パリ滞在1週間 歩きまくりの旅

2008年5月27日-6月4日 9日間

 過去、パリへは10回以上行っていますが、もう一度、市内を歩き回って見たいと思い、同じホテルに7泊し、主だったところを回ってきました。
 パリの良さは、街並みの美しさ、その歴史、美術館、どれをとっても、超一級で、100年以上も前に、明治の人がパリを見たときの驚きは想像に絶するものがあります。
 まだシーズン前とはいえ、何処へ言っても長蛇の列でした。
 今回は空港とホテルの往復にタクシーを使用した以外はすべて地下鉄、電車、観光バス、船を使用しました。その結果、毎日の歩数が2万歩から3万7千歩と、ゴルフの1ラウンド半ぐらい歩いたことになります。但し、この万歩計は機械式で、実際よりは、1.5倍ぐらい多く表示されます。ゴルフよりは疲れたような気がします。 

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 全画面でご覧ください。1枚目から2枚目に移る際、時間のかかることがあります。ただし、2枚目からは軽快に移動します。

日にち 訪問場所
2008/5/27 1日目 成田からパリへ。JAL405 11:10発、パリ16:40着
2008/5/28 2日目 シャルトルのノートルダム寺院、ヴェルサイユ宮殿
2008/5/29 3日目 モンサンミシェル
2008/5/30 4日目 モンマルトル(サクレ・クール聖堂)、オルセー美術館、アンバリッド(軍事記念館)、エッフェル塔、マイオ宮、セーヌ川クルーズ、ノートルダム寺院
2008/5/31 5日目 オペラ座、パレロワイヤル、コンコルド広場、チェルリー公園、オランジェリー美術館、シャンゼリゼ通り、凱旋門、オペラ座の予約、モンマルトル
2008/6/1 6日目 ルーブル美術館、モンパルナス大通り、天文台、カタコンブ、モンパルナス墓地、ムーランルージュ
2008/6/2 7日目 フォンテーヌブロー宮殿、サンシャペル寺院、コンシェルジュリー、夜はオペラ座でオペラ鑑賞
2008/6/3 8日目 プテパレ美術館、ケ・ブランリー美術館、市立近代美術館見学後、シャルルドゴール空港から帰国へ JAL406 19:05発
2008/6/4 9日目 成田13:55到着


      

1日目 成田からパリへ。JAL405 11:10発、パリ16:40着

 今回はJALのプレミアムエコノミーを使用してみました。背もたれを倒すと自分が前に移動し、背の傾きは変らないので、後席を気にせずに背もたれを倒すことが出来ます。アームレストが広く、車のコンソールボックスぐらいありますが、仮に隣が空席でも、アームレストを持ち上げて2つの席を同時に使用する使い方が出来ないのが不便な感じです。ただし、最近は何時も満席なので、関係無いかもしれません。
 機種はボーイング777ですが、横の座席の数はビジネスが 2-3-2 の7席、プレミアムエコノミーが 2-4-2 の8席、エコノミーが 3-3-3 の9席でした。


 シャルルドゴール空港からホテルまではタクシーを使用し、約40分でした。
 ホテルはモンマルトルの地下鉄の近くで、交通の便は非常に便利でした。
 モンマルトルはパリの下町で、衣類の卸問屋が軒を連ね、スーパー、食堂、その他、何でも必要なものはすぐ近くにあり滞在には便利ですが、あやしげそうな人たちがたむろしており、腕時計や香水などのブランド品を違法承知で売っていました。ちょっと物騒な雰囲気です。
 朝早く地下鉄に乗ったときは、黒人系の人が約半分ぐらい乗っていました。

            

2日目 シャルトル大聖堂、別名ノートルダム大聖堂
   
                  ヴェルサイユ宮殿見学

シャルトル大聖堂 別名ノートルダム大聖堂(聖母マリア) Cathedrale de Chartres (世界遺産)

 ノートルダム(聖母マリアという意味)という寺院は幾つもあり、パリ、シテ島の大聖堂も有名ですが、このシャルトル大聖堂も1979年に世界遺産に登録され、ともに有名です。
 シャルトルはパリのモンパルナス駅から列車で約1時間10分ぐらいの所にあり、ホテルから、地下鉄そして列車に乗り継ぎ行ってみました。
 フランス語は残念ながら話せないのでもっぱら英語ですが、なかなか通じません。とりあえず窓口で往復切符を2人分購入し、何番線から出発するのかを聞いたら " I do not know" を繰り返し言われ当惑しました。ただし、出発時刻は教えてくれました。どうやらフランスでは出発の約10分ぐらい前にならないとプラットフォームが決まらないようです。


 駅を降りると、美しい街並みが現われました。観光地らしく、旧市街は昔の面影を残しています。たくさんのレストランがありました。


 
 この大聖堂はゴシック様式の最高傑作とも言われ、左右非対称の2つの塔が特徴的です。左側は後期ゴシック様式、右側は後期ロマネスク様式だそうです。
 この二つの塔を見比べてどのような違いがあるのか、建築様式に不勉強な私には分かりませんが、尖塔の頂上当りの模様がだいぶ違うようです。ロマネスク芸術、ゴシック芸術、ルネサンス芸術など、ヨーロッパを旅していると、いろいろと勉強になります。
 当時の聖堂はすべて石で作られ、その天上も重い石で覆われています。それが崩れないようアーチ状になっていますが、その力は外側に向かい、外壁で支えられています。その結果、外壁は非常に厚く作られています。しかし、厚いと内部の空間が少なくなり、窓も小さくなります。この大聖堂は、いかに外壁を薄くし、また、たくさんのステンドグラスを使うか、多くの進歩があったようです。大聖堂の壁の外壁を見ると、かなり頑丈に作られていますが、重い天井を支えながら、内部の空間が広くなっています。


 シャルトル大聖堂は150を越えるステンドグラスでも有名です。そのほとんどが1210~1260年に作られたそのままです。聖堂内の彫刻の多さでも良く知られています。
 フランスで最も美しいステンドグラスといわれ(どの教会もそのように自分のステンドグラスが一番だと書いてあります。要は各自の判断です)、青はシャルトルブルーといわれるそうです。



ヴェルサイユ宮殿 Chateau de Versailles 

 絢爛豪華な宮殿、そしてフランスの歴史を語る宮殿です。
シャルトルからパリに戻るとき、途中下車して見学しました。駅から歩いて20分ぐらいの所にありました。入場券を買うため平日なのに長蛇の列です。


 ヴェルサイユ宮殿には、1682年からフランス革命の起こる1789年まで約100年間、フランス王国の宮廷が置かれました。宮殿建築とその内部、広大な庭園など当時最高の芸術水準と言われています。
 国王ルイ14世はパリ郊外に移住地を求め、父ルイ13世が離宮にしていたこの地を大改造し、不衛生なパリを離れ、このヴェルサイユに住むようになりました。そしてヴェルサイユがフランス政治の中心となりました。
 宮殿の両翼を含めるとその大きさは400mにもなり、庭園の中心の池の長さは1600mもあるそうです。
 この宮殿で生活した人は王族を含め5000名にもなり、ヴェルサイユの町の人口はフランス革命の直前には7万人にもなったそうです。
 ルイ16世とマリーアントワネットの結婚式もここの礼拝堂で挙げられ、祝宴はここのオペラ劇場で行われました。
 有名な鏡の間は全長73mにもなり、80ヤードになるので私のゴルフのサンドウィッジで丁度良い距離にもなります。この間は第一次世界大戦の和平条約の調印式の場としても有名です。


 この広大な庭園はフランス式庭園の最高傑作とも言われ、とにかく広く長く、マリーアントワネットの離宮まで歩いてゆきましたが、ゆうに1時間ぐらいかかりました。下の5番目の写真の道路を通って行きますが、当時は運河を使用し、船で行ったそうです。
 宮廷の中を歩き回った後にこの公園を歩いたため、とにかく疲れました。



グラン・トリアノン

 ルイ14世が愛人のマントノン夫人と過ごすために作らせた離宮で、ナポレオン1世が使っていた時の調度品が飾ってありました。この隣にマリーアントワネットの離宮がありますが、残念ながら疲れて足が動かないので、見学を中止しました。
 マリーアントワネットは堅苦しい宮殿の生活を嫌い、この離宮を愛したそうです。
 グラントリアノンからヴェルサイユ宮殿に戻ろうとしたら、小さな連結バスが走っていました。助かりました。歩くとかなりありそうでした。
 ただし、宮殿から駅まではまた歩きました。
 また、列車に乗りモンパルナスまで戻り、地下鉄でホテルに戻りました。

         

3日目 モン・サン・ミシェル修道院

 NHK-BSの世界遺産紀行で、最も行ってみたい世界遺産の上位に選ばれたのがこのモンサンミシェルでした。
 この修道院は世界4大巡礼地ともされています。中世のヨーロッパではこの修道院に多くのベネディクト会修道士が集まって生活していたそうです。当時は、学問のすべてが修道院に集まり、宗教的な教育もあったのでしょうが、学問を学ぶ中心地としても利用されたようです。
 バスツアーを利用して行きましたが、日本からインターネットで予約を入れて置きました。ルーブル宮殿の近くのバス乗り場に6時45分集合し、7時05分に出発しました。到着まで片道4時間ですが、昼食を入れると到着は12時半でした。約4時間見学し、4時半に出発し、パリ到着は午後9時半でした。参加者の中に日本人もいましたが、ほとんどがフランス人でした。
 パリの日没は9時20分頃でまだ十分明るいのです。暗くなるのは10時ぐらいです。帰る途中、ガソリンスタンドでサンドウィッチを買ってバスの中で夕食を済ませました。
 ホテル到着は午後10時ごろでした。パリにいると時間の感覚がおかしくなります。夏時間とはいえ少しやりすぎでしょう。


 この修道院はノルマンディ近くの海の中にあり、満潮になると14mもの深さの海に完全に閉ざされるそうです。私たちが行った時は干潮でした。
 水面から塔頂までは150mもあり、島の高さは70mだそうです。
 難攻不落の城塞としても利用されたようです。


 この修道院は8世紀頃から建築が始まり、1521年に完成し、ゴシック建築の最高傑作とも言われています。屋上には中庭があり、修道士はここで憩いの時間を過ごしたそうです。
 幾層にも重ねられたこの修道院は、天上まですべて石で作られ、ゴシック式の美しいアーチ状をしています。
 この重い天井を支えるため、太い柱と、また、壁は数mもある厚い石の壁で出来ていました。
 鉄筋は当然入っていませんから、四川大地震のようなことになればひとたまりもないでしょう。


 この地は雨が多いらしく、年間の半分以上が雨だそうで、私たちも雨に見舞われました。
 バスの出発までの自由時間は何することも出来ず、レストランに入りビールを飲んで時間をつぶしました。

          

4日目 モンマルトル(サクレ・クール教会)、
     オルセー美術館、アンバリッド(軍事記念館)、
     エッフェル塔、マイオ宮、
     セーヌ川クルーズ、ノートルダム寺院 


サクレ・クール寺院

 この教会の建設は1876年に始まり、完成したのは1919年のことで、比較的新しい教会です。モンマルトルの丘の頂上にあり、教会の高さも83mと非常に高いので、遠くからも良く見え、パリの一つの象徴ともなっています。正面入り口には緑色になった騎馬像が二つ建てられ、左側はルイ王の像で下を向き、右はジャンヌ・ダルクで生き生き描かれています。
 この教会からピガール広場まで歩いて下りて、そこから地下鉄で、オルセー美術館に出かけました。開門は9時半ですが、開門までまだ10分ありました。もう50名程度が並んでいました。
 この美術館は、1986年に完成し、原則的には1848年から1914年までの作品が、ルーヴルやプティパレ美術館から移されました。
 昔駅舎だったとか、入ると中央を貫く大きな部屋があり、その左側には5階建ての展示室があります。印象派の美術品がぎっしりと納められ、その一枚でも日本に来ると大騒ぎになるほどの良く知られた名品が数多く鑑賞できます。大広間にある女性たちの彫刻はオペラ座にあるもののコピーだとか、たしかに全く同じでした。
 


 素晴らしいと感ずることが出来ても、解説する能力の無い私に絵の説明は無理なので、その時撮った写真を並べてみました。日本語のガイドフォーンを借りましたが、それを聞きながら見て回って、3時間ぐらいかかりました。



ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ  1824-1898 フランスの画家
 
 望み

  Hope

 1871-72年
貧しき魚師

1881年


ドミニク・アングル

1780-1867
 フランスの画家、
19世紀前半台頭してきたロマン主義絵画に対抗し、
新古典主義を継承した



 
1856年



ギュスターブ・モロー
 Gustave Moreau

 1826-1898
フランス 象徴主義画家
 創造と幻想の世界を描いた画家


ガラティア


1880年



フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 オランダ出身でポスト印象派の画家。

自画像

1889年

自画像(渦巻く青い背景の中の自画像)


1889年
コードヴィルのかわらぶきの家

1890年
モデルの子供たち

1949年
銅花瓶の花

Crown Imperial Fritillaries in a Copper Vase

1886年



ロートレック

1864-1901

 フランスの画家
ロートレックは、幼くして足のけがのため、
成長が止まり、身長は短いままでした。
そして37歳の若さで世を去りました。

ムーラン=ルージュの踊り




ポール・セザンヌ 1839-1906 
 フランスの画家。元は印象派画家であったが、独自の絵画様式を探求し、彼独特の絵を生み出した。


たまねぎのある静物

1895年ごろ
静物画

1865年



クロード・モネ フランス 1840年 -1926年 
 印象派を代表するフランスの画家 モネと言えば睡蓮ですが、睡蓮の絵の多くはオランジェリー美術館に飾られています。
パラソルの女

屋外の人物試作(左向き)


1886年
ルアン大聖堂

1892年~94年
青の睡蓮

1917年以降
睡蓮の池、緑の調和

1899年
睡蓮の池、バラ色の調和

1900年
モントルギュイユ街

1878年6月30日の祝日

1878年
ひなげし

1873年

昼食


1873年
ヴェトクイユの風景

1879年



ドガ Edgar Degas 1834-1917 フランスの印象派の画家、彫刻家
 
14歳の踊り子

 虚空の一点を見つめています。

舞台のバレエ稽古

バレイの授業

若い女性のポートレート


1867年

画家 エヴァリスト・デ・ヴェレネ

Evariste de Valernes peintre

Mademoiselle Marie Dihau

1869-72年



ギュスターヴ・カイユボット

1848-1894
 フランスの画家で、印象派絵画の収集家。
印象派の画家たちの経済的支援者であった。

床のかんなかけ

1875年




ファンタン・ラトゥール 1836-1904 フランスの画家、リトグラフの版画家
 
バティニョールのアトリエ

 マネのアトリエの様子をラトゥールが描きました。

Charlotte Dubourg


1882年



ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919
 
 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。フランスの印象派の画家ですが、人物画を得意とし、晩年は豊富な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓きました。
読書する少女

1874年~76年
ムーラン・ド・ラ・ガレットの舞踏会

1876年

ジョルジュ・シャルバンティエ婦人


1876年~77年

Portrait of a woman, possibly Margot


1876年~78年
アルフォンシーヌ・フルネーズの肖像

1879年
都会のダンス

1883年

ピアノの前の少女たち


1892年

大きな裸婦


1907年
髪をすく女

Girl Combing her Hair

1907年~08年



Madame Josse Bernheim-Jeune and her Son Henry


1910年

浴女たち


1919年



ルソー
 

婦人像


1897年頃


戦争

1894年




ジョルジュ・スーラ 1859-1891年
 19世紀のフランスの画家。


サーカス

1890年



ポール・ゴーギャン 1848-1903

ブルターニュの農婦

1894年



シャルル・ジャック Charles Emile Jacques

羊の群れと羊飼い



マネ
 
スペインの踊り子 ローラ・ド・ヴァランス

1862年
草の上の食事

1863年
オリンピア

1863年
Reading

1865年
笛を吹く少年

1866年
エミール・ゾラの肖像

1868年

 背景に日本の浮世絵が飾られています
バルコニー

1868年~69年
蕾の花束をつけたベルト・モリソ
すみれのブーケットを持つベルト・モリソ


1872年
胸をはだけたブロンド娘

1878年

扇子と婦人

1873-1874



ベルト・モリゾ Berthe Morisot 1841-1895

蝶々捕り

1874年



ジャン=レオン・ジェローム 1824-1904

闘鶏

1846年



 ヨーロッパの美術館ではよく見ることの出来る風景です。
一般に絵を飾る額縁にはガラスが無く、はっきりと絵を見ることが出来るのも日本との違いです。

 オルセー美術館から、エッフェル塔まで歩いてゆきましたが、その途中にあるアンバリッドに寄って見ました。アンバリッドはルイ14世が1706年、ルイ9世の遺体安置所として立てたもので、この地下室にはナポレオン1世の墓地があります。
 ナポレオンはセントヘレナ島に流され、そこで命を閉じますが、1840年、皇帝の遺体を本国に戻そうとする気運が高まり、かつての忠臣達がセント・ヘレナに向かい、皇帝の遺体を本国に持ち帰りました。約10万人の人々がナポレオンの遺体を迎えたとのことです。
 疲れたので、今日は外側の美しい建物を眺めるだけにしました。
 現在、アンバリッドは軍事博物館となっており、新人の軍人たちでしょうか、見学に来たようです。一緒に写真を撮らせてもらいました。



エッフェル塔

 エッフェル塔に登ろうとしたら、長蛇の列です。登るのを中止し、シャイヨー宮まで歩いてゆきました。そこにはいろいろな博物館がありますが、エッフェル塔を眺めて、セーヌ川まで戻りました。美しい風景です。
 



セーヌ川クルーズ
  橋のふもとに船着場があり、行ってみるとセーヌ川クルーズ船が出ているので乗ってみました。船着場がところどころにあり、何処で下りても良いのですが、上流のシテ島で降り、ノートルダム寺院を見て帰る事にしました。



ノートル・ダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris
 この大聖堂は、1163年に着工され、1250年ごろにはほぼ完成しています。ゴシック建築の最高傑作とも言われています。天井の重い石を支えるため、壁面には頑丈なでっぱりがあります。当時の建築技術は相当進んでいたようです。参拝に来た人の驚きが想像できます。内部の天井の高さは35mで、中央の尖塔の高さは90mにもなります。
 1804年、ナポレオン1世はここで載冠式を行っています。
 教会に入るのに50名ほどの列が出来ていました。内部は広いので、それほど混雑は感じられませんでした。


               

5日目 マドレーヌ教会、オペラ座、パレロワイヤル、
     コンコルド広場、チェルリー公園、
     オランジェリー美術館、シャンゼリゼ通り、
     凱旋門、オペラ座の予約、モンマルトル広場


 今日は地下鉄マドレーヌ駅で降り、そこから、オペラ座を通り、凱旋門まで、パリの中心部を歩いて横断です。途中、オランジェリー美術館で絵画鑑賞でした。



マドレーヌ教会

 この教会は古代ローマ神殿を模倣しており、コリント式の52本の柱に囲まれていて、パリにしては変った形の教会です。1842年に完成しています。町を歩いていると、全く違和感が無いのも素晴らしい設計だと思います。
 朝早かったので、内部には入れませんでした。



 世界中何処でも同じかもしれませんが、パリの引越し風景に出会いました。




オペラ座

 オペラのチケットを買おうとオペラ座へ行ったのですが、まだ開いておらず、夕方来ることにしました。
 歩くのに疲れると時々お茶を飲みます。



パレロワイヤル

 オペラ座から歩いて15分程度の所にパレロワイヤルがあります。ここにはルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移動するまで住んでいました。今はお土産屋などが軒を連ねています。
 中庭は広く高さの違う円柱が置いてありました。



 ルーブル宮の近くに昔からのラーメン屋があります。今日は朝早いので、明日、ルーブルを見た後に入ってみることにしました。



チュイルリー公園

 ルーブル宮とコンコルド広場の間にチュイルリー公園があります。設計はヴェルサイユの庭園を造ったル・ノートルです。
 モネの大作「睡蓮」を飾るために作られた美術館で、モネの絵が完成する前に、美術館が改造され、製品の完成を待っていたそうです。開館前から並びました。


 地上階に丸みがかった長方形の部屋が二つあります。各部屋には細長い4枚の絵が飾られ合計8枚あります。写真を適当に撮ったら、どう並べ直したらよいのか分からなくなってしまいました。下の写真は適当に並べてあり、ダブっているのもあるかもしれません。


 地下の展示室にはたくさんの印象派の絵画が飾ってあります。日本語のイヤホンガイドを借りました。



ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 
  
 フランスの印象派画家 人物画を得意とした。フランスの印象派の画家ですが、人物画を得意とし、晩年は豊富な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓きました。
足を洗う水浴の女

1883年
ピアノを弾く娘たち

1892年
手紙を持つ女

1895年~96年
長い髪の浴女

1895年頃
ピアノを弾くイヴォンヌと
クリスティーヌ・ルロル


1897年
おもちゃで遊ぶクロード・ルノワール

1905年
道化師

1909年
横たわる裸婦

1910年頃
足を拭く水浴の女

1914年


帽子の女性

Femme au chapeau

1915-1919
バラをさしたブロンドの女

1915年~17年



ポール・セザンヌ 1839-1906 
  
 フランスの画家。元は印象派画家であったが、独自の絵画様式を探求し、彼独特の絵を生み出した。

セザンヌ夫人


1890年

庭のセザンヌ婦人

1880-82年
芸術家の息子の肖像

1881-82年
果物とナフキンとミルク注し

1880-81年



アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani 1884-1920 イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。
  
若い奉公人

1918-1919

ベルベットのリボンを持つ女

Femme au ruban de velours.

1916年




アンリー・ルソー

1844-1910
 フランスの素朴派の画家。
税関職員で日曜画家であった


人形をえ抱く子供


1904-05年



マリー・ローランサン  1883-1956 フランスの女性画家、彫刻家


犬を抱く女

1923年
スペインの踊り子

1920-21年



パブロ・ピカソ 1881-1973 スペインで生まれフランスで制作活動をした画家。キュビスムの創始者として知られる。


布をかけた大きな裸婦

1923年
きな生物

1917-18年



アンドレ・ドラン Andre Derain 1880-1954 フランスの画家。フォーヴィスムの運動において指導的役割を果たした。
 
Le Noir à la mandoline

1930年

ピエロ

1924年
台所のテーブル

1925年






コンコルド広場
 
 オランジェリー美術館のすぐ前にコンコルド広場があります。フランス革命により、ルイ16世とその妻、マリーアントワネットが処刑された場所でもあります。
 エジプトから贈られたオペリスクが建ち、そこにはピエログリフ(神聖文字)が書かれています。



シャンゼリゼ通りと凱旋門

 いずれもパリの名所です。シャンゼリゼ通りは昔、駐車した車で一杯でしたが今は、路上駐車場が無くなりすっきりとしています。ちょっと遅い昼食を皆に習って、シャンゼリゼ通りでフランスパンとビールでした。



 凱旋門で地下鉄に乗り、オペラ座で降りて、入場券を買いに行きました。

 昼間、オペラ座は一般に開放され、入場料を払うと内部を見ることが出来ます。私たちは外からちょっと覗くだけでした。
 入場券を買おうとしたところ、今日の席はすべて売り切れでしたが、来週の月曜日に空席があったので購入しました。



ラデの風車

 ホテルに帰る前にもう一度モンマルトルの丘を登ってみました。昔、この丘にはブドウ畑があり、水を水車でくみ上げていたようで、その名残が一つまだ残されています。昔の様子を想像する事が出来ます。



モンマルトルの路地裏とテルトル広場
 
 ユトリロを初め、多くの画家がこの地を愛し住んでいたようです。今は似顔絵や風景画など、多くの無名の画家がお客を喜ばしています。たくさんのレストランもありました。



 パントマイムの女性や男性、また、路地の演奏家も居りました。

        

6日目 ルーブル美術館、モンパルナス大通り、
    
     カタコンブ、天文台、モンパルナス墓地、ピガール広場


ルーブル美術館
 

 ルーブル美術館は毎月第一日曜日が無料となるとのこと、この日を選んで行って見ました。開場前15分ぐらいに行ったのですが、もう、長蛇の列です。ただし、入場が開始されると、歩くスピードで列が前に進み、あまり待たずに入場できました。切符を買う手間が無いので早いのでしょう。
 16世紀に宮殿として建築され、宮廷がヴェルサイユに移るルイ15世の時代まで歴代の国王の住居として利用されていました。フランス革命後、ナポレオン1世が「中央美術館」として1793年一般にも開放しました。ナポレオン1世がセントヘレナ島へ流され、そのだいぶ後、ナポレオン3世が大統領になると、ここを好み住んだそうで、立派なナポレオン3世の部屋があります。
 



 12世紀に作られた要塞跡が、ルーブルのリニューアルの時発見されたとのことです。そこを通ってエジプト館に入ると、有名な書記座像もあります。この書記座像はたくさん作られたのでしょうか、ロンドンの大英博物館でも、エジプトの考古学博物館でも見たことがあります。

 ミロのビーナス、サモトラケのニケなどです。




 ルイ15世の戴冠式のダイヤモンドが飾ってあります。



 モナリザの部屋は人で一杯でした。絵は厳重に保護され、ガラスで覆われています。混雑の中では、特に見たいとも思わなかったので、すぐに部屋を出ました。無料のためもあるのでしょうか、とにかく混んでいました。


 フェルメールの絵「レースを編む女」の前にもたくさんの人がいました。アメリカの美術館めぐりでは、フェルメールといえども、人がほとんど居なかったのですが。
ディエゴ・ベラスケス

 1599-1660 
バロック期のスペインの画家。
17世紀を代表する巨匠と言われる

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ

1654年


バルトロメー・エステバン・ムリーリョ
 
1617-1682
 バロック期のスペインの画家。
17世紀を代表する画家。

乞食の少年

1645-50年頃



ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 
 
  フランスの印象派画家 人物画を得意とした。フランスの印象派の画家ですが、人物画を得意とし、晩年は豊富な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓きました。
読書

1890年
座る女の肖像

年代不明



ガブリエル・デストレとその妹

第二次フォンテーヌブロー派(作者不詳)

1595年頃



ヨハネス・フェルメール

 1632-1675 
オランダの画家。
バロック期を代表する画家の1人。


レースを編む女


1669年~70年



レンブラント・ファン・レイン 
1606-1669
 
 オランダの画家。バロック期を代表する画家の1人。大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意とした。


 ナポレオン3世の居室で豪華です。ナポレオン1世は1815年、セントヘレナ島へ島流しになりましたが、ナポレオン1世の弟と、ナポレオン1世の妃のジョゼフィーヌの連れ子オルタンスとの間の第3子のナポレオン3世は、1世の失脚後亡命生活を送っていましたが、1848年、フランスに戻り、大統領を選ぶ国民選挙で大勝し、現在のパリの街並みの骨格を作りました。
 ナポレオン3世は1870年、プロイセン・フランス戦争に敗れ、イギリスに亡命し、死亡しています。



モンパルナス大通

 モンパルナスには、210mの高さを持つモンパルナスタワーがあります。また、モンパルナス大通りはシャンゼリゼ大通りと同じように、たくさんのレストランが道路に店を広げ、ゆったりとした雰囲気をかもしだしていました
この通りは、若き芸術家、シャガール、藤田嗣治、モディリアニなどがカフェに集まり時を過ごしたと言われています。ロダン作バルザックの像が建っていました。


パリ天文台

 1672年に完成した非常に古い天文台ですが、モンパルナス大通の近くにあり、この天文台から眺める町の風景は素晴らしいと聞いて行って見ましたが、日曜日のためか、入れませんでした。




カタコンブ
 カタコンブ(地下墓地)という名は、エジプトのアレキサンドリアを訪ねた時に知りましたが、パリにもあることを発見し、天文台の近くなので行って見ました。600万体のお骨が集められ、骸骨がそのまま並べられているそうです。行って見るとここもちょっとした列を作っていました。かなり待たされそうです。実はもうかなり疲れており、立ったまま1時間も待つのは厳しいので見学は中止しました。



モンパルナス墓地

 パリの墓地とはどのようなものかと思い通ってみました。この墓地には、歴史ある有名な人たちが眠っています。ただしあまりにも立派な墓地なので、一般の人たちの墓地とは違いそうです。
 

 昔の面影を偲ばせるためでしょうか。モンパルナス駅の近くに画家専用のお店がずっと並んでいました。


ピガール広場


 ホテルで一休みした後、夕食をとるためピガール広場まで歩いてゆきました。ホテルから20分ぐらいの所にあります。パリの下町の風景です。カンカン踊りで有名なムーランルージュもあります。

            

7日目 フォンテーヌブロー宮殿、サンシャペル寺院、
   
     コンシェルジュリー、夜はオペラ座でオペラ鑑賞


フォンテーヌブロー宮殿 Fontainebleau

 1528年、フランソワ1世が、前からあった王家の狩猟用の館を大改築させたものですが、その後もルイ16世まで、7代の王が宮殿を継ぎ足してきており、中世から18世紀までの建築様式が見ることが出来ると言われています。
 フォンテンブローはパリのリオン駅から列車で約40分の所にありますが、路線図を持たずに行くには、駅員に良く確かめる必要がありました。到着するとそれと連絡するようにパスが発車します。約15分ぐらい乗ると宮殿に出ました。



 この宮殿はフランス革命で荒廃しましたが、その後、皇帝となったナポレオンもこの地をこよなく愛し、再び素晴らしい宮殿に改築し、自分も、束の間の憩いの場所として使用したそうです。
 1814年、ナポレオン44歳の時、エルバ島を与えられ、最後までナポレオンに従った近衛兵たちに、前庭の馬蹄形の階段で別れの演説をしたそうです。「諸君等あるかぎり、フランスが戦って負けることはないであろう」と。
 その後、ナポレオンはエルバ島を脱出し再びフランスに戻り、指揮権を取り戻しますが、イギリスとの戦いに敗れ、今度はセントヘレナ島に流され、そこで命をとじました。



 豪華な部屋が続きますが、諸外国からたくさんの来賓があったのでしょう。贅を尽くした調度品が並びます。



 とにかく広大な森の中の宮殿で庭園も見事です。ヴェルサイユと比較すると、こちらが別荘という感じがします。



サントシャペル教会
 
 シテ塔のノートルダム寺院の近くにあり、国王の礼拝堂として作られました。パリ最古のステンドグラスのある寺院として知られています。1248年に完成したゴシック形式の極致とも言われます。
 一階の天上は頑丈な石組みで出来ています。窓は小さく、2階の重みに耐えられるよう設計されています。


 高さ15mもある、2階の礼拝堂に入ると、ステンドグラスが全体を埋め尽くしています。その素晴らしさには唖然とします。巨大なガラスの宝石箱です。なんという美しい教会でしょうか。言葉を失います。ステンドグラスには、たくさんの絵が描かれ、それらは聖書の一場面を表しているそうです。中世時代、多くの人は文字を読めませんでした。そのため、ステンドグラスが使用されました。イエスキリストと聖人たちの生涯が描かれていて、参拝者にはそれが神からの教えと映ったと言われています。



コンシェルジュリー (王室管理府)

 サントシャペル教会に隣接しており、共通入場券で入ることが出来ます。
 フランス革命後、1793年1月から1974年7月までの間に、2600名もの貴族や革命家がここで最後の日々を過ごし、断頭台へと引かれてゆきました。
 当時、貴族は非常に裕福な人も居れば、平民以下の貧乏貴族も居たそうです。断頭台に送られるまでここで過ごしますが、貧乏な貴族は藁小屋で過ごさせられ、お金を納めた裕福な貴族は、個室で過ごしたそうです。ルイ16世の妻、マリーアントワネットも、ついたて一枚を隔てて見張られて居たそうで、それらが再現されていました。



オペラ座で観劇
 
 出し物はグルックのトーリドのイフィジェニーという、堅苦しい内容でした。
 内容はほとんど理解できませんでしたが、素晴らしい歌声にはうっとりしました。
 入場者の半分以上は観光客という感じでしたが、完全に満席でした。出し物が有名だったら、入場券の入手は困難だったでしょう。


            

8日目 プティパレ美術館、ケ・ブランリー美術館、市立近代美術館見学後、
   
     シャルルドゴール空港から帰国へ JAL406 19:05発


 今日は最終日で、飛行機は午後7時5分発です。ホテルのフロントで午後3時のタクシーを予約し、それまで市内の美術館を見て回りました。今日は火曜日ですが半分ぐらいの美術館は火曜日が休みになるようです。



プティパレ美術館(パリ市立美術館)

 シャンゼリゼ通りの近くにあります。特設展示以外は無料で見ることが出来ます。プティ(小さい)という美術館ですが、日本の美術館とは比較にならないぐらい大きな美術館でした。
 モネの「ラヴァクールの日没」もありました。
 隣にあるグラン・パレ美術館は火曜日が定休でした。
クロード・モネ Claude Monet

 1840-1926 
印象派を代表するフランスの画家 
モネと言えば睡蓮ですが、
睡蓮の絵の多くはオランジェリー美術館に
飾られています。


ラヴァクールの日没

 この絵画館の目玉です。
アルフレッド・シスレー  Alfred Sisley

 (1839-1899)
絵はあまり売れず、困窮した生活でしたが、
59歳で癌で亡くなっています。

モレの聖堂


1894年
 フランシスコ・ピサロ 

Francisco Pizarro、1470- 1541、スペイン人

ロワイヤル橋とフロール館、曇り

1903年、
ポール・セザンヌ Paul Cézanne,

1839 - 1906
フランスの画家。
元は印象派画家であったが、
独自の絵画様式を探求し、
彼独特の絵を生み出した。

3人の浴女

1879-82年。
ルノワール

1841-1919

フランスの印象派画家 
人物画を得意とした。
晩年は豊富な裸婦像などの人物画に
独自の境地を拓きました。


アンブロワーズ・ヴォラール


1899年



 シャンゼリゼ大通の近く、アンバリッドやエッフェル塔が見える美しい街並みです。
      


 新しく作られた ケ・ブランリー美術館にも行って見ましたが、長い列で、帰りの時間が心配になり、入場を中止しました。



市立近代美術館

 開いていそうなので入って見ました。良く知られた作品も飾られていました。入場は無料でした。




パブロ・ピカソ
 
カサジェマスの埋葬・招魂

1901年
 

鳩と小さなさやえんどう豆

1919年

旧マルク

Le Vieux Marc,

1914年



モデリアーニ
 


扇子を持つ女

1905年
青い目の女

1884年



シャガール Marc Chagall 1887-198)



"Le reve"



モンマルトル サクレクール寺院
 タクシーが来るまで、まだ、ちょっと時間があったので、ホテルの近くのサクレクール寺院にもう一度行って見ました。疲れていたので、坂をケーブルカーで登りました。空気が澄み渡り、丘からはパリ市内を見下ろすことが出来ました。
 


 いよいよ、これで今回のたびも終わりました。シャルトルのノートルダムとモンサンミシェルを除いては、過去に何回か行った事がある場所ばかりですが、パリの街並みの美しさ、歴史の重み、素晴らしい美術品、いずれも人類の宝であり、何度訪れても楽しむことが出来ました。今回は下町に泊まった為、パリジャンの日常の生活にも触れることが出来ました。黒人の多さには驚きました。ニューヨークよりも多いようです。
 もし、今度パリに一週間泊まるとしたら、何処に泊まるでしょうか。



付録 美術館の絵画の写真

 アメリカやヨーロッパの美術館は、特別展を除いて、大概、カメラ撮影が許されており、デジタルカメラが世界的に普及してきたこともあって、最近、たくさんの人が写真を撮っています。絵画を見てもすぐに忘れてしまいますし、あの美術館ではあのような絵があったと、後で思い出すためにも、写真は便利だと思います。
 ただし、デジカメで原画を忠実に撮るのは困難です。特に暗い部屋で撮ると、手ブレやノイズが多く、うまく再現できません。ただし、原画とは何かが問題です。絵は光源の波長スペクトラムに反映し、照明でどのようにも変化します。暗い部屋の場合、美術館で本物を見ても、画家がその絵を描いたときのイメージと一致しているかどうか分かりません。
 昔、写真を撮る時、フィルターを使用しましたが、今はパソコンがしてくれます。被写体が同じでも修正でかなり変りますが、それは音楽の演奏と同じで、指揮者や演奏者が自分の解釈で演奏するのと同じだと考えられます。
 今は世界の名画をインターネットで検索し収集することが出来ます。今回、オルセー美術館で見たアングルの「泉」とルーブルで見たフェルメールの「レースを編む女」を試しに検索して比較してみました。言うまでも無く、私の小さなデジカメで撮った写真の質が如何に悪いかが分かります。しかし、それなりに自覚して楽しめば良いのでしょう。



アングルの「泉」
 



フェルメールの「レースを編む女」
 

 ただし、なぜか分かりませんが、「レースを編む女」の部屋はとても暗く、かつ、この絵はガラスで覆われ、外部からの光が表面で反射して、正直、良く見えません。インターネットで探した絵はどのようにして写真にしたのでしょうか。美術館で売られている写真集からでしょうか。どちらが美術館に飾ってある絵に近いかと言われたら、私のデジカメのほうかも知れません.
 クラシックや演歌、ジャズ、ホップスなど、多くの音楽は、演奏会に行かずとも、CDやDVDでいつでも好きな時に、家庭で鑑賞することができます。
 名画も同じです。プラズマや液晶画面の発達により、名画を大画面で楽しむことが出来ます。私も見たい名画や過去の写真などをハードデスクに貯め込み、それらを、時々、大画面で楽しんでいます。
 より大きな画面で、より精細な画像を入手できれば、各家庭で、自分の好きな時に、美術館へ行った時とほとんど同じ品質で、名画鑑賞が出来る時代も、やって来るでしょう。






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