彫刻・建築に桃山から江戸への時代の移り変わりを見ることが出来ます。
1867年、十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となりました。その後、1939年(昭和14年)に京都市に下賜され、世界遺産にも登録されています。
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立派な唐門から入ると、二の丸御殿が現れます。
まずは二の丸御殿内部の見学ですが、写真は禁止でした。
二の丸御殿は武家風書院の代表的な御殿建築で、遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に並んでいます。
部屋数は33、畳は800畳余りあります。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。
今日の観光客の約半分は外国から来た人たちの様でした。大震災から3年が経ち、だいぶ外人が戻って来ているようです。
内部の写真はパンフレットからです。 |
二の丸庭園
二の丸庭園は古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓮菜島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。
色彩に飛んだ大小さまざまな石組にあらわれた力強さは豪壮な城郭建築とよく調和しています。 |
本丸御殿
内堀を渡ると本丸御殿があらわれます。
本丸は1626年、三代将軍家光の命により増築されました。もとは天守閣が高くそびえ壮麗を誇っていましたが、1750年に落雷により焼失、また、1788年には大火による類焼で本丸内の殿舎もなくしました。
現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年から2年かけてここに移して建てられました。この建物は1847年頃に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っているもので重文に指定されています。
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内堀に架けられた西橋を渡ると茶室のある清流園にでます。
そこでお茶を一服頂きました。
京都から大阪へ
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二条城を見学後、大阪城に向かいました。
京都や大阪内の高速道路は大変複雑で慣れていないと苦労します。
京都から大阪に行くまでに何度も高速道路代金を取られました。 |
大阪城
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大河ドラマに何度も登場し、言わずもがなの大阪城ですが、以前訪れたのはだいぶ前でほとんど覚えておりません。また、訪ねてみたいと思い行ってみました。
訪れてみると、ここでは半数以上が外国からの観光者でした。総じてバスツアーで来ているようです。
大阪城は織田信長の没後、政治の指導権を握った豊臣秀吉が、1583年、大阪本願寺跡に築城を開始し、天下人の居城にふさわしい大城郭を築きあげました。
しかし秀吉没後、政権は徳川家に移り、1615年の大阪夏の陣により没落しました。
その後、家康は大阪城を徹底的に取り壊し、その上に新しい城を築きました。 |
外堀
駐車場は外堀の外側にあり、天守閣に行くにはかなり歩くことになります。
家康が大阪冬の陣で勝利し、秀頼はこの濠を埋めることを承認しましたが、確かに、この外堀を見ると、攻めるのはとてつもなく困難なのが推測できます。
なお、現在のこれら大阪城は豊臣秀吉が作った大阪城を徳川家康が徹底的に廃棄し、全く新しく作られています。いずれにせよ、とてつもなく大きく、東京の江戸城(現在の皇居)よりも広くなっています
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豊国神社
外堀に内側、二の丸に、大阪城を創建した秀吉を祀る豊國神社が作られていました。 |
桜門
二の丸から本丸に入るにはこの桜門を通りますが、この内堀には水がなく空堀になっていました。
門をくぐると巨大な石が現れます。 |
天守閣
豊臣の大阪城を徹底的に作り替えた徳川の大阪城の高さは天守台を含めて58.32メートルであったと見られています。
昭和に入り、陸軍用地であった旧本丸一帯の公園化計画が立てられ、昭和6年、竣工しています。建物は徳川大阪城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリートで作られました。その高さは54.8メートルです。
昭和に入り、各地で建てられた復興天守の第一号でもあり、復興された天守の中は博物館になっています。
過去の太平洋戦争では、空襲により雨あられの爆弾が投下されましたが、この大阪城は破壊から免れています。 |
エレベータで8階の展望台まで一気に登ることが出来ます。この展望台は地上50メートルで、広大な大阪城と大阪の町を一望できます。
2階から7階までは博物館になっており、2階と3階のみ写真が許可されていました。 |
ホテル 国際交流センター
今夜のホテルは埋め立て地に作られた大展示場に隣接する国際交流センターでした。
大阪も新しい設備がたくさん作られ発展しているようです。
下の写真は17階の部屋から撮ったものです。 |
3日目 竹田城址(兵庫県)、法華山一乗寺(兵庫県)観光
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竹田城跡は、兵庫県のほぼ中央付近にあります。 |
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天空の城、竹田城址
標高354メートルの山頂に位置する縄張りの規模は南北400メートル、東西100メートルに及び、現存する石垣遺構としては全国屈指のもので、日本100名城に選定されています。
自然石を巧みに配置した石垣は400年を経た今でも当時の威容を誇っています。
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城跡へ行くには山城の郷でマイクロバスに乗り、登山用のバス停まで行き、そこから歩いて登ります。 |
登山道は立派に舗装されていました。約20分ぐらい歩くと城跡に到着します。
この竹田城跡は日本のマチュピュチュとも言われ、それに似せて、パワーを与えるという石も後付けですが考案されていました。
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法華山一乗寺(西国二十六番)
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ホテルへの帰り道、姫路市に近い法華山一乗寺に立ち寄ってみました。
国宝三重塔があります。
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一乗寺は650年に建立されたといわれ、西国二十六番目の札所で、庶民信仰の霊場です。
国宝三重塔は平安末期の1171年に建立され、年代のはっきりした我国8番目の古塔です。
本堂までは、長い石段を3回登ります。
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4日目 仁徳天皇陵、神武天皇陵、橿原神宮観光後、自宅へ
仁徳天皇陵
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学校の教科書で昔習い、誰でも知っている古墳ですが、まだ行ったことがありませんでした。
いわゆる前方後円墳で、日本最大です。
墳丘は三重の円濠がつくられており、土の量から推定すると、毎日1000人が働いて4年かかると計算されています。その他、2万個以上もの埴輪の製作と運搬、中堤の築造などを考えると膨大な労力が費やされたものと思われます。
この陵は5世紀に建造されたと考えられています。
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奥まで進んでみましたが、内堀は全く見えません。航空写真がないと、古墳の内容を理解するのは困難です。
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神武天皇陵
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神武天皇陵は橿原市に位置し、橿原神宮と隣接しています。 |
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神武天皇陵を訪ねたところ、全くだれも居ませんでした。
また、航空写真がないと全体像をつかむのは難しいので、Google Mapより調べてみました。一辺が約100メートルの四角形の陵で、堀により周囲から区分けされています。
なお、神武天皇は古事記や日本書紀に書かれており、初代天皇ですが、いわゆる神話として分類されています。
この陵がいつ頃作られたかは定かではありませんが、少なくても日本書紀が作られた以前に実在していたのは間違いないそうです。 |
橿原神宮
ちょうど陶器市が開かれていました。
橿原神宮は初代天皇とされている神武天皇を祀るため、明治天皇が1890年、この地に官幣大社として創建しました。
奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者が多いそうです。 |
さざれ石
観光後、自宅に戻りましたが、連休の谷間ということもあって、渋滞は一度もありませんでした。 |
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