マイカーで新潟県岩室温泉一泊
今年は珍しく千葉県には雪が降っていませんが、5日には5センチぐらいの雪が予定されていて、せっかく予定していたゴルフに行けなくなってしまいました。その代り、新潟地方は晴れるとの予報なので、雪見がてら新潟県の岩室温泉に行ってみました。
どうも、私の知識不足だったようで、新潟の海岸近くは雪が積もらないため、雪見の温泉にはなりませんでした。
岩室温泉は新潟市から20㎞ぐらいの所にあり、新潟の奥座敷ともいわれ、12軒もの旅館、ホテルがあります。そのため競争が激しいようで、宿の人の気配りには感心しました。
|
|
大画面スライドショー(文章なし) はここをクリック
再生速度は右下の三つの星を押すと早くしたり遅くしたりすることが出来ます。 |
1日目 自宅から岩室温泉へ
関越トンネルを抜けると、何時ものように素晴らしい雪景色でした。
道の駅 西山ふるさと公苑
関越自動車道を小千谷インターで降り、海岸方面に向かったところ、道の駅の標識が出てきました。なぜか、一般道路からかなり離れた丘を登ったところにある道の駅ですが、観光地の情報を手に入れようと思い行ってみました。
どうも、普通の道の駅とはかなり趣の違っており、売店などは全くなく、だたし、立派な建物が幾つか作られていました。
駐車場には全く車が停まっておらず、ひっそりとしていました。トイレは小柄なものの立派でした。
不思議に思い、建物を覗くと開いているようです。西山ふるさと館と書かれていました。見学者は一人もおりません。ただし、入場無料と書かれていたので、中に入ってみました。
なお、この西山ふるさと公苑は,電源立地促進対策交付金によって建設され、1997年に完成しています。 |
西山ふるさと館
田中角栄は新潟県柏崎市に生まれ育ち、後に総理大臣となり、日本列島改造論、日中国交回復など、数々の実績を上げ、誰もが知る総理大臣ですが、田中角栄の故郷、旧西山町(現柏崎市)と周恩来の故郷、淮安市楚州区が1995年、友好提携を結びました。この西山ふるさと館はその拠点となっています。
提携以来、中学生らの相互訪問が続けられてきましたが、2007年の中越地震により途絶えていました。
現在、日中関係は戦後最悪と言われていますが、2014年、淮安区から「ぜひ子供どうしの交流を」との強い申し入れがあり、7年間途絶えていた交流が復活したそうです。
その結果、柏崎市から6名の中学生が淮安区を訪問し、ホームスティや中学校訪問などを行っています。館内にはそれらの写真が展示されていました。
この公苑は,電源立地促進対策交付金によって建設され、1997に完成しています。
|
西遊園
西山ふるさと館と同じ1997年に作られました。これらの資材はすべて中国から持ってきたそうです。冬季閉鎖中で中には入れませんでした。
|
田中角栄記念館
冬季閉鎖中でした。
|
1972年6月、田中角栄は日本列島改造論を発表し、7月には自民党総裁に当選し、内閣総理大臣に就任しました。
その直後の9月田中総理大臣は北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談し、懸案になっていた日中国交が日中国交正常化が実現しています。
1973年12月、田中金脈問題が追及され、内閣は総辞職し、三木内閣が発足します。首相在職通算日数は886日でした。
1985年、脳梗塞で倒れ、1993年、75歳で死去しています。墓地は柏崎市(旧西山町)の田中邸内にあります。
|
良寛記念館
良寛生誕200年を記念して広く浄財を求め昭和40年に完成しています。良寛に関する遺品が数多く展示されています。
そこには、世界一の巨大珪化木が飾られていましたが、アメリカで見た化石公園とは比べようもないぐらい小さなものでした。
|
妻入りの街並み
佐渡を見渡す良寛記念館の上にある展望台です。この下は出雲崎です。
そこの家並みは妻入りの街並みと呼ばれ、日本海と後ろの小高い丘に挟まれたわずかな平場に、家と家とが重なり合うように軒を連ねています。この建築様式は通りに面して大棟が直角になっていおり「妻入り」様式と呼ばれています。すなわち、家の入口が家の狭い面に作られています。
|
道の駅 天領の里の夕凪の橋
良寛記念館の近くにある道の駅ですが、その後ろには、夕凪の橋が作られていました。
面白そうなので歩いてみました。なぜか、たくさんの鍵が括り付けられていました。
向うに佐渡島が見えます。
家内が突然、北原白秋の童謡「砂山」を歌い始めました。
海は荒海、向うは佐渡よ、すずめ啼け啼け、もう日は暮れた。みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。
|
家内が一句作りました。「乾物屋の磯の香りの福袋」
2日目
今日は朝からどんよりと曇っていました。
周りに雪は全くありませんでした。
新潟県は雪で埋まっていると思ったのですが、まったくの勘違いでした。
帰りは来た道よりも北側の常磐高速道路を利用してみました。
途中、新潟と猪苗代間には、結構雪が積もっていましたが、郡山以南には全く雪がほとんどありませんでした。
次の旅日記に移る(国内編)
旅日記の表紙に戻る
|