パナマ運河とカリブ海クルーズ14日間

2017年12月9日(土)~12月22日(金)

トラピクス(阪急交通社)

 大学時代に卒論でお世話になった先生とは、卒業後も囲碁やゴルフで何かとお付き合いをしていましたが、先生は定年後、クルーズ船での海外旅行を度々楽しんでいるご様子で、その素晴らしさをよく話していました。また、私とほぼ同じ棋力を持つ碁敵も、100日以上もかかる世界一周のクルーズ船旅行とか、クルーズ船に乗り南極までも出かけています。
 しかし、クルーズ船内ではインターネットが衛星利用となりメール1通がほぼ千円もするそうです。友人とインターネットを利用し囲碁を打つ趣味の私はクルーズ船に乗ってみたいと思ったことはなかったのですが、家内が一度はクルーズ船にも乗ってみたいと言っており、まあ一度ぐらいは私も体験しても良いかなと思い乗ることにしました。
 家内がパンフレットを集め、アメリカのマイアミを出港し、ジャマイカ、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ケーマン諸島などを14日間で巡る旅を探し出してきました。出航は12月で、日本は真冬でしたが、訪問先は赤道にも近く暖かそうなのも気に入りました。
 旅の日程は、成田からボストン経由マイアミに行き、マイアミのフォートローダーデール港から出向し、ジャマイカ、コロンビアに寄港、観光後、パナマ運河を通過し、コスタリカとグランドケイマンに寄港、観光後、マイアミのフォートローダーデール港に戻り、マイアミを観光後一泊し、ボストン経由で成田に戻るものでした。
 今年の9月10日、超大型ハリケーン「イルマ」がカリブ海を襲い、甚大な被害をもたらしたように、カリブ海はハリケーンで有名ですが、12月を選んだのはそれを避けるためでした。しかしいざ行ってみると天候によるトラブルが相次ぎ、予定が大幅に変更になりました。
 変更の主な点は、最初の宿泊地ボストンに到着後、夜中に初雪が降り、早朝のマイアミ行き飛行機便が中止となってしまいマイアミからのクルーズ船の出向時間に間に合わず乗船できなったこと、そのため、やむを得ずマイアミに宿泊し、次の寄港地、ジャマイカに飛行機で行き、そこでクルーズ船に乗ることになったこと、その飛行機に乗せた私のボストンバックが飛行機に積まれなく、結局次の日に届いたこと、ジャマイカの港が強風で中々出港できず、その結果、コロンビアに行くことが出来ず、ジャマイカらパナマに直接向かったことなどでした。
 フォートローダーデールで予定通り乗船出来なかったため、私たち旅行者には、マイアミでのホテル代、マイアミからジャマイカまでの航空代金、ジャマイカでのホテル代と余分な費用が発生することになりました。それらの費用に関し、私たちのガイドさんから、旅行社の責任でもないので、これらの費用はすべて個人で支払ってくださいと言われたのには驚きました。やむを得ず、結局、旅行参加者は、カードを使用して各自支払うことになりました。
 私たち個人には全く責任のないトラブルですが、旅行社の責任ではないから別途生じた費用は各自、個人で支払うという、なんとも納得のゆかない旅のスタートとなりました。
 ガイドさんに言わせると、旅行する場合はこのようなトラブルに備え、保険に入っているのが常識で、阪急交通社の保険に入っている人は後で全額、戻ってくるそうです。私たちは別の航空会社の保険に入っており、盗難や病気に対しては十分な保証があるものの、このようなトラブルに対しては対応していないそうです。
 結果的には、余分に発生した宿泊代、飛行機代の半分を阪急交通社が支払い、残りは参加者個人の負担となりました。
 なお、クルーズ船に乗るのが2日ほど遅れたので、その分の返金があり、結果的には、持ち出しはほとんどありませんでした。



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観光内容 宿泊地
1日目 成田からボストンへ ボストン
2日目 ボストンからマイアミへ マイアミ
3日目 マイアミからジャマイカへ ジャマイカ
4日目 ジャマイカ:ダンスリバー滝登り 船中泊
5日目 終日クルージング 船中泊
6日目 終日クルージング 船中泊
7日目 パナマ運河通過とパナマ市観光 船中泊
8日目 コスタリア:バナナ園見学 船中泊
9日目 終日クルージング 船中泊
10日目 ケイマン諸島:グランドケイマン観光 船中泊
11日目 終日クルージング 船中泊
12日目 マイアミビーチとエバグレーズ国立公園観光 マイアミ
13日目 マイアミからボストン経由成田へ 機中泊
14日目 成田到着


 クルーズ船はすでに出港してしまっているので、マイアミからジャマイカに飛行機で向かいました。
 また、ジャマイカでの強風により予定通りの出向が不可能となり、コロンビア観光はキャンセルとなりました。


        
1日目 成田かボストンへ


 今回の阪急交通社によるカルビアンツアーの参加者は合計44名で、成田からマイアミまで3つのルートに分かれて飛ん行きます。
 私たちはボストン経由を選びましたが、そのツアーはJAL便のプレミアムエコノミー席を利用しているためでした。
 成田で添乗員さんにお会いし今日の参加者を尋ねたところ、3組のご夫婦で合計6名とのことです。それに添乗員さんが付いているのですから優雅な旅になりそうです。お互い搭乗口で自己紹介し、すぐに名前で呼びあうようになりました。
 便名はJL8便で成田出発18時30分、ボストン到着は同日の17時05分で、飛行時間は12時間35分です。
 確かに席はゆっくりとしており、特に行きの便では中央の3席を二人で使用出来たため快適でした。


 ボストン到着後、バスでホテルに向かいます。 もう雪が降っていましたが、ボストンでもこれが初雪との事でした。
 今夜の夕食と明日の朝食はツアーに含まれておらず、必要なら、各自食料を手に入れて下さいと、スーパーマーケットに案内されました。

 空港からホテルまで、約1時間でした。
 途中、車窓観光で、ガス灯通り、公園などを回りながら、ホテルに向かいました。
 以前来たときは、ハーバード大学、MIT、ボストン美術館などを観光しましたが、今回は宿泊のみです。


       
2日目 ボストンからマイアミへ

 ホストンのホテルを4時半に出発し、空港には30分ほどで到着しました。予定ではボストンを午前6時丁度に出発し、マイアミ着9時41分でした。
 全員が飛行機に乗り、シートベルトを締めて待っていたのですが、1時間たっても出発しません。
 飛行機の翼の上には氷が固まっており、作業者がそれを一生懸命下ろそうとしていましたが、とうとうあきらめたようで、飛行中止になってしまいました。
 カリビアンクルーズ船の出向時間は午後4時ですから、とにかく、それに間に合う便を探す必要があります。
 初雪だそうです。飛行機の翼には分厚い雪が積もっていました。

 添乗員さんがいろいろと便を探したのですが、良い便がなく、一番早いのがシカゴ経由フォートローダーデール空港に行くものでした。
とりあえずそれに乗り、出発です。ただし、預けた荷物はどうなっているのか、添乗員さんも見当が付かないとのことでした。たぶん別便でマイアミに来るだろうとのことでした。

 

 しかし、フォートローダーデール到着は午後3時43分です。到着時間が予定より遅れるのが当たり前のアメリカですから、よほどうまくゆかないと間に合いません

 空港には阪急交通社の係員が待っていて、私たちをすぐにクルーズ船に案内してくれました。しかし到着したのは4時20分ごろ、待つのもこれが限界だとして、港の門を閉じてしまいました。
 クルーズ船はポート・エバーグレイズから出港します。
 フォートローダーデール空港から車で約10分程度です。
 空港の出口には阪急交通社の社員が待機しており、すぐに船に向かいました。
 港に到着すると船はまだ停泊していましたが、そこへ行く門はすでに閉められていました。
 ダラス経由とロスアンゼルス経由で来た人たちはすでに乗船済みです。
 添乗員さんが携帯電話で門を開けるよう掛け合っていましたが、搭乗時間からすでに20分以上も経過しており、乗船の手続きなどを含めるとまだかなりの時間が必要なので、門を開けることは出来ないということでした。
 なお、バスを降りてから港の門まで、全員、駆け足で急ぎました。
 こんなに走ったのはもう数十年ぶりでしたが無駄な駆け足となりました。
 ただし、仮に乗船できたとしても、飛行機に乗る時預けた荷物はまだ届いていませんから、船内での暮らしはかなり不便だったと想像できます。
 少なくとも出港後開催されたフォーマルディナーへの出席は不可能だったでしょう。

 

 私たちの預け荷物を添乗員さんが電話で調べたところ、マイアミ空港に8時に到着する便で来るとここと、荷物は各自で運搬する必要があるとのことで、マイアミ空港で数時間過ごすことになりました。
 その後、空港で手荷物を受け取り、とりあえず旅行社が手配したマイアミのホテルにチャックインです。
 驚いたことに、クルーズ船に乗れなかったのは旅行社(阪急交通社)の責任ではないので、今夜の宿や、クルーズ船に追いつくまでの航空運賃、明日の宿泊代などは個人払いになるとのことでした。
 宿泊代は各自払いなので、各々自分のクレジットカードを使用してのチェックインでした。
 今日は午前4時半にホテルを出て、その後、1日かけてマイアミに到着ですが、相当疲れました。その上、これから船に乗るまでの費用は個人払いですので、泣きっ面に蜂とはこのことでしょう。
 夕食はバイキングでなかなかのものでした。

 今日のホテルはマイアミ空港に隣接しており、12日目にも泊まる、クラウンプラザマイアミインターナショナルエアポートでした。
 フォートローダーデールからホテルまでは約50㎞、45分でした。
 なかなか立派なホテルでした。
   


       
3日目 マイアミからジャマイカへ

 クルーズ船がマイアミを出港した後、次に寄港するのはジャマイカです。到着するのは明日ですが、今日の飛行機でジャマイカに飛び、そこで宿泊することになりました。
 マイアミ空港はホテルのすぐ近くにあります。
 マイアミ空港で搭乗手続きです。クリスマスが近いからでしょうか、係員も着飾っています。



ジャマイカ

ジャマイカの国旗

 独立記念日1962年8月6日に制定され、黒はジャマイカ国民の強さと創造性を象徴し、黄色は強い日差しとこの国の天然資源を象徴し、緑は将来への希望と豊かな農業を象徴しています。
 マイアミを午前10時にたち、ジャマイカ到着は約1時間後の11時少し過ぎでした。
 航空運賃も個人持ちですが、ガイドさんが一括購入してくれました。後で各自に請求するそうです。 
 ジャマイカの北にはキューバが、西にはケイマン諸島が、東にはジャマイカ海峡を隔ててイスパニョーラ島に位置するハイチとドミニカ共和国が存在します。

 ジャマイカは日本の秋田県とほぼ同じ大きさで、東西約235km、南北82kmの島国で、人口は270万人です。
 標高差のある島で、中央部には標高2256mを最高峰とするブルー・マウンテン山脈が連なっています。
 常に霧に覆われた山はジャマイカの水源であるとともに、良質なコーヒーの産地として知られています。

 島の北海岸はモンテゴ・ベイ、オーチョ・リオスに代表される世界でも指折りのリゾート地となっています。美しい白浜のビーチ沿いにいくつもの高級リゾートホテルが建ち並んでおり、どこも充実の施設を誇り、空港からの送迎までもがすべて料金に含まれるオールインクルーシブというシステムを採用しています。一方、南側にある首都キングストンは人口約65万人を抱えるビジネス、経済の中心地です。
 ジャマイカがコロンブスによって発見されたのは1494年5月のこと、その後1509年にスペイン人達が入植し、16世紀半はにはスペイン全盛時代となりました。各地にサトウキビ畑が作られ、その労働力としてアフリカから多くの黒人奴隷が連れてこられました。
ジャマイカは1962年にイギリスの植民地から独立し、英連邦に属する立憲君主国です。住民の多くは植民地時代に奴隷として連れてこられたアフリカ人の子孫で、その文化にも依然としてアフリカ的な色彩が強く残り、レゲエなどの独特のリズムを生み出しています。


 約1時間の飛行でジャマイカに到着です。ここで一泊し、明日到着するクルーズ船に乗ることになります。
 ところが私のボストンバックが到着しませんでした。ガイドさんが調べたところ、私の荷物はまだマイアミにあり、明日の同じ飛行機でこちらの飛行場に到達するとのことでした。
 したがって、今夜は下着一枚で寝ることになります。過去にもそのようなことがあり、その場合、旅行社は、下着などを購入してくれたとガイドさんに言ったところ、5000円までの下着なら旅行社が支払いますと言われ、家内とガイドさんが買い物に出かけました。ジャマイカと入ったTシャッツを2枚購入しました。
 今夜はそれを着て寝ることになります。


 ジャマイカの空港はかなり雑然としていました。さすが南国です。半袖の人が大半でした。

  

 ホテル、ホリディインにチャックインです。
 このホテルは以前経験したキューバの宿と同じシステムでオールインクルーシブです。すなわち、食堂やお酒など、すべての料金が宿泊料に含まれています。その分、宿泊代はかなり高くなります。ここも宿泊代は個人持ちになり、自分のカードでのチェックインとなりました。
 ジャマイカの緯度はフィリッピンとほぼ同じですが、ジャンバーを着ていても特に暑くはありませんでした。



 何はともあれ、無事の到着を祝ってみんなで乾杯です。オールインクルーシブなので、お酒も飲み放題です。


       
4日目 ジャマイカ観光後クルーズ船へ

 ホテルから外を見るとかなりの強風です。仮にクルーズ船が風のため港に着岸できないと、その先どうなるか心配です。
 分厚いジャンバーを着た従業員がいました。



 ホテルで朝食後、クルーズ船乗り場に出発です。クルーズ船は無事にフォルマス港に着岸したそうです。時々強い雨になります。

 とりあえずクルーズ船に乗り、手荷物を置き、その後、ダンスリバーに向かいます。




 遠くに我々のクルーズ船が見えます。一安心です。ただし乗船の許可がなかなか下りません。
 その間、周囲のお土産屋を回ってみました。



ダンスリバー滝登り

 乗船許可が下り、自分の部屋に荷物を置き、急いで、ダンスリバー滝登りのためのバスに乗車です。
 なお、各部屋のカードキーは前もって添乗員さんがら配られていましたが、乗船するとき、各自の顔写真がカードキーに登録されました。
 下船し観光後に乗船するときは必ずカードキーと顔写真が一致しているかチェックされました。
 私の荷物はすでに船に乗っているとのことですが、すぐに受け取ることは出来ませんでした。
 部屋に手荷物を置き、すぐに下船し、観光バスに向かいました。
 バスは阪急交通社が借り切ったもので合計44名です。このバスは遅れてきた私たちを待っていてくれました。
 滝登り場に到着するとすごい雨です。仮に日本でこれだけの雨が降っていれば、出歩く気にもなりませんが、水をかぶりながらの滝登りなので雨など関係ないのでしょうか。
 私の場合、海水パンツはトランクの中で、着替えることが出来なかったので、滝登りは中止せざるを得ませんでした。その代わり、家内たちの滝登りの風景を写真に収めました。


 グループごとに現地のガイドさんが付き、ガイドさんは参加者の名前を確認していました。

 

 かなり高齢の方も滝登りに参加していました。多くの人が登る為でしょうか。岩肌には苔などがなく、すべることはなかったそうです。
 かなり険しいコースと、緩やかな登りのコースがあります。妻たちのガイドさんはなぜか左側の急流に案内したようです。そのため、水が胸までつかり、動きが取れなくなってしまい、数人が断念して戻ることになり、妻も滝登りを断念したそうです。
 緩やかな滝を選んだ人たちは、手を繋いで登って来ました。
 それにしても、急流の中、皆さん、お元気です。
 日本ではたぶんこのような滝登りのツアーは許可されないでしょう。すべて自己責任のようです。
 日光の中禅寺湖に流れ込む竜頭の滝を思い出しました。

       
「ジャマイカの滝も踊れり喜雨の沸く」  ひとみ

 

  

 船に戻ると、私のトランクは受付(ホテルならフロント)に預けれれていて、中身をチャックしたいと言われました。持ち込み禁止のお酒類が入っていないかを調べてみたいということのようです。なを、シャンパンもしくはワイン1本に限り持ち込みは許されています。実際、私のトランクにはワイン1本が入っており、それ以上は持ってきていないので全く問題はありませんでした。余分に持って来た時は、フロントが預かり、下船するときに返してくれるそうです。
 今日からはマイアミに戻るまで宿は船になります。
 船に戻り、午後5時半から、決められたレストランで夕食です。私たち、阪急交通社の参加者44名用の座席は一応、定められていました。
 アルコール類は有料で、ビールでもワイングラスでも約千円ぐらいでした。
 船内では現金を使用せず、すべて、部屋の鍵(カード)で決済され、前もって届けたカードから引かれるそうです。
 



 夕食後、船内を少し散策しました。

 エレベータールームに表示されていた船室の内容です。
 4階から始まり19階まであります。
 4階は出入り口と医務室で、7階はレストラン、劇場、美術館、カジノルーム、売店などがあり、15階にはバイキング食堂、16階から19階まではスポーツジム、映画館、プールなどがあります。
 5階から15階まで、7階を除き客室があります。下の階ほど揺れが少なく、かつ部屋も広くなります。
 窓のない部屋もあり、話によると、昼だか夜だか分からなくなるそうです。

 私たちの部屋は11階でした。 
カリビアンプリンセスの主な仕様

乗客定員 3,142人
乗組員数 1,200人

総トン数 112,894トン
巡航速度 24ノット(44Km/h
全長    290m
全幅    36m
船籍    バミューダ
建造年(改装年)  2004年(2011年)  


        
5日目 終日クルージング

 昨夜の20時に出向するはずであった船が朝になってもまだ泊まっています。強風のため出港できないのだそうです。
 結果的にコロンビアに行くことは出来なくなり、船は一路、パナマ運河へと向かうことになりました。

 

 朝、昼、晩の食事は6階の阪急交通社指定の場所で取ることになっていますが、15階のバイキング場でも取ることが出来ます。
 結果的に朝食を6階で取ったのはこの日と最終日だけでした。
 席に座りウエーターを待ち、メニューから食事を頼み、料理を待っているよりは、好きな食べ物を自由に自分で選ぶバイキングの方が私たちには適しています。
 朝食は2個の目玉焼きと分厚いステーキでした。


 船内の風景です。時々、運動のための体操などが用意されています。


 テレビの画面です。 今どこにいるか、常に表示されています。



インターネットカフェ

 船内のインターネットは衛星通信になる為、通信速度は極端に遅く、メールが精々で、画像やソフトのダウンロードはほぼ不可能とのことでした。
 しかし通信料金は非常に高くなっています。

 

 私たちの部屋は海が見えるベランダ付きの部屋です。 今回は携帯用の13.3インチのパソコンと17インチのパソコン2台を持参しました。
 船内で10日も暮らすには13.3インチでは小さすぎるためです。
 カメラはいつも使っているGPS付きのものと、超高感度デジカメ、超軽量デジカメの計3台を持参しました。いずれもポケットに入る小型のデジカメです。



 15階にはプールがあり、映画も上映されていました。映画を見ている人は数名しかおりませんでした。



ファインアートギャラリー

 これらの絵は後でオークッションにかけられます。いずれの絵もプロの作品でその腕前は相当のものです。ただし、芸術性よりは売れ易さを優先しているように見えます。ほんとうに見ていて飽きることがありません。
 ただし、我が家では飾る場所がありません。

 
 狭い廊下が船の両側にあります
 各階を結ぶエレベータは船の前方、中央、後方の3か所あり、部屋を出てから直接それらのエレベーターに行くには便利です。

 細い廊下が、船首の部屋から、船尾の部屋を結んでいます。



 部屋の中にはポットなどはありません。安全のためだそうです。
 私たちは11階ですが、15階のバイキングルームと後方のエレベータを使うとすぐに行くことが出来ます。
 バイキング場からは、食事や飲み物など、すべて持ってくることが可能です。
 時々、コーヒーを持ってきてベランダに出てゆっくりとした海の旅を楽しみます。



 今夜もデナーは6階の指定の場所にしました。
 3食とも6階のデナー室で食べるとかなり太ると思います。


       
6日目 終日クルージング

 今日は快晴です。風もほとんどなく、穏やかなクルージングとなりました。

 

 15階のバイキング場です。朝の6時から午後の11時まで常に空いています。ただしアルコールは有料です。
 ビールやワインは大体8ドル、千円です。日本で通常食べるレストランよりは多少割高ですが、日本の高級ホテルよりはずっと割安です。


 7階のデッキは船を一周しています。この船の長さは290mで、1周すると600mぐらいなります。歩数計を見るとちょうど1000歩でした。
 運動のため5周しました。ランニングをしている人もいました。

 

 たくさんの作業者がベランダ周辺の補修をしていました。その人数には驚きました。この人たちは日によって補修する場所を変えるのでしょうか、次の日には会いませんでした。



 ダンスを兼ねた体操教室です。ここで約30分ぐらい輪に加わりました。


 なお、自分の部屋でも、パソコンで毎日テレビ体操をしました。
 テレビ体操は10分間ですが、通常、自宅では計3回、30分間体操をするのが日課になっています。


オプショナルツアーの紹介

 これから訪れる観光地の案内が映画で紹介されていました。画面はコスタリカのバナナ園観光でした。

 

 今日は快晴ですが、風の強い日は、泳げないよう網が張られていました。
 カラオケ大会です。歌う人はすでに決められているようでした。
 皆さん、相当お上手でした。



 私たちもダンス体操に加わりました。




       
7日目 パナマ運河通過とパナマ市観光

パナマ

 パナマの国旗

1903年のコロンビアからの分離独立時に初めて掲揚され、1904年に正式に議会で承認されています。1925年に白地と星の配置を変更し、現在のデザインになっています。
 国土は北海道よりわずか小さく、人口は403万人です。
 なんといってもパナマ運河で有名ですが、数々の話題を提供したパナマ文書も有名です。
 主要輸出製品はバナナ、エビ等魚介類、パイナップルなどです。
 
 パナマ運河を通過する船は1日平均37隻で、利用国順位で見ると、米国、中国、日本、チリ、メキシコの順になっています。
 太平洋側及び大西洋側に第三閘門を建設する拡張工事が2016年6月に完成しています。

パナマ運河は10年の歳月をかけて1914年に開通しています。長らくアメリカによる管理が続いて来ましたが、1999年12月31日正午を持ってパナマに完全返還されています。現在はパナマ運河庁が管理している国際運河です。船籍、軍民を問わず運航が保証されています。


パナマ運河

 下の2枚の写真は同じ所を描いています。パナマ運河の中心部には人工的に作られた海抜26mのガトゥン湖があり、その海抜を保つように、大西洋側と太平洋側には閘門(水位を保つために作られた水門)があります。
 ガトゥン湖は周囲の川から流れ込む水により水位が保たれていますが、乾季にも大丈夫なような対策もされています。
 ガトゥン閘門には3つの閘門があり、ペトロ・ミゲルには1か所の閘門が、ミラ・フローレスには2か所の閘門があります。
 船が海から運河に入って来ると、その後ろの閘門が締められ、ガトゥン湖からの水が注ぎこまれ、船は徐々に持ち上げられてゆきます。すなわち、船を持ち上げるエネルギーは、カトゥーン湖の水位の高さによるものです。

 

 いよいよコロン港に入港です。暗いうちからベランダで外を眺めていました。
 パナマは運河を作ったために国が東西に分割されています。それらの大陸を結ぶための橋が建設されています。
 クルーズ船はその橋の下をゆっくりと進んでゆきます。
 何やらこのクルーズ船の両脇に小さなボートのような船がピタッと付いてきています。船を曳航したり、横風が吹いてきたとき、船が流されないようにするためのようです。


 15階のレストランは午前6時から開始されます。とりあえず、朝食です。


 いよいよ、運河に入ってきました。船の先頭に行ってみると、すでにたくさんの人が陣取っていました。



 前方に閘門がみえます。その向こうの運河の水位はこの船よりも約13m高くなっています。当然ながら海面の満ち引きによって異なって来ます。クルーズ船は小型の船により曳航されてゆきます。
 この運河は2016年6月に開通した新しい運河で、その幅は49mあり、このクルーズ船の幅36mに対し、片側6.5mの余裕があります。 
 船はゆっくりと進んでゆきます。
 その後、船はしっかりと縄で固定されます。
 左に見えるのが船の後ろを閉める閘門です。


 その後、クルーズ船の後ろの閘門が締められ、ガトゥン湖の水が注ぎこまれます。
 船は徐々に持ち上げられ、クルーズ船の前の閘門の水位と同じになると、閘門が開かれ、船は前に進んでゆきます。
 まるでパズルですが、船を13m持ち上げ、さらに13m持ち上げるには3つの部屋が必要となります。そのため、4枚の閘門が必要になります。2回持ち上げられると、ガトゥン湖と同じ水位になります。
 船の後ろの閘門が閉められると、それが道路としても利用されるようです。たくさんの車が通りだしました。但し一方通号の交互通行でした、
 



 しばらく進むと再び同じことが繰り返され、船の水位はガトゥン湖と同じになります。

 閘門です。これが横から出てきて運河を塞ぎ、水を留めます。
 船が運河の中央を通るように調整しています。

 

 船の後ろに行くと、別の船が入ってきました。


 自分の部屋からもテレビで運河通行状態を見ることが出来ます。

 

 いよいよガトゥン湖に到着です。ここで全員が下車し、パナマ観光に出かけます。



テンダーボート

 船が接岸できるピアがないので、テンダーボートに乗って陸に上がります。
 グループごとに集まる場所が決まっていて、順番にテンダーボートに誘導されてゆきます。
 クルーズ船は、今来た運河を通ってコロン港に戻ります。
 私たちはパナマ運河展望台から、船が通る様子を見学後、パナマ市内にバスで向い、その後、鉄道でコロン港に戻り、再び乗船します。


 我々のクルーズ船が見えます。乗船者全員分のテンダーボートがあり、万一の場合も全員避難できるそうです。


パナマ観光

 今日の観光ルートです。
 展望台で観察後、バスでパナマ市の先端に飛び出したバイーヤ・デ・パナマに行き、帰りは鉄道でした。



パナマ運河展望台 

 運河を通る船を見るために展望台が作られています。
 なお、この運河の向こう側にもう一本の運河が作られ、昨年より運航が開始されたため、船を見ることが出来るチャンスが減ったそうです。

 

 貨物船が入ってきました。コロン港に向かっています。
 多少風が向こうから吹いてきます。貨物船が風で航路がそれないよう、必死に押しています。強風の場合は運航が中止になるのでしょうか。


 パナマ市先端のバイーヤ・デ・パナマに向かいました。

 上の写真は初代大統領を祈念して作られたモニュメントで、左は現代美術館だそうです。

 

 帰りは列車です。出発時間は午後3時でしたが、乗客が全員そろったということで、2時45分に出発しました。予定時刻より早く出発したのには驚きました。たぶん、前もって予約している観光客しか乗らないのでしょう。



 コロン港に停泊中のクルーズ船に戻りました。入り口にはテントが張られ、民芸品などが売られていました。



 家内がお土産にハンドバックを2つ買いました。1つ10ドルでした。かなり精巧な作りなのに安価でした。



 建設途中の橋が見えます。


      
8日目 コスタリカ観光

コスタリカの国旗

 1906年に制定されています
 面積は九州と四国を合わせのとほぼ同じで、人口は480万人です。
 言語はスペイン語で宗教はカトリック系が多数を占めています・
 中南米では最も民主化が進んでおり、教育水準も高いのでが、1990年頃より麻薬のため治安が悪化しているようです。
 



 リモン港に入ってきました。同時にもう一隻のクルーズ船も入ってきました。お互い、桟橋を挟んて停留しました。


 バイキングでの朝食の中身は大体同じです。もちろん人によって全く違いますが。


 オプショナルツアーがたくさん用意されていました。私たちは鉄道を利用したバナナ園見学を選びました。
 桟橋を出ると、ツアーごとにプラカードを持った人が立っていて、指定したバスへ案内していました。

 バスに乗る時、バスのガイドさんが、私たちが持っていたチケットを受け取り、チケットは返してくれません。
 約3時間のツアーですが、その間、どうなるのだろうかと心配しましたが、全く問題ありませんでした。
 なぜなら、乗物から1歩も外に出なかったからです。
 ガイドさんは、かなり話がうまく、3時間、づっと話し続けていました。


 バスは港に面した町の中を通り、列車乗り場に向かいました。



 列車は2両編成で機関車の後ろに2台の客車が繋がっていました。
 列車のプラットフォームはありません。バスを直接列車に横付けし、バスから列車に乗り換えます。これなら迷う必要はありません。
 鉄道に乗り換えると、列車はゆっくりと海岸線に沿って走ってゆきます。
 途中、動物などが見えると停車します。
 私たちが座った列車の座席は、車両の一番後ろなので、私たちを乗せてきたバスが後ろに見えます。
 この電車は外が良く見えるよう、ガラスがありません。また、真後ろのプラットフォームには鉄の棒が1本横に置かれたままです。
 この列車は終点まで進むと、そのままバックして戻ります。そのため、列車の後ろには運転用のハンドルなどがあります。
 なお、参加した日本人は私たちだけで、ガイドさんの案内はすべて英語でした。。
 車内の様子です。

 

 列車から見た風景です。

 右側には海が見えます。



 途中、ポテトチップスならぬバナナチップスが配られました。
 私にはポテトチップスの方がおいしく感じました。



 列車はさらに進みます。ところどころにバナナ畑が見えます。
 バナナには青い網が掛けられていました。


 列車の終点で、降りることなく、先回りしてきたバスに乗り移ります。
 バナナ畑の広さにはほとほと驚きました。
 なお、これらのバナナは収穫後すべて切り取られ、新しい苗が植えられるのだそうです。約半年で現在の大きさになり実をつけますが、収穫後、実をつけることはないのだそうです。
 約3時間の観光後、船に戻ってきました。自分の部屋に入ったのは午後1時ごろでした。
 このバナナ畑観光ツアーは午前の部と午後の部があり、午後の部の人たちは、私たちと全く逆のルートを走るようです。そうすることによって、列車は帰りも観光客を乗せて帰ることが出来ます。



 昼食は味噌ラーメンにしました。ラーメンが出るのは昼だけです。



 コスタリカとパナマには1時間の時差があり、時計を再び戻すようにとの紙が机の上の置かれていました。



       
9日目 終日クルージング

 今日はケイマン諸島に向かって終日クルーズです。
 これからは北上するので船の右側にある私たちの部屋からは日の出を見ることが出来ました。


 今日は天気が悪そうです。雨が降ってきました。熱帯雨林地帯なので、天気はめまぐるしく変わりました。



 ビンゴゲームが開催されていました。約200$ぐらい掛けるようです。

 

 風が強いため、歩いていると常に船が揺れているのを感じます。ただし、新幹線などの揺れよりは弱く、ほとんど問題にはなりませんでした。
 今日は甲板を歩いている人はほとんどおりませんでした。




カジノルーム

 バルーンドロップ用の風船玉が用意されていました。


 今まで飾られていた絵のオークッションが行われていました。



 フォーマルディナーなどでの写真が売られていました。これら写真をカメラで撮らないようにと書かれていました。当然です。


 年齢別の育児所もありました。


 大きなスクリーンの映画館です。
 風が強いため、プールには網が掛けられていました。


 航海中、2度ほどフォーマルディナーが開催されました。私たちは乗り遅れたので1回目のフォーマルディナーには出席できず、最初で最後のフォーマルディナーでした。


 オペラ歌手によるプロダクションショーが行われていました。その美声には感動です。


      
10日目 グランドケイマン観光


 朝、ケイマン諸島のグランドケイマン島に到着しました。


 朝食はいつもほぼ同じです。この後、フルーツ類を頂きます。




 いろいろなクルーズ船と行き合います。


 毎日、自分の部屋のパソコンでテレビ体操です。


 テンダーボートに乗り島に向かいました。

 午後1時半前までに船に乗る必要があります。



ケイマン諸島

 タックスヘイブンの島としてよく知られているイギリスの海外領土島です。
 グランドケイマン島、ブラックケイマン島、リトルケイマン島の3つの島から成り立っています。
 最大の島、グランドケイマン島の面積は石垣島とほぼ同じで、人口はわずか60万人です。
 おもな産業は観光で、高級住宅が軒を連ねています。


 とりあえず、自分の足で約30分、周囲を散策です。すべての製品はTAX Free ですが、決して安いわけではありません。

 左の地図の小さな円が歩いたところ、長く伸びているのがトロリーバスでの観光ルートです。


その後、トロリーバスで市内の見学です。


 サンゴ礁からなる島なので、砂浜はほとんどありません。



 トロリーバスを降りて船に戻りました。


 クルーズもいよいよ終わりに近づきました。
 明日は終日クルーズで、明後日早朝、マイアミに到着します。


       
11日目 終日クルージング

 マイアミに向けて終日クルージングでした。

 料理教室が開催されていました。その後、厨房の見学会が行われました。



 従業員も加わったダンスショーが行われました。


 最後のデナーです。デナー終了後いよいよフィナーレです。ナプキンを振って楽しかった旅を祝いました。


      
12日目 マイアミ観光

 朝の7時にフォートローダーデール入港です。最後の日もバイキングにしました。



 たくさんの船が停泊しています。


 いよいよ、クルージングが終わり下船です。

 日本から来た添乗員さんは合計3名です。お互い、助け合って皆さんを誘導していました。



 フォートローダーデール港からバスでマイアミ観光に出かけます。今日の宿は前回、泊まったと同じでした。


 マイアミビーチを歩いてみました。さすが真冬ですから、泳いでいる人はいませんでした。

 美しいビーチが南北16㎞に渡って連なっています。
 世界を代表するビーチです。


 いったんホテルの行き、チェックインです。



 午後はフロリダ州にあるエバーグレーズ国立公園観光です。
 エバーグレーズ国立公園の面積は日本の山口県とほぼ同じで、全体が湿地帯になっています。
 ボートに乗っての観光ですが、ボートの後ろに風車を背負っています。仮に一般のボートのような水中のスクリューでは草が回り付き、動かなくなってしまいます。海底は浅く1mもありません。
 時々ワニを見つけると停まります。
 昔、レンタカーを借りてドライブした時、ワニを見つけ写真を撮ろうと車を降りて少し歩いていると、蚊の大軍が襲ってきて、急いで車に逃げ込んだのを思い出しました。今も夏になると蚊に悩まされるそうです。



 ワニにはクロコダイル科とアリゲーター科に分類されるのだそうです。
 2種類のワニを手に持ち、その違いなどを説明してくれました。
 家内が本物のワニを手にもって写真を撮ってもらいました。ワニの口は開けないよう縛られています。
 かなり冷たかったそうです。


 国立公園からホテルへ向かいました。途中、雪のないマイアミで、屋根に雪をかぶった家がありました。クリスマスの準備でしょうか。
 ベットには抱き枕が置かれていました。



     
13日目 マイアミからボストン経由、成田へ

 ホテル出発は早朝の4時30分でした。マイアミを6時55分発のAA-1509便でボストンへ向かいます。マイアミでは少し時間があったので AAのラウンジを使用しました。
 ボストン着は10時11分で、飛行時間は約3時間15分でした。



 国内線ターミナルから国際線ターミナルへバスで移動です。
 ボストンの出発は約30分遅れて12時55分でした。
 JALの長距離国際便はビジネスクラスが飛行機全体の半分を占めています。プレミアムエコノミークラスの席は比較的少なめでした。


 来た時とほぼ同じルートで、北極圏を通ります。
 成田までの飛行時間は14時間です。



       
14日目 成田到着

 もうすぐ、無事、成田に到着です。

 成田到着は、午後、5時ごろでした。



 初めてのクルーズ体験でしたがリピーターの多いのには驚きました。たぶん、リピーターには特別な特典があるからかも知れません。
 クルーズの最大の利点はホテルの移動がないことです。ゆっくりとした旅を楽しめます。但し、観光地は港の近くに限定されてしまいます。港から出て、内陸部で宿泊するツアーもあるようですが、その場合、荷物の運搬などのクルーズの利点が失われてしまいます。
 クルーズ中は携帯電話が繋がらず、かつ、インターネットもメールの送受信程度なので、世間の雑事から解放される利点があります。また、主婦にとって食事を用意する心配のないのも良さそうです。しかし、普通の旅行でも一般に3食付きですから、クルーズの特典では無さそうです。
 その他、映画館、カジノ、劇場、絵画館、スポーツジムなどたくさんの設備が用意されていますが、その気になれば我が家の近くにはそれらよりも素晴らしい設備が沢山あり、わざとクルーズ船に乗る必要は無さそうです。
 旅行前のニュースと言えば、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したこと、北朝鮮のミサイル発射、大相撲日馬富士の暴力事件などが大きなニュースとなっていましたが、帰ってきた今でも、それらは相変わらず大きな話題となっていました。
 なお、今回の旅行に当たっては、アメリカを経由したり観光もしましたが、そのためにアメリカビザの申請が必要でした。従来ならインターネットでESTAの申請をすればそれで済んでいたのですが、今から1年ほど前にイランを訪問していたため、新たにビザを取る必要があったのです。ビザの申請はインターネットでアメリカ大使館のビザ申請窓口にログインし、旅行の目的などを記入し、それが許可されればアメリカ大使館に出向き面接を受けることになります。申請などすべてが英文で書かれていたため、取得に当たって家内はだいぶ苦労したようです。大使館での面接は、窓口で数分、イラン訪問の目的、訪問場所などを聞かれ、その後許可が下りました。通常なら数千円のESTAですが、ビザの申請に当たっては一人当たり2万円ぐらい掛かりました。







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