福島県でゴルフと温泉

2014年5月27日~29日
 温泉を楽しもうと思い、何度も行った野地温泉に行きましたが、途中、白河国際カントリークラブでゴルフを楽しみました。
 地方の宿泊施設を持つゴルフ場は、一泊三食付でも一人1万円程度で楽しめるため、行ったことのないゴルフ場のプレーもなかなか面白いものです。



1日目 自宅から袋田の滝経由、白河国際カントリーへ
2日目 白河国際カントリーでゴルフ、その後野地温泉へ
3日目 六角堂経由自宅へ




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 全画面にしてご覧ください。1枚目から2枚目に移る際、時間のかかることがあります。
 ただし、2枚目からは軽快に動きます。

      

1日目 自宅から袋田の滝経由、白河国際カントリーへ


袋田の滝

 郷里の茂木町からさほど離れていないこともあって、過去に数回訪れていますが、近くを通ったので、また行ってみました。
 袋田の滝は日本の滝100選に選ばれています。
 約200mぐらいトンネルの中を歩くと展望台に出ます。
 出口に祠が作られていました。



エレベーターで上の展望台へ
  
 今回訪れると、エレベーターが新設され、高い所に作られた展望台から滝が見えるようになっていました。6年ぐらい前に作られたそうです。 



旧展望台

 以前来た時は、ここまでしか行けませんでした。
 ここからは瀑布をまじかに見ることが出来ます。
 滝のしぶきがカメラに当たり曇らせるので素早く撮る必要がありました。


 橋を渡り対岸から駐車場へ戻りました。
 とにかく不思議なことに、私たち以外、観光客は殆んど居ませんでした。そのためか、土産屋もだいぶ閉まっていました。


    

2日目 白河国際カントリーでゴルフ、その後、野地温泉へ


白河国際カントリークラブ

 36ホールある、かなり大きなゴルフ場です。
 お風呂や宿泊施設など、かなり豪華でした。
 平日のためか、大変空いていました。



宿泊施設

 かなりたくさんの宿泊ロッジがあり、各部屋には4名が泊まれるよう4つのベットが付いていました。
 夕食用に宿泊者用に作られた専用のレストランが作られていました。



 那須・磐梯の18ホールと安達太良の18ホール、合計36ホールがあります。



安達太良、アウトコース

 9ホールプレーすると簡単な食堂があり、そこで昼食をとるシステムになっています。
 スタートは朝の8時で、前には誰もおらず、快適なプレーでした。
 平日のためでしょうか、後ろから来る組はありませんでした。まさに借り切りのコースの雰囲気です。
 池が巧みに配置され、タンポポが満開でした。
 9ホールプレー後、小さな食堂があり、そこで昼食をとるシステムになっていました。
 朝8時スタートだったので、10時前に到着しました。
 まだ、昼食には早いのですが、簡単な食事をとりました。


インコース 

 かなり真っ直ぐなコースが続きます。17番のロングコースはバックティからでも503ヤードとかなり短そうですが、緩やかな上りなので、3打では届きませんでした。
 プレーは午前中に終わり、野地温泉に向かいました。



猪苗代湖

 ホテルへ行く途中、時間がたっぷりあったので、猪苗代湖に寄ってみました。
 浜辺の土産屋の多くは閉まっていたり、壊れていたりして、ひっそりとしていました。
 猪苗代湖は昔から冬になると白鳥が飛来し、現在は2千羽も来るそうです。




磐梯山

 ドライブしていると磐梯山の雄姿がずっと見えています。



野地温泉

 4時過ぎに野地温泉に到着し、温泉を楽しみました。
 玄関にはYahooにより、温泉らしい温泉日本一に選ばれたと書かれていました。
 確かに、硫黄の匂いと白濁したエメラルド色のお風呂に入ると温泉気分を満喫できます。

 野地温泉は去年の秋に来た幕川温泉の近くにあります。



      

3日目 六角堂経由自宅へ


六角堂と天心記念五浦美術館

 2011年3月の大津波で六角堂が流されてしまったと聞き、どのように修復されているか気になったので、帰りに立ち寄ってみました。
 当時の津波の被害状況と修復の様子も描かれていました。



六角堂(国立大学法人 茨城大学五浦(いづら)美術文化研究所)

 岡倉天心(1863-1913)は、筆を持たない天才芸術家とも言われ、日本画の創始、東京美術学校(現東京芸術大学)の創設、博物館の整備、文化財の保護など先駆的な活躍をしましたが、芸術はアジア文化の伝統や自然と一体となった生活の中でこそ生まれると考え、都会を離れ、明治38年、五浦海岸に六角堂と天心邸を建て、翌年には大観、観山、春草、武山を家族ともども呼び寄せ、一躍、この地を日本近代美術史上欠かせない場所にしています。また、ボストン美術館の要職に就任し東洋美術の普及に勤めました。
 天心は子供のころから貿易商人であった父親の教育により英語が堪能で、それが国際的な活躍の元にもなり、また、英文による日本文化に関する何冊もの本を出版しています。
 天心は52歳でこの世を去りましたが、終生、この地を拠点とし活躍しました。
 大津波で流された六角堂は、多くの人の支援により、約1年後の2012年4月15日、蘇りました。



天心邸

 和風の母屋に対し、前庭はボストンから取り寄せた芝生が植えられ、洋風も取り入れられています。
「亜細亜ハ一なり」石碑

 インド、中国、日本など、それぞれ異なる個性を持つ国々が目に見えない「アジア」という一つの概念を支えていることを示しているそうです。
ウォーナー像

 ラングドン・ウォーナー(1881-1955)はハーバード大学で考古学を専攻し、卒業後、天心の薫陶を受け、五浦で日本美術の研究をします。
 第二次世界大戦中、爆撃対象から外すべく奈良、京都などの文化財リストをアメリカ政府に提出したと言われています。
 その功績を称えようと胸像建設の計画が日立製作所から起こり、昭和45年、各方面からの寄付により建設されました。



天心記念館

 天心の業績が展示されている記念館で、昭和38年、五浦美術文化研究所内に作られています。
 館内には岡倉天心像、五浦釣人像、大観の絵(複製品)などが展示されていました。
天心の龍王丸

 天心はこの船でよく釣りをしたそうです。
平櫛田中(ひらくしでんちゅう)作、五浦釣人(ごほちょうじん)

 天心は晩年、五浦海岸でよく釣りを楽しんでいました。
 田中はその釣人像を多数制作していますが、本像は昭和37年、天心の生誕百年を記念して製作されたもので、一連の天心像の中でも最大の作品で、第48回院展に出品された後、この研究所に寄贈されました。
 それがきっかけとなってこの天心記念館が建設されています。
 なお、平櫛は東京美術学校教授に就任し、昭和37年、文化勲章を受け、昭和54年、107歳の高齢で没するまで、日本彫刻界の重鎮として活躍を続けました。
屈原(くつげん)
 横山大観作   映画「天心」用複製
 大観は天心を唯一の師として仰ぎ、逆風に立たされても動じない天心の姿を中国の戦国時代の憂国の詩人に託し、屈原で、石を抱いて河に身を投じたという故事を想像して描いています。
 この絵により歴史画論争を引き起こし、それが社会現象となり、大観の名を世間に広めました。
阿房却火(あぼうごうか)

木村武山作 映画「天心」用複製

 中国の阿房宮が燃える様子の想像画で、武山の出世作となりました。
賢首菩薩(けんしゅぼさつ)

菱田春草作 映画「天心」用複製




岡倉天心の墓地

 天心没年の大正2年(1913年)、天心の辞世の句にしたがい、東京都の染井霊園の墓からこの五浦に分骨、埋葬されています。



天心記念五浦美術館

 天心記念五浦美術館は、岡倉天心や横山大観をはじめとする五浦の作家たちの業績を顕彰するとともに、優れた作品が鑑賞できる美術館として平成9年11月8日に開館しました。
 非常に広い敷地に作られた美術館で、65歳以上は無料でした。
 展示品の写真は禁止でした。



 下の写真は入館した時頂いたパンフレットのコピーです。
 今日の特集は、世界紀行の日本画でした。
 すぐ忘れてしまうので転記しました。





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