愛知県、鳳来寺山紅葉見学と
 
  長篠城址、半田市酒蔵などの観光ドライブ

2014年11月24日(月)~25日(火)


 そろそろ、東北の紅葉は終わりに近づいていたので、まだ行ったことのない愛知県知多半島に行ってみることにしました。

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 新東名を通り、鳳来寺の紅葉を見た後、その近くの長篠・設樂ケ原の戦い跡を見学し、宿へ行く途中の半田市で昔の酒造り資料館に寄りお酒を楽しみました。
 宿は知多半島の最南端の温泉でした。



鳳来寺山

 愛知県の紅葉の名所の一つ、鳳来寺山は標高が695mで、その頂上近くに鳳来寺が作られています。
 山の麓の鳳来寺仁王門(重文)からこのお寺まで、参道の石段の数は1425もあり、歩くと1時間ぐらい必要です。
 初めに作られたのは702年で、鎌倉時代に再建されています。昔の人はこの階段を上るしかなかったのですから、大変だったでしょう。
 私たちは車でお寺近くの駐車場に停めましたが、そこからは歩いて10分程度でした。
 ただ、今も、石段を登って来る人が沢山おりました。




東照宮

 お寺の近くに東照宮があったのでお参りしてきました。
 徳川家康を祀る宮で、日光東照宮、久能山東照宮と並ぶ三大東照宮の一つと称しています。他の二つと比べるとその規模は比べ物にならないほど小さいものでした



鳳来寺

 確かに、紅葉、真っ盛りでした。結構、石段を登って来る人が多いのには驚きました。



JR長篠城駅

 近くに長篠城址が有るらしいので、行ってみることにしました。
 車を適当に走らせていると、JR長篠城駅があったので、ちょっと寄ってみました。無人駅でした。
 このJR飯田線は豊橋駅(愛知県)と辰野駅(長野県)を結んでいます。



長篠城址史跡保存館

 長篠城は、織田・徳川連合軍と武田軍が戦った長篠・設樂が原の戦いで有名であり、NHK大河ドラマには何度も登場しています。
 長篠城は二股の川に守られ、平地である北側には深い堀が掘られていました。
 戦国時代、徳川軍は武田軍からこの城を奪い取り、武田軍の再攻撃に備え、家康は城を拡張し、防備を固めました。
 武田信玄の死後、家督を継いだ四男勝頼は、1万5千人の兵を引き連れこの城を奪い返そうと攻撃します。1575年でした。
 その時、長篠城を守っていた兵はわずか500名でした。城は川の断崖と堀に囲まれて居ましたが、食料の蓄えはわずかでした。城主はすぐに家康に援軍を要請しますが、家康の軍隊は8000人で、同盟を組んでいた信長に援軍を要請し、信長は3万人の兵と3千丁の鉄砲と携え、長篠に向かいました。その時、足軽には各々1本の木とそれらを結ぶ縄を持たせ、到着後馬防柵を作らせています。
 武田軍の重鎮たちは、信長の援軍到来を知り、戦いを中止し、撤退することを進言しましたが、勝頼は決戦を決断しました。
 当時は、同盟を組み相手の傘下に入るか、もしくは、決戦して相手を負かすしか生き延びる方策はなかった時代ですから、勝頼の決断にうなずけるところもありますが、結果的には大敗し、1万人もの死者と信玄時代からの有能な重臣を数多く戦死させています。 
 その時の信長軍鉄砲隊の三段撃ちはよく知られていますが、この戦いは鉄砲の威力を示した初めての戦いとして良く語られています。



新城市設樂原(しんしろししたらがはら)歴史資料館

 長篠・設楽が原の戦いを示す資料館で、主に、鉄砲の伝来から、鉄砲が日本全体に広がってゆく歴史と、長篠・設楽が原の戦いの様子がよく理解できるように作られています。
 屋上からは、遠くに馬房柵が見えます。
 織田・徳川連合軍に大敗し、甲斐の城に戻った勝頼は、上杉氏、佐竹氏などと同盟を結び、また、海外との貿易を活発にし、鉄砲の購入などにより領国の再建を図りますが、時はすでに遅く、長篠・設楽が原の戦いの7年後、織田、徳川、北条の連合軍に攻め込まれ、また、家臣たちの裏切りにより、天目山に逃げて自害しました。享年37歳でした。
 これにより、名門、甲斐武田家は滅亡しました。



 ここの馬防柵は100mほど再現されていますが、実際の馬防柵は全長で2kmもありました。


 途中立ち寄った半田市はお酒の街としても有名だそうです。
 酒の文化館は予約が必要と書いてありましたが、行ってみると誰もおらず、女性が出てきて、私たちのために30分ほど説明をしてくれました。
 最後に試飲コーナーがあり、無料でたくさんの種類を味わうことが出来ました。記念に数本、お酒を買い込みました。
 ここから今夜の宿までは家内が運転です。


 二階に上ると、杉玉が飾ってありました。朝ドラの「まっさん」で出てきた杉玉はかなりの大きさでしたが、この杉玉は直径が30cmぐらいでした。
 杉玉は杉の葉を集めて作りますが、最初は青々としており、それは新酒が出来たことを知らせるものだそうです。枯れてきて黄色くなるころは、お酒もかなり熟成されているとのことです。
 お酒用のお米は、一般のお米より大粒で、外側を削るほど、高級酒になるそうです。純米大吟醸酒はお米の芯のところでつくられ一番高級だそうです。
 なお、下の写真は一昔前の酒蔵で、今は、完全自動化された設備で作られるとのことです。
 削り落とした外側の部分は煎餅などに利用されるとのことでした。




2日目 帰宅

 朝から雨なので、どこも見学宇はせず、新東名を走り、家に戻りました。
 新東名は標高の高いところを通るため、紅葉が見ごろでした。





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