京都観光・駅前の京都新阪急ホテルで8泊9日
家内が京都で二日間、室町時代に完成された生花の立花正風体の研修を受けることになり、私も京都観光をしたかったので一緒に出掛けました。なお、JALのマイレージポイントの期限がそろそろ切れそうなので、それを使用することにしました。新幹線を使用すれば東京、京都間は2時間と少しですが、飛行機を使用すると、羽田から伊丹空港まで飛び、そこからバスで京都に戻ることになります。しかし、JALパックを利用したので、飛行機代とホテル代がすべてJALマイレージポイントで支払われました。 |
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再生速度は右下の三つの点を押すと早くしたり遅くしたりできます。 |
1日目 自宅から京都駅前、京都新阪急ホテルへ
本来のスケジュールは明日の飛行機で行く予定でしたが、どうやら台風20号が明日の夜に京都を直撃するため、明日の午後の飛行機は欠航となりそうなので一日早めました。今日は晴天で飛行には全く問題がありませんでした。
今回の旅は思い切って京都駅前の京都新阪急ホテルに8泊することにしました。スーツケースなどは前もって宅急便で送ったので、身軽の旅でした。なお、伊丹空港から京都へは約20分おきに空港バスが走っており伊丹空港から京都のホテルまで簡単に行くことができました。 |
京都新阪急ホテル
駅前なのでやむを得ないのでしょう。フロントはあまり広くありませんが機能的です。大浴場はありませんでした。
京都は景観保護のため高層ビルがなく、このホテルは9階が最上階で、そこに泊まることができました。
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窓を開けると京都タワーが目前に現れました。
タワーを見るには一番良い部屋のようです。
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2日目 智積院、三十三間堂、京都国立博物館などの観光
予想通り、今夜には台風20号が京都を横切るようです。そのため午後の観光は無理そうです。
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赤○は京都駅近くの観光地で今回訪ねた場所です。とりあえず、今日は京都の東側にある智積院と三十三間堂、京都国立博物館を見る予定にしました。
智積院は初めてですが、三十三間堂はもう何度も行っています。 |
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今日の深夜には台風が京都を直撃するとのことですが、まだその影響はなさそうです。
タワーの電灯は夜遅くなると消されるようです。
午前中は台風のためそれほど暑くなく、観光にはよさそうです。
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朝食付きの宿泊プランにしましたが、洋食と和食があり、和食は少し狭い部屋でした。1回だけ和食にしてみましたが、ジュースやコーヒーをたくさん飲みたいため、私たちには洋食の方が向いてます。 |
ホテルを出るとすぐ前に地下街に行く階段があります。京都の地下鉄は線路の数が少なく分かり易いのは良いのですが、一般にエスカレーターやエレベーターが少ないのには驚ろかされます。丹念に探せば見つかるとは思いますが、初めての人には戸惑います。 |
台風のため、暑くないのには助かりそうです。
智積院(ちしゃくいん)
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久しぶりの京都なので、歩き方がよくわかりません。
とりあえずホテル前からタクシーで行ってみました。
ホテルから約1kmぐらいのところにあります。
成田山新勝寺の総本山であることは知りませんでした。 |
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受付から中に入るとすぐ近くに宝物館があります。内部は写真禁止なのでパンフレットを転写しました。
4面がすべて障壁画で囲まれた素晴らしい宝物館です。
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講堂
講堂内にはたくさんの襖絵がありましたがそこは写真禁止でした。その脇を通り先に進むと名勝庭園に出ます。
宝物館内は作品を保つため薄暗くされていましたが、庭園の前にこの複製が造られていました。
長谷川派の傑作・金箔障壁画です。
名勝庭園です。先ほどは右側から見ましたが、今度は左側から見てみました。
わずかな空間にも石庭が作られていました。
金堂 智積院の中心的な建物で昭和50年に再建されています。
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総本山智積院の中心的な建物であり、金堂と呼ばれています。
宗祖弘法大師のご生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建設されました。そのため、鉄筋コンクリートで作られています。
堂内には昭和の祈りを込めた本尊大日如来の尊像が安置されています。
毎朝の勤行、総本山としての多くの法要はここで厳修されます。
以前の金堂は、元禄14年(1701)3月智積院第10世専戒僧正が発願し、桂昌院(徳川5代将軍綱吉の生母)より与えられた金千両を基に学侶からの寄付金を資金として、宝永2年(1705)春に建立されました。しかし、明治15年(1882)に火災により焼失しました。 |
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明王殿
お堂の中で数名のお坊さんがお経を上げていました。館内は撮影禁止でした。
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明王殿は、昭和22年(1947)の火災により仮本堂であった方丈殿が焼失した際に、明治15年に焼失した本堂の再建のため、京都四条寺町にある浄土宗の名刹、大雲院の本堂の譲渡を受け、現在の講堂のある場所に移築した建物です。
その後、平成4年(1992)に、講堂再建にともなって現在の場所に移築されております。
ご本尊は不動明王様で、明王殿は不動堂とも呼ばれます。 |
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三十三間堂
京都駅に近いこともあり、昔、関西地方に出張したときは、京都で途中下車し、何度か歩いて拝観に行ったことがあり、好きなお寺の一つです。 |
写真禁止のため、頂いたパンフレットをコピーしました。
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木造二十八部衆立像
国宝。寄木造、彩色、玉眼。像高は最大の大梵天が169.7センチ、最少の摩和羅女が153.6センチ。『一代要記』には、建長元年(1249年)の火災では二十八部衆像は救い出されたことになっているが、現存の像は技法・様式から鎌倉復興期の作とみなされている。二十八部衆は、千手観音の眷属であり、千手観音を信仰する者を守護するとされている。28体の中には四天王、金剛力士(仁王)のようになじみ深いものと、金大王、満仙王のように由来のはっきりしないものとが混在する。『千手観音造次第法儀軌』という経典に基づく造像とされるが、三十三間堂の各像の名称は必ずしも経典と一致していない。また、図像的にみて、寺伝による像名が必ずしも本来の像名でない例も見られる。これらの像は本来は本尊像の両脇を取り囲む群像として安置されていたものであるが、近代になって堂の西裏の廊下に一列に安置されるようになり、20世紀末に現在のように千体仏の前面に配置されるようになった。やせ衰えた老人の肉体をリアルに描写しつつ、崇高さを失わない婆藪仙人(ばすせんにん)像は28体の中でもよく知られている。 |
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京都国立博物館
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明治古都館(赤い建物)は現在使用されておらず、新しく造られた3階建ての博物館になっています。
この博物館は展示品の入れ替えのために閉館が多く注意が必要のようです。
1階に展示されているたくさんの仏像には感動します。
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室内は写真禁止でしたので、博物館のホームページからいくつかの作品をダウンロードしてみました。詳しくは京都国立博物館のホームページをご覧ください。
国宝をはじめとする非常に多くの作品を有しており、展示作品を頻繁に交換しているようです。 |
観光後、ホテルに戻り、一休みした後、すぐ近くの東本願寺に行ってみました。まだ風はそれ程ではありませんでしたが、電車が止まるとの情報もあり、店を閉めたところも多そうでした。
東本願寺の門も閉められていて中に入ることは出来ませんでした。 |
どこかのテレビ局が京都駅前で台風の影響を放送していました。
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ちょうど真夜中の12時ごろ、台風が京都の上を通過しました。
特に被害はないようでした。 |
3日目 京都御所、 仙洞御所、京都国立近代美術館、平安神宮などの観光
京都御所
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最近、京都御所が一般に開放され、予約なしにだれでも見学できるようになりました。見学は無料です。
到着順の案内になりますが、参加者は待合室に集まり、案内者に付いて廻ることが出来ます。約30分おきに案内があるようです。
案内者なしで自由に見学することも可能です。
私たちは開館開始の9時丁度の案内に加わりました。参加者は約35名でした。
案内者の話を聞くかどうかは自由で、面白くないと思えば、自由に歩いてよいそうです。
今までで一番混んだのは桜の時期だそうです。なお、冗談だとは思いますが、話が面白くなかったのか、最後まで案内者に付いてきた人が一人だけだったこともあるそうです。
案内者の話は結構長いので、私たちは途中から聞くのをやめ、道順の印に従って先を急ぎました。
申し込み許可の必要な仙洞御所へ10時半までに行く必要があったためです。 |
ホテルから京都御所へは地下鉄烏丸線に乗り今出川駅で降り、そこから歩いて約15分です。
京都御苑の入り口はたくさんありますが、今回は乾御門から入りました。京都御所に一番近い門です。
京都御所の観光
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御所内の案内は左の図の赤線のところです。案内板が置いてあるので迷わずに見学することが出来ます。
私たちの見学は9時から10時までの約1時間でした。
興味があれば午後5時まで見学していることも可能です。
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案内者に付いて見学すると約1時間10分かかるそうです。場合によっては1時間半になることもあるそうです。
御車寄
儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関です。公卿:殿上人など、限られた者だけが使用しました。諸大夫の間や清涼殿、小御所などと廊下でつながっています。 |
新御車寄
大正4(1915)年、大正天皇の即位礼が紫宸殿で行われるに際し、馬車による行幸に対応する建艦んとして新設されました。天皇が御所の南面から出入りされた伝統を踏まえて南向きに建てられています。 |
諸大夫の間
月華門
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この門の先には紫宸殿があります。
月華門(げっかもん)は、内裏を構成する内閤門のうちの一つで、紫宸殿南庭(なんてい・だんてい)の西側の門です。現在の京都御所にも古式に則って再建されたものが伝わっています。
見学者はこの門を通らず、下の写真の右側を回って脇の門から入ります。 |
紫宸殿
京都御所の中心です。
清涼殿
天皇がお住まいになったところです。砂の庭を囲んで建物が造られています。建物を一周するとよい運動になりそうです。
春興殿
清涼殿をでると、先ほど通った春興殿にでます。かなり広い砂庭があります。
遠くに建春門が見えます。
御池庭
蹴鞠の庭
御内庭
御常御殿
御三間
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見学が終わり、次の見学場所、仙洞御所に向かいました。 |
仙洞御所
京都御所を出て仙洞御所に向かいました。歩いて10分ぐらいかかりそうです。
仙洞御所を見学するには前もって許可をもらっておく必要があります。家内がメールで申し込み、10時半集合のグループの許可を貰っています。見学は無料です。 |
この部屋に参加者が集合し、出発を待ちます。
台風の余波でしょうか、どうやら雨模様です。
ここは案内者に従って歩くシステムで、勝手に歩くことは出来ません。
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今回歩いた場所が赤線で示されています。
大宮御所を庭から見て、その後は池の周りを歩きました。
大きな池があるだけで、それ以外には小さな家があるだけでした。
紅葉の時期は良いのかもしれません。 |
大宮御所を離れ庭園に入ります。
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以上で見学は終了でした。どうやら雨が上がってきました。 |
いったんホテルの戻り昼食をとり少し休んだ後再度観光に出かけました。午後は京都国立近代美術館と京都市美術館にしたのですが、京都市美術館は改修中で見学できませんでした。
地下鉄にもだいぶ慣れてきたので地下鉄東山で下車し京都国立近代美術館まで歩いてゆきました。
京都市美術館は休館のためその近くの平安神宮に行ってみました。以前、桜の時期に訪れたことがあります。京都市内の桜の中では最高クラスだったのを覚えています。
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京都国立近代美術館
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展示室は4階のみでした。
総じて写真は禁止でした。
東山魁夷展は数日後からだそうで、まだ開催されてはいませんでした。
東京国立近代美術館と比べると規模は、はるかに小さい上に写真禁止が多いのには驚きました。 |
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山口華揚 1899-1984
白露
第6回改組日展
1976年度 作者寄贈 |
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山口華揚 1899-1984
「白露」 大下図
2006年度 山口和子氏作者寄贈 |
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山口華揚 1899-1984
日向
第5回日展
2016年度 山口和子氏作者寄贈 |
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山口華揚 1899-1984
神鹿
紀元2600年奉祝日本画展
2016年度 山口和子氏作者寄贈 |
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岡田謙三 1902-1982
入江
1974年度 購入 |
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芹沢銈介 1895-1984
型染紙漉村文着物
1968年度 購入 |
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窓から平安神宮の鳥居が見えます。その向こうは京都市美術館です。 |
平安神宮
昔、桜の時期に訪れその素晴らしさに感激したのを覚えています。
庭園は有料になります。桜で有名ですが紅葉もよさそうです。
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この近くにバス停があり、バスでホテルに戻りました。
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地下鉄へ行くにはかなり歩く必要があり、バスの方が便利です。外人の多いのには驚きです。
ホテルに戻り、地下街のレストランで夕食です。
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さすが関西です。NHK総合テレビですが関西特有の番組のようでした。 |
4日目 奈良県 飛鳥寺、キトラ古墳などの見学
家内が所属する俳句クラブの先生が京都へ行くならぜひ飛鳥寺の見学も推薦するよと言われ行ってみることにしました。
JR京都からJR奈良に行き、そこでレンタカーを借り、飛鳥寺に向かいました。奈良駅から約25kmの所にあります。 |
今回の訪問マップです。
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赤○は今回訪れた場所で、青○の神武天皇陵と橿原神宮は2014年5月1日に訪れています。
いわば、このあたりが古墳時代と飛鳥時代の中心地のようです。 |
中に入ると説明員がいて、いろいろと解説してくれました。写真はOKとのことでした。
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本尊の国重要文化財で現存する最古の金銅仏とされる飛鳥大仏(釈迦如来座像)は609年(推古天皇17年)に、止利仏師によって造られた日本最古の仏像です。鎌倉時代の火災で顔と手以外が失われ、補修されたと記す文献があり、当初の部分が少ないと考えられ、国宝には指定されていません。
残存部分を巡っては大部分が後世の補作だとするなど諸説があったが、2016年大阪大の蛍光X線分析を使った科学的な調査で右手と顔の部分が造立当初のものと考えられることが分かりました。
旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)に焼失し、室町時代以降は荒廃しましたが寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建され今に至っています。
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阿弥陀如来坐像 (木造 藤原時代)
堂々とした量感、写実的表現は藤原の特色をよく伝えている。 |
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上の写真は飛鳥大仏(釈迦如来坐像)です。
聖徳太子孝養像 (木造 室町時代)
太子十六歳のとき、父用明天皇のご病気回復を祈願されている姿である。 |
むかし、日本史で習った日本の年代は縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代と続きますが、この地域一帯が古墳時代と飛鳥時代の中心地だったと思うと、何かロマンを感じます。 |
万葉文化館
万葉のふるさと・奈良にふさわしい『万葉集』を中心とした古代文化に関する総合文化拠点として、国内外から多くの人たちが訪れ、楽しみ、学ぶことのできる機能と魅力を備えた「万葉文化館」が平成13年9月15日(土)、明日香村に開館しました。
万葉文化館は、日本の古代文化に関する調査・研究機能、万葉に関する文化の振興を図る展示機能(万葉ミュージアム)、万葉集に関する情報の収集提供を行う図書・情報サービス機能(万葉図書・情報室)を併せ持つとともに、事前の発掘調査で明らかにされた文化財についても、その保存に努めるとともに、復原展示などで創造的に活用することにより、遺跡と共存する総合文化施設をめざしています。
『万葉集』は、古く5世紀から、8世紀にかけて詠まれた4,500余首を収めたわが国最古の歌集で、日本人の心の古典、言葉の文化遺産といえます。そのなかでも、奈良を対象に詠まれた歌が最も多く、また、県内各地には『万葉集』ゆかりの歴史的風土・自然景観が多く残されています。 |
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飛鳥寺のすぐ近くにあったので立ち寄ってみました。 |
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館内のコーヒーショップで一休みです。 |
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この地での発掘調査で昔の住居跡が発見されたとのことです。
文化財保護のため、そこはそっくる埋め戻され見ることは出来ませんが、その上に発掘現場と同じ状態の住居跡が再現されています。
ボランティアさんが何人かいて、いろいろと説明してくれました。 |
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明日香村は景観保護のため、民家の高さなどが制限されているのだそうです。
同じような民家が続いています。
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岡寺
この地を代表する古いお寺です。
国営飛鳥歴史公園館
この周辺にはいろいろな施設が作られています。この施設は高松塚古墳のために作られたようです。
キトラ古墳
古墳は鎌倉時代に荒らされ、壁面だけが残されています。内部を調べるため細い穴をあけ、ファイバスコープにより内部を観察したそうです。 |
キトラ遺跡の展示館が作られていました。
見学後奈良に戻りましたが途中かなり渋滞しており車を返す時間午後6時ギリギリでした。
5日目 京都迎賓館、蘆山寺、西本願寺など
今回は地下鉄烏丸線の丸太町で降り、蛤御門から京都御苑に入り、迎賓館に向かいました。
京都迎賓館
最近、申し込み不要で見学が出来るようになりました。午前9時から見学が可能です。9時に行くとまだ人はまばらでした。
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ここから地下1階の受付まで歩いて行きます。なお、エレベーターもあるようです。
地下では手荷物検査などがあり、入場料金1000円を支払い、エレベーターで迎賓館入り口に行きます。
地下では写真禁止でしたが、それ以外はすべて写真可能でした。 |
正面玄関
聚楽の間
夕映えの間
藤の間
桐の間
庭園
次の参観者が列を作っていました。私たちが来たときは列は全くありませんでした。
次の見学地、蘆山寺に行くため、清和院御門から出ました。
蘆山寺
紫式部が住んでいたところで、源氏物語をここで書いたのだそうです。
清和院御門から出たすぐ近くにあります。
素晴らしいお寺ですが、内部は写真禁止でした。
寺の中には素晴らしい仏像や絵がたくさんありましたが、写真は禁止でした。下の写真はパンフレットからの複写です。
いったんホテルに戻り昼食をとった後、ひと眠りして、近くの西本願寺に出掛けてみました。
興正寺(こうしょうじ)
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西本願寺に接しており、京都駅から歩いてゆくと、注意していないと西本願寺と勘違いしてしまいます。
基本的に、西本願寺とは異なるとのことです。
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西本願寺
京都を代表するお寺で世界遺産にも登録されています。
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西本願寺には2つの門があり、京都駅から行って左の1つ目が左の写真の御影堂(ごえいどう)門で、この門と道路を挟んで向こうにある門が総門です。
今回は御影堂門から入りました。 |
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この先に見えるより立派な門が阿弥陀堂門です。
お寺を参拝後、この阿弥陀堂門から出ました。 |
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御影堂の前で靴を脱ぎ、ポリ袋に入れて堂内に座り参拝です。その後、廊下を通り、阿弥陀堂に向かいました。廊下を通るとお坊さんが二人、丸太を叩いて音を出していました。 |
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左の門が阿弥陀堂門で、右側は手前に手水舎、その向こうにお茶所が見えます。 |
お堂の後ろには庭園があり、それを見たかったのですが、「もうすぐ5時になるので門を閉めます」とのアナウンスが数回あり、阿弥陀堂門の方に向かいました。 |
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阿弥陀堂門から出て御影堂門前から総門へ行き、そこからホテルに帰りました。 |
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この道を歩いてホテルに帰りました。
とにかく暑いので私自身も雨傘を日傘の代わりに使用してみました。
夏のゴルフでは通常日傘をさしながらプレーをするのが当たり前なのですが、街中で日傘をさしたのは今度の京都が初めてでした。
とにかく今年の夏は記録的な猛暑で、熱中症で亡くなった人もたくさん出ていまさす。男性も街中で日傘をさした方が良いというような助言がされていました。 |
今夜は窓のカーテンを閉めずに寝ました。思い出になります。
6日目 家内は立花生風体の研修。私は東寺、西本願寺、東本願寺の観光
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朝方、京都タワーを見ると電気が消えていました。節電なのでしょう。 |
池坊、立花正風体研修 1日目 (家内のみ)
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研修用の花器を持っているので、今朝はホテル前からタクシーで研修場へ向かいました。研修所は六角堂近くでさほど遠いところではありません。 |
東寺
今日は一人での京都散策です。東寺には過去数回訪れていますが、たくあんある国宝の仏像に圧倒された記憶がありもう一度行ってみたいと思っていました。
とりあえず、駅前のバスで東寺行きに乗り、南門で降り五重塔を見ながら東寺の南大門に向けて歩いて行きました。 |
東寺の境内に入ります。ここにはだれでも自由に入ることが出来ます。
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南大門から入ると、正面に金堂が、 左右に八幡社宮が見えます。 |
拝観受付
ここで入場券を購入し、金堂、講堂などを拝観します。まず、庭園を通り先ほど入った南門近くの五重塔に向かいました。
金堂
薬師三尊(重文)があり、中央に薬師如来座像が、両脇には日光、月光菩薩像があります。中央の薬師如来坐像の台座は十二神将(重文)です。
堂内は写真禁止なのでパンフレットからのコピーです。 |
講堂
講堂の中には後ろの方に狭いながら長い椅子があり、それに腰を掛けたりしながら30分ぐらい仏像を見ていました。その間、訪れた参拝客は3名程度でした。暑いので参拝者がいないのでしょうが、堂内はそれ程暑くはありませんでした。 |
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堂内には21体の仏像があり、そのうち、16体が国宝で、中央の5体の仏像が重文です。
国宝の仏像の数には驚かされます。 |
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東寺の入場券を購入したとき、観智院も共通券になっているので、東寺の北側にある観智院に行ってみました。初めて訪れるお寺です。 |
観智院
お寺の内部は写真禁止なのでパンフレットからのコピーです。
東寺から西本願寺へ
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観智院の入り口で西本願寺への行き方を聞いたところ、歩くのはとても無理で、タクシーを利用するか、バスを利用するようにと言われました。
確かに私を見れば、このような老人が歩くのは無理と判断したようです。
しかし、スマホで地図を見るとタクシーやバスを探しているよりは歩いても行けると判断しスマホを見ながら歩いて行きました。
大した距離ではないのですが暑さには参りました。
昨日行った西本願寺にもう一度行きたかったのは、見逃してしまった庭園を見ようと思ったからです。
なお、左の図の濃い青線はバスの経路です。ただしバスを降りたのは東寺の南門で、青線の色が少し違っています。 |
興正寺
西本願寺近くで道に迷い、入ったところは昨日も見た興正寺でした。
西本願寺
もう一度来た目的は庭園を見たかったからですが、一応もう一度写真を撮ってみました。
左が御影堂、右が阿弥陀堂です。昨日よりは分かり易い写真が撮れました。暑さのためでしょうか、参拝者はほとんど居ませんでした。 |
係員に庭の入り口はどこかと聞いたところ、現在は公開していなとのこと、やむなくホテルに昨日と同じ道を通って帰りました。
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いったん部屋に戻り、ビールと弁当を室内で取りその後ひと眠りです。 |
東本願寺
ホテルのすぐ近くにある東本願寺に出掛けました。
御影堂と阿弥陀堂がありますの御影堂の方が少し大きく、左右の並びは西本願寺とは反対になっています。お堂の約200mの東側に名勝庭園「渉成園」があります。西本願寺は世界遺産になっていますが東本願寺はなっていないようです。 |
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真宗大谷派(東本願寺)
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左の写真が阿弥陀堂です。
阿弥陀堂門から入るとその前にあります。
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上の写真が御影堂門で
左の大きなお堂が御影堂です。
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西本願寺とは違い、内部の写真は禁止でした。
西本願寺と違い、このお堂には仏壇などはありませんでした。 |
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家内の研修風景です。
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立花正風体とは室町時代に完成した生け花だそうです。
東京でもこのような研修会が行われていますが、都合で出席できず、京都での研修となりました。
研修は2日間で、朝9時から午後5時までです。
出席者は21名だったそうです。
先生がいろいろと説明しながら立花正風体で見本の生け花を作り、そのあと参加者はそれと全く同じ生け花を作ります。
ビルの地下にお花屋さんがあり、参加者はめいめいそこでお花を購入しこの部屋に持ち帰って生け花を作り、先生からいろいろと助言を頂くのだそうです。 |
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7日目 広隆寺、無鄰菴、渉成園などの観光
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今日はそれ程暑くなさそうです。
今日も家内は研修なので一人だけの観光です。 |
広隆寺
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京都に来た時には第一に行きたいと思うお寺ですが、今回は久しぶりです。電車を乗り継ぎ、太秦広隆寺駅下車でした。
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途中、1両編成の路面電車、嵐山本線に乗り換え、太秦広隆寺駅で降りるとすぐ前が広隆寺です。
広隆寺境内
霊宝殿
頂いたパンフレットのコピーです。
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目玉は国宝第一号の弥勒菩薩(半跏思推像)ですが、寄木造りの千手観音(藤原朝)、聖徳太子16歳像(鎌倉期)など、飛鳥、天平、貞観、藤原、鎌倉それぞれの時代を代表する仏像が安置されています。(国宝20点内仏像17点、重要文化財48点内仏像31体)
内部は写真禁止なので、インターネット検索によるコピーです。 |
無鄰菴へ
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京都御所の見学会に参加したとき、案内者がアメリカの庭園雑誌が選んだ日本の庭園によれば1位が足立美術館、2位は桂離宮ですが、京都御所の庭園は50位にも入っていない。今なら桂離宮の入場料は無料だが10月になると1000円取られるから早くいった方が良いですよ、とか言っていました。
インターネットで調べたところ7位に無鄰菴が選ばれていました。京都にはまだまだ素晴らしい庭園がたくさんあり、どのような選定基準で決めたのかはわかりませんが、とにかくまだ無鄰菴へはまだ行ったことがないので訪ねてみました。
地下鉄東西線の蹴上駅で降り、そこからスマホを頼りに歩いて行きました。 |
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右側は南禅寺で、このトロッコ電車は琵琶湖-京都間の運河を通る船を運んだトロッコです。 |
無鄰菴入り口
非常に分かりにくい入り口です。
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「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関の草庵である。名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。 あるいは『論語』「徳不孤必有鄰」
"徳は孤ならず、必ず隣あり" にあるかもしれない。
第二の無鄰菴は、京都の木屋町二条に購入した別邸、そして 第三の無鄰菴が京都・南禅寺参道前に造営した別邸で、「無鄰菴会議」の舞台ともなった場所である。
敷地は三角形の形状で、広さ約3100平方メートル[1]。現在は1941年に寄贈されて京都市が管理している。その庭園は1951年(昭和26年)6月9日、国の名勝に指定された[2]。
数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館、および広い日本庭園からなる。山縣は明治25年ごろから準備を始め[3]、1894年(明治27年)に造営に着手、明治29年完成[4]。洋館の設計は新家孝正で明治31年に竣工。
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ここが入り口です。昔からそうなのでしょう。
まずは2階建ての洋館の見学から開始です。 |
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洋館から庭におり、今度は日本間の見学です。 |
これからは庭におりて一周です。
庭園を散策後、ホテルに戻り休憩です。
家内の研修風景です。
渉成園散策
ホテルで一休みした後、東本願寺渉成園の見学に出掛けました。ホテルから十分に歩いて行けるところにあります。
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立派なパンフっとを頂きました。
今日はそれ程暑くはありませんが、広い園内には私以外に香港から来たという子供連れのご夫婦だけでした。
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再び東本願寺の御影堂門に戻ってきました。
ヨドバシカメラ
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駅前にヨドバシカメラがあり、外人で賑わっていました。
昔はよく利用しましたが、私の場合、現在は価格コムでの通販利用が多く、電気店での購入はほとんどなくなりました。
ここにはマッサージチェアが置いてあり、たくさんの外人が利用していました。珍しいのでしょうか。 |
京都駅内観光
昔、出張できた時はよく駅内を散策しましたが、最近は新幹線を利用しないので久しぶりです。試しに一番上まで行ってみました。
伊勢丹デパートの大きさには驚きました
なお、この約10日後に台風21号が京都を直撃し大被害を及ぼしましたが、この天井のガラスが破損し、地面まで落下した様子がテレビで放映されていました。 |
駅前からの風景です。左側に京都中央郵便局が、正面に宿泊している京都新阪急ホテルがあります。
ホテルに戻ったら、もう家内は研修を終え帰っていました。一緒に夕食に出掛けました。もうだいぶ京都の地下街のレストランにも慣れてきました。 |
8日目 修学院離宮、青蓮院門跡、知恩院、宮廷鵜飼船乗船など
修学院離宮
見学には申し込みが必要ですが、家内がメールで申し込み、幸い今日の第一番目のグループに入ることが出来ました。見学は9時スタートで約1時間かかります。見学料は無料です。 |
地下鉄で国際会館駅まで行き、そこからバスで修学院離宮バス停に向かいました。
本日の見学ルートです。参観者休所に集まり、そこから寿月観、客殿、隣雲亭、窮邃亭を見学し参観者休所に戻り、見学は終了します。 |
全員が集まり、案内スタートです。
最初は下離宮の寿月観です。小さな階段を上ると寿月観と庭が現れます。
次は中離宮の客殿、楽只軒に向かいます。通路の両脇には松が植えられ、農作業する人から見えないようにしているのだそうです。
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後ろには常に皇宮警察の腕章をつけた見張りが付いてきます。 |
中離宮
楽只軒と客殿があります。
次は上離宮の隣雲亭です。かなり坂を登ります。その分、見晴らしがよくなり、京都市内がよく見えます。
上離宮
隣雲亭です。
ここからは浴龍池の中に作られた窮邃亭をとおり、修学院離宮の入り口に戻ります。
窮邃亭です。
天台宗・青蓮院門跡(しょうれんいんもんせき)
知恩院の隣にあり訪れてみました。門跡寺院とは門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のことです。
京都五箇室門跡
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(注1)の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡(注2)の一つに数えられています。青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(注3)とされております。
(注1)天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院
(注2)五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡
(注3)門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。 |
これからは庭に降りての観光です。
ご自由にお叩きくださいと書かれていたので打ってみました。素晴らしい鐘の音でした。
隣の知恩院に歩いて行きました。すぐ近くにあります。
知恩院
青蓮院門跡寺院のすぐ近くにある北門から入りました。かなり坂を登ってゆきます。
拝観ルートに従って見学しました。
御廟
かなり高いところにあります。
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リックを持ったお坊さんでしょうか、大きな声でお経を上げていました。
たくさんの人がここでお経を上げられるようです。 |
長い階段を降りると経蔵に出ます。
三門まで降りてきました。隣に友禅苑があり見学しました。
三門
さすがに大きな門です。この門をくぐると長い登り路になります。
バスを乗り継いでホテルに戻りました。
宮廷鵜飼い見学
鵜飼ショーは嵐山観光ダムで行われます。嵐山まで大覚寺行きのバスで行き嵐山駅で降りると京福電鉄嵐山駅の丁度前だったので、飾り電灯で照らされた駅構内を覗いてみました。 |
宮廷鵜飼船
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8時出発なので、7時半ごろ行ってみましたが、もう、足元はかなり暗くなっていました。
前に出発した鵜飼船がまだ鵜飼いの見学中でしたが、しばらくすると船は一斉にこちらに戻ってきました。
乗合船と宮廷鵜飼船の違いは船の屋根の飾りの違いだけでした。船に乗ってしまえばその差はなさそうです。
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今度は私たちが到着した船に乗り込み鵜飼ショー開始です
船はゆっくりと上流に向かって進んでゆきます。時々鵜飼船が私たちの船の周りを廻って、鵜飼の様子を見せてくれます。
日本にもこのような船があるのに驚きました。タイでの水上マーケットを思い出しました。ただしここではこの一隻だけのようです。
風でけっこう船が揺れる上に周囲は真っ暗ですから写真を撮るのに苦労します。乗船時間は約1時間でいた。その間、月がだいぶ上がってきました。 |
京都の地下鉄はエスカレーターが少なく乗り換えが不便なのでバスの方が楽です。乗車料金は市内均一で230円でした。
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いよいよ今夜が最後です。思い出に残るタワーになりました。
お盆の提灯のようにも見えるし、ろうそくの様にも見えます。
上りたいとは思いませんが、今となっては京都の名所のようです。 |
9日目 伊丹空港から羽田経由で自宅へ
今日も天気は良さそうです。
タワーの周りにはたくさんの鳥が舞っていました。 |
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荷物は宅急便にしました。国内旅行はこれがで出来るので助かります。 |
来た時とは逆で、京都駅前から空港バスで伊丹空港に向かい、羽田からは電車で自宅に戻りました。
記録的猛暑が続いた8月でしたが、そのためもあってか、京都の観光地は大変閑散としていました。
今振り返ると、日傘をさしての移動でしたが、お寺の中はそれほど暑くなく、お庭を歩いていても暑かった記憶はあまりありません。
すばらし1週間だったような気もします。春や秋は桜や紅葉に気を取られてしまいますが、それを避けるのも一味ありそうです。家内と話し合って、次回は12月にもう一度行くことにしました。
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