マイカーで佐渡島ドライブ
2017年7月12日~16日

 前回佐渡を訪れてからもう20数年も経つので、もう一度訪ねてみました。

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観光内容
1日目 自宅から新潟まで。途中、新潟県の弥彦神社参拝
2日目 フェリーで佐渡へ、金山跡など見学
3日目 佐渡を観光し、フェリーで新潟市のホテルへ
4日目 新発田城を見学し、湯沢グランドホテルへ
5日目 5日目 自宅へ戻る


     

1日目 自宅から新潟まで。途中、新潟県の弥彦神社参拝
 

 今日は新潟市までですが、途中、弥彦神社に寄ってみました。



 自宅から関越高速道路を利用し、新潟に向かいました。
 弥彦神社に近づくと大きな鳥居が現れます。駐車場に停め、参拝です。



 相撲場や弓道場、鹿苑などもありました。宝物館にも入ってみました。

 館内は写真禁止でしたが2階には天照大御神をはじめ、第1代の神武天皇から第125代今生天皇までの写真が飾れれていました。それら天皇の中に、かなりの女性天皇が居たのを学びました。


 参道はかなりの長さです。



弥彦山頂へ

 弥彦山の頂上へはケーブルカーで行けるとのこと、乗ろうとしたら、スカイウエーがあり、マイカーで無料で頂上まで行けました。頂上の駐車場も無料でした。
 昨年の夏、マイカーで函館山に登ったのを思い出しました。



観音寺

 弥彦山ドライブウエーの脇にお寺があったので寄ってみました。

 この聖観世音菩薩像は、スリランカとの友好の証であり、スリランカら贈られたと書かれていました。



 頂上に到着です。土産屋があり、展望台も作られていました。曇っていて見晴らしが悪いので展望台には登りませんでした。



 今夜の宿に到着です。

      

2日目 フェリーで佐渡へ、金山跡など見学

 フェリーは新潟港を9時20分に出港し、両津港到着は11時50分、乗船時間は2時間30分でした。
 両津港に到着後、いくつかのお寺見学した後佐渡金山を見学し、島の西側の道路を使用し北端のホテルに向かいました。


 佐渡汽船は佐渡の数か所の港から本土のいくつかの港をフェリーで結んでいますが、近年、島の人口が減って乗客が少なくなり、慢性的な赤字が続いており、幾つかの航路は廃止せざるを得ないようです。とにかく空いていました。


 出港に合わせて、ジャーン・ジャーンとドラムが打たれ、ついで汽笛が鳴りました。出港のドラムを聞いたのは久しぶりです。
 これも旅の素晴らしさです。



両津港から佐渡金山跡へ

 両津港に到着後、佐渡金山に向かいました。今日の宿は佐渡の北端です。夕方ホテルに到着するよう見計らって、何か所か観光してみました。



道の駅 芸能とトキの里

 道の駅と書かれていたので入ってみると、売店は全くなく、現在は研修所になっているようです。中国語を話す学生たちがたくさん集まって何か勉強をしていました。
 この道の駅のすぐ近くに能舞台跡があり見学してみました。
 江戸時代の初期、佐渡金山は大変賑わい、江戸の人口が10万人であったのに対し、佐渡には5万を越す人が集まり、佐渡には幾つもの能舞台が作られたそうです。


 佐渡市新穂近辺の風景です。



妙宣寺

 五重塔を持つ立派なお寺です。
 観光バスも停まっていました。
 日蓮大聖人の直弟子阿仏房日得の自宅を阿仏寺としたものが前身です。
 日蓮宗佐渡三本山の一つで、城址に移転新築後に蓮華王山妙宣寺と名乗りました。
 境内にある五重塔は新潟県内唯一のもので、国の重要文化財に指定されています。
 江戸時代に相川の宮大工茂三右ェ門親子が二代にわたり建立したといわれ、日光東照宮の五重塔を模したとされます。



国分寺

 駐車場がないので、道端に車を停め、見学してみました。



赤石屋

 赤い石が売られていました。車で来たので、安かったら買って帰ろうかと思い値段を聞いたら、私の車と同じぐらいの価格でした。
 それではとても買う気が起こりません。



順徳天皇御火葬塚



實相寺

 日蓮大聖人の像があるお寺です。



佐渡金山

 佐渡を代表する名所です。佐渡金山は江戸時代の1601年に開発が開始され、平成元年(1989年)に操業が停止されています。その間の約390年間にもわたる歴史が詰まった博物館でもあります。
 佐渡金山は2012年の放送大学の講座、博物館資料論の第8回目、「博物館資料としての近代文化遺産」と題して詳しく説明されています。そこでは、西洋から技術を輸入しそれを改良して日本の技術が発展していった近代化遺産の例として紹介されています。例えば、明治の中期になると、電灯やモーター用に電気が使われ、そのために作られた水力発電所なども紹介しています。
 佐渡金山は動かすことのできない不動産遺産として非常に価値が高いと述べられていますが、放送から5年たった現在の姿を見ると、現場はかなり荒れ果てています。放送では、金山の担当者が、この貴重な遺産を末永く保存するのが私たちの使命だと述べていましたが、実際は荒れるに任せているようです。
 ただし、観光客は非常に少なく、観光途中、誰にも会いませんでしたから、経営的には厳しいのかも知れません。



宗太夫坑

 共通券を購入し入口に行くと、宗太夫坑から見学するようにと指示されました。
 坑道内はかなりの上り下りがあります。
 当時を理解できるようたくさんの人形が作られていました。
 金の採掘に当たって、最大の問題は湧き水でした。



 坑道を抜けると展示館、土産屋へと続いています。



道遊坑

 もう一度、見学入り口に戻ると、今度は道遊坑の入り口を指示されました。こちらの坑道は比較的平らで、トロッコも走れるようになっていました。



 新潟県は酒の名産地です。坑道の中の気温は年中11℃に保たれているため、お酒の熟成所としても使用されています。
 坑道の新しい利用方法でしょうか、お酒が熟成されています。



 トロッコが通れる平らな長い坑道が続いています。


 坑道を抜けるとトンネルの掘削工事に使用する機械工場があります。明治から昭和の時代、西洋から技術を導入しました。
 佐渡金山は、後に三菱財閥に払い下げられましたが、平成元年、採算が悪化し金山は閉じられました。



 再び坑道を進むと別の広場に出ます。



搗鉱場(とうこうば)

 搗鉱場(とうこうば)とは、掘り出した鉱石を粉砕し、水銀によって金を回収する施設で、明治期に作られました。
 現存する物は、大正時代に建てられた建造物の基礎部分だそうです。


粗砕場

 粗砕場とは鉱石を砕く場所です。2012年の放送大学で使用された写真に比べ建屋は痛み、中には草が生えています。
 講義では鉱山の担当者が遺産をしっかりと引き継ぐのが大切だと述べていましたが、今の佐渡金山の担当者は、金山跡をしっかり保存してゆこうという意識がなさそうです。



道遊(どうゆう)の割戸

 江戸初期の露頭手掘り跡が見えます。
 まさか、この山が手掘りで裂かれたとは驚きです。



 再びトンネルを通ると、出口に出ました。

 駐車場近くから縦掘りの大立堅坑跡があり、また、先ほど見た道遊の割戸の青盤脈採掘跡が見えます。これは日本最大の露頭堀跡です。
 この立坑は日本最初の立坑で明治政府が技術を輸入して作られています。
 下の写真を見ると銘板が2枚吹き飛ばされたまま放置されていることがわかります。世界遺産に登録しようというのは掛け声だけのようです。

 

 金山見学後、佐渡の西側の道路を北上し、北端の宿に向かいました。
 すれ違いが困難なほどの狭い道もありましたが、対向車にはほとんど会いませんでした。
 まさにジオパークです。日本列島がユーラシア大陸から裂かれてそこに日本海が出現しましたが、その断崖の跡が至る所にみられました。
 今夜の宿は二ツ亀の近くですが、その少し前に大野亀があります。



ホテルに到着

 今夜の宿は佐渡最北端のSADO二ツ亀ビューホテルです。
 夕食中の午後7時10分ごろ、レストランのウエーターが夕焼けがきれいなので食事を中断して、見学したい方は庭に出てみてくださいと案内してくれました。
 この部屋から前庭に出てみました。
 北端ですから日の出も見ることが出来ますが、日の出は朝の4時半だそうです。


     

3日目 佐渡を観光し、フェリーで新潟市のホテルへ

 朝、ホテルを出て、トキの森公園やお寺などを見学し、新潟のホテルに向かいました。



 ホテルの前庭から幾つもの岩が見えます。岩の向こうにはぼんやりとした黒い影が見えます。拡大してみると小鳥たちが群がっていました。



ホテル真下の海水浴場

 ホテルから真下の海水浴場に行く道が作られていたので途中まで降りてみました。



大野亀

 少しUターンして昨日見た大野亀をもう一度見てみました。



 ここからは佐渡の東の道路を通り南下し、再び佐渡の観光パンフレットを見ながら幾つかの観光スポットに立ち寄ってみました。



トキの森公園

 昨日とまったホテルのウエーターさんと雑談していたとき、佐渡に来たのならぜひトキの森を見て下さいと言われ、訪ねてみました。



根本寺

 入り口から本堂までかなりの距離があります。



二王門



二天門




祖師堂



本堂
  



長谷寺

 坂を上るとお寺が現れます。



松ヶ崎ヒストリーパーク



 島の東側を通りフェリー乗り場に向かいました。狭い道が続きます。



フェリーで両津港から佐渡港へ

 出港時間は午後4時05分、新潟港到着は6時35分で乗船時間は2時間半です。
 船内はガラガラでした。



カゴメ

 たくさんのカゴメがフェリーを追いかけて来ました。遊んでいるのでしょうか。餌を探している様子はありません。



船内のゲーム室

 若者たちが楽しんでいました。


      

4日目 新発田城を見学し、湯沢グランドホテルへ

 今日のホテルは湯沢グランドホテルで、そこで子供夫婦や孫たちと合流することになっています。
 時間があるの、宿の近くの白山公園を散策し、次いで新発田城を見学してみました。



白山公園と白山神社

 ハスがちょうど見ごろとのこと、行ってみました。



 白山神社に参拝しました。



新発田城

 駐車場に車を停め、お濠を見ながら城の見学です。
 最初に見えてきたのが三階櫓です。櫓が3つある面白い天守です。鯱が3匹、T字型に配置されています。
 通常のお城の鯱は2匹が対をなして配置されています。
 昔の資料を基に復元されていて、間違いないそうです。
 下の写真の右端の鯱がT字の一番下に相当します。
  

 ボランティアさんがいていろいろと説明してくれました。
 塀の向こうは新発田自衛隊駐屯地です。
 遠くに三階櫓が見えます。自衛隊駐屯地の中にあり一般人は立ち入り禁止です。



辰巳櫓
 3つある櫓の中で、この櫓だけが見学できます。中は博物館になっていました。



 今日の宿は湯沢グランドホテルですが、そこで子供や孫と合流することになっていました。



新幹線・越後湯沢駅

 1歳の幼児が高熱を出してしまい、小4と小2の孫二人だけが来ることになりました。母親が東京駅で二人を新幹線に載せ、無事、越後湯沢駅に到着しました。
 もうひと家族は自家用車で2歳の孫を連れてこの宿で合流です。
 現在妊娠7ヶ月で、秋には孫がまた一人増えます。
 ホテルのチェックインは3時からなので、ロビーで少し待つことにしました。


      

5日目 自宅へ戻る

 自宅に戻る前に、ホテル近くの清津狭を見学し、11時ごろ出発、途中適当に休憩しながら自宅に戻りました。到着は午後4時ごろでした。
 孫たちは東京の自宅に帰らず、我が家に泊まることにしました。



清津狭散策 




自宅で将棋の特訓
 14歳の藤井聡太4段がプロになってから負け無しの29連勝し、将棋が大きな話題になっています。
 自宅に戻った後、小4の孫に将棋を教えてみました。全く初めての将棋ですが、駒の動かし方、相手の3線に入ると成れることなどはすぐに理解できました。
 早速8枚落ちで対戦してみました。
 端から攻めるとすぐに相手を崩せることも理解できるようになりました。
 今度我が家に遊びに来るときには勝てるようになっているとか言っていました。
 なお、囲碁はルールは簡単なのですが、なかなか理解できず、子供には将棋の方が面白そうです。



 次の日は家の近くの公園で昆虫採集です。 






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