京都観光
 京都センチュリーホテルに泊まり6泊7日

 2018年12月6日~12日

 

 今年の8月、猛暑の中を京都駅前のホテルに泊まり、7泊8日間の京都観光をしましたが、猛暑のため閑散としており、混雑を避けた京都を楽しむことが出来ました。それでは冬も余り混まないだろうとこの12月に出掛けました。
 幸い、ほとんど寒さを感ぜず、ゆっくりと観光することが出来ました。紅葉もまだ少し残っていました。



大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
   
 全画面にしてご覧ください。1枚目から2枚目に移る際、時間のかかることがあります。
 ただし、2枚目からは軽快に動きます。


観光内容 歩数
1日目 自宅より関空経由、京都センチュリーホテルへ 9,500
2日目 鞍馬寺、貴船神社、泉沸寺、久邇宮・賀陽宮墓地、大福時、芬陀院 21,300
3日目 大覚寺、松尾大社、桂離宮 11,500
4日目 金戒光明寺、聖護院門跡、石清水八幡宮、北野天満宮 18,600
5日目 八坂神社、花見小路、建仁寺、南座、錦市場 龍安寺 18,200
6日目 黄躄山萬福寺、伏見稲荷大社 9,500
7日目 京都より関空経由自宅へ 7,500



      
1日目 自宅より関空経由、京都センチュリーホテルへ

 今回もJALのパッケージツアーを利用しました。往復とホテル代込みの料金となります。そのため飛行機を利用する必要がありますが、今回は伊丹空港ではなく、8月、台風で被害の大きかった関空を利用してみました。もう完全に復旧していました。
 飛行機はJAL225 羽田発 12:30  関西空港着 14:00 でした。朝夕の飛行機はかなり混雑しており予約が大変ですが、この時間は比較的空いています。
 何時ものように羽田のJALラウンジで一休みです。ビールが楽しみです。今日は雨でしたが明日からは天気が良くなるようです。



関空から京都へ

 関空と京都は直行バスもありますがJRも「はるか」という専用特急列車を用意しており、関空と京都を約30分おきに結んでいます。
 今回は「はるか」を利用してみました。



京都センチュリーホテル

 今回の宿、京都センチュリーホテルは駅からわずかに離れており、雨が降ると数十mの距離ですが傘が必要となります。
 10階建てのホテルですが、泊まった部屋は4階で見晴らしはあまり良くありませんでした。
 


 お風呂が寝室から見えるようになっていました。必要ならカーテンもあります。洗い場も日本式な作りになっていました。なかなかよく作られています。
 国内なので宅急便を利用し荷物一式を送っておいたので、画面の大きい15.7インチのノートパソコンが使用できます。



 夕食を取ろうと、8月に来た時よく利用したボルタに行ってみました。



    
2日目 鞍馬寺、貴船神社、泉沸寺、久邇宮・賀陽宮墓地、大福時、芬陀院



 ホテルのエレベーターホールです。ここからは駅が良く見えます。

 
 


 朝食はバイキングです。

 



 私の大好きなサーモンが食べ放題でした。



鞍馬寺、貴船(きふね)神社

 JR京都駅からJR東福寺に行き、そこで京阪本線に乗り換え出町柳駅で叡山電鉄鞍馬線に乗り換えです。
 貴船の地名や駅の名前は貴船(きぶね)ですが、神社の名前だけが「きふね」と呼ぶのだそうです。まずは鞍馬寺に行きました。
 叡山電鉄鞍馬線です。2両編成でした。鞍馬駅は終点です。
 出町柳駅からおよそ30分です。



鞍馬寺

 鞍馬駅に到着すると、出口には鞍馬天狗のお面が飾られていました。
 鞍馬寺に登るには歩くと約30分かかるそうですが、現在はケーブルカーが作られ、乗車時間は約2分、日本一短い鉄道だそうです。
 ケーブルカーの終点多宝塔からは、容易に鞍馬寺に行くことが出来ます。
 帰りはケーブルカーに乗らず、つづら折り参道を通りました。



鞍馬天狗

 少年時代の源義経(牛若丸)に剣術や兵法を教えたと言われるのが鞍馬山に住む天狗だそうです。
 義経は16歳まで鞍馬寺に預けられていましたが都からは外れたひっそりとした場所であったため誰からも注目されずに武芸を磨いておりました。



 土産屋の並ぶ参道を登ると鞍馬寺の仁王門が見えてきます。

 ここから歩いて上るか、ケーブルカーで上るかどちらかに分かれます。
 ケーブルカーの料金は200円ですが、運営はお寺がしているそうで、寄付金となるそうです。乗車時間はわずか2分、日本一短い鉄道だそうです。
 つづら折り参道を歩いて上る人の多いのには驚きました。
   



 台風21号で壊された森林や石碑などはまだ修理がされていませんでした。



多宝塔

 ケーブルカーを下りた所に多宝塔が作られていました。
 ここから鞍馬寺まで歩いてゆきます。台風の余波がまだ残っていました。

 

 右は鞍馬寺、左はつづら折り参道です。帰りはつづら折り参道を下りました。 



松尾山鞍馬寺

 鞍馬寺は仏教寺院としては珍しく毘沙門天像を本殿としています。
 幾度もなく消失していますが最近では昭和20年に本殿が消失しています。幸い本尊などは消失を免れています。

 
 鞍馬寺はとりわけ国宝毘沙門天立像が有名です。
 それらの仏の像は霊宝殿に飾られています。
 残念ながら台風21号で参道が閉鎖されていました。
 怖い顔をした戦いの神、毘沙門天は京都の北から町を見下ろし京都をいろいろな災害から守っているそうです。
 

 

 
 


 この先には鞍馬寺自然博物館などがありますが、台風21号の影響で中止されていました。



 下山開始です。



いのちの塔



 つづら折り参道を下り終わったところに由岐神社があります。

 



 叡山電鉄鞍馬駅に戻ってきました。ここから貴船口まで戻ります。1駅です。



 貴船駅から貴船神社バス停まで、1台のバスがフルにピストン輸送をしています。

 
 この貴船川を渡り右に進むと鞍馬寺に出ますが、現在は台風による被害のため通行禁止になっていました。
 この貴船川は幾つもの川と合流し加茂川となり、さらに下ると鴨川となり、出町柳で高野川と合流し京都を縦断し、八幡市で桂川と合流し、淀川となり大阪へと流れてゆきます。



貴船神社

 貴船神社はとりわけ女性の参拝者の多い恋愛のパワースポットだそうです。

 



 貴船口で叡山鉄道に乗り出」」町駅で京阪本線に乗り換え東福寺で降り、泉湧寺に向かいました。

 




 泉沸寺、久邇宮・賀陽宮墓地、大福時、芬陀院の観光

 まだ行ったことのない泉涌寺の見学に行きましたが、隣接する東福寺にも寄ってみました。
 スマホを見ながらの歩きです。




総本山御寺 泉涌寺(せんにゅうじ)

 隣接する東福寺駅から歩いておよそ約20分です。
 森の中にひっそりとたたずんでいます。参拝者は誰も居ません。泉涌寺は皇室ゆかりの寺院、何時の頃からか御寺(みてら)と呼ばれるようになりました。東山36峰の一つ、月輪陵(つきのわのみささぎ)のふもとには歴代天皇が眠る御陵があります。いわゆる天皇家の菩提寺です。
 参道を歩いてくると大きな大門が現れます。ここが境内への入り口です。門をくぐると参道は下り坂になっています。いわゆる下がり参道と言われるものです。
 修行の場として作られたために盆地の中に作られたので坂を下るようになります。

 御寺は皇室ゆかりのお寺のかなでも別格の存在です。
 
 この大門が泉涌寺の実質的な門となり、この門をくぐると有料となります。
 泉涌寺の名の由来は、この大門をくぐった先に泉が湧き出るところがあったからだそうです。

 


 ここでパンフレットを頂きました。



楊貴妃観音堂

 門を入るとすぐ左に楊貴妃観音堂があります。
 泉涌寺は別名、美人祈願の楊貴妃観音ともいわれています。

   内部は写真禁止でした。左の写真はパンフレットからです。
 鎌倉時代の像でこれほど保存状態が良いのは珍しいそうです。

 中国との結びつきの強いお堂です。

 



 再び坂を下り、仏殿に向かいます。


仏殿

 下がり参道は、今は落ち葉で満たされていますが季節により、いろいろと美しい姿に変身するそうです。
 パンフレットよりコピー

 三世仏とは現在・過去・未来を表すもので、運慶作と伝えられる阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が仏殿に安置されています。




浴室

   仏殿の右前にあります。当時は浴室が別室だったようです。



舎利殿

 仏殿の後ろにあります。お釈迦様の遺骨が安置されています。説法された歯の遺骨なので特に尊いと言われます。
 舎利殿と仏殿です
 霊明殿唐門
 霊明殿
 




勅使門

 皇室の方が来た時しか開かれないもんです。この先には御座所があります。皇室の方が休まれる場所です。

 




御座所

 



御座所庭園

 御座所に隣接する庭園です。

 

 


 泉涌寺は東福寺の隣にあるので、ここも紅葉が綺麗かと思い来てみましたが、楓はほとんどありませんでした。そのため、隣の東福寺に行こうと思い、スマホを見ながら近道を探して歩いていると久邇宮・賀陽宮墓地の脇を通ったので写真に収めました。



久邇宮・賀陽宮墓地(くにのみや・かやのみやぼち)

 
 狭い道ですが、東福寺に向かって歩いてゆきました。



東福僧堂

 お坊さんたちの修行の場所です。



東福寺 臥雲橋

 いつもは無料で通れる橋で、今日も無料ですが、紅葉の最盛期には料金を取ったらしく、料金所が作られていました。 紅葉はほぼ終わっていました。
 


 東福寺の庭まで行ってみました。
 ここまで来たら通天橋を渡るの一般ですが、2年前の11月にも来ていることと、紅葉も終わりに近づいているので、通天橋の観光を中止し東福寺駅に向かいました。



芬陀院(ふんだいん)

 東福寺からJR東福寺へ歩いていくと芬陀院(ふんだいん)の前を通ったので参拝しました。雪舟が造った枯山水の名庭があります。



     
3日目 大覚寺、松尾大社、桂離宮

大覚寺

 駅前から大覚寺行きのバスが出ているのでそれを利用しました。
 今日は天気がよさそうです。


 大覚寺に到着すると、市バスが何台も駐車できる広い駐車場があります。



大覚寺

 真言宗大覚寺派大本山の寺院で、開祖は嵯峨天皇です。本尊は不動明王を中心とする五大明王(重文)とし、嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。
 創建は876年で鎌倉時代の徳治3年(1308年)に後宇多法皇が再興しています。
 このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院です。
 幾つもの大きな塔頭が廊下でつながっており順路にそって歩きますが、今どこを歩いているか初めてお参拝では分からなくなります。
 



大玄関

   
   

 

 

 

 

 




村雨の廊下

 

 

 



大沢池

 


 ここも廊下です。



勅封心経殿



霊明殿



 大覚寺の観光は廊下しか歩けないので建物全体の写真を撮るのが困難です。以下は頂いたパンフレットのコピーです。



いけばな 嵯峨御流

 寺の入り口には立派な生け花が飾られていました。



 すぐ隣にある華道芸術学院に入ってみました。なぜか誰も居ませんでした。



 渡月橋の入り口です。何時も混雑している場所ですが、修学旅行の学生がたくさん歩いていました。



 この8月に来て時、鵜飼いを見た桂川の大堤です。

 



松尾大社

 松尾大社と八坂神社は四条通によってつながっており、対をなしています。
 バスを降りるとすぐに大鳥居があり、そこから長い参道が続きます。



   
 




 たまたまですが、結婚式が行われていました。

 



上古の庭



松風苑

 



蓬莱の庭



桂離宮へ

 桂離宮に電話をしたら、自由参加枠が十分に空いているとのこと、阪急京都線に乗り阪急京都線にて、2駅ですが、桂駅に向かいました。

 

   桂駅から桂離宮までスマホを見ながら歩いてゆきました。




受付

 当日受付の枠はすべて空いているようですた。

 1時間おきに見学ツアーがあり、12時50分に到着し、受付に行くと、枠は十分にあるとのこと、1時発のツアーに参加しました。



桂離宮

 桂離宮は江戸時代17世紀前半、八条宮家の別荘として作られました。親子2代、二人の親王によって50年にもかかり築かれています。自然を見る、和歌を詠む、ここは王朝文化の粋を集めた場所です。月見は王朝の美の極みでした。
 京都の西を流れる桂川。そのほとりに桂離宮があります。広さ2万坪。雑木林に囲まれた庭園の中央に大きな池があり、その周りに建物が配されています。



 ツアー開始
  参加者は約30名でした。ガイドさんに連れられてツアー開始です。約1時間のツアーでした。なお、私たちに続いて英語の案内によるツアーもわずかに遅れて廻っていました。
 まず、最初に、ガイドさんによる注意事項が述べられました。最大の注意事項は道路両脇の苔庭には絶対に入ってはならないということでした。
 



外腰掛→松琴亭

 
鼓の滝

 わずか20センチの落差ですが、平たい石を直角に組み合わせることにより、しっかりと滝の音を響かせています。

 



州浜(すはま)

 池に突き出すように小さな石粒が敷き詰められています。州浜です。池を海に見立てています。天橋立の風景を連想します。
 先端には岬灯篭。先端の向こうにかやぶき屋根の茶屋があります。松琴亭です。
 
 



松琴亭

 かやぶき屋根の茶屋です。茶屋は茶室とは異なり、自由にお茶や和歌や宴を楽しめる場所です。ひなびた庵の建物です。幾つもの部屋があり、料理や和歌を楽しめるようになっています。青と白の石畳模様による斬新な衣装の組み合わせが随所に作られています。



賞花亭(ちょうかてい)

 ここでもお茶を一服です。池では舟遊びが出来るようになっています。茶屋ごとに船着き場が設けられています。

 

 
 
 



園林堂

 



笑意軒(しょういけん)

 里の農家の趣です。しかし、なかなかしゃれた作りです。障子の下には金箔が張られた模様が作られています。

 
 



御殿群

 端正で優美な姿の御殿群、川沿にあるため風通しの良い高床式です。白い空間が黒い直線で区切られ幾何学模様を生み出しています。
 単純にして明解、しかしそこに深い精神性があると世界から称えられてきました。
 建物は鍵型につながり、どの部屋からも庭を眺められます。その配置は雁が群れ飛ぶ姿から雁行形(がんこうけい)と言われています。
 桂離宮は回遊式庭園で池を回遊しながら点在する小屋でお茶を楽しみます。

 



桂離宮からホテルへ

   桂離宮に停車していたタクシーに桂駅までと言ったところ、京都駅は近いのでそのままホテルへ行った方が便利ですよと言われ、そのままタクシーでホテルに戻りました。
 確かに桂離宮は京都駅からさほど遠くはありませんでした。



      
4日目 金戒光明寺、聖護院門跡、石清水八幡宮、北野天満宮

 バスを岡崎道で降りて、金戒光明寺まで歩いて行きました。



金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

 長い参道が続きます。

 


 徳川家康が江戸に幕府を開くとともに、京都には二条城を作りました。天皇の住む御所より大きくするのは好ましくないと判断して少し小さく作られています。しかし、いざ何かの時、京都にもお城が欲しいと考え、京都の東高台にある金戒光明寺を城の代わりに作りました。
 金戒光明寺は幕末、会津藩の松平容保は1000名もの武士を連れて上洛し光明寺を駐屯地とし、二条城に住む徳川家の警護役を負っていました。また、それに忠誠を誓う新選組の発祥地としても知られています。



山門

 山門をくぐると左に鐘楼があり、階段の先に御影堂(大殿)が見えます。



 阿弥陀堂(左)と納骨堂(右)です。



 この御影堂は火災による焼失後、昭和19年に再建されています。


 金戒光明寺は檀家によって維持されているようです。たくさんのお墓がありました。



江(ごう)の供養塔

 NHK大河ドラマ「姫たちの戦国」で放送された江(ごう)の供養塔が祀られています。

 

 



積善院準提堂

 金戒光明寺から聖護院門跡寺院へ向かう途中、お寺があったので覗いてみました。聖護院塔頭だそうです。鎌倉時代の1200年頃の創建とされます。
 




聖護院(しょうごいん)門跡寺院

 修験道の寺院として知られています。
 修験道では今から約1300年前に誕生された役行者神変大菩薩を開祖と仰ぎ、聖護院では平安期の高僧、第5代天台座主智證大師圓珍を中興の祖と呼んでいます。
 聖(ひじり)の体をお守りする聖体護持という言葉から聖と護の2字を取り出し聖護院と名付けたそうです。
 修験道は山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る、という出家・在家を問わない菩薩道、即身即仏を実修する日本古来の宗教です。



 参拝入口と書いてあるので入ってみましたが誰も居ませんでした。
 知らずに行ったのですが、拝観日は9月15日から11月25日までだそうで、来年は9月21日から12月8日まで一般参拝が出来るのだそうです。団体(15名以上)なら通年で参拝出来るそうです。



 庭全体に縄が張られ内部には入れないようになっていました。
 下の写真は寺の中心となる神殿です。

 天明の大火の時は御所も消失し、天皇は3年間、ここに住まわれたそうです。
 また、安政元年1854年に御所が炎上した際にも、ここ聖護院は法覚天皇の孫にあたる孝明天皇の仮の皇居となりました。
 現在、聖護院門跡は「聖護院旧仮皇居」として国指定史跡となっています。
 ここに住んだ天皇たちを慰めるように、大玄関をはじめ、加納永徳、益信らによる障壁画が寺の各所に作られています。
 見学できなかったのは残念でした。



八ッ橋

  道を挟んで本家八ッ橋と聖護院八ッ橋が向かい合っていました。三河の国八橋から着想を得て橋の形のせんべいを考案したと言われています。
 修学旅行などで京都に来たときは誰もが買って名物です。日持ちがするのが大人気でニッキが入っているのも好かれる理由だそうです。



京都熊野神社

  聖護院門跡寺院のすぐそばに熊野神社があり、寄ってみました。熊野神社は至る所にあるので、この神社は京都熊野神社と言われています。

 

 京阪電鉄神宮丸太町駅から八幡市(やわたし)駅で降り、石清水八幡宮に向かいました。京都の南西にあります。



石清水八幡宮

 平成28年、社殿群10棟が国宝に指定されました。
 石清水八幡宮は平安時代、国家の安泰を願って京都の南、男山の地に祀られました。
 八幡市駅から男山ケーブルが出ておりそれに乗って石清水八幡宮に向かいます。男山は高さ143mです
 八幡市は桂川と宇治川と木津川が合流し淀川となる水運の町としても知られています。古くから大阪と京都、奈良を結び栄えてきました。
 交通と経済の中心地として重要な役割を果たしてきました。男山からはそれらを見ることが出来ます。
   

 

   



八幡市駅に隣接して作られています。


 



 坂道を登って行くと小さな三女神社の横を通り、沸峰塔のある広場に出ます。この沸峰塔は給水塔として作られました。



 階段を上ると遠くに南総門が見えます。南総門の左前に供御所があります。



 南総門をくぐると左側に神楽殿があり、真ん前に御本殿が現れます。壮麗な社殿、極彩色の彫刻です。
 ここでは仏教とのかかわりを抜きに語ることのできない社殿です。神と仏が一体となった神仏習合の祈りの地です。
 神社は真南を向いています。その前の道路は少し斜めを向いています。お参りしたとき、お尻が門を向かないようにしたのだそうです。


 来た時とは違う道を通ってケーブルカーの駅に戻ります。
 ここからは京都市内を見渡すことが出来て、京都タワーもみることが出来ます。ただし、肉眼で京都タワーを見るにはかなりの視力が必要です。
 



北野天満宮

 八幡市から電車で京都駅に戻り、今度はバスで北野天満宮へ向かいました。



 バスを降りると北野天満宮一の鳥居が見えます。


  北野天満宮は全国に約1万2千社ある天満宮・天神社の総本社です。菅原道真公をご祭神としてお祭りしています。
 全国天満宮の本堂です。親しみを込めて「北野天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。学問の神社ともいわれています。
 楼門が見えてきました。



楼門

 中央の額には文道太祖(ぶんどうのたいそ)、風月本主(ふうげつのほんしゅ) と書かれています。いわゆる天神さんをたたえています。



宝物殿

  宝物殿があり入ってみました。 たくさんの刀が飾られていました。



三光門(重文、江戸時代)

 豊臣秀吉の息子、秀頼公が築いた門です。
 三光とは太陽と月と星を意味しています。
 この門には太陽と月が刻まれていますが、星はありません。その理由はこの門が北極星の方向を向いているからだそうです。星欠けの天満宮とも言われています。
 この当時から星への信仰があったそうです。

 

 本殿は国宝となっており、神社の極みと言われています。絢爛豪華で安土桃山時代の様子が今に引き継がれています。



 境内の梅園はおよそ1千5百本もある梅の名所です。梅の種類は10もあるそうです。
 梅の時期には大変賑うそうです。


     

5日目 八坂神社、花見小路、建仁寺、南座、錦市場 龍安寺

   今日はバスで八坂神社に行き、徒歩で建仁寺から南座、錦天満宮、錦市場を通り、次に地下鉄烏丸線で京都駅に戻り、今度はバスで龍安寺に行き、帰りは急行バスで戻ってきました。



 まず、バスで八坂神社へ行きました。バスは神社前に停まります。

  

 



 提灯がたくさんつるされている八坂神社が見えてきました。その隣が八坂神社本殿です。

 
 
   
 



南楼門

 



 八坂神社 斎館が見えてきました。斎館とは神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物です。

  

悪玉子社

 「悪王子」の「悪」は善悪の悪ではなく、力が強いとか勇猛なという意味だそうです。
美御前社

 美御前社には美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされています。
 
 



花見小路

 八坂神社を下りるとすぐに花見小路が左側にあります。
 かって、建仁寺の境内はこの花見小路周辺にまでも及んでいました。


建仁寺

  京都最古の禅寺です。受付をすますと、このお寺ではどこでも写真を撮れますと言われました。嬉しいお寺です。
 この寺を開いたのは明庵栄西(みんなんようさい)禅師です。日本にお茶をもたらし、禅宗をもたらした臨済宗の開祖です。
 栄西禅師は13歳で比叡山延暦寺に入山し、天台密教を学びました。
 しかしやがて比叡山は荒廃、日本における仏教の衰退を憂いた栄西は中国・宗に見出します。栄西が宋に渡った頃、中国仏教の中心は禅、日々禅の修道に励み確かなてごたいを得る中、栄西は眠気覚ましの効果があり、禅宗修行の中に取り入れられていたお茶とに興味を持ち、その栽培法、お茶の作り方などを学び持ち帰ります。
 建仁2年(1202年)に建立されたため建仁寺と呼ばれています。
 このお寺は芸術家によってはその腕の振るう場所でもあるそうです。自分の作品を発表する発信地でもあるそうです。
 この寺には国宝風神雷神図をはじめ、数多の名画が飾られています。
 東門から入りました。およそ8万坪もの広さを誇ります。
 


  門を入るとこのような絵が描かれていました。建仁寺と高台寺は対をなしているということです。調べてみると確かに対をなしているようです。
 かって、建仁寺の境内は花見小路周辺にもおよび60もの塔頭が存在していました。しかし、明治の廃仏毀釈をうけ、多くの塔頭が統廃合、敷地も縮小し、現在14の塔頭を残すのみとなっています。
 しかし、削られた境内には民家が建てられ、それが花見小路ともなり、今の京都の繁栄のもとになったとも考えられます。
茶碑

 建仁寺はお茶との縁が深く、お茶を伝えたのが建仁寺の開祖です。
 宋(10世紀~13世紀頃の中国王朝)から茶種を持ち帰り栽培し、茶の普及・症例に努め、日本の茶祖として尊崇されています。
 栄西は中国・宗でお茶の素晴らしさを体験し、後に喫茶養生記を書き上げます。そして、お茶を飲む文化を庶民にまで広げました。

開山堂

 栄西禅師が祀られています。この建物は栄西禅師が中国から帰る途中、遭難しそうになった時に救ったゑびす神への尊敬を表し、ゑびす神社の方を向いているそうです。



三門

 三門、法堂、方丈が真っすぐな位置に作られています。
 栄西禅師が宋から学び持ち帰った作り方が基本となり、一般の禅寺はこのような配置を取るようになりました。



法堂

 天井に描かれた双龍図が有名です。
 法堂は上から見て正方形の形をしています。
 明和2年、1756年に上棟され、本尊の釈迦如来座像が鎮座しています。



本坊

 内部見学の入り口になります。



 入る時頂いたパンフレットです。

   



入り口

 部屋に入るといきなり複製と思われる国宝・風神雷神図(江戸時代)が飾られていました。400年前に京都で活躍した俵屋宗達作です。
 風袋から風を吹き出し、下界に風雨をもたらす風神と、太鼓を叩いて雷鳴と稲妻をおこす雷神の活動の姿を描いています。迫力に満ちた姿です。
 方丈にある本物はガラスで保護されているため、写真を綺麗に取れないので、わざわざここに複製が置いてあると思われます。



○△□の庭

○は水、△は火、□は大地を可視化したのがこの庭園です。
 禅の精神を表しています。



小書院


凪(なぎ)  鳥羽美花 作

 2014年に奉納された襖絵です。ベトナムの風景です。

 



 小書院の反対側にあります。


船出(2014年奉納)

 国内外で高く評価されている染色画家の鳥羽美花さんの作品です。この襖の反対側にある 凪 と対をなしています。ベトナム・バンロンの風景です。 鳥羽さんはここに禅の世界を見たそうです。
   




唐子遊戯図 田村月憔 筆

 ○は水、△は火、□は大地を表しています。禅の世界を表しています。
 




潮音庭

 庭には回廊が張り巡らされています。どこも正面であるがごとく作られています。
 風神雷神図屏風を前に女性が正座していました。

 
 


 



大書院(おおじょいん)

 国宝・風神雷神図屏風を身近に見ることが出来ます。



国宝 風神雷神図屏風 俵屋宗達

  明るく楽しい絵です。構成的には抜群に計算されているそうです。金箔で表現した無間の空間に水墨の特殊技法で雲を描いています。
 大胆機密な書き方です。
 風神雷神図は尾形光琳や酒井抱一もほとんど同じ構成で描いていますが、俵屋宗達が一番素晴らしいそうです。

  

 

 

 



納骨堂



方丈

 

 

   

 

 

 



竹林七賢図(重文) 海北友松(1533~1615年)筆

  襖16枚に及ぶ大作です。七賢とは世俗を避け哲学談話に耽った七人の賢者のことです。海北友松は桃山時代最後の巨匠と言われ、戦国の世を生き抜いた画家です。




雲龍図

 海北友松(かいほうゆうしょう)作の雲龍図(重文)です。
 部屋の中が嵐に見舞われていて、風の音や渦の中に巻き込まれているよです。筆の勢いが感ぜられます。



方丈庭園大雄苑

 方丈の前に広がる大雄苑です。苔と岩は海面からそびえる山、白砂には波が描かれています。水の流れを想像させます。またはそれが雲海のようにも見えます。そこから山が突き出しているようにも見えます。
 自然の恵みから与えられた最小限、最低限のもので生きて行くという考え方、海に見立てた白砂にその教えが映し出されています。
 

 

 


 いったん道路に出て別な建物、法堂に入ります。


法堂

 法堂は上から見て正方形の形をしています。
 ここには建仁寺の本尊、釈迦如来坐像が鎮座して言います。
 天井の龍が襲い掛かってくるようです。天井の絵の大きさは約108畳もあります。
 2002年に建仁寺創建800年を記念して、日本画家の小泉淳作氏が描いた大作です。それまではなにも描かれていなかったそうですが、天空でからむ2匹の龍が絵描かれています。一般に双龍図といわれ、雲を呼び雨を降らし、建物を火災から守ると言われています。
 龍はは釈迦様をお守りするとされています。
 
 龍が真珠の玉を握っています。お釈迦の悟りを意味するそうです。



 南座に近い西門から出ました。



 南座

 三年にわたる大修理が終わり、今年5月から開場しています。
 家内が立見席でもよいからちょっと覗いてみたいと入場券売り場に行って聞いたところ、南座にはそのような席はないとのこと、あきらめました。
 



 鴨川を渡り無量山寶蔵寺の方に歩いてゆきました。

 




寶蔵寺

 




 修学旅行の時通ったことのある錦市場を通ってみました。懐かしい通りです。




龍安寺

 立命館大学行きに乗るとそこが終点で、龍安寺へは少し歩きます。
 帰りは急行というバスが来たので乗ってみました。どうやら急行バスは左の経路の青色を通りました。普通と急行の差はルートの違いのようです。
 

 

 



 お寺の入り口に到着です。以前訪ねた時からもう20年も経っています。だいぶ忘れています。


 入るといくつかの部屋を通り、有名なお庭に出ます。

  

 

 

 

 

 奥の方の縁側からの眺めです。

 
 
 

 



 再び庭におり池を一周します。かなり大きな池です。


 ビルマで戦った人たちの慰霊碑が作られていました。

 



     

6日目 黄檗山(おうばくさん)萬福寺、伏見稲荷大社

 万福寺へはJR京都駅からJR奈良線に乗り黄檗駅まで、約25分です。
 この京都駅の天井のガラスが台風21号で破壊され落下したのがニュースになっていました。もちろん、すぐに復旧したのでしょう。



黄檗山(おうばくさん)萬福寺

 萬福寺は駅から歩いて数分のところにあります。

 

 
 
 
総門 重文

 中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれました。中央上部裏面には円相が型取られています。これは風水的モチーフの一つ、「白虎鏡」です。額「第一義」は第5代高泉の書。この額字には高泉和尚が何度も書き改められたという逸話があります。
 金成不動尊
 

 

三門 重文

 三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。
弥勒菩薩(布袋)坐像

 范道生作、寛文3年(1663)造立、木造、像高110.3cm。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒仏とされています。布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で、定応大師と号しました。
 

 

大雄寶殿(だいおうほうでん) 重文



石條(せきじょう)

 境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。
大雄寶殿(だいおうほうでん) 重文


 萬福寺の本堂であり、最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重なものです。本尊は釈迦牟尼佛。両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両脇に十八羅漢像を安置。大棟中央に火焰付、二重の宝珠。正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。上層の額「大雄寶殿」は隠元書。下層の額「萬徳尊」は木庵書。本堂内部須弥壇の上の額「真空」は明治天皇の御宸筆。
 
釈迦如来坐像(中尊)

 京大仏師兵部作、寛文9年(1669)造立、木造、像高250cm。当寺の本尊。摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が脇侍として安置されています。

十八羅漢像

 従来の鎌倉、室町の十六羅漢に、「慶友(けいゆう)尊者」と「賓頭蘆(びんずる)尊者」を加え、十八羅漢とした明代寺院の形式を受け継いでおり、中国、台湾に現存する大雄宝殿と同様です。写真は羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)です。
 

  

 法堂(はっとう) 重文


 禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
 内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。須弥壇上の額「法堂」は隠元の書であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。

  

獅子吼(ししく)

 費隠書。釈迦の説法を、獣中の王である獅子が一度咆哮すれば、百獣すべてが従うことにたとえ、獅子吼といわれています。
 
開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)

 斎堂前にある魚板で木魚の原型となっているものです。時を報ずるものとして
 黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。また魚梆、魚鼓とも呼ばれます。叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。
 雲版は、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。青銅製。
蛇腹天井(じゃばらてんじょう)

 黄檗天井ともいい、龍の腹を表しています。本堂のほか、法堂、開山堂の主要建造物の正面一間分の軒下の垂木はこのように丸く、かまぼこ型をしています。中国・チベットにも同様のものがあり、「檐廊(えんろう)」と呼びます。
 


 

 開山堂へ向かいました。



開山堂

開山堂 重文

 三門をくぐってすぐ左に曲がると、通玄門という朱色の門があります。それをくぐると氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)、白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がり、真正面に開山堂があります。
 ここに黄檗開山隠元禅師をお祀りしてあります。毎月1・15日には山内の僧が祝拝し、3日には開山忌を営みます。祥忌の4月3日には、他山からの僧を招待して厳粛に執り行われます。



松隠堂

 僧たちの研修場です。たくさんのお坊さんが何やら大きな声を上げていました。

  

 
石條(せきじょう)

 境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。
  再び、三門に戻ってきました



伏見稲荷大社

   前回来たときは大鳥居の下をくぐらなかったのですが、今回はJR稲荷を通るのでそこで降り、大鳥居の下を通り、千本鳥居まで行ってみました。
 



 再び、JR稲荷にもどり、京都駅に向かいました。



京都駅

   修学旅行生で混雑していました。この時期の風物詩です。



 家内は今日一日、、新春の立華砂物の研修に出席してきました。



 今日は最終日なので再び夕食のためポルタに出掛けました。



    

7日目 京都から自宅へ

 午後の飛行機なのでゆっくりと出かけ、また、JALのラウンジでビールでした。
 JL224  関西空港 14:45発  羽田 15:50着でした。


 さすがにこの時期なので紅葉時期の混雑はなく、十分京都のお寺を楽しむことが出来ました。
 念願だった桂離宮も見学することが出来、また、久しぶりの龍安寺も楽しみました。
 八坂神社の前は今までに何度も通っていますが、桜の時期に来たときは人の混雑で自分の居場所が分からないほどでした。今回はゆっくりと散策することが出来ました。
 この数年間、京都、奈良へはかなりの回数行っていますが、今度は奈良の隠れた名所などを探していってみたいと思っています。






次の旅日記に移る(国内編)


旅日記の表紙に戻る