2023年8月下旬から12月末まで



 最近、よくテレビで話題に上るのは野球の大谷翔平選手の巨額契約です。 米大リーグ・エンゼルスからドジャースにフリーエージェント移籍した大谷翔平選手29歳は10年総額7億ドル(約1015億円)でスポーツ史上最高額とされる超大型契約を結んだことでしょう。
 一方、話題の尽きないのは自民党の各派閥が政治資金を集めるためにパーティーを開催しその収入の一部を政治資金収支報告書に記載しておらず、政治資金規正法違反容疑である派の事務所が家宅捜索を受け、一部の議員は逮捕までされ、多くの辞任者を出していることでしょう。この問題がどういう形で収束するかはまだまったく分かりません。法律に照らして違法行為であっても、当事者は長年の慣習に従ったにすぎないと思っているようです。
 国際的には相変わらず、ウクライナとロシアの戦争、イスラエルのガザ地区及びパレスチナ領域へのまさにジェノサイド的攻撃です。国際放送では、毎日トップニュースとなっています。
 例によって最近の話題をAIに聞いてみました。Microsoft Windowsの質問欄のBingを使ってみました。
 質問 今年8月から現在まで日本と世界で起こった主な出来事を教えて下さい。
 こんにちは、これはBingです。今年8月から現在まで日本と世界で起こった主な出来事は以下のとおりです。
 たくさんの答えがありましたが主なものを書いてみました。
【日本】 
8月 荒井首相秘書官を更迭=LGBT差別発言、日銀総裁に植田和男氏
9月 陸自ヘリ事故=師団長ら10人搭乗、全員死亡。植田日銀、本格始動。経産省、関電など5社に業務改善命令。
10月 大阪、奈良に維新知事=統一地方選。衆参5補選、自民が4勝1敗。岸田首相、キーウ訪問
11月 国産量子コンピューターが稼働。文化庁、京都で業務開始=中央省庁初の移転。全国34店舗に立ち入り検査=ビッグモーター不正請求。
12月 IAEA事務局長、処理水設備確認。岸田首相が欧州訪問。個人情報保護委、デジタル庁を検査=マイナ巡り、行政指導も視野。

【世界】
8月 フィンランドが正式加盟=NATO北方拡大、31カ国に。韓国大統領、米議会で演説。対中ロ「強い結束」=G7外相会合で共同声明。
9月 習氏3期目、台湾統一に決意=中国全人代。尹韓国大統領が初来日。中国主席が訪ロ。北朝鮮、戦勝 70年で軍事パレード。
10月 ウクライナで原発の取水ダム爆破、決壊。トランプ氏の性的暴行認定=NY陪審、6億円超支払い命令。タイタニック見学の潜水艇、海底に破片、5人の生存絶望。ロシアで民間軍事会社ワグネル反乱。
11月 大米連邦最高裁、大学入試の人種優遇は違憲。インド太平洋との連携強調=ウクライナ理事会、初開催―NATO首脳会議。
12月 G20エネ相会合、共同声明見送り。バイデン米大統領、ウクライナを電撃訪問。ウクライナ侵攻「全国民が支持」=プーチン氏が官製集会。ウクライナの平和実現を=侵攻1年、国連総会で決議。
 以上でした。なぜかイスラエル関連は乗っていませんでした。
 今年11月23日、NHKのヒューマニエンスで 「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」が放送されました。83歳になる小生にとって死は間違いなく身近になっており、大変参考になりました。その概要を最後のコラムに乗せてみました。この放送はNHKオンデマンドで今も見ることが出来ます。 検索は「死の迎え方」です。

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8月下旬   真夏です。今年の猛暑は記録的だそうです。散歩は早朝になります。麦刈りの後には秋のコスモス畑の準備がなされていました。
 


9月中旬 
 千葉県にめずらしく大雨注意報が出され、毎日散歩している田んぼの低いところは完全に水没し、道路は通行不可になりました。
 稲穂はかなり実ってきています。
 これら水没地点の稲は後にきれいに回復されました。農家の方々の努力は大変でした。


 先祖代々のお墓は家の近くになったので、よく出かけるようになりました。


 9月下旬 コスモスが咲き始めました。


10月5日  笠間日動美分館 春風萬里荘
 笠間と言えば伏見稲荷・豊川稲荷と並んで“日本三大稲荷”と称される笠間稲荷神社と陶芸の町ですが、日動美術館でも有名です。本館と分館がありますが、今日は分館を訪れ、明日は本館に行く予定です。
 私が育った田舎の茂木町から車で1時間以内なので、以前、両親と初詣にこの笠間稲荷神社に来たことがあります。
 本館には過去に数回行っていますがこの分館は初めてです。
「春風萬里荘」(しゅんぷうばんりそう)はかつて北大路魯山人が自らの居宅としてた古民家で、1965年(昭和40年)に笠間日動美術館の分館として北鎌倉からこの地へ移築されました。この茅葺の母屋の前には地形を活かした回遊式庭園、母屋裏に京都『龍安寺』の石庭を模したという枯山水庭園があります。お庭を眺めながらお茶を頂きました。
   
   


 以前のお墓を訪れ、様子を見てきました。近くに立派なキノコが育っていましたがどうも毒キノコのようです。


 我が家の庭は草が生え放題なので玄関には庭の隙間を通ることになりましたが、特に用もないので家の中には入りませんでした。


 日帰りの運転は疲れるので今回は以前家内の姉たちと来た益子の益子館リゾートホテルに泊まりました。部屋は前回と同じにしました。


10月6日 笠間日動美術館
 没後55年になる藤田嗣治展が行われていました。藤田は5人の妻がおり、一人目は日本人でしたがフランスへ行くことになり離婚、2人目から4人目はフランス人で5人目は日本に帰国中に出会った25歳年下の日本人で終生二人は生活を共にしでいます。藤田の生きた時代は第一次世界大戦、第二次世界大戦など戦争の時代でした。フランスへ渡る前、藤田は日本で全く評価されませんでしたが、フランスへ渡りその数年後、藤田の絵は高く評価されるようになり数々の表彰、勲章を受け、大変有名になります。1933年、日本に帰ったのち、1935年、君代と結婚します。1941年、第二次世界大戦が始まり、藤田は戦争画をたくさん書かされ、戦後は捕まらないよう、隠れて過ごしていたと言われています。藤田は日本が嫌になり、もう永遠に日本には戻らないと友人に漏らしフランスへ渡り、フランスへ帰化します。藤田は日本を嫌いになったのではなく、日本から追い出されたのだと言っていたそうです。
 没後、数々の作品を妻君代が管理し、個人画集・展覧会図録等の監修を行っています。君代は2007年、東京国立近代美術館アートライブラリーに藤田の旧蔵書約900点を寄贈しています。藤田の死去から40年余りを経た2009年4月2日に、君代は東京にて98歳で没しました。遺言により遺骨は夫嗣治と共にフランスの「フジタ礼拝堂」に埋葬されました。
 展覧会での藤田の絵は写真禁止でした。


 10月中旬   コスモスが満開になりました。宣伝はしていないので観客はほとんどいません。
 


 10月下旬
 稲刈り後、刈後から芽を出し稲穂も大きくなりましたが、実はほとんど付いていないないようです。


 手に取ってみると後ろにはたくさんの虫がいました。この世に虫がいるのは幸せです。虫のいない世の中はさみしい気がします。


 玄関のお花です。中国の始皇帝陵と兵馬俑抗に行ったとき買ったお土産が飾られています。


 佐倉城址公園を散策しました。さくらの一種、松前花山院が花を咲かしていました。


 11月2日 紅葉ドライブで群馬県に出かけました。


 今日のホテルはフォレストリゾートコニファーいわびつです。


 明日は岩櫃山のハイキングの予定ですが、
どこまで登れるかはわかりません
ホテルは木造建築でしたが、この近くには
たくさんの杉の木林があります。
   


 岩櫃城跡  とりあえず、山を登ってみました。


 ここから急な上り坂になり、ハイキングは中止でした。


 あがつま狭は長さ4km、一番深い高低差は50mだそうです。ここから約1km上流にはこれから行く八ッ場ダムがあります。


 八ッ場ダムとその上流

 八ッ場ダムの総事業費は約5320億円で日本のダム史上最高額となり、計画から68年を要しています。鳩山政権時代、その工事を中止させ、連日大きなニュースになっていたのを思い出します。
 たくさんの人家が湖に沈んだため、湖の両岸に移動用の土地の整備がなされましたが、多くの住民はそこに住まず、他の土地に引っ越したそうです。
 


 ここにはJR吾妻線の川原湯温泉駅が作られていました。


 ここかは自宅までまっすぐ帰りました。約3時間半かかりました。


 何時もの散歩です。最近はお隣さんをよく誘います。


 たくさんの柿が実を付けています。一個味を見てみましたが、恐ろしく渋く、舌のしびれがなかなか取れませんでした。


 一度刈り取った稲が芽を出し、結構な大きさになり、稲穂が実り始めていました。しかし稲の実は小さく利用は出来ません。その稲を刈り取って田んぼの肥料にするようです。


 自宅から志津駅へ。 散歩のため寄り道を通るとたくさんの花が咲いていました。公共の道路壁で自然に生えたのでしょうか。


 佐倉城址公園の駐車場です。城址公園内も散歩いました。


 麦がきれいに芽を出しました。これらの麦は牛などの資料に使用されるようですが、種をまくと1週間ほどで発芽し、冬はゆっくりと成長します。


 12月上旬 今日も良い天気です。お隣の加藤さんを誘っての散歩です。


 何時もの散策道路の楓も紅葉してきました。


 12月中旬 葛西臨海海岸を散策しようと子供や孫たちが集まりました。レストランで昼食をとり、その後、海岸まで散策でした。葛西臨海海岸は3家族の中心ぐらいの位置にあり、集まるのが容易です。
   


 12月中旬 家の庭
 
 袖ヶ浦カントリーのスタートハウスのおばさんから頂いた皇帝ダリアが満開です。春になると芽を出し急成長し冬に花を咲かせます。
 満天星(どうだん)つつじもきれいに色づいています。
 50年以上も前に購入したままにしてかなり傷んできた入り口の階段ですが、その隅には小さな雑草が花を咲かせていました。接近して写真にとるとかなり奇麗でした


 佐倉市立美術館

 佐倉市出身の陶芸家、和田的展の見学です。帰りはすぐ近くの佐倉城址公園の散策でした。


 お隣の加藤さんを誘って散歩です。今回はすこし高台まで登ってみました。

 
 奥日光湯元温泉

 今回のドライブの目的は青い温泉水が有名な奥日光湯元温泉での宿泊です。すでに何度も来ています。



 中宮祠(ちゅうぐうし)
中禅寺湖へは何度も来ていますが、
ここを訪れるのは初めてです。
 今回はホテルへ行くにはまだ早すぎるので時間つぶしも兼ねて階段を上ってみました。雪が降り始め、階段には手すりもなく、滑って転げ落ちたら大変なので、慎重に登ってゆきました。

 二荒山神社は中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に鎮座する神社です。 男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光市内にある二荒山本社の中間にあるので
中宮祠と呼ばれています。
 3つの大きな鳥居、水神の碑、、唐門と御神体山、山霊宮(やまのみや)御神木(いちいの木)、男体龍水で銭洗い、幸運の杜への入り口、さざれ石、男体山の「大蛇」御神像、奥日光の奇石「牛石(うしいし)」
登拝門は唯一!男体山の山頂にある奥宮に
行く事ができる通り道です。 
 


 中禅寺湖からさらに上ると戦場ヶ原に到着です。夏、日光の商店街はたくさんの野生の猿に悩まされますが、この寒い中、二匹の猿がものすごい速さで手を動かし、何かを食べているようです。


 ロビーはかなり豪華でした。2時に到着したので少しロビーで時間をつぶしました。マッサージ椅子が2台ありましたが、いづれも無料でした。


 食堂はに結構たくさんのお客が居りました。ほとんどは私たち並みの高齢者でしす。
 ウエートレスは何人もおりましたがすべて外人なのには驚きました。少しなまりのある日本語なのでどこから来たのか聞いてみたところ、ヤンマーやネパールで東南アジアからが多いようです。
   


 朝の窓ガラスはまだ雪が残っていました。泊まったホテルの外壁は赤く塗られていました。
雪をかぶった山は日光白根山です


 日光山中善寺

 日光山中善寺は天台宗の寺院で世界遺産「日光山輪王寺」の別院で。坂東三十三観音霊場の第18番札所であり巡礼の名所です。
 この中禅寺には立木観音や五大明王像が安置された五大堂があります。
 中禅寺湖はこのお寺が湖周辺では最大のため中禅寺湖と名付けれれました。
 


 立木観音は写真禁止でしたが、像の胴の下は太い立木のままで、その木から切り出した枝などで先手の腕が作られたそうです。


 五大堂

 この五大堂はかなり階段を登った高台にあります。 お堂の中はキラキラと輝くたくさんの飾り物があります。写真禁止は残念でした。
 男体山の標高は 2,486mですが、ここから見える頂上は8合目ぐらいでしょうか。
 男体山への登山口はここから見えるまだ雪がない所へ
登りそこから今は雪をかぶった山頂へ登ってゆきます。
 小学6年のころ、従妹の兄に連れられ、
近くの小学校から出発する登山バスに乗り、
山頂まで登ったのを覚えています。
 8月1日午前0時が山開きで、
多くの人が登山口に集まり、
零時になると、一斉に登り始めます。
登るのに4時間ぐらいかかり、
日の出を見て降りてきます。
 3時間ぐらいからり、全員が集まりバスで
茂木町飯野の小学校に戻りました。
 登山は5月から10月まで何時でも
登れるようですが、8月1日零時の
山開きは、お寺の行事と関係があるようです。


 華厳滝も見に行ってみました。何度も見ていますが、飽きることはありません。まず、エレベーターで100m下り、それから少し歩くと展望台に出ます。


 正月を迎えるにあたって便利屋さんに台所の大型ファンの掃除をしてもらいました。
 右のお花は京成電鉄臼井駅に持ってゆきます。これはボランティアの一つです。




 付録  ヒューマニエンス 「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」
 今年11月23日、NHKのヒューマニエンスで 「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」が放送されました。83歳になる小生にとって死は間違いなく身近になっており、大変参考になりました。以下はその概要です。この放送はNHKオンデマンドで今も見ることが出来ます。検索は「死の迎え方」です。


 
最近は死を自宅で迎える人がふえているようです。
病院で栄養を胃ろうで取り、水分を点滴で取るなどは
無意味なことだと思う人が増えているのでしょう。
自宅で家族に見送られ死を迎えるのは確かに
理想的に思います。
数年前のコロナの時、病院での家族との
面会は禁止になり
孤独のまま死んでいった人が多かったのは
大変不幸な時代でした。
死ぬ5年ぐらい前から、通常通りの食事や水分を
取っているにもかかわらず、ゆっくりと時間を
かけて体重が減っていくそうです。
人間は母のお腹の中でいろいろな臓器になる
幹細胞が作られ、その幹細胞は体細胞を作り出し
人は10年以上もかけて成長してゆきます。
死ぬときはその反対で、幹細胞が体細胞を作る
能力が徐々に弱まり、数年かけて死へと向かって
行くのだそうです。
年齢とともに臓器の重さは減り、
肝臓、腎臓、脾臓などは顕著に
減少するそうです。


 対談では伴侶が死ぬとき、「あなたの人生はいい人生だったね。あの世では亡くなった多くの人とお会いしたり、そのうち私も行くからまた一緒に過ごそうね。」と言って見送るのと、「体のいろいろな所が弱っていて痛かったりして苦しいだろうけど、まだまだ生きられるから頑張ってね、と言い、病院に入院させ、胃ろうや点滴による水分哺乳により生命を維持しよう。」と決められるのはどちらが良いだろうかの議論があり、また、死ぬことを時に「息を引き取る」とも言いますが、死ぬ直前大きく息を吸い込み、そのまま動かなくなり死を迎える人も多い、などの話もありました。
 なお、私が調べた結果、男性が死ぬ人数の最も多い年齢は85歳で女性は92歳でした。死亡平均年齢がこれよりも少ないのは若くして死ぬ人が多いためです。






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