往復直行便利用 華麗なるブルネイ王国5日間

2019年5月15日~5月19日

 カリマンタン島の北端に石油が取れるため非常に裕福で小さな国があることは知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。
 従来、ブルネイに行くには直行便がなくマレーシア経由でゆくしかありませんでしたが、ロイヤルブルネイ航空が今年3月15日から週3便で成田/バンダルスリブガワン線の就航を開始したと聞き行ってみることにしました。なおブルネイの正式国名はBrunei Darussanlam(ブルネイ・ダルサラーム)でその意味は永遠に平和な国だそうです。

 ブルネイは豊富な天然資源に恵まれ、世界でも指折りの大富豪である王族が暮らすことで知られる国でマングローブ林など手つかずの自然のほか、首都のバンダルスリブガワンでは黄金のモスクや水上集落も楽しめとのことでした。
 なお、出発前、NHKのニュースで、ブルネイでは同性愛者や不倫をした者は石打により死刑になるということが報道され、世界的にも非難を浴びていました。



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 ただし、2枚目からは軽快に動きます。


 面積は日本の三重県とほぼ同じで、人口はわずか42万人です。
 首都はバンダルスリブガワンで、元首はハサナル・ボルキア国王で立憲君主制です。
 民族はマレー系66%、中国系10%、その他24%でなっています。
 宗教は イスラム教79%、キリスト教9%、仏教8%であり宗教の自由が許されています。
 ただし、イスラム教の教えとして、いったんイスラム教徒となった場合、その後の変更は許されないそうです。
 気温は年中ほとんど変化がなく最低温度が22℃、最高温度が32℃と比較的暮らしやすい気温です。
 通貨はブルネイ・ドルで1ブルネイ・ドルが約80円でした。シンガポールドルにリンクしているそうです。
 首都はバンダルスリブガワンで人口は総人口の約7分の1、約5万7千人とこじんまりとした都市です。
 GDPは日本の0.32%と世界的にも小さい国に分類されていますが一人当たりにするとほぼ日本と同じになります。そのうえ、社会保障が徹底しており、大学まで全て無料、税金なし、病院は無料(100円程度は支払うそうです)などのため、生活は極めて裕福です。自転車、バイクなどはほとんど見かけません。皆さんが自動車を使用しています。また、安全運転は徹底しており、人を道路に見かけると必ず停まります。
 ブルネイ・ダルサラーム国の国旗は、黄色の地に白と黒の帯が斜めに横切り、中央に赤い国章が配されています。
 現行の国旗は、ブルネイがイギリスの自治領に位置づけられた1959年9月29日に制定されたもので、1984年1月1日、ブルネイ・ダルサラーム国として完全な独立国となると、そのまま国旗となりました。東南アジアにおいて、黄色は伝統的に王家を象徴する色であり、ブルネイ国旗の黄色も、スルタン(ブルネイの国王)を象徴しています。斜めにかけられた帯(公式的には「平行四辺形」と称されている)の白と黒は、ブルネイの2人のワジール(大臣、地方長官)を象徴しています。
 中央に配置されたブルネイの国章は、イスラム教を象徴する三日月と、ブルネイ王室を表す傘、片翼4つからなり正義・平穏・繁栄・平和を表す翼、政府の福祉・平和・繁栄を象徴する両手などを組み合わせています。三日月には「神の御導きに従って常に奉仕に尽力する」という国の標語が、三日月の下のリボンには「ブルネイ・ダルエスサラーム(平和の国ブルネイ)」という国名が、それぞれアラビア文字で記されています。




ブルネイの歴史

 ブルネイの歴史は古く、現在の王家は15世紀に即位したスルタンを始祖としており、世界有数の歴史を持つロイヤルファミリーとしても知られています。
 ブルネイのある東南アジアの島々は、歴史的に見ると無数の少数民族社会、都市国家が互いに独立して発展してきたところで、ブルネイも4~5世紀には天然の良港を持つ都市国家として独立していたと考えられています。宗教・文化的にはインド、後にイスラムの影響を強く受け、15世紀にはムハンマド・シャーが即位して現代に続く国家の基礎を確立しています。16世紀にはカリマンタン島とフィリッピンの南半分、インドネシアの一部までを含む海洋帝国として発展しました。しかし、17世紀以降、西洋列強の東南アジア植民地化の波の中で次第に領土を縮小しています。そして、1888年、領土確保のために英国の保護領となります。
 第二次世界大戦中には日本軍の勢力下に入りましたが、戦後は再び英国による統治に戻り、1984年、完全な独立国として主権を回復しました。20世紀に入り石油が発見され、以来注目を浴びるようになりましたが、東南アジアで最も平和で静かな時を歩んできた国のひとつともいえます。
 現在、ブルネイの輸出総額は 6,200 億円ですがそのうち90%が石油・液化天然ガスで、輸出国は 日本 29%、韓国 14%、マレーシア 11%へと続き、液化天然ガスの輸出先はそのほとんどが日本であり、日本とは深い関係にあります。ただし、2018年の日本の輸入総額は82.7兆円でそのうち、原油は7.3兆円、液化天然ガスは4.1兆円ですから、日本から見ると原油と液化天然ガスの1.6%をブルネイから輸入していることになります。




1日目 成田からブルネイ王国へ

1日目、2日目の大画面のみはここをクリック
 午前11時30分発のBI696便でブルネイ王国へ出発(直行便)です。首都はバンダル・スリ・ブガワンという長い地名で、覚えるまで時間がかかりました。
 イスラム教なので、機内でのアルコールはありませんでした。



午後5時10分ブルネイ王国に到着

 まだ、明るいうちにブルネイ王国に到着です。かなりの高級住宅が眼下に見えてきました。裕福そうな国です。




ナイトマーケット見学 午後6時

 まだ明るいので、ホテル到着前にナイトマーケットの見学です。
 ナイトマーケットの隣は遊園地ですが、どうも今日は閉まっているようです。
 ちょうどラマダン期間中なので太陽の沈むまで飲み食いができないこともあって閉まっているようです。土日は開くとか言っていました。
 近くに立派なスーパーマーケットもありますが、このようなマーケットも人気があるそうです。
 ラマダンなのでここで買い物をしても、日が暮れるまで飲み食いは出来ません。家に持って帰るのでしょう。
 なお、ブルネイでは宗教の自由が許されており、イスラム教徒以外は昼間でも食事をできますが、公共的な場所、人目の付くところでの飲食は禁止だそうです。
 お酒は国内では一切売っておらず、イスラム教徒以外の人は国境を越えマレーシアでお酒を買って持ち帰り、自宅で飲むのだそうです。



ホテルチェックイン

 ホテルは4つ星の CenterPoint Hotel でした。 国際空港の滑走路の端からわずか1㎞のところにあり、オールドモスクのあるダウンタウンまで約4kmの位置にあります。
 T 字型をしたかなり大きなホテルでショッピングモールとは2階の橋で繋がっています。
 NHKの総合TVをそのまま見ることが出来ましたがノイズが大きく画像はかなり歪んでいました。



 T字型をしたホテルで客室はかなり多そうです。



ホテルで夕食

 チャックインの後、すぐに夕食でした。
 今回のツアーの参加者は18名でご夫婦の参加は私たちを入れてもわずか3組で、男性の合計は4名、女性は14名でした。

 当然ながらアルコールはありません。
 なお、日本から手荷物でアルコールを持ってくることはできますが、届け出が必要です。
 私たちも含め持ってきた人は誰もいませんでした。




2日目 ローカルマーケット観光後マングローブリバーサファリツアーと
     水上集落見学、その後、旧モスク見学


朝食
 
 ホテルでのバイキングでした。



ホテル周辺散歩

 食事の後、ホテル周辺を歩いてみました。



ローカルマーケット(タムキアンゲ)

 ホテルを9時に出発し市内観光です。
 まずは朝市の見学です。マングローブリバーサファリ乗り場の近くにあるローカルマーケットです。
 非常に長いナスやキュウリには驚きました。




マングローブリバーサファリと水上集落見学
 下の図は朝市やボートの通った場所、オールドモスクなどです。


 18人全員が浮袋を身につけ1隻のボートに乗りサファリスタートです。船が傾かないよう9名づつ両側に座ります。


 水上集落の向こうに、長い名前のDuli Pengiran Muda Mahkota Pengiran Muda Haji Al-Muhtadee Billah Mosqueモスクが見えてきました。



 さらに進むと王宮が見えてきます。



 船はマングローブの中を進みます。


 橋が架かっています。王宮のお墓に行くための橋だそうです。



 船はこの辺でUターンしました。



 サルが見えます。臆病者でなかなか姿を現さないそうです。




 ガイドさんが新芽と実を取って見せてくれました。針のように尖ったのが新芽でサルの餌になるそうです。




 再び王宮のお墓の脇を通り抜けて船は戻ります。



 船は再びモスクの脇を通り抜け、水上集落に入りました。立派な水道管が引かれています。

 16世紀、ここに訪れた西洋人がこの集落を見て「東洋のベニス」と称えたそうです。
 水上集落が作られた理由は、周辺に住むライオンやトラから身を守るためでした。そのため、橋は一切造られておらず、ボートによる移動でした。当時から2万世帯以上が暮らしていたと伝えられており、世界最大級の水上集落です。伝統産業である手工芸品の主な生産地です。
 水上といっても電気・水道などのライフラインは完備されており、家の中は広く、集落には学校や警察署、モスク、消防署などもあります。
 バルコニーから網を投げれば小魚やカニなどが取れるそうです。
 時に大規模な火災などが発生するため、政府は陸上の住居を提供していますが、なかなか移らないのだそうです。

 

 消防署が見えます。水上集落にとって火災が最悪だそうですが、よくあるそうです。



 水上集落のお宅拝見です。ツアー客のために特別に作られた部屋に案内され、お菓子が出て一休みです。



 部屋でお菓子を食べた後の帰り道です。中国人と思われっるグループが入って来ました。通路が狭く通り抜けるのを待つしかありません。
 崩れかけた家はそのままにしてあるようです。



 いよいよマングローブリバーサファリは終わりです。





オールドモスク(オマール・アリ・サイフディンモスク)

 船を降りると遠くにオールドモスクが見えます。
 ここから左の地図の赤線に沿って歩いてゆきました。
 モスクの前の池はラグーンになっており16世紀の王室御座船のレプリカが浮かんでいます。
 モスクの前に来ると門が開いているので入ってみました。
 一般には内部が公開され、誰でも入れるそうですがラマダン期間中なので残念ながら入ることが出来ませんでした。
 このモスクは前国王が在位中の1958年に完成しています。
 何分、石油が発見され豊かになった後に作られたものでオールドといっても今から60年前のことで、私が大学1年の頃になります。
 総工費は当時のお金で約20億円ぐらいだそうです。
 内部の大理石、ガラスや絨毯など世界中から第一級品を輸入して作られたそうです。



 ラマダン期間中でも、入り口までは誰でも入れるそうです。



 モスクの入り口からぐるっと一周するように写真を撮りました。




昼食 ヨットクラブ

 昼食はオールドもクスから数㎞のところにあるヨットクラブでした。ラマダン期間中なので人目の付かないところでの昼食となります。



 昼食後、ホテルにバスで戻ります。中華街もありました。



ホテル周辺散策

 ラマダン期間中なので、昼のレストランにはお客がおりません。


 夕食まで時間があったので、ホテル周辺を歩いてみました。
 ホテルの隣の交差点です。かなりの交通量がありますが、信号機がありません。でも、うまくぶつからないように運転しています。
 人が道路を横切ろうとすると必ず停まって待ちます。日本でも横断歩道を渡るときは人が優先ですが、こちらの運転はそれ以上によく停まり、人の横断を待つのには驚きです。



夕食 マレーインドネシア料理(Pondok Seri Wangi)

 夕食はオプションでした。マレーインドネシア料理です。参加者は8名のみでした。
 場所は明日泊まるホテル The Empire Hotel のすぐそばです。
 レストランは素晴らしい公園の中央付近にあります。
 テーブルには日本から来たガイドさんとこちらに住む日本語ガイドの金子さんです。
 話はもっぱら金子さんへの質問攻めでした。金子さんは外務省からこちらに派遣されていましたが、こちらに住んでいた中国人と結婚し、今は日本人向けのガイドをしているのだそうです。
 夫もイスラム教徒ではないので、スカーフを被ることはありません。また、ラマダン期間中なのですが、私たちと一緒に昼食も食べていました。
 下の写真に右側の女性が金子さんです。日本人ガイドとしてかなり有名だそうです。



 食後、公園の脇を通り、バスでホテルに戻りました。



ホテルでのNHK総合TV

 時差は1時間ですので、午後8時になると日本の9時の番組を見ることが出来ます。画質はこのチャンネルに限りかなり悪いのが残念でした。




3日目 午前中 針なし養蜂場見学。
    午後は今夜の宿、エンパイアホテルへ移動

3日目の大画面のみはここをクリック
 針なし養蜂場見学はオプショナルツアーで希望者だけが出席です。
 参加者は12名でした。
 午前中養蜂場を見学し昼食後いったんホテルに戻ります。
 チェックアウトは午後2時半でそれまでは自由時間でした。
 午後3時、全員を乗せたバスは今夜の宿、The Empire Hotel へ向かい約30分で到着しました。



 二泊した CenterPoint Hotel のロビーです。
 バスは9時出発なので少し待っているとき同行者がシャッターを押してくれました。



ホテルから養蜂場へ

 道路脇に建つ住宅は総じて豪華です。



針なし養蜂場見学

 日本などで普通にみるミツバチに比べると非常に小さなハチです。たぶん、観光用に作られた養蜂場だと思います。

 蜂蜜の味は普通の蜂蜜とほとんど同じでした。
 この程度の収穫量では出荷してもその金額はわずかでしょう。




養蜂場からホテルの隣にある昼食会場へ

 立派な住宅が続くので写真に収めました。

 ガソリンスタンドはシェルのみの1社だそうです。
 石油王国ですが、国内での消費量は非常にわずかでしょう。



 少し遠回りしてその後高速道路を利用してホテルの隣にあるレストランへ向かいました。
 サンガイ川は非常にうねるくねった川です。



昼食会場

 私たちが泊まっているセンターポイントホテルのすぐそばにあるレストランです。
 ラマダン期間中の昼食で回りから隔離されていました。要するに目立たないようにして食べれば公衆の場所ではないとされるようです。



 昼間なのでレストランはガラガラです。私たちの席はあまり目立たないレストランの端でした。


 昼食はホテルに隣接するレストランなので、歩いてホテルまで戻りました。
 下の写真はその時の風景です。本当に驚きました。走っている車も歩いている人も誰もいません。私たちのグループだけが道を占領しています。
 今日は金曜日で12時から2時まではお祈りの時間で外には出ないのだそうです。



 ホテルのフロントもガラガラでした。



 午後3時、チェックアウト後バスで今夜の宿、5つ星ホテル エンパイアホテルに向かいました。約30分で到着でした。



The Empire Hotel エンパイアホテル

 自称、世界に2つしかない7つ星ホテルの1つだそうです。
 確かにブルネイ最高の5つ星ホテルです。
 広い敷地にいくつもの客室ビルを持ち、ゴルフ場なども持っています。



 バスを降りホテルに入りチャックインです。

 ニューモスクの模型が玄関の広間に飾られていました。
 ラマダンの期間中のみ置かれるそうです。


 私たちの泊まる部屋は WaterFall ビルです。ロビーのガードマンに頼むとカートで送ってくれますが、歩いても 2、3分なので道を覚えるため歩いて行きました。
 そのため本館の中を歩くのですが、本館の中にはたくさんのショッピング店があります。



 道を覚えるよう、歩いて私たちの部屋へ向かいます。




WaterFall ビル

 普段はボーイが座っており、お願いするとカートを呼んでくれます。



 二部屋続きのかなり豪華な部屋でした。大理石と金メッキの水道です。

 私たちの部屋は残念ながら1階で見晴らしはあまり良くありませんでした。

 下の写真はラマダン期間中のお祈りのための時刻表と、テレビのチャンネル表です。部屋の中に置いてあったので写真に収めました。
 ラマダンの時期は年により少しづつ違ってくるので、このような表が必要なのでしょう。
 テレビではNHKを見ることが出来ましたが、日本で見る地デジの総合チェンネルとは多少違っていました。




夕食場へ

 レストランは本館のロビーから続くエスカレーターを4つも降り、そこから外に出て少し歩いたところにあります。




4日目 ホテルを出て王室資料館、王宮、新モスク、旧モスク(夜景)観光。
    夜になってから空港へ

4日目、5日目のの大画面のみはここをクリック
 ホテル出発は11時半なので、午前中はホテル周辺を歩いてみました。泊まったホテルの横のハス池ですが、年中同じ温度なので、適当に咲くのでしょうか。



朝食後、ホテル周辺散策

 カートを呼んで本館に向かいしました。
 大理石の床をピカピカに磨き上げています。
 朝食はバイキングでした。



 朝食後、海岸べりを散歩してみました。



食虫草

 虫は一般に植物の葉を食べますがその反対の草もあり、よく見る食虫草がたくさん生えていたので、指でちょっといたずらしてみました。
 瞬間的に葉を閉じます。下の左右の写真は同じ場所です。



ホテル近くのゴルフ場、競走馬飼育場など

 ホテル出発は午前11時半でした。これから再び市内を観光し、その後夜の12時30分発の成田行きに乗り日本に帰ります。



王室資料館

 現国王の即位25周年を記念して、1992年に建てられた王家ゆかりの財宝を展示保存する博物館です。王冠や刀、コーラン、調度品、即位パレードに使われた車といった豪華な品々から、現国王の生い立ちの紹介、写真とビデオによるブルネイ独立までの歴史的な歩みの紹介など様々な展示がされています。
 これらは下の写真のフロアより一段高いところに作られており、そこに入るときには靴を脱ぎ、財布やカメラなどすべての手荷物を預ける必要があります。私たちの預け物はガイドさんが見張っていてくれました。
 下の円周上のフロアのみ写真可能でした。




昼食

 近くのホテルで昼食バイキングです。お客は私たちのみで入り口にはカーテンがかかっていて中が見えないようになっていました。



 市内のショッピングセンターにバスで移動です。



ヤヤサン・ショッピングセンターにて自由行動

 約1時間、自由なショッピングです。



王宮 イスタナ・ヌルル・イマン

 マングローブリバーサファリツアーの時、ブルネイ川から見ましたが、川沿いに作られており、世界最大の規模を誇る宮殿です。
 イスタナ・ヌルル・イマンは「信仰の光の宮殿」を意味しています。
 1984年、総工費4憶ドルで完成しています。
 主に王室一家の私的な目的に使用されていますが、ブルネイ政府のすべての国家機能も負っています。
 宮殿には1,788の部屋があり、257の浴室、5,000人を収容する餐応室、1,500人収容のモスクがあります。さらに自分専用の車のガレージはサッカー場ほどもある広さで300台も収容でき、そのうち165台がロールスルイスだそうです。王宮内で働くスタッフは1000名に及び、内外にはネパールのグルタン兵が守りについています。

 

 世界には規模の大きな王室がたくさんありますが、その定義によっていろいろ変わってしまいます。
 そのため、ギネス・ワールド・レコードでは真に宮殿に結合する室内の床の面積(いわゆる床面積)で定義しているそうです。それによるとイスタナ・ヌルル・イマンの床面積は20万㎡もあり世界最大です。二位は中国の紫禁城で、この王宮の75%、三位はスペインの王宮で67%、四位はイギリスのバッキンガム宮殿で39%だそうです。

 

 普段は門が閉められていて、入れない王宮ですが、たまたま門が少し開いており、少し中に入ってみました。
 車が出てゆくとすぐに門が閉められそうになり、慌てて外に出ました。




ニューモスク (ジャメ・アサール・ハサナル・ボルキアモスク)

 4本の高いミナレットがそのスケールの大きさを表しています。
 第29代スルタンである現ボルキア国王の即位25周年に合わせて、8年の歳月をかけて建設され、1994年に完成しています。
 サラセン調の大理石造りの豪華な建物で、純金のドームや約5000人が一度に礼拝できる巨大な礼拝堂などがあります。
 誰でも中に入れるそうですが、ここもラマダン期間中なので中には入れませんでした。



 私たちのグループがなにか発見したようです。



 モスクの内部には入れませんが、どこでも自由に歩くことは出来ました。

 暗くなってから夜景のモスクを見るため、この周辺を夜になってから再び歩きました。




ホテルにルに隣接するショッピングセンター

 暗くなるまで、適当に時間をつぶしました。今夜の夕食は、各自勝手に食べることになっており、私たちはこの中のパン屋でパンを買い、適当に置かれている椅子で夕食を取りました。
 なお、今夜、飛行機の中でも夕食が出るので、あまり食べる必要はありません。




オールドモスクの夜景

 一昨日、昼間歩いた時とほとんど同じ場所を歩きました。



ニューモスクの夜景

 このモスクは今日の昼間に歩いたところと同じ場所でした。




国際空港ロビー

 午前0時30分発のロイヤルブルネイ航空BI695便で成田に向かいます。
 成田着は午前7時半で、時差が1時間あり、飛行時間は6時間です。



 飛行機はガラガラで、3席を一人で使用できました。背中を座席に付けて仰向けになりゆっくりと眠ることが出来ました。




5日目 日本到着

 窓から下を見ていると、新川近くから千葉県に入り、霞ヶ浦でUターンし短いB滑走路に着陸しました。
 地図を見ていて驚くのは空港周辺のゴルフ場の多さです。
 なお、自宅が成田空港に近いのも海外旅行には助かります。

 高速道路のすぐ上を通って降りてきました。従って短い方のB滑走路であることがわかります。ただしこの種の飛行機にとっては十分な長さがあります。 



 今回の旅行では、現地の日本人ガイドさんが現地人と結婚しており、ブルネイの歴史や宗教上の問題などを熟知しており、いろいろと勉強になる旅でした。
 ちょうどラマダンの期間であったため、ラマダンとはどういうものかを実感出来たこと、1日5回のお祈りの習慣など、私たちは不便としか感じられないのになぜ皆がイスラム教徒でいることなど不思議に思っていました。ガイドさんによると、イスラム教徒はいったん教徒になれば改宗は死を意味すること。従ってイスラム教徒の人口の比率は必然的に大きくなること。かってこの国の国王がイスラム教徒の女性に恋をしたが国王自らがイスラム教徒にならないと結婚できないため、国全体をイスラム国としたこと、などなどです。
 かって、イスラム国のウズベキスタンに行った時もラマダン期間中でしたが、その時は殆ど気が付かない程度でしたが、この国はかなり徹底しています。
 イスラム国といってもイスラム教の影響度は異なるのでしょう。
 今世紀に入り、サウジアラビアやイランなど多くの産油国が驚くほどの変革を経験していますが、産油国の多くは極めて大きな幸運に授かっています。しかしそれがいつまでも続くわけではなく、いずれは枯れてしまいます。
 エジプトの歴史や日本の王朝文化などは歴史書や小説で知ることが出来ますが、数千年後の歴史書で現在がどのように書かれているか、誰も知る由はありませんが、それもロマンの一つでしょう。







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