アメリカ国立公園ドライブの旅
イエローストーン編
2007年9月11日-9月25日 15日間
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アメリカの国立公園に魅せられ、今回はソルトレイク市を発着地とし、アメリカで第一番目に登録されたイエローストーン国立公園や、映画シェーンのふる里グレートテイトン国立公園、カナダにまたがるグレーシャー国立公園、また、だいぶ東に進み、映画、未知との遭遇で最後の着陸地となるデビルズタワー、4名の大統領の彫刻のあるラッシュモア、そして、モルモン教徒が60%と居ると言われるソルトレイク市内などを見学しました。
訪れた州は、ユタ、アイダホ、ワイオミング、モンタナ、カナダのアルバータ、サウスダコダの6つの州にまたがりました。下の地図に訪れた州を示します。 |
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大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
再生速度は右下の三つの点を押すと早くしたり遅くしたりできます。 |
下の地図はルート図と宿泊場所ですが、走行距離は、今までの最高で 6,232km となりました。 |
もし、今までに訪れた国立公園の中で、もう一度訪れたいところは何処かと聞かれたら、即座に、イエローストーン国立公園と答えるでしょう。
今までのドライブのかなで初めての経験ですが、車のトラブルが発生しました。タイヤの空気圧異常です。スピードメーターのパネルに空気圧異常の警報が自動的に表示されました。さすが、アメリカは進んでいると感じました。
今回はどのぐらいの費用が掛かったかを計算してみました。二人での費用ですが、航空運賃 30万円(JAL吾空)、レンタカー代 17万7千円、ガソリン代
7万円、ホテル代と食費が約20万円で、締めて、75万円となりました。 |
JAL002便にて、17:30成田を出発、10:45サンフランシスコ空港に到着。ユナイテッド航空のターミナルに連絡電車で移動し、12:50サンフランシスコを出発、ソルトレーク市には時差の関係で、15:40到着でした。サンフランシスコでの待ち時間はあまりありませんでした。 |
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ハーツレンタカーの車置き場はターミナルに隣接してあり、便利でしたが、予約した車の清掃が終わっていなくて、30分ぐらい待たされました。
ホテルまで約、20分のドライブで、まだ明るいうちにチェックインできました。
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ホテルに到着
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何時ものように、出発前、日本からインターネットでドライブインを予約しておきました。
まだ、時間があったので、スーパーマーケットで、これからのドライブのための食料やお酒を手に入れました。 |
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2日目 Grand Teton National Park
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グランドテートン国立公園はイエローストーン国立公園のすぐ南に位置し、ソルトレーク市から500kmぐらい北上したところにあります。
朝、7時ごろホテルを出発し、グランドテートン国立公園に午後2時ごろ到着でした。
その後、公園内を3時間程度ドライブ、散策し、Idaho Falls市のホテルに向かいました。今日は 763km の長距離ドライブでした。
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今日はかなりの長距離ドライブです。昨夜はぐっすり寝たので、早い朝食をとり、大草原をひた走り、北へ向かいました。
そこはまさにアメリカの開拓前の原風景をそのままにした、何処までも続く大草原でした。この大草原は、映画「シェーン」の舞台ともなっています。
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途中、幾つもの湖の側を通りました。眺めの良いところで、昨日スーパーで買ったジュースや野菜、パンなどで、昼食です。 |
グランドティトン国立公園
ソルトレーク市からここまで、大草原を延々と走って来ると、突然、険しい山が姿を現します。
グランドテートン山の標高は 4,197m で、富士山よりも高く、かなり険しい姿をしています。
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ドライブしていると駐車場があり、散歩道が整備されていたので歩いてみました。
ティトン山脈が前方に横たわり、その雄姿を青空の中、くっきりと映し出していました。
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展望台
小高い山に登る道があったので行ってみました。散歩道が整備されていてました。
ジャクソン湖
ジャクソン湖はティトン山脈の北半分に面しています。
この湖は国立公園であるにも関わらず、ダムがあるのは、国立公園に指定される前の1916年、農業用水確保のために造られたそうです。
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ひときわ高い山は標高 4197mのグランドティトン山です。
3日目 Yellowstone National Park 一日目
イエローストーン国立公園は1872に設立され、アメリカはもとより、世界で一番古い国立公園と言われます。険しいロッキー山脈の真っただ中にあります。公園内にはおよそ60種の動物が生息しています。北アメリカで野生の生態が残されている数少ない場所でもあります。
訪れてみると、いろいろな公園を一ヶ所に集めたような公園で、大草原、湿原、野生動物、渓谷、山、滝、温泉、間欠泉、紅葉など、変化に富み、また、非常に広く、四国の半分くらいもあり、アメリカ最大の広さを持ちます。
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Yellowstone 国立公園の全体図です。
一日で全体を見るにはあまりにも広く数日は必要と言われています。
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Idaho Fall のホテルを出発し、今日は公園のちょうど半分の南側を観光しました。
今夜の宿は、公園の入り口の町、West Yellowstone です。
昨日訪れたグランドティトン国立公園はこのすぐ南にあります。 |
西口から公園に入ると、まず驚くのが、山火事で山全体が焼け焦げ、そのまま立っている木や倒木がいたる所にあり、それがほとんど放置されていることです。道路わきにもたくさん横たわっており、片付けたらもっと綺麗な公園になるのにと思うことがあります。
イエローストーンでは落雷により山火事が毎年のように発生しています。しかし、人の手による消火活動は最低限に抑えられています。自然の摂理により、再生するのを待とうというのです。そのため、山火事が起こっても、自然に消えるのを待つそうです。焼けた木は土にかえり、養分となり、新しい木が成長するのを助けます。一見、自然破壊に見える山火事が生態系の維持に役立つことが分かったのです。
松かさの中には113度の温度になると弾けて種を飛ばすものがあります。樹林の焼け跡には新しい木が生え自然は自生して行きます。山火事は自然の再生に大きな役割をしています。
イエローストーンは微妙なバランスの上に成り立つ自然の営みを私たちに教えてくれています。
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公園を南に進んでゆくと、遠くに、噴出泉が見えてきます。近づくと、いろいろな種類の噴出泉や間欠泉があり、それらの泉は間欠泉で有名なオールドフェイスフルまで続いています。
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Madison から南下し、Lower Gaiser Basin から、間欠泉で有名な Old Faithful まで、噴出泉や間欠泉が続いています。 |
イエローストーンにある間欠泉は1万以上で、世界中のおよそ四分の三が集中しています。
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Lower Gaiser Basin
Bacteria MAT
Silex Spring 硅石の泉
Fountain Paint Pots 絵具の泉
リバーサイド間欠泉
アッパーカイザーベイスン
不思議な色に輝く温泉水は、スルフォバレスと言われるバクテリアで、酸素の無いPH1と強い酸性の中でしか生きられない、世界最古の生物と言われ、このバクテリアはイエローストーンだけにしかないそうです。
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TURQUOISE POOL トルコ石色プール
ビスケットベイスン
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この温泉地帯は特に気まぐれで予測不可能です。
1959年8月17日、マグニチュード7.5の大地震が数マイル北西で発生しました。
その4日後、サファイアプールが激しく噴火し、ビスケット型の大きな岩をクレータ周辺にまき散らしました。 |
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黒砂ベイスン
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噴火で出来た黒曜石の砂がこの噴出泉の名前の由来です。
温泉の中やその周りの黄色、緑色、その他いろいろな色は、熱を好む微生物から成り立っています。
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Old Faithful Geyser オールドフェイスフル・ガイザー
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黒砂ベイスンを過ぎると、イエローストーンを代表する間欠泉、オールドフェイスフル・ガイザーがあります。 |
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この間欠泉は、ビスケット間欠泉が気まぐれに対し、Faithful と言われるように、極めて忠実、正確です。すなわち、噴出間隔、噴出持続時間、噴出の高さがほぼ一定に保たれています。
一般に、その間隔は65分から90分で、持続時間は2分30秒から3分程度、噴出の高さは30mから55mぐらいになります。
噴出の持続時間が長いと、噴出間隔は長くなり、おおよそ、次の噴出時間を推定できるそうです。
行ってみると、次の噴出まで、45分と博物館の入り口に書かれていたので、噴出するまで、リバーサイドガイザーを見てきました。 |
まだ、観客席はまばらでした。
しばらくすると、観客席はほぼ満員でした。でも、座らない方が良く見えます。
この間欠泉はおよそ2万5千年前からこのようにして定期的に噴出を繰り返していると推定されています。
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リバーサイドガイザー
オールドフェイスフルガイザーから、歩いて10分ぐらいの所にあり、オールドフェースフルガイザーが噴出するまでまだ時間があるので、遊歩道を歩いてみました。
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この周辺は、熱水がいろいろな所に吹き出し、山火事ではなく熱水で根がやられ、木が枯れてしまうそうです。
このような枯れ木がいたる所で見ることが出来ました。
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イエローストーン湖
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途中、イエローストーン湖畔を通りました。
この湖の海抜は2357mで、面積は琵琶湖の半分ほどもあります。湾内から温水が噴出しているため、冬でも凍らないそうです。
北米最大のカルデラ湖です。
この湖から流れ出たイエローストーン川は北に流れ、明日訪問するキャニオンカントリーを流れ、ミシシッピ川と合流し、ニューオーリンズを通り、はるか5000q南東のメキシコ湾へ注いでいます。 |
ドライブしていると、ときどきバッファローを見ることが出来ます。広大な公園なので、実際はたくさんいるのでしょうが、今日は3回ぐらいしか見ることが出来ませんでした。バッファローは気が荒く危険なので、100ヤード以内には近づかないようにとの注意書きが所々に立っていました。
19世紀初頭から、アメリカの野生動物は開拓によって次々に失われて行きました。
かってアメリカ大陸にはタイリクオオカミがたくさん生息していました。しかし、1930年時代、家畜の保護のため、それらのオオカミをほぼ完全に駆逐してしまいました。オオカミの絶滅は生態系に大きな変化をもたらしました。
天敵がいなくなり、鹿の仲間である草食動物エルクが増えすぎ、草原が危機的な状態になりました。また、オオカミにとって代わりコヨーテが3倍に増えました。その結果、コヨーテの餌になる小動物が減少し、小動物を餌とする他の動物も減少したのです。
1995年、バランスを崩した生態系を復元する試みがなされました。カナダで捕獲した31匹のオオカミを持ち込んだのです。それから8年、オオカミは210匹に至るまで繁殖しました。エルクが減少し、草原が復活しました。
オオカミに追われてコヨーテが減少し、小動物も元の数に戻ってきたのです。草を主食とし、草原に暮らすアメリカバイソンも絶滅寸前になりましたが、自然環境を取り戻すことにより、現在、3000頭まで増えています。また、アメリカ大陸全体では50万頭まで回復しています。
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草もみじ
もう、高原は秋なのでしょう。広々とした草紅葉が現れました。山あり、滝あり、草原ありとその変化には驚きます。
ここはカルデラ内部の丘陵地帯です。地下のマグマだまりによる温暖な環境が豊かな草原や森林を生み出しているこの一帯は古くから野生動物にとって格好の住処となっており、草を主食とするエルクやアメリカンバイソンがたくさん住んでいるそうです。
現在、ここには哺乳類60種、鳥類260種以上が住んでいると言われています。
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ギボン滝
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落差が26mの滝で、滝の水は湿原を蛇行しながら流れる小川に流れ込んでいます。
もう、だいぶ日が低くなってきました。この後、ホテルまで、もうすぐです。 |
4日目 Yellowstone National Park 二日目
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今日はイエローストーンの北半分を回りましす。
イエローストーンと言う名前が何処から来たのか、昨日は分かりませんでしたが、今日の夕方、キャニオンヴィレッジで黄金色に輝く渓谷を見た時、はっきりと分かりました。 |
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West Yellowstone にある Comfort Inn で2連泊です。今夜もこのホテルに泊まります。 |
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昨日は Madison から南下したのですが、今日は東に向かいました。昨日の夕方に通った道です。
ギボン滝を見学し、しばらく北上すると、Norris Geyser Basin に出ます。
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アメリカンバイソン二匹が一生懸命、草を食べていました。
Gibbon Falls ギボン滝
昨日も通った滝ですが、今日は少し周りを歩いてみました。
滝の落差は26mです。川面からも湯けむりが立ち上がり、小川は湿原へと流れ込んで、豊かな湿地帯を作っています。
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昨日と同じもみじになった大草原をドライブしていると、今日はアメリカンバイソンが見えました。しばらくすると、大規模な間欠泉の村が現れました。
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ノリス・ガイザー・ベイスン
ここにはイエローストーン最大の間欠泉、スチームボート(蒸気船)があります。噴出は不定期で、50年間も噴出さなかったことがあるそうです。噴出するとその高さは200mにも達するそうです。
ただし、ここの特色はワンハンドレッドスプリングプレインと言われる広大な噴出泉や間欠泉のある森で、その広さは約3km四方もあるそうです。木道がかなり広範に作られていましたが、全部は歩けませんでした。
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ワンハンドレッド・スプリング・プレイン
無数の間欠泉のある広大な地域です。早速中を歩いてみました。
歩いていても地面の熱さを感じます。温泉の近くの地表温度は80℃にも達するそうで、注意書きも書かれていました。
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エメラルドスプリングス
マンモス温泉
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Noris からさらに北上すると、マンモスカントリーと言われる、温泉テラスのある小さな村に出ます。この地域は、真冬でも開いているそうで、冬になるとそれ以外の場所は、閉じられてしまうそうです。 |
テラスマウンテン
このテラスは吹き上げられてくる温泉水に含まれる石灰分が蓄積されたもので、草木の枯れたのが一ヶ所に集まり棚を作りました。
毎日、2万トンもの石灰分を含んだ水が噴出していて、今もその姿を徐々に変えつつあるそうです。
このテラスを訪れた3週間後に、トルコのパムッカレを訪れましたが、非常に似た景観を呈していました。ただし、ここのイエローストンは、バクテリアのために、美しく輝く独特の色をしています。
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マンモス温泉街
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アッパーテラスから、遠くにマンモス温泉街が見えます。 |
アッパーテラス
ここには幾つものテラスがありますが、一番有名なのはこの Orange Spring Mound です。
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リバティキャップ
幾重にも重なった帽子を被った様な形をしています。近づくとかなり大きく、イエローストーンの番人だそうです。
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マンモスカントリーの見学後、東へ向かいました。次々と変わった風景が現れます。
Hanging Valley
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吊り下げられている谷間
タワー滝も他の多くの滝と同じように異なる2つの岩礁の合間から流れ落ちていました。この滝の流れ口は頑丈な岩で出来ており、その下の岩は柔らかく、出口の下の地層がより速く削られてゆき、滝の出口は突き出し、吊り下げられた状態になって行きました。 |
タワー滝
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タワー滝はタワールーズベルトカントリーの中にあります。
この周辺は、奇岩の連続で、独特の景観を作り出しています。
柵のような岩や壁のような岩は溶岩の流れが固まって出来たものです。今から220年前、イエローストーンで起こった史上最大級と言われる大噴火で流れ出た溶岩です。
溶岩が冷えるときにできる亀裂が規則的に広がっています。柱状の岩壁は高さおよそ15m、かつて、これほどの厚さの溶岩がこの地を襲ったことを示しています。
滝の両側にはまるで教会の尖塔のような鋭い岩で火山岩で出来ています。
滝の出口は突き出ているので、水は真下へ流れ落ちています。この滝の落差は40mです。
展望台からは気に遮られて、滝壺までは見えませんでした。 |
タワー滝から南下し、キャニオンヴィレッジに向かうと、山火事の跡があり、その火力の強さには驚かされます。
新しい木はまだほとんど生えて来ていないようです。火事になって間もないのでしょう。 |
キャニオンヴィレッジ
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長さ38qにわたって黄色い絶壁が続いています。その深さは240〜360mもあります。幅は狭いところでも450mあります。絶壁は強い硫黄分を含み、黄金色に輝いています。
まさにイエローストーンです。言葉にもならない絶景です。 |
インスピレーションポイント
一番下流にある展望台です。
キャニオンヴィレッジには展望台が何カ所も所に作られており、まずは、ここから観光開始です。ここからはイエローストーン最大の落差93mの滝、ロウアー・フォールが見えます。
しばらく渓谷を見た後、一方通行の道路を上流のほうに移動し、次の展望台に向かいました。 |
グランド・ビュー・ポイント
遠くに、ロウアー・フォールが見えて来ました。
ルックアウトポイント
ここには遊歩道があり、渓谷をかなり下り、ロウアー・フォールすぐ真上まで行くことが出来ます。
頑張って、一番下の展望台まで行ってみました。 |
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金色に輝き、均整のとれた形の渓谷です。
この渓谷の美しさにうっとりとし、立ち去るのが惜しくなり、かなりの時間、見つめていました。 |
アッパー滝
上流の滝です。
今まで見たところとは、まったく別の場所ですが、また、アメリカンバイソンの群れに出会いました。ちょうど、二頭の雄が、メスを求めてでしょうか、すごい争いをしており迫力がありました。ただ、争っている二匹以外は、その争いに全く無関心なのにもびっくりしました。 |
5日目 Yellowstone National Park から
Glacier National Park へ向かう
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グレーシャー国立公園の一部はカナダにあり、両国の友好を記念して、一つの公園にしたとのことですが、今日はその近くの Kalispell市まで700km以上のドライブです。
この区間も、大地の果てまで続く草の海、大草原でした。
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途中、モンタナ州のバッファロー州立公園があったので行ってみました。ただし、残念ながら、バッファローを見ることは出来ませんでした。
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本当に今日は長距離ドライブです。時々休憩です。
Kalispell 市に到着する少し前に大きな湖があり、ちょっと立ち寄って見ました。何人かの人たちがカヌーの練習をしていました。 |
6日目 Glacier National Park
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朝から1日掛けて、アメリカ側の Glacier国立公園と、カナダ側の Waterton 国立公園を回りました。1995年に世界遺産として登録されてもいます。もっとも、アメリカの公園を回っていて、それが世界遺産であるとの標識を見ることはほとんどありません。
なお、地図から分かる様にほとんどはアメリカに属しています。
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グレーシャー国立公園には、3000mクラスの山々や大きなマクドナルド湖をはじめ、大小さまざまなたくさんの湖があり、春、夏、秋と、ハイキングなどを楽しめる公園ですが、冬季は雪で覆われ閉鎖されてしまうそうです。高山の為か、ときどき雨が降って来たり、晴れて来たりし、天候が良く変りました。
公園の名前から氷河を連想しますが、ジャスパーへ行ったとき見たような氷河に登ることは出来ませんでした。アメリカはカナダより南にあるためでしょう。ただし、トレッキングで山に登ると、氷河にたどり着けるそうです。
峠を越え、東口に出て、そこからカナダに向かい、国境ではパスポートの検査がありました。しばらくすると、カーナビが、マイル表示からkm表示に自動的になったのには、びっくりしました。
カナダ側から公園に入ると、入園料を取られました。アメリカで発行した入園パスは使用できないそうです。公園の名前もウオータートン国立公園となります。もう紅葉が始まっていました。
その後再び、アメリカに戻り、 名前につられ、Many Glacier と言われる湖にも行って見ましたが、氷河らしいものが遠くに見えるだけでした。
帰りは再び同じ経路の山越えでしたが、だいぶ暗くなってしまいました。 |
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Apgar はグレーシャー国立公園の西の入り口です。
山岳道路 Going To The Sun Road が公園を横断するように作られています。 |
Going To The Sun Road
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だいぶ長い名前なので、GTTSと呼ばれています。全長52マイルの公園を横断する観光道路で、1932年に完成しています。
山岳道路なので、その工事が如何に困難を極めたが、途中の駐車場に当時の様子が掲げられていました。
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レイクマクドナルド Lake McDonald
長さ16q、幅1.6qの細長い湖で、この公園内では最大の湖です。湖の海抜は961mです。
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真っ赤な観光バス
公園内にはツアーバスが運行されていて、いろいろなルートが設定されています。
かなり人気のあるツアーで、前もって予約が必要とのことです。汽車で来た人でも、観光が出来るようにしてあるのだそうです。 |
Heavens Peak
西口から公園に入り、湖を過ぎ、東口へ向かうと、狭く険しい道路になり、標高をどんどんと上げて行きます。
標高2739mのHeavens Peak山が遠くに見えます。
山火事の跡も見えます。
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さらに急坂が続き、標高をどんどんと上げて行きます。
この山岳道路は1932年に完成しましたが、大変な難工事で、道路脇の駐車場にはその難工事の様子が示されていました。 |
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1928年、このGTTSは岩壁から流れ落ちる水滝に沿って建設がなされていました。
この水の壁は環境を保護しながら建設を進める技術の一つの典型的な例でした。
建設中、作業員はロープにぶら下がり、絶壁の岩に穴をあけ、黒粉を押し込み爆破させて穴をあけて行きました。
かくして、それ以来、GTTSは訪問者にこの公園への道を開きました。 |
お花畑の中でのスケッチです。まさに天国のようです。
ローガンパス
標高2025mの大陸分水嶺にある峠で、ビジターセンタがあります。背後にはクレメント山(標高2670m)、レイノルド山(標高2781m)がそびえています。
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セントメリーレイク St.Mary Lake
山を下って行くと美しい湖が現れました。ここの海抜は1366mです。
アメリカ・カナダ国境
検問所があり、パスポートの検査がありました。カナダ入国の判を押されました。
しばらくドライブしていたら、カーナビのマイル表示が自動的にキロメートル表示に変りました。これには驚きました。
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ウォータートンレイク国立公園
カナダ側の国立公園です。
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ウォータートン湖の脇を通って、公園奥へと進んでゆきます。 |
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アメリカのグレーシャー国立公園と接している公園ですが、運営やシステムは、カナダ独自で行っており、入園料を新たに支払う必要がありました。 |
乗馬教室がありました。
公園最終端のカメロン湖です。遠くに氷河が見えますが、ドライブ道路は無いようです。北に来れば氷河に出会いると思っていましたが、残念でした。
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メニー・グレーシャー
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カナダから再びアメリカに入り、グレーシャー国立公園のもう一つの目玉、メニーグレーシャー、すなわち、たくさんの氷河と名付けられたところに行ってみました。
しかし、氷河に近づくことは出来ませんでした。 |
再び、来た道を引き返し、山岳観光道路を通り、昨夜と同じホテルに向かいました。何度通っても素晴らしい道路です。
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7日目 Glacier National Park から
Devisl Tower に向かう
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グレーシャ国立公園を後にし、デビルズタワー国定公園に向かいますが、そこまでは1,300km近くあり、途中のSherindan と言う町で一泊することにしました。今日は968kmも走りましたが、あいにくの雨で、もっとも、ドライブするだけなので、今日が雨でよかったかもしれませんが、再び、大草原と、大砂漠が交じり合ったような平原を一日中、走りました。強い雨の時もありましたが、総じて小雨で、午後には天気が回復しました。たぶん、場所が変ったためかも知れません。
どうもタイヤの様子がおかしいので、大きな町があったら点検が必要なようです。
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借りた車 Trail Blather と、タイヤの空気圧トラブル
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今回借りた車は2ヶ月前にデンバーで借りた車と全く同じ、Trail Blatherでしたが、今回はダークブルーでした。
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この車は、我が家のハリアーよりは、長さ、幅、高さが一回り大きく、排気量も 4,200CCで、馬力も 295 と強力ですが、重い分、加速感などはあまりありませんでした。
装備はかなり良く出来ていて、2名分の座席の位置、サイドミラーの角度などを記憶しており(下図1)、また、座席には、シートと背もたれにヒーターが付いていました。(下図2)
今回もカーナビ付にしましたが、安全運転のためにも、カーナビは必須です。
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車を借りた6日目ごろ、朝、エンジンをかけると、速度計の下に、図3のような、空気圧低下の警告が出ました。また、図4のような警告ランプも点灯しました。
外に出てタイヤをチェックしましたところ、どうも左後ろのタイヤがへこんでいます。 |
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この警告灯は、どのタイヤが異常なのかは示しませんでした。降りて調べたところ、確かに左後ろのタイヤがへこんでいるようでした。ただし、警告ランプが無かったら、気が付かない程度です。
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取り合えず、ガソリンスタンドで空気を入れ、圧力を上げたところ、その警告が消え、一安心でした。
アメリカのガソリンスタンドにあるコンプレッサーには、通常、圧力計が付いていないので(図5)、目見当で適当に入れたのですが、別なガソリンスタンドで、圧力計の付いているのを発見し、タイヤの空気圧を計ってみたろころ、85psi
ありました。ドアに書かれていた適性圧力は30psiでした。(ホテルに帰った後、インターネットで調べたところ、30psi=2.1kg/cm2で乗用車の標準的な値でした。従って、6kg/cm2の空気圧で走っていたことになります。
一般に低圧で走ると熱を持ち、危険であるのは常識ですが、反面、空気圧が高いと乗り心地が悪くなると言われています。ただし、安全性については何kg/cm2まで問題ないのかあまり書かれていないようです。
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今日は写真を撮らなかったので、山火事の写真をまとめて見ました。今回訪問したグランドテートン国立公園、イエローストーン国立公園、グレーシャー国立公園など、いずれの公園でも、我々にとって驚くのは、山火事の後の姿です。日本に居ては全く経験できない光景です。
ドライブしていると、山火事の後の道路わきに看板がかかっていて、この山は何時火事になったかが分かるようになっています。
一般に国立公園での山火事は、燃えるに任せて消火活動はしないそうです。昔は消したらしいのですが、自然の摂理を大切にしようと、この数十年は止めているそうです。
下のようなパンフレットがあるのもアメリカならではです。パンフレットの要約を下に示しました。 |
山火事は、雷や火山の溶岩によって自然に発生します。また、そのようにして、地球が形成されてきました。火は、また道具であり、良かれ悪しかれ、人類はそれを使用し、破壊もし、繁栄もしてきました。
国立公園が作られた1800年の後半、山火事は人類にとって敵であり、事実、数百人以上の人々が焼け死にました。したがって、とにかく火事を消そうと言う努力がなされました。
1930年頃には、消火隊が組織的に作られ、国立公園はもとより、各所での消火活動が活発になりました。しかし、1950年になると、それに疑問を持つ人々が現れ、1960年代には、幾つかの国立公園で山火事を公園の維持に使用する試みが始まりました。それ以来、国立公園サービスは山火事の科学とその研究のリーダーの役目を果たしてきました。
1968年、国立公園法が改正され、人や財産の保護が最も優先されるものの、自然に発生した山火事は、自然現象とみなし、公園を健康にかつ豊に保つために、あえて消さないようにしました。
しかしながら、1988年のイエローストーンでの大火災や、ロスアラモスでの200名以上の死者、2000年のニューメキシコでの大火災などが発生し、山火事への対処法の難しさを経験しました。
国立公園管理機関は、今後とも、火事への対処法の研究を続けていきます。
山火事を一生懸命消した時代に、燃えやすい木や潅木、草などが繁殖し、それがかえって、大きな火災を引き起こし、周りの家や地域社会への恐怖にもなりました。山火事とともに如何に生きるかを求めて、私たちは努力してゆきます。
山火事による草木の焼去、リサイクル、また、再生がないと、よどんだ庭のようになってしまいます。大草原のプレーリーもまた、生きるためには火事が必要になります。何世紀にも渡る自然現象が、現在の形を作り出しています。
山火事は枯れて立っている木を栄養に富む土に変え、灰から生ずる窒化物は、新しい芽を育てます。そして、太陽が新しい草木に届くようにします。
幾種類の植物は、例えば松ヤニのような硬いもので種の外側を覆い、山火事があって初めて、それが解けて無くなり、実が開き芽を出すことが出来ます。火災を前提にした、このような自然の巧みさには驚かされます。
世界的に見ると、現在の山火事の90%は人為的に作り出されています。人為的にせよ、自然の発生にしろ、山火事の形態は、一つとして同じものは無く、時にはモザイク模様の焼け跡を作り出します。そして、そこに住む生物も、大きな影響を受けます。鳥や大きな動物は逃げることが出来ますが、小動物は死んでしまいます。
国立公園機構はこのような生態系の研究を続けてゆきます。 |
8日目 Devils Tower
朝、エンジンを掛けるとまた、空気圧低下の警告が出ました。外に出てタイヤを点検すると、左後ろのタイヤがほぼぺちゃんこでした。近くのスタンドで空気を入れたところ、正常に戻り、そのまま走っていたところ、また、警告が出ました。確かに左後ろの空気圧が低くなっているようでした。どうも、タイヤに異常があり、空気が漏れているようです。
アメリカの砂漠地帯を走っていると、数100kmもの間、ガソリンスタンドはおろか、民家が全く無いようなところがあります。そのような所で、パンクでもして、タイヤ交換をするようになったら大変です。
車の取り扱い説明書を読んで見ると、大きな車だけあって、スペアタイヤがトランクの下にむき出しに取り付けてあり、外すだけでもかなり苦労しそうで、私の体力では難しそうでした。 |
そういうこともあって、取り合えず、大きな町で、タイヤショップを探し、点検してもらいました。
ガソリンスタンドは、ほとんどがセルフで、タイヤの修理はしていないようです。最近の日本と同じです。
ビックリしたことは、タイヤショップに入り、症状を告げて、完了するまで、約15分程度と、ものすごくスピーディに修理が済んだことでした。
料金も12.8$で約1,500円と非常に安いのにもビックリでした。
空気漏れの原因は上右図のような鋭い石がタイヤに刺さっていた為で、パンク寸前の状態であると言われました。早めに見てもらって助かりました。
高速道路での事故の原因は、タイヤのパンクであることが多いそうですが、そういうこともあって、アメリカでは、近年、タイヤ圧モニターシステムが義務化されるそうです。
最近はセルシオなど、日本でも高級車にはこのシステムが装備されているようですが、全ての車に装備するように義務化すれば、タイヤによる事故がだいぶ減ることでしょう。
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今日は Sherinden からマウントラッシュモアのある Rapid City へ向かいました。
また、ちょうど中間地点にあるデビルスタワー国定公園を見学し、その周りを一周しました。
このデビルズタワーはアメリカで最初の国定公園で1906年に指定されたそうです。したがってワイオミング州にはアメリカ最初の国立公園(イエローストーン)と、アメリカ最初の国定公園の二つもっていることになりますが、時の大統領であるルーズベルトが決めたそうです。
この岩は、スピルバーク監督の映画「未知との遭遇」の主題となって、いろいろな場面で現われ、最後にUFOが舞い降りた場所でも有名です。
途中、タイヤのパンクも直してもらいました。464km走りました。
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大草原ピレリーを走ってくると、遠くに石のタワーが見えてきます。ビジターセンターに立ち寄り、岩の周りを一周しました。一周2km程度で、1時間で回れましたが、途中、20分ほど、岩登りの人が居たので見ておりました。
この岩の高さは263mで、年間5,000人もの登山者が世界各国から来て岩登りをしているそうです。登はんに要する時間は一般に5,6時間だそうですが、最短記録はわずか18分で、最年少は6歳、最高齢は81歳だそうです。
この岩は、先住民にとって神聖な場所であり、岩に釘を打ち込むなど、もってのほからしく、先住民の気持ちを尊重して登るようにとの注意書きが、幾つも書いてありました。
また、先住民たちの祈りの旗も回りにたくさん飾ってありました。頂上の平地にはネズミやリス、ヘビなどの小動物が棲みついているそうです。
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タワーの周りを一周してみました。何処から見てもほぼ同じように見えます。
よく見ると、岩を登る人を見つけました。結構速い速度で登っていました。頂上に登り着くまで見学していました。 |
マグマが吹き出し固まった様子が書かれていました。
今夜のホテルは Rapid City で3連泊します。
9日目 午前 Badland National Park
ラピッドシティから東に120km、大草原をひた走り、バッドランドに入ります。まさに悪い大地です。
この国立公園のすぐそばにサウスダコダ名物のドラックストアがあり、帰りに覗いて見ました。
その後、4名の大統領が刻まれているマウントラッシュモアにも行って見ました。
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3連泊するRapid City の Comfort Inn を出て、バッドランドに向かいました。
まさに何も生存できない悪い大地です。この地に舗装道路が作られる前は、雨が降ると、車は滑って通れなくなり、馬が車を引いたそうです。事実、現在も舗装されていない道路がたくさんあります。
帰りがけに、この地では名物の数10件のお店が並ぶドラッグストアに立ち寄りました。ただ、このドラックストアではこれと言って買いたいものはありませんでした。
下の地図の赤線が公園内のドライブルートですが、全長約50km程度あります。
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このような泥の台地にも平原があり草があると、バッファローが住んでいるようです。
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Door Trail
所どころに駐車場があり、遊歩道が作られています。その都度、歩いてみました。
Castel Trail
所どころ、泥の台地が途切れ、草木が生え、生物も生息しています。
シーダーパス
再びトレイル散策です。いずれのトレイルも短く短時間で回れます。
Ben Reifel Visitor Center
この周辺にはたくさんのトレイルが作られています。
まだまだ、泥の大地は続きます。
デビルズタワーやラッピドシティ辺りには、プレーリードックと言われるモグラがたくさん棲んで居ます。あまりにもたくさん居るので、誰かが餌を与えているのかと最初思いましたが、ドライブをしていると、大平原のいたるところで観察されました。あまり天敵が居ないのでしょうか。
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イエローマウンズ
太陽に当たり、金色に輝いています。
Yellow Mounds Overlook
同じような風景が続きます。
この近くにサウスダコダ名物のドラックストアがあり、行ってみました。特に買いたいものは見つけられませんでした。
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9日目 午後 Mount Rushmore National Memorial
年間の訪問者が200万人を超える記念塔で4名の大統領が刻まれています。
向かって左から、初代大統領ジョージ・ワシントン、3代大統領トーマス・ジェファーソン、26代大統領セオドア・ルーズベルト、16代大統領 エイブラハム・リンカーンです。
一つの顔の大きさは18mもあるそうです。ビジターセンターには、如何にして、この大きな彫刻を作ったか、当時使用された機械や、彫刻の方法などが展示されていました。製作にはダイナマイトも使用されたようですが、とにかく、削りすぎると元に戻すことが不可能なので、技術的にかなり慎重に製作されたようです。
この製作には1927年から1941年の間の、途中の資金難で中止はあったものの、6年半の歳月がかけられ、400名の人が雇われたそうです。もっともその400名の中には、道路建設や発電などに携わった人も含まれています。
私もぜひ追加して欲しいと言う大統領がいるかも知れませんが、現在はその計画がないそうで、今後とも無いと、ビジターセンターには書いてありました。
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入園料を支払って中に入ります。
ビジターセンターには建設の経緯や当時の様子がてんじされていました。
10日目 午前 Wind Cave National Park
Jewel Cave National Monument
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この地方にはたくさんの洞窟があり、まだまだ、発見されていないところもあるそうです。ウインドケーブはその延長が192kmにも達し、現在、世界で4番目にそうです。
ここを見学後、ジェウエルケーブ(宝石洞窟)のビジターセンターにも訪れました。ここの総延長は219kmと世界第二位だそうです。
ただし、いずれも、一般の人が見学できるルートはほんのわずかになっています。
上のパンフレットの写真は、洞窟の中の天上に作られた蜂の巣状の方解石で、世界的にも有名だそうです。
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昨日見学した大統領記念塔が見えました。見る角度でだいぶ変わります。
Wind Cave National Park
ウインドケーブ(風穴)と名付けられたのは、下の図の2番目の小さな穴から、強い風が吹き出したり、吸い込んだりしている現象を少年が発見し、その小さい穴から中に入ってこの洞窟を発見したことにちなんで、名付けられたそうです。洞窟の中の容積が非常に大きく、外気圧が高気圧になると、風が吹き込み、低気圧になると、風が吹き出すそうです。見学の時は、ほとんど風がありませんでした。
内部に入るには約2時間おきに開催される洞窟ツアーに参加する必要があり、1時間ほど待たされました。
洞窟はほとんど何処も狭く、洞窟をどんどんと下がって行き、帰りはエレベーターで戻ってきました。
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Jewel Cave
午後、ウインドケーブから車で1時間弱にあるジェウエルケーブにも行って見ました。
綺麗に輝く方解石が洞窟の中にたくさんあるそうですが、洞窟の見学ツアーが行ってしまった直後で、かなり待たないと次ぎのツアーに参加できないので、ビジターセンターだけを見学して帰りました。
ビジターセンターには方解石の実物が置いてありましたが、午後に訪ねたアンテロープ州立公園では、このような方解石を公園の中の通路脇にたくさん見ることが出来ました。
下の右端の写真は、ビジターセンターに飾ってあった洞窟の3次元の図面ですが、よくも調べたものだと感心します。
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10日目 午後 カスター州立公園
ラピッドシティの近くには、たくさんの見所があり、マウントラッシュモアのすぐ南にあるカスター州立公園をドライブしてみました。
花崗岩で出来た鋭い岩山が連なり、その中を、狭い山岳道路が走っています。山岳と言っても、標高はそれほど高くないのですが、上り下りが続きます。
野生動物ループロードと言われるところも走ってみました。草原で遠くまで見通せますが、バッファローは2回程度しか見ることが出来ませんでした。
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トンネルが幾つも続いていますが、狭いトンネルの中をバスが走ってきました。人が歩くよりもゆっくりと進んで来て、たくさんの車が、バスの通り抜けるのを待っていました。
無事、通り抜けた時には、拍手喝采で、運転手も手を上げて挨拶をしておりました。 |
これが花崗岩ですと言われなければ気が付きません。鋭く浸食された奇岩がたくさんあります。
バッハローを見つけました。
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Buffalo Roundup
周囲を見ながらドライブしましたが、1匹のバッファローを見つけただけでした。
11日 Salt Lake City へ向かう
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今回の国立公園めぐりも、全て終了し、後は Salt Lake City へ帰るのみですが、そこまでは1,300kmもあり、一日では無理なので、途中、
Lander と言う市で一泊することにしました。
ただ、ここでもカーナビのミスで、違う町まで連れて行かれてしまい、往復1時間程度、余分に走りました。
今日の走行距離は 739kmでした。
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今夜の宿泊地、Lander は Salt Lake City までのほぼ中間地点にあります。 |
3連泊した Comfort Inn ともお別れです。このホテルはアメリカに数ある Comfort Inn の中で、最優秀賞を得たと、ロビーに書かれていました。確かにモーテルとしては、なかなか良いホテルでした。
とにかく今日は長距離ドライブです。時々、休憩しました。
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相変わらず、大草原の中をひた走りです。たまたま通ったこの道付近は、西部開拓時代に、モルモン教徒たちが、イリノイ州のNauvoo と言う町からソルトレイク市へ向かった道で、ドライブしていると、その面影をしのばせる標識や看板、建物などが所どころに設置してありました。 |
Independence Rock
花崗岩で出来たこの独立記念碑岩と名付けられた岩山は、1840年代、西部へ向かった人たちの目印でした。ミゾリー川から西海岸までは2000マイルもあり、ここはちょうどその中間地点でした。 |
1843年から1869年の間に、約50万人もの人がここを通り西へ向かいました。そのうち、数千名がここを通った記念に自分の名前を岩山の壁に刻んで行きました。 |
Devil's Gate
デビルズゲート(悪魔の門)と言われる所には、開拓時代に使用された昔の小さな村がそのまま保存され、展示館もあり、ボランティアと思われる人が20人ぐらい居て、我々が訪ねると、喜んでいろいろと説明してくれました。
開拓民は、どうしてもこの岩の切れ目の門を通らないと、西へ行けなかったそうですが、その両側から、インデアンたちが待ち構えていて、攻撃してきたようです。 その為、デビルズゲートと言う名が付けられたそうです。
展示館には、当時、如何に苦しい思いをして、西へと向かったか、パネルやビデオで紹介してあり、私たち二人のために、約20分程度のビデオを上映してくれました。
西部開拓へは幌馬車を使って移動したのかと思っていましたら、貧しい人は荷車で家財一式を乗せて向かったそうです。当時の荷車は、耐久性に乏しく、車輪が故障したり、壊れてしまい、立ち往生し、飢え死にしたり、また、冬には豪雪で動けなくなり、凍え死んだ人がたくさん居たそうです。
この村は、西に向かう途中にあり、当時、避難所、診療所、図書館などがありました。 |
一路、Lander のホテルに向かって、カーナビの指示通りに運転してゆくと、へんぴな場所へ案内されてしまいました。仕方がないので、現地の人に道を聞きながら、Lander
に向かいました。
どうやら、幹線道路に戻れました。 |
Mormon Pioneer Trail
頂いたパンフレットを読んでみると、当時の様子が描かれていました。
参考までにここに概要を書いてみました。
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モルモン・パイオニア・トレイルというパンフレットをビジターセンターで貰ったので、読んでみました。
パンフレットは横1.5mもあり、裏面には当時の詳細なルート図が示されています。あまりに地図が長いので、左のように地図に書き入れてみました。
なお、これ以外にもいろいろなトレイルがあり、オレゴントレイル、カルフォルニアトレイルなどのパンフレットも頂きました。アメリカのすごいのは、このての国による刊行物が無料で置いてあることです。
モルモンパイオニアトレイルの要約を下に示します。 |
西へ向かうルート
1840年から1870年の30年間に50万人以上の人がミズーリー川から Great Platte River Road に沿って移住してゆきました。この道は数千年にわたって、アメリカインデアン人が使用していましたが、1800年代の中ごろ、ヨーロッパから来た猟師、牧師、兵士、御者、その他いろいろな人たちが、その道を通って、西のオレゴン地域や、カルフォルニア北部、また、カルフォルニアの黄金の大地へと期待をこめて向かいました。
その道は600マイル以上も Platte and North Platte 川に沿って走り、その後、Sweet water 川と平行して走りましたが、ワイオミング州の大陸を分断する南峠を越えると、先駆者たちはいろいろと異なる目的地に対応し、幾つもの道を開拓してゆきました。
しかし、これらの道路は、1869年の大陸横断鉄道の開設のよって、重要性を失ってゆきましたが、1900年代の初めまで、ある種の用途には使用されていました。 |
モルモンパイオニア道路
1846年から1869年の間、7万人以上のモルモン教とはモルモンパイオニア道路を通って西に向かいました。
この道は、イリノイ州の Nauvoo 町から、Lowa を越え、Great Platte River Road を通り、ユタ州のソルトレイク市まで続きます。
西へ向かった移住者の中でモルモン教たちは誰もが不毛の砂漠と考えていた地に繁栄した地域社会を築き上げました。
モルモン教徒たちは、砂漠の大地をユタ地方と名付け、後にユタ州となりました。 |
通ってきた道の体験録
モルモン教徒たちは西へ向かった体験録を共有しあいました。すなわち、数百マイル歩くことの辛さや、窒息するような砂嵐、強烈な雷雨、泥沼、異常な気温、悪い水、食糧難、病気、そして、死などでした。これらの記録は、現在、文化遺産として残されています。
モルモン教徒たちは、移住者の中でも特異な存在でした。彼らがソルトレイク市に居を構えたのは、単に自由意思でそうしたのみならず、その宗教的文化的独自性を保つ必要があったためであり、外界から遮断し、永住することにより、その信仰を平和的に実行できるがためでした。
彼らはお互いに助け合い、奉仕しあって、また、移住の道を整備し、移住のための設備も作ってゆきました。 |
モルモン教会
最初の教会は1830年、ニューヨーク州の Fayette 市に Joseph Smith によって作られました。そして、 Joseph Smith
は The book of Mormon と言う本を書き、教本としました。この本は天使から与えられた金の板に書かれた書物を訳したものであるとのことです。
この教会は1839年、イリノイ州の Nauvoo に移されました。そこで、信徒が急激に増加し、教会は繁栄してゆきましたが、反感や恐れ、またいろいろな口論が教会を取り巻くようになりました。特に、一夫多妻制や武装した警備員、州法との対立など、従来のキリスト教の教えと異なることなどから、対立が激化し、1844年、
Joseph Smith と彼の兄弟である Hyrum が投獄され、暴徒によって暗殺されました。
1845年にはモルモン教徒が Nauvoo 市で11,000人を超え、イリノイ州の中でも大きな市になっていたが、1845年、敵対者たちが200軒以上ものモルモン教徒の家やNauvoo市郊外の農場を焼き払い、モルモン教徒たちを追い出そうと企てました。 |
西へ向かう
教徒たちは、安住の地を西に探し、いろいろな候補地の中から、ソルトレイクに定め、1846年の2月4日、Joseph Smith の後継者、 Brigham
Young がリーダーとなり、 Nauvooを出発しました。そして4ヶ月後の6月14日に、ミズーリー川を渡り、 Winter Quarters
と言われるところにキャンプ地を設立しました。この旅で265マイル進みましたが、その4ヶ月間の間には、初めての経験ゆえに、言葉では言えつくせない程の苦労がありました。
そして、翌1987年4月5日、再び、 Winter Quarters を出発し、その年の7月24日、1000マイル離れたソルトレイクに到着しました。この移住は、昨年の経験を活かし、より順調に進みました。
先発隊は148名(男性143名、女性3名、男の子2名)で、ワゴン72台、馬93頭、雄牛66頭、羊52頭、牝牛19頭、犬17匹と数匹の鶏でした。彼らがソルトレイクに到着すると、直ちに耕作し種をまき、また、町としての道を作り、住家を作り、冬に備えました。先発隊の後から、次々と後続隊が到着し、1650名が最初の冬を越しました。
Brigham Young をはじめ多くの先発隊の人たちは再び、Winter Quarters に戻り、そこで家族とともに冬を越し、次ぎの春の移住に備えました。
その後、20年にわたって、7万人ものモルモン教徒が、ワゴンや荷車を引き、ソルトレイクへと移住してきました。この手引きカートを使用した移住は、モルモン教徒に特有なのですが、途中、故障や修理不可能な状態なるのも多く、大変な困難を味わいました。
また、8月に Winter Quarters を出発したグループは、途中、厳しい冬の嵐に会い、数百人が凍え死にました。
この苦難も1869年の鉄道開設で終止符が打たれまた。 |
12日目 Salt Lake City へ、途中、化石博物館、Fossil Butte を訪問。
その後、Antelope Island 州立公園を訪問
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今日も、ソルトレークを目指し、600km以上のドライブです。
途中、化石の丘国定公園があるので立ち寄って見ました。
グレートソルトレイク湖の塩分濃度は海水よりも濃く、人がそのまま浮くと言うことを小学校か中学校で教わった気がします。浮いたらどのようになるのか見たくて、湖に行って見ました。
ホテルに着くころは、土砂降りでしたが、高速道路を走る車は、いずれも時速100km以上で飛ばし、車線は複雑に交差し、目を皿のようにして運転しました。
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州道から数マイル離れたところに、化石の丘国定公園があるので訪問してみました。行って見ると、ビジターセンターが一軒あるのみで、それ以外には見るものが何も無かったので、館内を30分程度見学し、後にしました。
ビジターセンターには魚や海に住む動物の化石がたくさん飾られており、昔はここが海底であり、その後、隆起したことが分かります。 |
Lander
西部劇の映画によく出てくるような町でした。
今日も延々と大草原を走りました。道端に、モルモン教徒の移住の歴史が書かれてありました。この場所は、モルモン教徒軍と州兵軍が戦った歴史的場所とのことです。
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Fossil Butte
州道から数マイル離れたところに、化石の丘国定公園があるので訪問してみました。行って見ると、ビジターセンターが一軒あるのみで、それ以外には見るものが何も無かったので、館内を30分程度見学し、後にしました。
ビジターセンターには魚や海に住む動物の化石がたくさん飾られており、昔はここが海底であり、その後、隆起したことが分かります。 |
ソルトレイク
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ソルトレイク市に近づくと、高い山が迫ってきて、もう紅葉が始まっていました。
ソルトレイク市の東側には山脈が続き、北には高い塩分濃度で有名なグレートソルトレイク湖があります。
ソルトレイク市は2002年に冬季オリンピックが開かれたのでも有名です。
町のすぐ後ろには、幾つもの山が控え、たくさんのゲレンデがあります。 |
アンテロープ州立公園
グレートソルトレイク湖をよく見たいと思い、州立公園に行ってみました。人口の道路が作られており、車で行くことが出来ます。
ビジターセンターがあり、けっこう混雑していました。
島をドライブしてみました。バッハローの群れに出会いました。
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13日目 Salt Lake City、 露天掘銅鉱山とモルモン教総本部
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今日は予備日として計画していましたが、まだ、ソルトレイク市を見ていないので、市内見学をすることにしました。
有名な銅の露天掘り鉱山とモルモン教徒本部を訪れ、それらの勉強をしました。
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ソルトレイク市は標高1,300mの高地に位置しています。
人口は約18万人で、周辺を含めると110万人近くになる大都市です。
近くにはスキー場がたくさんあり、2002年には冬季オリンピックが開催されています。
モルモン教徒の本部があることでも有名です。 |
露天掘銅鉱山
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ビジターセンターで観光名所は何処かと聞いたら、この露天掘銅鉱山を紹介され行って見ました。
この露天掘りはユタ州でもトップクラスの観光名所でもあるそうです。
入場料として5$取れれましたが、立派なビジターセンターがあり、掘り出した石からどのようにして銅を作っていくかとか、世界の銅に関する資源の状況とか、いろいろな説明がなされ、20分程度の映画上映もありました。
我々以外にも、数名の見学者がおりました。
パンフレットによると、この穴は、大地にある数ある穴の中で最もお金を作り出す穴であり、すでに1,700万トンの銅を精製し、その他、金、銀、モリブデンなども貴金属も多量に取れ、世界で最も大きな露天掘り銅鉱山だそうです。1906年に開設して以来、掘り出した鉱石は70億トンで、その深さは1,200m、直径は4kmだそうです。 |
ホテルを出て一路、銅鉱山に向かいました。
銅鉱山の敷地内に入りました。
展示館
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展示館があり見学してみました。世界の銅山や産出量など、銅に関するたくさんの資料が展示されていました。 |
モルモン教本部
市の中心部に、モルモン教徒の本部があり、どのようなものか見てみたいと思い行って見ました。 Temple Square と言われる教会の施設区画があり、その中のビジターセンターを見学していたら、係りの女性が現われ、何処の国から来たのかなどと聞かれました。また、時間があったら、日本人の案内人が居るので、案内すると言われ、お願いしました。案内に来た人は日本から修行に来ている20歳ぐらいの女性で、今年の12月まで、ここで勉強と奉仕活動をするそうです。
彼女の話によると、モルモン教はキリスト教の一つの教派で、いわゆるキリスト教徒の違いは預言者がJoseph Smith 教祖であり現在もその後継者が居るとのことでした。
(モルモン教についてここで述べる必要は無いので、省略しますが、興味がある場合はインターネットで検索すると数多くの文献が得られます。)
音楽堂でパイプオルガンの演奏が30分ほどあると聞いたので行って見ました。たくさんの旅行者が聞いていました。その後、広い道路を挟んで反対側にある教会の会議場に行って見ました。自由な見学は出来ず、案内者が付きますが、私たち二人のために中年の女性(アメリカ人)が約30分程度、館内を案内してくれました。この会議場は2万1千名の座席があり、柱が一本も無いのが特徴で、世界一だそうです。
預言者の前でシャッターを押してくれました。
モルモン教徒は収入の一定額を教会に納める義務を負い、また、布教活動にも従事する必要があるとのことで、かなり裕福な教会であるるという感じを受けました。
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駐車場に車を預け、歩いてみました。
モルモン教総本山
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定時にコンサートが開かれるので、私たちも少し待って入ってみました。 |
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モルモン教会議場
案内嬢が居て、私たち二人のために、30分ぐらい付き合ってくれました。
とてつもなく広い会議室が作られていました。
屋上に登って見ました。市全体が見渡せました。
14日目 帰国
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ホテルから空港までは30km程度です。ホテルを早朝の5時半ごろ出発し、6時ごろ、空港に到着、レンタカーのチェックインはほんの数分で済み、トラブルによる30ドルのデスカウントがありました。
空港のチェックインは安全を見て何時ものように2時間も前でした。8時40分発のデルタ航空でサンフランシスコに向かい、午後3時半には無事、成田に到着しました。 |
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車を返す時、タイヤ交換のレシートと、ウインドーウオッシャーの水の出が悪いことを述べたら、30ドル値引きをしてくれました。
その結果、2週間乗って、レンタカー代は 1,516ドル=17万7千円で、走行距離は 3,871マイル= 6,232km になりました。
燃費は 1リットル、8kmでしたので、780リットル使ったことになります。ガソリンの価格は、1リットル=90円でしたから、ガソリン代は、合計7万円となりました。
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ソルトレイク空港
この空港からサンフランシスコに行き、その後、成田に向かいます。
今回のアメリカ、カナダ国立公園ドライブは4度目になりました。アメリカの国立公園は50以上もあり、国定公園を含めると、かなりの数になりますが、ほぼ半数以上を訪ねたことになります。
全ての公園を訪れるというつもりはありませんが、残っている公園は、だんだんと点在する場所になり、効率的に訪れるのは困難になりつつあります。
来年は、数回に分け、アリゾナ州やニューメキシコ州の南側と、だいぶ北側になりますがワシントン州とカナダの国立公園を回りたいと思っています。
さらに出来たら、数は少ないものの東部の公園にも行ってみたいと思っています。
旅は単に楽しいということもありますが、いろいろな所を見ることによって、新しい知見を得ることが出来るのも楽しみです。 |
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