花爛漫ニュージーランド8日間
2014年12月22日(月)~12月29日
クラブツーリズム |
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ニュージーランドは、赤道を挟んでちょうど日本の反対側にあり、今が花爛漫の季節とのこと、一度行ってみたいと思っていました。
出発日は12月22日で日本の冬至に当たり、日のさす時間が一番短くなりますが、逆にニュージーランドの12月22日は夏至に当たり、日中の時間が一番長くなります。
関東地方の花の季節は5月までで、夏至のころにはだいぶ少なくなりますが、北海道が7月下旬から花の季節を迎えるのと同じように、場所により、花の季節は異なるようです。
地図からもわかるように、日本よりも東にあり、時差は3時間ですが、今のニュージーランドは夏時間なので日本との時差は4時間になります。
世界で一番早い新年を迎えられる国とも言われています。 |
国土面積は日本の72%程度ですが、人口はわずか450万人で、GDPは日本の3.7%程度ですが、一人当たりに直すと、世界の21位で日本の24位よりも少し良くなっています。ただし、これらのランキングは為替によって変動しますから、実態とは少しずれていることが多いようです。
人種はヨーロッパからの白人系が68%、原住民のマオリ族が15%、以下、アジア系、太平洋諸島系と続いています。
主な産業は牧畜や農産物で、工業製品は輸入に頼っています。
町を走っている車のほとんどは日本車で、10年前は主に中古車を輸入していましたが、今は新車が多くなったそうです。
成田でのニュージーランドドルへの交換レートは1ドルが99円でした。そのため、換算は簡単でした。なお、通貨のレートは93円でしたから、現金にせずにカードを使用すれば、95円程度です。
驚いたのはニュージーランドでの物価の高さで、コーラ1本が日本では160円ですが、こちらでは400円もします。一般の食堂で、ビールを飲むと、小さい缶ビールの量でも大体800円でした。
韓国料理のビビンバや冷麺、ベトナム料理や、タイのトムヤンクンなど、簡単な料理はどれも1品2000円でした。従って、家内と自由行動の時、食事をとると、7,000円ぐらい、毎回かかりました。
なお、ガイドさんの話によると、こちらのアルバイトなどの最低賃金は1,500円だそうですから、総じて日本の2倍はします。仮に交換レートが昔のようにUS1ドルが80円程度なら、日本と同じ物価になりますから、ニュージーランドの物価が高いのではなく、交換レートのよるものと考えられます。そうなると、ニュージーランドの一人当たりのGDPは日本よりかなり低くなります。しかし、日本車をかなり安く買うことが出来ます。
ニュージーランドは反捕鯨の先頭に立ち、何かと日本とぶつかっていますが、祖先が鯨に乗ってこの国にやってきたと信じている人が多いようです。南極にまで来て鯨を取る日本の捕鯨船を許せないのも、わかるような気がします。 |
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国旗から分かるように英連邦加盟国であり、旗の右側は南十字星を意味しています。 |
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再生速度は右下の三つの星を押すと早くしたり遅くしたりすることが出来ます。 |
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南半球にあるニュージーランドを北半球に緯度が同じようして並べてみました。
この図から、クイーンズタウンは稚内と同じで、クライストチャーチは旭川、オークランドは福島、首都のウェリントンは函館あたりに相当します。
総じて日本よりは少し寒そうです。
なお、日本を飛び立った飛行機はまっすぐに南に向かいますが、12時間も飛行すると、ニュージーランドは地球の反対側に移動してしまい、日本の裏側のアルゼンチンあたりに到着してしまいます。それでは、飛行機はどこを目指して飛べば良いのでしょうか。
退職後、趣味の一つの放送大学の視聴があります。
それによると、宇宙から地中を見ていると、飛行機にコリオリの力が働き、ニュージーランドに向けて飛行していれば、コリオリの力により、まっすぐ南に進行するのだそうです。 |
1日目 成田よりクライストチャーチへ
成田発14時25分のニュージーランド航空 NZ0094便にて出発です。飛行機の座席は2-3-2でしたので、まったく問題ありませんでした。
空席も2割程度ありました。
飛行時間は12時間の予定でしたが予定より30分早く、早朝の6時に到着でした。日本時間に直すと真夜中の2時になります。
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2日目 羊の毛刈り、テカポ湖経由 クイーンズタウンへ
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朝、空港を7時に出発。国道1号線を南西に進みます。
途中、テカポ湖とブカキ湖に立ち寄り、また、昔のゴールドラッシュで栄えたアロータウンで一休みし、クィーンズタウンに午後5時ごろ到着しました。
走行距離は487kmだったそうです。
途中、半分ぐらいは眠っていました。 |
もうすぐ、クリスマス
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最初のお土産屋でトイレ休憩し、散歩した時見たサンタクロースです。
今日は12月23日、もうすぐクリスマスです。
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羊牧場見学
羊の飼育に欠かせないのが牧羊犬です。バラバラになった羊を主人の命令に従い、一か所に集めてきます。あっという間にたくさんの羊が集まりました。
そのあと、羊の毛刈りの実演が行われました。熟練した職人なら1~2分で丸裸に出来るそうです。これから暑い夏を迎える羊にとって、毛を刈ってもらった後は、気持ちが良さそうです。
最近、化学繊維に押され、羊毛の需要が減り、ほとんど儲からないそうです。統計では1982年に7030万匹いた羊も現在ではほぼ半減し3100万匹になっているそうです。また、羊よりは牛のほうが利益になるようです。食肉(ラム)となる羊は生後1年未満の仔羊のみで、羊毛を取るための羊は5~8年飼われた後、ペットフードの材料になるそうです。
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再び、バスはテカポ湖に向けて出発です。そこには、牧羊犬の像や、善き羊飼いの教会が作られていました。
昼食はなんと湖畔の日本食堂でした。
昼食後、テカポ湖からブカキ湖へ向かいます。約30分の乗車でした。
道路の両側はルピナスで埋め尽くされています。
ブカキ湖の向うにニュージーランド最高峰のマウント・クックが見えます。そこへは3日後に行くことになっています。
バスは南下し、昔金採掘で栄えたクロムウエルとアロータウンへ向かいます。途中、氷河が溶けて独特の色をした川や、池の脇を通ってゆきます。
半分ぐらい眠っているのですが、目が覚めるとブドウ畑や牧場が広がっていました。 |
アロータウン
ゴールドラッシュで栄えた町です。ちょっと町なかを散策し、博物館を覗いてみました。そのあと、小川に下りて行ってみました。ここでもルピナスが満開でした。 |
エニシダが山を一面に染めていました。
クィーンズタウン
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観光の基地の町、クィーンズタウンに、午後5時ごろ到着しました。人口は約2万人の小さな町です。
ホテルにチェックイン後、全員で街の中華レストランへ向かいました。
ホテルは町を見下ろす坂の中腹にありました。町の中心からは歩いて10分ほどでした。
この町には信号機が全くありません。 |
市内の風景です。
夕食後、グループは解散し、その後は自由行動となりました。まだ明るいので、私たちはゴンドラに乗り展望台に登ってみました。
こちらの人は冒険が好きなようです。幼稚園生が一人でゴーカートに乗っていました。その他、バンジージャンプやパラグライダーの設備は至る所にある感じでした。どうも、DNAが違うようです。 |
ホテルの部屋から
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日没は午後9時20分ごろでした。町はまだにぎわっていました。 |
3日目 ミルフォード・サウンド観光
今日は一日かけてミルフォード・サウンドの観光です。ホテル出発は朝の7時15分で、戻ったのは午後の7時15分でした。
ニュージーランドの西南地帯のフィヨルドや氷河の山々の地帯は、テ・ワヒポナムと言われ、世界自然遺産に指定されています。 |
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バスはワカティプ湖畔に沿って南下し、ぐるっと回ってミルフォード・サウンドに向かいます。
今日は、ニュージーランドに住んでいる日本人女性のガイドさんが同乗し、案内してくれました。話し好きな女性で、ほとんどマイクを放さず、ニュージーランドでのいろいろな話をしてくれました。
バスはクィーンズタウンから6号線を南下し、ワカティプ湖畔を走り、その後西へ進み、Kiwi Country でトイレ休憩でした。
約2時間の走行でしたが、総じて平野の中の道路で両側には、牧草地帯が続いていました。 |
クイーンズタウンから Kim Country へ
Kiwi Country
テ・アナウ湖の畔にある小さな町です。ちょっと散歩してみました。
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ニュージーランドを代表する飛べない鳥の「タカヘ; Takahe」の像です。
絶滅したと思われていましたが、1948年に発見され、今は保護鳥に指定されています。
高さは約50cm、長さ63㎝、重さ2.7kg(オス)ぐらいあります。 かって、ニュージーランドには飛べない鳥がたくさん生息していました。
ある時、移住民がウサギを持ち込みました。草を主食とする羊や牛は唇が大きく、草の根を残して食べますが、ウサギは草の根も食べてしまい、牧草地が荒らされるようになりました。そのため、ウサギの天敵、イタチを持ち込みましたが、飛べない鳥はイタチの絶好の獲物になり、ほぼ殲滅してしまいました。
イタチは森の新芽も大好物で森を荒らしてしまいます。今はイタチをどのようにして退治するか困っているそうです。 |
再び、ミルフォード・サウンドに向けて出発です。途中、黄色のエニシダ、白色のマヌカなど、まさに花爛漫でした。
ミラーレイク
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地図には載っていないような小さな湖です。
まさに、鏡のような湖面ですが、風や水鳥は大敵のようです。幸い今日は素晴らしい景色を写し出していました。 |
バスは高度を上げ、氷河が削りだした険しい山肌を持つ公園の中に入ってゆきました。
キャズム The Chasm
標高が下がり、ミルフォード・サウンドに到着する少し前、シダの生い茂るなか、一周20分ほどの遊歩道が作られていました。
急流による浸食で深く削られた小川があり、また、滝もある面白い景観です。この辺りは年間200日も雨が降るそうです。
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ミルフォード・サウンドに到着しました。
ここで遊覧船に乗りますが、出発は午後1時で、約1時間40分のクルーズです。
このフィヨルドランド国立公園にはたくさんのフィヨルドがありますが、フィヨルドとは氷河によって山が削られたU地谷が、地殻変動や海面の上昇で海水が入り込んだ細長い入江で、断崖は谷底まで続き、深さは深いところで400mにも達します。
一般にニュージーランドでは入り江のことをサウンドと呼んでいます。
以前、アラスカで見た氷河の湾もサウンドと呼ばれていました。 |
ミルフォード・サウンド(世界自然遺産)
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遊覧船はタスマン海に出て右回りでユーターンして戻ってきます。
船乗り場からはこの湾のシンボル、マイター・ピークがその頂上まではっきりと見えました。この山の標高は1694mで、海面から鋸の歯のように直接そそり立つ山としては、世界最高峰だそうです。およそ、1万4000年ほど前に氷河が削った山です。
乗船直後、船内での昼食でした。食事付の観光船のようです。
食後、甲板に出るとものすごい強風で、吹き飛ばされそうです。
頑張って一番前に行き、景色を楽しんでいました。甲板には、まだ、2,3名しか居ませんでした。
そのうち、風が弱くなり、たくさんの人が甲板に上がってきました。
遊覧船からは氷河で削られた山肌をまじかに見ることが出来ます。
途中、アザラシが背中を干していました。
帰りに通ったスターリンの滝の高さは155mもあり、水量も豊かでした。
日本を発つ前、ガイドさんから簡単なカッパを持ってきてくださいと言われていましたが、この滝の中に入るためでした。 |
ホテルに戻る
来た時は運よく待たずに通れたホーマートンネルですが、1車線の交互通行なので、帰りは約10分ほど待たされました。
沿道にはルピナス、エニシダ、また、マヌカの白い花が満開でした。マヌカの花は養蜂に利用され、その成分によって値段がかなり違うそうです。
この花の季節もあと数週間で終わってしまうそうです。 |
ホテルのすぐそばにある教会に入ってみました。誰もいませんでした。今日はクリスマスイブなので何か催し物があるのでしょうか、スクリーンとプロジェクターが用意されていました。 |
夕やみ
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先週ぐらいまでは雨の日がかなり多かったそうです。
毎日晴天が続き幸運です。 |
4日目 終日、フリータイム
今日は終日、フリータイムです。これといったオプションツアーも用意されていないので、めいめい、計画を立てて過ごすことになります。
ただ小さな町なので、公園を散歩するか、ハイキングをするか、遊覧船に乗るかなどしかありません。昼食や夕食は自分でレストランを探す必要がありました。
添乗員さんは、午前中、公園を散策するので良かったら一緒に来てくださいと言ってくれました。また、希望者には遊覧船の手配をしてくれました。
午前中、私たちはバラが満開の公園を散策し、午後は、遊覧船に乗ってみました。
遊覧船はクイーンズタウンとウォルター・ピーク牧場を結んでいます。 |
小さい町なので迷うことはありません。適当にワカティプ湖畔へ降りてゆきました。
今日は25日、クリスマスです。時々人に会うと、必ず、メリークリスマスと言ってきます。こちらもメリークリスマスと挨拶します。
まだ、朝の9時ごろなのにたくさんのパラグライダーが浮かんでいました。
湖畔に出ると、立派な家並みが続いていました。 |
クイーンズタウン・ガーデン
バラ園があり、ちょうど満開でした。
下の写真はボーリング場です。屋外のボーリング場を見たのは初めてでした。
湖畔散策
遊覧船の出発は午後2時なので、それまで、昼食やベンチで時間をつぶしました。
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真夏のクリスマスです。
私たちは長袖ですが、こちらの人は総じて半袖でした。 |
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TTSアーンスロー号
湖上の貴婦人と称されるTTSアーロンス号は、タイタニックが処女航海し遭難したと同じ年の1912年に作られた蒸気船です。現在は観光用として使用されています。南半球としては、石炭が燃料と使用している唯一の船だそうです。
この船は対岸のウォルター・ピーク牧場とを結んでおり、往復約1時間半でした。対岸で降りてバーベキューを楽しんだり、羊の毛刈りの見学をするツアーもありましたが、私たちは降りずにそのまま戻りました。 |
エニシダとルピナス
ホテル近くで観察したエニシダとルピナスです。
ニュージーランドにとってこれらの木は外来種で、これ以上繁殖しないよう対策を考えているそうです。
近くで見るといずれもマメ科で、もうすでに花が散り豆が出来ているのを観察することが出来ました。
エニシダ
ルピナス
5日目 マウントクック観光後クライストチャーチへ
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今日は3泊したクイーンズタウンともお別れし、途中、ニュージーランドの最高峰、マウント・クックを観光し、クライストチャーチに戻ります。
ホテル出発は7時ちょうどでした。
マウント・クックのビジターセンターに到着したのは11時頃で、そこで昼食をとり、午後1時半、出発し、クライストチャーチには午後6時半ごろ到着しました。
夕食後、ホテルの前のものすごく広い公園にみんなで散策に出かけました。
今日の走行距離は590㎞だったそうです。
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カワラウ渓谷
カワウラ渓谷に作られたバンジージャンプ発祥の橋です。こちらの人は本当に怖いのが好きなようです。
果物屋
トイレ休憩のため立ち寄った果物屋さんです。隣にバラ園があり、散策してみました。
総じてニュージーランドのトイレは日本とよく似ていて、どこへ行っても必ずトイレがあり、清潔で、無料でした。ただし、ウオッシュレットは付いていませんでいた。入り口には無料のドリンク(紅茶など)が置かれていました。リンゴ一袋700円は安い感じです。 |
マウント・クックに向かいます。途中、牧場には、大型の散水機が動いていました。地下水を汲み上げ撒いているようです。
マウント・クック(世界自然遺産)
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2日前に訪ねたミルフォード・サウンドを含め、この一帯はテ・ワヒポナムと言われ、国土の1割も占める広大な世界自然遺産です
この高い山々は地球の大陸プレートが衝突して作られました。この一帯は氷河に覆われていましたが、1万4000年ほど前に氷河期が終わり、谷から氷河が消えるとU字谷が現れました。その後も山は常に雨や氷河に浸食されて、現在の景観を作り出しました。
U字谷の山は険しく、人は簡単にはたどり着けません。そのため、ここには原始の動植物が残されています。
マウント・クックは、標高3,754mとニュージーランドの最高峰で、この一帯は険しい山や氷河がつかなりダイナミックな景観が広がっています。
この地域は1年で4000㎜もの雨が降り、降水日数は150日もあり、その雄姿をはっきりと見えるのは、きわめて幸運だと言われています。 |
往復2時間の遊歩道が作られていて、適当に散策しましたが、我々ツアーの中の2名は1時間で往復して帰って来たようです。
皆さん、お年の方ばかりですが、大したものです。私たちはゆっくり30分ほど歩き、戻ってきました。 |
眺めていると、時々、雲が湧き出し頂上が消えてしまうことがあります。今日はくっきりと見えて本当に幸運でした。
ザ・ハーミテージホテル
この地には幾つものロッジやホテルがありますが、ザ・ハーミテージホテルはここを代表する立派なホテルです。
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サー・エドモンド・ヒラリー卿
マウント・クックの初登頂に成功したのは地元の3人の山岳ガイドで、1894年のクリスマスの日でしたが、ニュージーランドの登山家、エドモンド・ヒラリー(1919~2008)は、1953年5月29日、エベレストの初登頂に成功しています。
この部屋の中にはそれを記念して、愛用の品々や雪上車などが展示されています。 |
ビジターセンター
マウント・クック初登頂の歴史や周辺の環境などの展示がされていました。
面白いトイレ
ホテルの中に面白い手洗い場があったので写真におさめました。ついつい、大理石の上に手荷物を置いてしまいそうですが、水で濡れてしまいます。
横から見るとそのからくりがわかりました。かなり傾いています。 |
バスはプカキ湖を左に見て延々と走ります。
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帰りもテカポ湖畔で休憩です。ツアーの2日目にクイーンズタウンに向かう時休憩したと同じ湖畔でした。
駐車場が100mぐらい違っていたので、ガイドさんから来る時も停まったと言われるまで気が付きませんでした。
似たような景色が続きます。
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ラカイワ橋
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ラカイワ市の近くを流れるワカイワ川に架かる橋で、その全長は1.75kもあり、ニュージーランド最長の橋だそうです。
面白そうなので写真に収めました。 |
羊肉料理
ホテル到着は午後6時半ごろで、すぐに夕食でした。ホテルでのディナーは羊肉でした。柔らかく料理されていました。
午後9時少し前、、ガイドさんが案内し公園の散策に出かけましった。ゴルフ場もあり、それと隣接し、境界線のない広い公園でした。
約30分の散策でしたが、結構暗くなりました。 |
もう、かなり暗くなったのですが、ホテルの庭を歩いてみました。
6日目 クライストチャーチ市内見学後、飛行機でハミルトンへ、
その後、ロトルアへ
朝、ホテル内のバラ園を散策してみました。昨夜の写真と同じものです。
朝食前に公園を歩いてみました。
確かにゴルフ場が付いている公園です。もう、プレーしている人が居ました。
臨時的に作られた大聖堂 Transitional Cathedral
日本の建築家、坂 茂 (ばん しげる)さんの設計による教会で、全体が円筒のボール紙で作られています。
NHK Eテレで放送される TED スーパープレゼンテーションは私の大好きな番組ですが、その中で、坂茂さんが、聴衆を前に15分ほどのプレゼンテーションをしていました。世界中の被害地を訪れては、如何に簡単に建築物を作れるか研究し、円筒のボール紙で建築物を作ることを思いついたそうです。
円筒形の構造は、強度的に優れているそうです。坂茂さんは、2014年、建築分野のノーベル賞と言われるプリッカー賞を受賞しています。 |
日本の東日本大震災のほんの少し前、2011年2月22日、ニュージーランドのカンタベリー地方にマグニチュード6.2の大地震が発生し、185名の死者を出しています。そのうち、語学留学中の日本人学生28名がビルの崩壊で亡くなったこともあり、日本でも大きなニュースになりました。
その近くに、亡くなった人の数の椅子が置かれていました。
壁面に描かれた大きな女性のビルディングは元大学だった建物で現在はアートセンターとして芸術家たちが使用しているそうです。
破壊されたままの大聖堂も見えます。放置されたままのビルもまだたくさんあります。
もう4年も前のことですが、この惨事を聞いたとき、今まで行きたいと思っていたニュージーランド旅行を中止しようと思いました。
その20日後、東日本大震災が起こりました。その年、日本への旅行者が極端に減ったのもよく理解できます。 |
ボタニカルガーデン (植物園)
公園の一角にある植物園です。かなりの種類の花々が咲いていました。管理する人もこれだけの多くの花を揃えるのは大変でしょう。 |
路面電車
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震災で中止されていた路面電車も、今は全線復旧され、観光目的にも利用されているそうです。 |
モナ・ヴェイル(ゲール語で小さな丘を意味する)
牧場の経営に成功し大富豪になったアニータウンエンドの邸宅です。
クライストチャーチからハミルトンへ飛行
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小型機に乗り、クライストチャーチからハミルトンへ移動しました。
15:30発で到着は17:10でした。
小型機のため、手荷物検査はありませんでした。
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ホテルに到着し、夕食を取った後、マオリ族による民族舞踊ハカショーが行われました。
戦いの場面は迫力満点でした。
最後は全員が立ち上がり、Kia Ora のまねをしながら合奏でした。
夜行性の国鳥、キウイの保護施設見学
キウイは鶏よりも少し小柄の鳥だそうです。残念ながら、どこかに隠れていて、見ることは出来ませんでした。
7日目 ロトルア、ワイトモ鍾乳洞、オークランド観光後、夜行便にて成田へ
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今日は観光最終日です。午前中はロトルア周辺の地熱地帯の間欠泉などを観光し、午後はワイトモ鍾乳洞で幻想的な光を放つ土ボタルを鑑賞し、国内最大の都市、オークランドへ向かい、市内観光後夜行便にて成田へ向かいます。 |
ホテルは直径が7kmぐらいのロトルア湖に面しており、朝食前、その周辺を歩いてみました。
ホテルには温泉が付属しておらず、温泉専門の浴場が近くにありました。なんと入浴料は45ドル(4,500円)もします。そのためか、入浴した人は誰もいなかったようです。 |
遠くからしか見られなかった蜂蜜になる白いマヌカの花と、赤い花のポフツカワを身近に見ることが出来ました。
マヌカ
ポフツカワ
Te Puia (マオリ村)
ガイドはマオリ族の青年でした。たくさんの間欠泉が噴出していました。泥の温度は60~95℃だそうです。
スケールは小さいものの、アメリカのイエローストーン国立公園を思い出しました。
マオリ族の集会所です。それらが再現されていました。
現在、ニュージーランド人口の15%がマオリ族ですが、ガイドさんの話によると、昔、文字を持たない民族だったこともあり、今も教育レベルが低く、そのためか犯罪率が多く、受刑者の半数はマオリ族だそうです。 |
ガイドさんがハラケケ(ニュージーランドフラックス)から簡単に繊維を取り出し、膝にこすりつけて縄を作って見せてくれました。 |
この村には彫刻専門学校や織物専門学校が付属しています。
付属する売店にはキウイバードのはく製が置いてありました。
こちらの土産屋ではどこでも売っているマヌカ蜂蜜も売っていました。
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マヌカの蜂蜜はその純度により分類され、純度が高いほど極端に値段が上がるようです。 |
ロトルアからワイトモ鍾乳洞に向かう途中の景色です。牧草地帯が続きます。
ワイトモ鍾乳洞
入り口を入ると、ごく普通の鍾乳洞です。写真は禁止でした。数ある鍾乳洞でも写真禁止は珍しいことですが、それは後でわかりました。
しばらく歩くと、トンネル内の水辺に出ます。そこで船に乗り、その船はきわめてゆっくりと進みます。洞窟内はきわめて静寂です。
土ボタルが天井一面に広がり、幻想的な光を放っています。土ボタルは、糸を垂らし、きわめて小さな虫を捕まえて生きているそうです。
それにしても、数千匹は居ると思われ、明るく輝く星空よりも鮮明な光を放っています。咳払い一つない静かな雰囲気で、天井を見上げていると、このような世界があるのかと不思議になります。
もし、誰かが写真を撮って、シャッター音でも出したら、この雰囲気は台無しになってしまうでしょう。 |
内部の写真
出口に写真が飾ってあったのでそれを転写しました。
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実際の内部は真っ暗で、ガイドさんが懐中電灯で土ボタルの糸を照らしてくれました。ようやく見えるぐらいの明るさでした。 |
地熱発電所
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さすがニュージーランドです。地熱発電所だそうです。 |
オークランド
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首都が1865年、ウェリントンに移されるまで、ここがニュージーランドの首都でした。現在も人口がニュージーランド最大の大都市です。
市内の人口は42万人で、周辺を入れると125万人になり、ニュージーランドのおよそ1/4が住んでいます。
人口の40%は海外からの移住者で典型的なグローバル都市になっています。
ニュージーランドでは相続税が無いそうです。日本円にして約10億円を持って移住してくれば、ニュージーランドの国籍を得ることが出来て、金利も高いので、財産を減らすことなく暮らすことが出来るそうです。そのうえ、死んでも相続税をとられないため、その目的で移住してくる人もいるそうです。
同じような制度はオーストラリアにもあり、移住希望者の9割は中国人の富裕層だそうです。
海外の自由な暮らしになれた中国の人は、もう、自国には戻りたくないのでしょう。
同じような現象はアメリカでも起こっており、中国人の富裕層のアメリカ移住が増えているそうです。
オークランドに住む人たちのヨットやボートなどの小型船舶の登録数は約14万隻で3軒に1軒の割合でこれら小型船舶を所有しています。
ニュージーランド全体で見ても4軒に1軒の割合で持っているそうです。海洋王国の伝統がこのようにして引き継がれているようです。 |
ジャカランダ
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オークランドの街に入ると、ジャカランダの花がたくさん咲いていました。
南アのプレトニア市を思い出しました。
南アでのジャカランダは11月ですから、こちらのほうが少し遅いようです。 |
市内観光
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市内観光は、まず、マイケルジョセフ展望台に行き、市内全体を望み、次いで海岸べりに出てバーバーブリッジを見学し、その後、市内を各自、1時間程度散策し、空港に向かいました。 |
マイケルジョセフ展望台
ハーバーブリッジ
全長1020m、高さ43mの橋で1959年に完成しています。
シドニーのハーバーブリッジと同様、ここもアーチ部分を歩き上まで行けるそうです。
飾ってある大きな歯車は、以前この湾が浅く、大型船が通れなかったため、川底を掘った船の名残りだそうです。 |
スカイタワー
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地上328mのスカイタワーは南半球では最も高いタワーです。
186mのメインデッキや、220mのスカイデッキがありますが、最近は登る人が減ってきているので同じ料金でスカイデッキまで登れるそうです。 |
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市内散策
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巨泉のOKギフトショップでトイレ休憩をしたあと、約1時間、市内で適当に時間をつぶしました。
ラーメン店、カラオケ店などもあり、国際色豊かです。 |
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観光後、空港に向かい、各自夕食を空港でとり、23時55分発のニュウージーランド航空 NZ0095 で成田に向かいました。来る時と同じ 2-3-2
の座席配置で、特に問題はありませんでした。
成田到着は29日の朝7時30分でした。飛行時間は約10時間30分でした。
今回の旅は天候に恵まれ花爛漫の風景と氷河に覆われたフィヨルドなど、大自然を満喫出来て幸運でした。
日本の北海道も8月が終わると、花はすっかりなくなり、紅葉の時期を迎えますが、私たちも、この時期を逃せば、この美しさを味わうことは出来なかったでしょう。
その上、参加者がわずか17名ということもあり、バスは一人で2席分を使用でき大変楽なツアーでした。ただし、ツアー料金はマイナーの地域でもあり、二人で70万円とヨーロッパなどへのツアーに比べるとかなり割高でした。
添乗員は男性でしたが、今までのツアーの中では最高クラスの気配りで、献身的な対応には頭が下がりました。たぶん、トップクラスの名物添乗員なのでしょう。
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