8日目 ホワイトサンズ国定公園、宇宙博物館、火の谷
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今日はエルパソをたち、昔仕事で訪れたことがあるソッコロに向かいます。途中、今回のドライブの目玉である、ホワイトサンドを見学しします。
今日の走行距離は479kmでした。 |
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エルパソの黄砂はすっかりなくなり、山がきれいに見えます。ドライブしているとまたメキシコからの不法侵入者を調べるためでしょうか、身分証明書の提示を求められました。 |
ホワイトサンド国定公園 White Sands National Monument
本当に真っ白な砂漠でした。その砂漠の大きさは三浦半島ぐらい広く、歩いて横切るのは不可能です。砂は水和した硫酸カルシウム CaSO4・2H2O
いわゆる石膏そのもので、純度はかなり高そうです。
この石膏の砂の形成は、約2億5戦年前、石膏が浅い海に堆積しそれが岩となり、約7千万年前に、ロッキー山脈が生成されたと同時期、隆起し、約1000万年前にその頂上がへこみ出し盆地が形成され、この砂漠が出来たとのことです。
行ってみると、強い風が吹いていて、砂煙を上げていました。駐車場には風防付きの休憩椅子がたくさん置いてありましたが、誰も居ませんでした。
ハイキング用の道路も整備されていましたが、立ち入る時は、日本の登山届けのような箱が入り口に置いてありました。砂嵐で全く何処も見えなくなると、遭難もありそうです。 |
New Mexico Museum of SPACEE HISTORY
http://www.nmspacemuseum.org/
ホワイトサンドの近くにある Alamogordo市は核兵器開発と密接な関係にあり、また、ホワイトサンドの中にはミサイル射撃場やスペースシャトルの着陸用滑走路もあるそうで、ついでに
Alamegordo市にある宇宙歴史博物館も見学しました。1人6$ですが、シニアーといったら5$になりました。博物館などでは60歳以上になると2割引になるようです。
この博物館には開発の歴史、宇宙飛行士、活躍した人々などが展示されていました。 |
火の谷 (Vally of Fires)
ドライブしていると、 Vally of Fires という看板があったので、立ち寄って見ました。見渡す限り、溶岩が広がっています。
ここの溶岩はニューメキシコ州で第二番目に若く、、約5000年前に地中から噴出し、この辺り一帯を埋め尽くしたそうです。
散歩用の道路が整備され、溶岩の上に根付いた植物やそこに住む小動物たちを見ることが出来ました。 |
9日目 思い出の NRAO、エル・マルパイス、エル・モロ国定公園
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ソッコロからギャラップまで、NRAOの見学と、2つの国定公園を見学しました。その間、ずっと比較的狭い道路を走りましたが、行き交う車も少なく快適なドライブでした。
今日の走行距離は500kmでした。 |
NRAO (National Radio Astromony Observatory)
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NRAOは宇宙から来る微弱な電波をY字型にたくさん敷設されたパラボラアンテナで受け、それを解析して、宇宙の星々の姿を解析するものですが、Y字型のアンテナが地球の自転で回転するという原理を使い非常に精度良く解析できることを考案し、それが政府機関に認められ開設の運びになったようです。
たくさんのアンテナからの電波を歪みなく中心の解析機器まで伝送させるため、ミリ波導波管を使用することになったのですが、担当者がそのような導波管を作れる会社を世界的に調査し、各社を訪問し設備の見学などを行ったのですが、私のPRがうまかったためか、わが社のみが合格し、納入しました。私の研究人生でも思い出の大きな出来事でした。
ただし、その数年後、光ファイバが開発され、どの程度実際に使われたかどうかは分かりませんでした。
機会があったらもう一度来て見たいと思っていた場所でもあります。 |
当時の写真を見つけました。34年前です。その時はいろいろな設備を設置中で、訪問した時はまだパラボラアンテナはありませんでした。
その時はアルバカーキで車を借り、1人でドライブしてここまで来ました。その頃から無鉄砲だったのかも知れません。 |
El Malpais 国定公園
Gullapに行く途中に、二つの国定公園を地図上に見つけたので行ってみました。
この国定公園は垂直に削られた岩山が特徴ですが、その岩山は砂が固まって出来たもので、釘を簡単に打ち込めそうな感じがします。 |
El Morro 国定公園
この国定公園の特徴は、岩山の頂上に昔の住居跡があることと、岩の壁面にはいろいろな模様が書かれていることのようです。原住民にとって、この様な岩山は、雨風を防ぐとともに、飲み水も確保することが出来て、住居として適しているようです。
試しに登ってみました。思ったよりも登山ロが整備されていて簡単に登ることができました。
私たち以外にも、数名、後から登ってきましたが、閑散としておりました。 |
10日目 化石の森公園とアリゾナ大隕石
クレーター国定記念物
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ギャラップからグランドキャニオンの基地フラッグスタッフまでのドライブです。途中、化石の森公園と隕石クレーターを訪ねました。
化石の森公園は非常に広く、見所がたくさんありました。
今日の走行距離は376kmでした。 |
化石の森国立公園
ビジターセンターを訪れると、20分のビデオ放映があり、公園の内容と、公園内の化石を拾って帰ると逮捕されるとの警告がありました。かって、たくさんの人が化石を拾って帰り、その量は膨大になったと言われています。
公園は細長く、全長は46kmにもなり、幾つもの観光スポットがあります。
最初の観光スポットは下に示す色の付いた砂漠です。(painted desert}
これらの砂漠はバッドランドといわれ、以前訪れたバットランド国立公園と同じ地質のようです。 |
Painted Desert Inn と呼ばれる博物館がありました。1930年台に作られた建物を改築したもので、色の付いた砂漠を眺める最高の場所に立っています。 |
ここの砂漠は粘土質でのため、砂埃が立ちません。そういう理由のためか、非常に空気が澄んでいて、非常に遠くまで見通すことが出来ます。約200km離れたサンフランシスコピークをはっきりと見ることができます。 |
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この公園を横切ってルート66が走っています。後ろの電信柱に沿ってあるのがルート66です。今回のドライブでもルート66を走ってみましたが、並行して走る高速道路に比べ、かなり走り難いので、すぐに飽きてしまいます。 |
プエブロ原住民がこの地に1100-1200年代と1300-1400年代に2度ほど住んでいたようですが、1540年にスペイン体験隊がこの地を調査した時は誰も住んで居なかったとのことです。これらの岩はニュースペーパーロックと名付けられていました。岩に書かれた模様は何を意味するのか不明だそうです。いたずら書きかも知れません。
当時、100個の部屋と、そこには1,200名の人が住んでいたそうです。 |
くっきりと分離された白い層は砂岩で、頂上の冠は粘土質の岩で出来ています。薄黒い層にはたくさんのカーボンが含まれています。赤黒い層は鉄に色づけされた泥炭岩で、赤づんだ平坦部は酸化鉄でヘマタイト(赤鉄鉱)といわれています。
ドライブしていると、木の化石が転がっていました。 |
化石はたくさんの層の中の一つの層にあり、それが露出して転がり落ちたりして、いろいろなところにたくさん転がっています。したがって、まだまだたくさんの化石が埋まっていると考えられます。この公園が政府によって管理される前までに、ダンプやトラックでそれらの化石を持って帰り、土産に加工していたようです。 |
谷底まで歩いて下りられる道が作られていたので行って見ました。なんとも不思議な風景と、木が化石になり美しく輝いているのを見ることができました。一周5kmでした。 |
木の化石は、周りからの強い圧力で、木の分子と石英ガラスの基になる二酸化ケイ素などの無機分子とがそっくり置き換わって、木が美しく輝くガラスに変ったもので、その断面を見ると、完全に硬い珪化石になっていることが分かります。その時入った成分の違いでいろいろな色を示し、宝石として使われています。 |
ドライブしていると遠くにクレーターらしい台地が見え出しました。
ビジターセンターには土産屋のほかに、映像館やたくさんの展示パネルがありました。
このクレーターは約5万年前、30mもの大きな流れ星が降ってきて、地球にぶつかった瞬間、大きな大地の粉塵を巻き上げ、数百キロの動植物は全滅したようです。その直径は1300m、深さは170mもあります。
昔は火山の噴火口と思われていて、宇宙からのクレーターだと考えたのは今から100年ぐらい前のことだったそうです。クレーターの中央には落ちてきた隕石を探巣ために掘った設備の後が見えました。 |
11日目 ワルナット国定公園、ウパトキー国定公園
サンセットクレーター火山国定公園
グランドキャニオン国立公園
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今回のドライブの日程に多少余裕が出来たので、フラッグスタッフに2泊し、午前中は近くにある3つの国定公園を訪ね、午後は一昨年行ったグランドキャニオンにもう一度行ってみることにしました
今日の走行距離は388kmでした。
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ワルナット渓谷国定公園
この国定公園もアリゾナの地図で見つけ、早速行ってみました。フラッグスタッフから車で30分ぐらいの所にあります。
ビジターセンターに行くと、双眼鏡を車の免許証と引き換えに貸してくれました。この公園の特徴は、谷の向こうに見える先住民の住居跡のようです。残念ながら、崖崩れのため、歩行路が閉じられ、ビジターセンターから双眼鏡で見るだけでした。
当時の住民がなぜこの様な不便な崖の中に家を作ったかが書いてありました。ただし、原住民は文字を持たず、何も残さずこの地を去ってしまったので、すべて推測だそうです。
フラッグスタッフのすぐ近くにあるサンフランシスコピークが見えます。まだ雪が残っています。 |
この様な断崖に作られた住居跡を見ていると、誰しも不思議に思うでしょうし、まさに謎解きなのですが、パンフレットの一部を訳してみました。
水なしの人々
断崖絶壁に作られこれらの住居は外部からの侵害から身を守ることが出来ます。これらは今から800年も以前の、このワルナット渓谷に永住する人たちの住家でした。人たちは渓谷や崖淵で農業や鹿の狩をしたり、役に立ちそうな食物を持ち寄ったり交換したりして暮らしていました。今日、それらの人たちはシナグア人(スペイン語で水なしの人々)と呼ばれ、水無しでも生きていける能力がこの比較的乾燥した地域を自分たちの住家にすることが出来ました。砂漠で生きる動物と同じような能力を持っていたのでしょう。
たくさんの植物や動物の居るこのワルナット渓谷に初めて暮らしたのは、遺跡から推定するとこのシナグア人ではなく、この西南部を移動して暮らすアーチャイク人で、数千年もの間、移住しながらある季節だけこの地に暮らしたようです。
しかし、1400年前ごろ、シナグア人が北東のフラグスタッフの岩だらけの地域から移ってきてこの地に住み着くことになりました。
たぶんこの新参者は地元のグループから逃げ出して、独自の生活様式を生み出したと推測されます。この人たちは先住民と同じくこの地の恵まれた植物や動物に魅せられたと思われますが、基本的には農耕民族でした。
彼らは農地の近くに縦穴式住居を作り、乾燥地でも育つトウモロコシや穀物を育てていました。
その後、雨量が増加し、彼らの生活様式に大きな変化を起こしました。水を使用した農耕技術の進歩です。そして、シナグア人の生活が繁栄して行った頃、縦穴式住居からの大きな変化がありました。それはウパトキやプエブロやワルナットに見られる西暦1125年から1250年の間に作られた断崖の中の大きな住居です。
石灰岩の壁に作られた自然の洞穴を利用したわけです。数百万年にわたる雨が柔らかい岩の層を削り浅い洞穴を作ったのです。
この断崖の住居は約100年間にわたり使用されましたが、なぜ彼らがそこを去ったかは明らかではありません。西暦1250年までに彼らはアンダーソンメサの数マイル東南の新しい村に移り住みました。そして彼らの文化はホピ文化と融合してゆきました。
シナグア人の住居は19世紀まで、そのまま保存されていましたが、1880年、鉄道が開通すると、古代遺跡からの盗難者が増えてきました。古代遺跡を守ろうとする人たちにより、1915年、ワルナット渓谷は国定公園に指定されました。
シナグア人の話し声や笑い声が聞こえていた頃からもう数百年も経ちました。今日、あなたがこの小道を歩きながら、食べ物や水を運ぶ人たち、挨拶を交わす人たち、そして断崖に家を建てる人たちがこの渓谷と共に生きて来たことを想像して見て下さい。 |
ウパトキ国定公園、サンセットクレーター火山国定公園
この二つの国定公園は25km歩と離れていますが、いずれも先住民の遺跡に重点を置いており、専用の道で結ばれています。 |
サンセットクレーター火山国定公園
ここで言うサンセットは地名ですが、西暦1040年から1100年にわたって大きな噴火があり、溶岩が回り一帯を覆いました。また、小さな噴火口は数え切れないぐらいたくさんあります。ビジターセンターの近くに1マイルほどの散策路があり、溶岩の中を歩くことが出来ました。
この噴火が、ここの住民に大きな影響を与えました。噴火は山を作り、火を吹き上げ、地震を起こし、山火事を起こし、火山灰を撒き散らし、溶岩を流しだしました。今でも先住民の住居跡の形跡がわずかですが見られました。残念ながら、いたずらか荒らされたのか分かりませんが、説明されないとこれが住居跡かという感じでした。
どうも住居跡があると国定公園にして、保護するようです。
残雪のあるサンフランシスコピークが見えます。 |
サンセットクレーター山から約20km離れた所にあります。
12世紀から13世紀にかけて、このウパトキには約800ものこの様な住居跡があり、それらの中で、ウパトキプエブロはもっとも大きなもので300名ぐらいの人々が住んでいたようです。その人たちはアナサジ人とシナグア人でした。
1064年の冬から1065年にかけて、近くのサンセットクレーター火山の噴火により大きな影響を受けました。
13世紀の初めごろから、住民はここから去ってしまい、それ以来、廃墟となっています。
遠くにサンフランシスコピークがくっきりと見えます。 |
この近くにはこの様な小さなプエブロがたくさんあります。
もっとも大きなウパトキプエブロで斜面に作られ3階になっています。はしごを使って上り下りしていたようです。 |
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今回のドライブでも昼食はほとんどがこのようにして取りました。砂漠地帯でレストランを見つけるのも大変ですし、時間が掛かるのもドライブには不向きです。
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Little Colorado Riber GORGE
グランドキャニオンに近づいた時、展望台の矢印があったので入ってみたら、入場料金を取られました。現地のインデアン達が運営しているようです。お土産やもありましたが、お客はほとんど居ませんでした。 |
グランドキャニオン
今年はレンガ造りの展望塔がある東口から入ってゆきました。一昨年は中央からでした。
グランドキャニオンを見た瞬間、その大きさに感嘆します。今まで見てきた幾つもの渓谷とは比較になりません。まさに巨大な渓谷です。コロラド川が右から左側に流れています。
渓谷の長さは446km、幅は29km、深さは1.6kmあります。
約7千万年前、海底が隆起しロッキーマウンテンが形成され、この地に広く広がる高原が作られました。約5、6百万年前、ロッキーマウンテンからの水がこの高原に川を作り出しました。雨は薄いたくさんの層で作られているこの高原を削り、川に流し込み、それらが大地をさらに削り、険しい断崖をもつ渓谷を作ってゆきました。氷河時代が終わった12,000年前頃の雨量は、今の10倍はあったと推定されています。 |
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ここからもアリゾナ州のサンフランシスコピークがくっきりと見えます。
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Grandview Point 近くからの眺めです。
公園の中央にあるCanyon View 近くからの眺めです。日本人は怖くて手すりの無いこの様なところに入る気にはなりませんが、平気な人種もあるようです。説によるとDNAの違いのようです。 |
グランドキャニオンの西側へも行ってみようと思っていましたが、フラッグスタッフにあるホテルまでは車で1時間半ぐらい掛かるので、今日はここまで見て帰る事にしました。 |
12日目 グランドキャニオン2日目とモンテズマ城国定公園
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今日はフラッグスタッフからフェニックスに戻るのですが、時間があったのもう一度グランドキャニオンに行って見ました。少し谷に下りたので疲れてしまい、西側に行くのは中止しました。
フェニックスに向かう途中に、モンテズマ城国定公園の看板があったので立ち寄って見ました
また、地図で見るとフラッグスタッフとフェニックスの中間に大きなアグアフリア国定公園があるので立ち寄ってみましたが看板があるのみで、どのような公園か、皆目分かりませんでした。
今日の走行距離は541kmでした。
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グランドキャニオン 2日目
今日はグランドキャニオンの中心部にある入り口 Grand Canyon Villege から入りました。 |
グランドキャニオンの谷に下りる道は幾つもあって、この Bright Angle Trail はもっとも良く整備され、一番良く使用されるそうです。入り口の立て札には、日帰りで谷に下りるのは危険でしてはならないと書いてありました。疲労で動けなくなり、救援隊を要請する人がかなり居るそうです。費用は想像以上に高いそうです。
試しに20分ほど下りてみました。戻るのに1時間ぐらい掛かりました。 |
アメリカをドライブしていると、工事などでの交通整理にはこの様な道路標識を使用します。日本の手による誘導よりもはるかにはっきりとしていて迷うことがありません。 |
絶壁に作られた住居は、西暦1100年の初めごろ、南シナグア人により作られました。この住居は5階建てで、部屋が20もあります。
この住居は地面から100フィート(30m)の高さの所にあり、近くには小川もあります。また、テラスの近くには肥沃な土地もあり、住むには適した場所でした。
1400年代の初め、住民はこの地を捨て他の地へ移住してゆきました。その理由は全く分かりませんが、想像するに、人口が増加しすぎて資源が不足してきたか、病気のためか、グループ間の争いか、気候の変化か、もしくは信仰上の問題かなど色々考えられます。
いずれにせよ、南シナグア人は北のプエブロ村か南のホコカン村へ移動していったと考えられます。(パンフレットより) |
アグアフリア国定公園
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アロゾナ州の地図を見ていると、かなり大きな国定公園がフラッグスタッフとフェニックスの間にあり、行ってみたところ、アグアフリアの看板が出ていました。
さらにそこから未舗装道路を15分ぐらい走りましたが、全くなにも見つけることが出来ませんでした。その上、道路がだんだん悪くなり、怖くなったので、戻ることにしました。4輪駆動車でないと無理なようです。
アリゾナ州にはこの様な国定公園が幾つもあるようです。 |
13日目 フェニックス植物園
今日の予定は特にありませんでしたが、ホテルのフロントにあるパンフレットを見ていたら、動物園や植物園、川遊びなどたくさん見るところがありました。でも今日は植物園だけに行き、フェニックスのサボテンをもう一度見に行くことにしました。ホテルから25km、約30分ぐらいの所にあります。 |
幾種類もの巨大なサボテンがあり、パイプオルガンサボテンもありました。サボテンに穴を開け小鳥もそれを住処としていました。 |
この植物園にはその他たくさんの花も植えられており、ハーブガーデンでは良いにおいが漂っていました。 |
幾つもの子供たちのグループを見ました。屋外授業のようです。
この地では黄色い花が満開でした。日本の桜のような感じでした。色々なところでこの花を見かけました。すでに花が散ってしまっている木もありました。 |
いよいよ今回の旅も無事、終わりに近づきました。明日は早い出発なので、今日の午後はもう、何処へも行かず、ホテルでゆっくりと過ごします。3ダース買ってトランクに入れておいたビールも、ちょうど今日で無くなります。
今回の旅でもいろいろなことを知ることが出来ました。
巨大なサボテン、国境のリオグランデ川、巨大な洞窟、純白の砂漠、スケールの大きい化石の森、そして、再び訪れたグランドキャニオン、また、パンクのトラブル。とにかく楽しい2週間でした。
明日は来た航路を逆に戻り、サンフランシスコ経由で成田に戻ります。
7月はシアトルを基点に2週間のドライブを計画しておりますが、もうだいたい公園めぐりも終わりに近づきつつあります。体力的にも、後どれぐらい続けられるか自分でも分かりませんが、70歳を過ぎると運転能力も落ちるそうです。
でも、どうしてもまた、来たくなったら、こんどはゆっくりとしたスケジュールでも良いかなとも思っています。 |
付録 過去2年半の海外ドライブをリストアップしてみました。
2005年10月 カナダディアンロッキー、バンフ、ジャスパー、ドライブの旅11日間
2006年 5月 アメリカ、ヨセミテとグランドキャニオンドライブ12日間
2007年正月 オーストラリア、シドニー、メルボルンなどドライブの旅15日間
2007年7月 アメリカ国立公園ドライブの旅 Four Corners 編 15日間
2007年9月 アメリカ国立公園ドライブの旅 イエローストーン編、15日間