沖永良部島、徳之島、奄美大島観光

2019年4月7日~12日

 昨年8月よりJALが沖縄と鹿児島の間にある3つの島を訪れる旅をJALパックで売り出したので行ってみました。いずれの島も初めてです。
 これらの島は鹿児島に属し、いずれの島も大島郡で奄美大島の中には奄美市があります。
 飛行ルート、時間などを次の表に示しました。合計5日間の旅です。

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出発空港 出発時刻 到着空港 到着時刻 飛行時間
4月7日(日) 羽田空港 8:55 那覇空港 11:40 2:45
那覇空港 12:25 沖永良部島空港 13:20 55
4月8日(月) 沖永良部島空港 13:50 徳之島空港 14:20 30
4月9日(火) 徳之島空港 14:50 奄美空港 15:20 30
4月11日(木) 奄美空港 15:10 羽田空港 17:10 2:00




 参考までに調べてみました。島の大きさと人口は次の表になっています。

面積(平方km) 人口
奄美大島 712 58,500
徳之島 248 21,900
沖永良部島 94 12,100
沖縄県 2,281 1,422,900




1日目 羽田より沖永良部島へ

 羽田発の時間は8時55分と早いためコンビニで弁当を買いJALのラウンジで朝食でした。



那覇空港

 沖縄の那覇空港でプロペラ機に乗り換えます。この飛行機はこれから訪ねる3つの島を順に飛んで行きます。
 なお、那覇空港と成田空港は格安航空機でも結ばれているようです。

 沖永良部空港に到着です。
 この空港はえらぶゆりの島空港とも呼ばれています。



沖永良部島

 空港で荷物を受け取り、外に出るとホテルのバスが迎えに来ていました。
 同乗者は私たち以外に5名ほど居りました。
 空港からホテルまで約30分でした。
 ホテルへの到着は午後2時を少し過ぎた頃でしたが、すぐにチェックインすることが出来ました。
 二間続きのまあまあの部屋でした。
 部屋は海に面していました。
 このホテルは沖永良部島では最大だそうです。
 ホテルをチェックアウトした後で知ったのですが、今から1年半ほど前の2017年11月16日から18日まで、天皇陛下と皇后陛下がこのホテルに2泊し、少し南にある小さな島、与論島へも行っていました。



 ホテルの部屋からの眺めです。


 ホテルを出て海岸まで少し散歩をしてみました。ホテルの横には大きな温泉大浴場がありましたがちょうど改修中で利用できませんでした。
 部屋は4階でしたが大浴場が5階にもあり、特に不便はありませんでした。




2日目 沖永良部島観光後徳之島へ


地方新聞

 奄美でも新聞が発行されていました。



やこも海岸
 いよいよ観光開始です。
 観光タクシーが10時にホテルに向かいに来てくれて、午後1時までの約3時間の観光です。昼食をとっていると観光時間が無くなるので、運転手さんが空港で食事をとるようにと弁当を持ってきてくれました。タクシー会社のサービスのようです。
 まずはホテルから1kmほど行ったところの海岸に案内されました。
 見晴らしのよい海岸だそうです。
 ちょっと停まって写真を撮って次の観光地に向かいました。


 
 運転手さんはすれ違い困難なような道路をよく通りました。小さい島なのですべての道を知っているのかも知れません。



大津勘ビーチロック



昇竜洞

 沖永良部島はサンゴが隆起してできた島で、島には大小約200から300もの洞窟・鍾乳洞があり、ここの昇竜洞は全長3,500mもあり、そのうちの600mが一般公開されています。
 洞窟内は案内者なしで歩くことが出来るよう歩道や手すりなどが整備されており、歩いてゆくと自動的に電灯がともるようになっています。
 かがまないと通れないような狭いところもありますが、約30分ぐらいで出口に到達します。
 観光タクシーが出口近くで待っていてくれました。
 出口を出てかなり坂を登るとタクシーが待っていてくれました。



沖泊海浜公園

 沖永良部島でも有数の広大な砂浜が広がり、海水浴場やキャンプ場として多くの人々で賑わうそうです。映画「ゴジラ」で上陸地として撮影された場所でもあるそうです。
 海岸の砂はサンゴ礁が砕かれて作られています。探すと大きなサンゴ礁の塊を見つけることが出来ます。
 なお、この砂浜はNHK大河ドラマ西郷どんの撮影地として利用され、ドラマでは西郷さんが沖永良部島に島流しになり上陸した時の様子が撮影されています。
 実際の上陸地は後に行きますが今は防波堤に囲まれており、当時の情景とは全く変わっています。


百合畑

 沖永良部島ではユリの根が農産物として出荷されているそうです。ただし花が咲く前に根を取らないと大きな根が取れないとこのと、運転手さんの説明によるとこの畑ではユリの根を取る作業が遅れているそうです。
 この島の空港がえらぶゆりの島空港と呼ばれるようにユリはこの島の特産品のようです。
 島の至る所で松食い虫によって枯れた松が広がっていました。



世之主の城跡

 15世紀ごろの沖永良部島の王様のお墓です。



日本復帰記念碑

 日本は敗戦によりアメリカの植民地となりますが、1951年9月に開催されたサンフランシスコ平和条約の調印が成立し、1952年4月28日、その条約が発効され、日本の独立が回復しました。
 しかし、沖縄などの諸島は米国信託統治下とされ独立はできませんでした。
 その後、奄美大島など諸島の住民の努力により、1953年12月25日、沖縄を除く全島が日本に復帰しました。
 沖縄が日本に復帰できたのはそれから遅れること19年の1972年5月15日でした。
 戦後、日本が豊かになるにつれ、たくさんの観光客が大島群島にやってきましたが、沖縄が復帰すると観光客は沖縄へと流れ、大島群島への観光客は激減したそうです。



西郷隆盛上陸の地

 西郷隆盛上陸の地と記念碑は島を挟んで反対側にあります。




 NHK2018年の大河ドラマ「西郷どん」で使用された撮影小屋などがここに集められ保存されていました。



西郷隆盛記念碑と南洲神社



和泊町立国頭小学校のガジュマル

 ガジュマルは南国にしか見られない木で、このガジュマルは日本一大きく、高さ約7m 枝張り約22m、幹回り約6mだそうです。


 天皇皇后両陛下が2017年11月16日から18日までの3日間、屋久島、与論島、沖永良部島の3つの島にご訪問なさいました。その時宿泊した宿は2泊とも沖永良部島のフローラホテルでした。
 まさに、私たちが泊まったホテルでした。

 この時の様子が u-tube や ブログに掲載されていました。その一部を下に示します。

 沖永良部島訪問

 フローラホテル到着

 屋久島、与論島、沖永良部島訪問



フーチャ(潮吹き洞窟)

 沖永良部島北海岸特有の断崖絶壁と浸食されてできた潮吹き洞窟です。季節風や台風時には20~70mも吹き上げそのさまは壮観だそうです。絶壁の際から海を眺めると野性のウミガメを間近で見れるチャンスがあるポイントでもあるそうです。



沖永良部島空港から徳之島空港へ

 昨日乗ってきたと同じ飛行機がこの空港で約30分停まり、乗客を乗せて徳之島空港への飛び立ちます。



徳之島空港(徳之島子宝空港)

 この空港は徳之島子宝空港とも呼ばれるそうです。
 約30分でこの空港に到着です。午後2時20分でした。
 観光タクシーが待っていてくれてホテルまで案内してくれる予定ですが、まだ早いので明日の観光分の3か所を今日回ることにしました。

 徳之島が子宝と言われるのは長寿の上に、子供の数の平均は3人で、日本全体の2倍に当たるからだそうです。



空港からホテルへ

 ホテルは島を挟んで反対側にあります。
 時計回りに回り、ムシロ瀬、ソテツトンネル、横綱朝潮の像を見学後ホテルに入りました。



尚子ロード
 空港を出て縛らす走ると尚子ロードの記念碑が作られていました。

 アトランタオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子選手の合宿トレーニングコースに尚子ロードと命名
                      
   車の通行量が少ない約32キロの周回コースです。
地図にも尚子ロードと書かれていました。



ムシロ瀬

 ムシロのような巨岩が繋がってい海岸です。
 たまたま、同じような観光ルートを回っている別な観光タクシーと一緒になり、運転手さん同士が話をしていました。私たちには標準語で話してくれますが、運転手さん同士が話しているのを聞いていると100%理解できませんでした。これには本当に驚きました。
 江戸時代から明治時代、鹿児島地方の人と関東の人はどのようにして言葉を理解しあったのか不思議になります。
 



金見崎ソテツトンネル

 徳之島の北東部・徳之島空港から車で約30分のところにある「金見(かなみ)集落」にソテツトンネルはあります。ソテツの樹齢は約300年~350年。
 もともとは、金見集落の畑の境界線と北風による暴風対策の為に植えられたソテツですが、ゆっくりと時間をかけて成長し、自然とアーチをつくり上げてきました。約250メートル続くトンネルの中は南国ムード満点です。昭和40年頃から観光地として注目を集めるようになりました。
 ソテツの道路は向こうに見える山の頂上まで続いています。
 ただし、頂上まで自動車道路が作られていてタクシーはそこで待っていてくれました。


 ソテツトンネルを抜けると、「金見崎展望所」へと続きます。ここからは「太平洋」と「東シナ海」の2つの海を同時に見渡せる一大パノラマが広がり、天気が良い日には、加計呂麻島、与路島、請島の島影や、釣りのスポットとして有名な「トンバラ岩」を望むことができます。また眼下にはソテツの群生林が広がっています。

 2014年に展望所と周辺が整備され、それまではソテツトンネルを通らないと、来ることができなかった展望所にも、車で来ることができるようになりました。また駐車場から展望所までは、ゆるやかなスロープになっているので、車いすやベビーカーでもアクセスが可能です。トイレも完備されています。



横綱朝潮の像

 豪快な押し相撲で名を馳せ、人気のあった横綱・朝潮太郎。引退後は、高砂部屋の親方として、大関朝潮や大関小錦、関脇水戸泉など多くの強豪力士を育てました。
 この偉大なる功績を残した朝潮太郎が生まれ育った徳之島は、相撲が盛んな地域です。
 「南海のハブ」の愛称で親しまれた力士、旭道山も徳之島出身です。現在でも、島のあちらこちらに多くの土俵があり、小学生が土俵で相撲を取る姿を見かけることもあります。 身長189センチ、体重145キロの恵まれた体格に太い凛々しい眉毛が特徴的だった朝潮太郎。
 この徳之島出身の横綱に憧れ、日々の厳しい練習に励んでいる子供たちの中から、未来の名力士が誕生するかもしれません。



ホテルオーシャンリゾート

 今夜のホテルです。部屋は海に面していました。ホテルの後ろの壁は赤橙色で塗られていました。



 ホテルの周りを歩いてみました。飲み屋街が連なり夜になると賑わいそうです。



 海辺にも行ってみました。海岸は海藻で覆われています。




3日目 徳之島観光後奄美大島へ

 闘牛は徳之島の名物でたくさんの闘牛場があります。



闘牛場 なぐさみ館



泉重千代(いずみしげちよ)

 男性として世界最長寿の記録を持っているそうです。うれしいことに毎日晩酌を欠かさなかったそうで、それが長寿の秘訣だそうです。



阿権のガジュマル

 生命力の強い木で太陽を好み、乾燥気味の土地で育っていきます。繁殖力の強さから「幸運の木」とも呼ばれています。 根が地面につくとコンクリートさえ突き破るほど強くなることから、花言葉は「健康」です。
 ガジュマルは徳之島の各地で見られますが、特に阿権のガジュマルは樹齢300年を超えると言われており、これほどの大きさのものは島内随一です。
私有地の中にありますが、観光に制限はしていないようです。



製糖工場

 昔は盛んでしたが、今は殆ど作っているところが無いそうです。煙が立ち込め、作業者の健康が心配になります。



犬田布(いんたぶ)岬

 第二次世界大戦末期、山口県徳山港から沖縄へ向かう途中沈没した戦艦大和の慰霊塔で昭和43年(1968)に建てられ、高さは大和の司令塔と同じ24mです。
 のちに実際には、戦艦大和が沈んでいる場所は、北緯30度43分、東経128度04分(鹿児島県枕崎市の西南西、約200km)水深345m地点と判明しますが、元乗組員の証言『徳之島西方二〇浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ・・・』からこの地に建てられました。
 平成29年4月7日には「第50回戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」が開かれ、節目の年として、ご皇族のご参列も賜りました。美しい景色にゆったりと流れる平和な時間と過去の先人たちが乗り越えた辛く厳しい時間の対比も考えさせられるものがあります。




犬の門蓋(いぬのじょうふた)

東シナ海に面したこの海岸一帯は、隆起サンゴ礁が長年にわたる浸食によりできた奇岩や断崖があります。通称「めがね岩」と言われる奇岩や断崖、洞窟、ビーチロックなど変化に富んだ景観は見事なものです。昔、大飢饉のとき、人畜を襲う野犬を海中に投じたという逸話からこのような呼称がついています。



徳之島から奄美大島へ

 奄美空港に到着です。
 日本には大島という名の付く島が幾つかあり、奄美大島内では一般に大島という名を付けず奄美だけが使用されているようです。
 奄美空港到着時間は午後3時20分でした。



奄美大島 奄美市と大島郡

 奄美大島は鹿児島県奄美市と鹿児島県大島郡に分かれています。
 今日のホテルは奄美市の中心にあるホテルウエストコースト奄美です。
 今日は奄美市のホテルまで自分で行くようになっています。
 タクシーだと約1万円かかります。
 バスだと一人1,020円でした。スマホを見ながらホテル近くの停車場で降りましたが、運転手さんがホテルの方向を教えてくれました。
 バスのルートは少し遠回りするためか1時間10分ぐらいかかりました。
 ホテルは停車所からすぐ近くでした。



 かなり新しいホテルでした。




4日目 奄美大島 自由観光

 今日は案内のない自由行動日でした。
 残念ながら雨です。ホテル前のレンタカー会社で車を借り、屋内で見られる観光施設に出かけました。午後は天気が良くなるようです。



とおしめ公園と龍郷町生涯学習センター

 生涯学習センターの中には図書館や西郷隆盛の資料館がありました、主に西郷隆盛の長男、西郷菊次郎について書かれていました。
 菊次郎は12歳の時アメリカに留学し、その後、外務省で要職を得て、後に京都市長を6年間勤めています。



田中一村記念美術館

 孤高の画家、田中一村の絵約80点を展示するために作られた美術館です。絵は村民などが持っていたものを寄付してもらったものだそうです。



マングローブ原生林

 午後は雨が止んだのでマングローブ原生林へ行ってみました。
 初めての人でもカヌーに乗れるよう指導員が付いていて丁寧に教えてくれていました。
 私たちはカヌーに乗らず展望台に登ってみました。
 見学後、ホテルに戻りレンタカーを返却しました。
 



5日目 奄美大島観光後羽田経由自宅へ

 午前10時、ホテルに観光タクシーが来て、午後1時半、空港に到着するまで観光案内をしてくれました。

 観光ルートはほぼ左の地図の順番でした。 ただし最後は奄美空港です。

 奄美でも松がだいぶ松くい虫に荒らされていました。


黒糖製造所
 この地の焼酎は黒糖焼酎が有名だそうです。かなり原始的な方法で砂糖が造られていました。

 記念に少し買ってみました。



奄美リゾート
 写真とを撮るためにちょっと立ち寄った程度でした。



土浜展望所

 原ハブ屋のすぐ前にあります。一応登ってみました。



原ハブ屋

 奄美では山に入るときハブへの注意が必要だそうです。生きたハブがたくさん飼われていました。ハブの加工品や皮、骨なども売られていました。



奄美の郷
 大きな展示館です。薩摩藩による過酷な税の取り立てにより当時の生活の苦しさが展示されていました。



土盛海岸



あやまる岬



 階段が作られ下まで歩いて降りてゆくことが出来ます。タクシーは下で待っていました。

 コンクリートで作られたゲートボール場です。
 子供の遊び場も作られていました。



羽田へ

 奄美空港から羽田まで直行便が出ています。
 出発は午後3時10分で羽田到着は午後5時10分でした。
 

 

 5日間かけての離島の見学で、島の様子をある程度知ることができました。米軍との戦争による沖縄の惨状はよく知られていますが、これらの村への爆撃はさほどなかったそうです。
 ただし、男性はほとんどが兵隊にとられ、村人の暮らしは食料がなく悲惨だったそうです。
 栃木県の私の田舎も人口減少が激しく、村に8つもあった小学校が1つもなくなりスクールバスで町の小学校へ通う始末ですが、いずれの島も人口減少で悩んでいるようです。
 大学のない離島の将来は若者が戻ってくる何かの産業が必要でしょう。





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