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パリ滞在1週間 歩きまくりの旅
過去、パリへは10回以上行っていますが、もう一度、市内を歩き回って見たいと思い、同じホテルに7泊し、主だったところを回ってきました。
パリの良さは、街並みの美しさ、その歴史、美術館、どれをとっても、超一級で、100年以上も前に、明治の人がパリを見たときの驚きは想像に絶するものがあります。
まだシーズン前とはいえ、何処へ言っても長蛇の列でした。
今回は空港とホテルの往復にタクシーを使用した以外はすべて地下鉄、電車、観光バス、船を使用しました。その結果、毎日の歩数が2万歩から3万7千歩と、ゴルフの1ラウンド半ぐらい歩いたことになります。但し、この万歩計は機械式で、実際よりは、1.5倍ぐらい多く表示されます。ゴルフよりは疲れたような気がします。 |
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1日目 成田からパリへ。JAL405 11:10発、パリ16:40着
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今回はJALのプレミアムエコノミーを使用してみました。背もたれを倒すと自分が前に移動し、背の傾きは変らないので、後席を気にせずに背もたれを倒すことが出来ます。アームレストが広く、車のコンソールボックスぐらいありますが、仮に隣が空席でも、アームレストを持ち上げて2つの席を同時に使用する使い方が出来ないのが不便な感じです。ただし、最近は何時も満席なので、関係無いかもしれません。
機種はボーイング777ですが、横の座席の数はビジネスが 2-3-2 の7席、プレミアムエコノミーが 2-4-2 の8席、エコノミーが 3-3-3
の9席でした。
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シャルルドゴール空港からホテルまではタクシーを使用し、約40分でした。
ホテルはモンマルトルの地下鉄の近くで、交通の便は非常に便利でした。
モンマルトルはパリの下町で、衣類の卸問屋が軒を連ね、スーパー、食堂、その他、何でも必要なものはすぐ近くにあり滞在には便利ですが、あやしげそうな人たちがたむろしており、腕時計や香水などのブランド品を違法承知で売っていました。ちょっと物騒な雰囲気です。
朝早く地下鉄に乗ったときは、黒人系の人が約半分ぐらい乗っていました。 |
2日目 シャルトル大聖堂、別名ノートルダム大聖堂
ヴェルサイユ宮殿見学
シャルトル大聖堂 別名ノートルダム大聖堂(聖母マリア) Cathedrale de Chartres (世界遺産)
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ノートルダム(聖母マリアという意味)という寺院は幾つもあり、パリ、シテ島の大聖堂も有名ですが、このシャルトル大聖堂も1979年に世界遺産に登録され、ともに有名です。
シャルトルはパリのモンパルナス駅から列車で約1時間10分ぐらいの所にあり、ホテルから、地下鉄そして列車に乗り継ぎ行ってみました。
フランス語は残念ながら話せないのでもっぱら英語ですが、なかなか通じません。とりあえず窓口で往復切符を2人分購入し、何番線から出発するのかを聞いたら
" I do not know" を繰り返し言われ当惑しました。ただし、出発時刻は教えてくれました。どうやらフランスでは出発の約10分ぐらい前にならないとプラットフォームが決まらないようです。
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駅を降りると、美しい街並みが現われました。観光地らしく、旧市街は昔の面影を残しています。たくさんのレストランがありました。 |
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この大聖堂はゴシック様式の最高傑作とも言われ、左右非対称の2つの塔が特徴的です。左側は後期ゴシック様式、右側は後期ロマネスク様式だそうです。
この二つの塔を見比べてどのような違いがあるのか、建築様式に不勉強な私には分かりませんが、尖塔の頂上当りの模様がだいぶ違うようです。ロマネスク芸術、ゴシック芸術、ルネサンス芸術など、ヨーロッパを旅していると、いろいろと勉強になります。
当時の聖堂はすべて石で作られ、その天上も重い石で覆われています。それが崩れないようアーチ状になっていますが、その力は外側に向かい、外壁で支えられています。その結果、外壁は非常に厚く作られています。しかし、厚いと内部の空間が少なくなり、窓も小さくなります。この大聖堂は、いかに外壁を薄くし、また、たくさんのステンドグラスを使うか、多くの進歩があったようです。大聖堂の壁の外壁を見ると、かなり頑丈に作られていますが、重い天井を支えながら、内部の空間が広くなっています。 |
シャルトル大聖堂は150を越えるステンドグラスでも有名です。そのほとんどが1210~1260年に作られたそのままです。聖堂内の彫刻の多さでも良く知られています。
フランスで最も美しいステンドグラスといわれ(どの教会もそのように自分のステンドグラスが一番だと書いてあります。要は各自の判断です)、青はシャルトルブルーといわれるそうです。 |
ヴェルサイユ宮殿 Chateau de Versailles
絢爛豪華な宮殿、そしてフランスの歴史を語る宮殿です。
シャルトルからパリに戻るとき、途中下車して見学しました。駅から歩いて20分ぐらいの所にありました。入場券を買うため平日なのに長蛇の列です。 |
ヴェルサイユ宮殿には、1682年からフランス革命の起こる1789年まで約100年間、フランス王国の宮廷が置かれました。宮殿建築とその内部、広大な庭園など当時最高の芸術水準と言われています。
国王ルイ14世はパリ郊外に移住地を求め、父ルイ13世が離宮にしていたこの地を大改造し、不衛生なパリを離れ、このヴェルサイユに住むようになりました。そしてヴェルサイユがフランス政治の中心となりました。
宮殿の両翼を含めるとその大きさは400mにもなり、庭園の中心の池の長さは1600mもあるそうです。
この宮殿で生活した人は王族を含め5000名にもなり、ヴェルサイユの町の人口はフランス革命の直前には7万人にもなったそうです。
ルイ16世とマリーアントワネットの結婚式もここの礼拝堂で挙げられ、祝宴はここのオペラ劇場で行われました。
有名な鏡の間は全長73mにもなり、80ヤードになるので私のゴルフのサンドウィッジで丁度良い距離にもなります。この間は第一次世界大戦の和平条約の調印式の場としても有名です。 |
この広大な庭園はフランス式庭園の最高傑作とも言われ、とにかく広く長く、マリーアントワネットの離宮まで歩いてゆきましたが、ゆうに1時間ぐらいかかりました。下の5番目の写真の道路を通って行きますが、当時は運河を使用し、船で行ったそうです。
宮廷の中を歩き回った後にこの公園を歩いたため、とにかく疲れました。 |
グラン・トリアノン
ルイ14世が愛人のマントノン夫人と過ごすために作らせた離宮で、ナポレオン1世が使っていた時の調度品が飾ってありました。この隣にマリーアントワネットの離宮がありますが、残念ながら疲れて足が動かないので、見学を中止しました。
マリーアントワネットは堅苦しい宮殿の生活を嫌い、この離宮を愛したそうです。 |
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グラントリアノンからヴェルサイユ宮殿に戻ろうとしたら、小さな連結バスが走っていました。助かりました。歩くとかなりありそうでした。
ただし、宮殿から駅まではまた歩きました。
また、列車に乗りモンパルナスまで戻り、地下鉄でホテルに戻りました。 |
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3日目 モン・サン・ミシェル修道院
NHK-BSの世界遺産紀行で、最も行ってみたい世界遺産の上位に選ばれたのがこのモンサンミシェルでした。
この修道院は世界4大巡礼地ともされています。中世のヨーロッパではこの修道院に多くのベネディクト会修道士が集まって生活していたそうです。当時は、学問のすべてが修道院に集まり、宗教的な教育もあったのでしょうが、学問を学ぶ中心地としても利用されたようです。
バスツアーを利用して行きましたが、日本からインターネットで予約を入れて置きました。ルーブル宮殿の近くのバス乗り場に6時45分集合し、7時05分に出発しました。到着まで片道4時間ですが、昼食を入れると到着は12時半でした。約4時間見学し、4時半に出発し、パリ到着は午後9時半でした。参加者の中に日本人もいましたが、ほとんどがフランス人でした。
パリの日没は9時20分頃でまだ十分明るいのです。暗くなるのは10時ぐらいです。帰る途中、ガソリンスタンドでサンドウィッチを買ってバスの中で夕食を済ませました。
ホテル到着は午後10時ごろでした。パリにいると時間の感覚がおかしくなります。夏時間とはいえ少しやりすぎでしょう。 |
この修道院はノルマンディ近くの海の中にあり、満潮になると14mもの深さの海に完全に閉ざされるそうです。私たちが行った時は干潮でした。
水面から塔頂までは150mもあり、島の高さは70mだそうです。
難攻不落の城塞としても利用されたようです。 |
この修道院は8世紀頃から建築が始まり、1521年に完成し、ゴシック建築の最高傑作とも言われています。屋上には中庭があり、修道士はここで憩いの時間を過ごしたそうです。
幾層にも重ねられたこの修道院は、天上まですべて石で作られ、ゴシック式の美しいアーチ状をしています。
この重い天井を支えるため、太い柱と、また、壁は数mもある厚い石の壁で出来ていました。
鉄筋は当然入っていませんから、四川大地震のようなことになればひとたまりもないでしょう。 |
この地は雨が多いらしく、年間の半分以上が雨だそうで、私たちも雨に見舞われました。
バスの出発までの自由時間は何することも出来ず、レストランに入りビールを飲んで時間をつぶしました。 |
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