びっくり済州島4日間
2015年4月8日(水)~4月11日(土)

 JTB 旅物語


 済州島は、日本から近い外国ですが、まだ行ったことが無いので、気候の良いこの時期に行ってみました。3泊4日で、グレードアップしたホテルに泊まり、3食付きの旅行代金が、空港使用料を入れても一人5万円弱でした。
 日本から済州島へは成田から週7便、関空から週10便、福岡から週3便、名古屋から週5便といずれも韓国の航空会社ですが、小さい島の割には非常にたくさん飛んでいます。観光客は島の住人よりはるかに多いそうです。
 観光を目時として発展した島ですから、飛行機を飛ばさない限り人は来ないので、航空会社は飛行機料金単体では多少損が出ても、別な手段で回収出来れば良いのでしょうか。成田からの便はかなり空席が目立ちました。
 2007年、済州島の火山と溶岩洞窟群が世界自然遺産に登録されています。



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 全画面にしてご覧ください。1枚目から2枚目に移る際、時間のかかることがあります。
 ただし、2枚目からは軽快に動きます。


 日本や中国、韓国に近い済州島は、長年にわたり様々な外圧にさらされていました。
 13世紀、モンゴル帝国は朝鮮半島にたびたび軍を送り、時の王朝を属国とします。その時、モンゴルに支配されるのを嫌った軍人たちはチェジュ島へ渡り、3年にわたり抵抗を続けましたが、ついに降伏しました。
 モンゴルの支配は約100年続きましたが、モンゴル軍が中国や朝鮮半島から撤退すると、この島も元に戻りました。
 もともと、この島は火山でできた島のため、作物も育ちにくく、台風も多く、かなり貧しい状態でした。そのため、韓国は流刑地として使用し、政治犯などをこの地に送り出していました。
 1910年、日本は韓国を併合し、植民地化したことに伴い、この島も、日本の領土となりました。日中戦争がはじまると、チェジュ島は日本から中国を攻めるための軍用基地となり、日本海軍が作った飛行場や格納庫が今も残っているそうです。
 1945年、日本の支配が終わりましたが、1950年、朝鮮戦争が勃発します。北朝鮮からは一番離れた地ではありましたが、韓国の考えと異なる軍人が反乱を起こし、それに対し、韓国は鎮圧に乗り出し、その戦いは7年間も続き、1万4千名もの島民が殺されています。当時、それを恐れ、日本に逃げてきた人も多いそうです。

主な観光地点

 済州島は、今から約200万年前、海底火山が噴火し出来た火山島で、島のいたるところに岩が転がっている石の島です。島の中心の山、ハルラ山の標高は1950mで、韓国の最高峰でもあります。ハルラとは天にも届くほど高いことを意味するそうです。
 チェジュ島は南北32km、東西73㎞の風光明媚な島で韓国最大の島です。はかって韓国の流刑の地でしたが、今はリゾート地となっており、国際学会なども開かれる国際色豊かな島になっています。面積は香川県とほぼ同じですが、対馬や淡路島、沖縄本島、シンガポールなどいくつかの島を比較のため載せてみました。
 左の赤丸は観光バスで行った場所です。

面積(km2) 人口(万人)
済州島 1,845 55
対馬 696 3
淡路島 592 14
沖縄本島 1,208 122
シンガポール 716 540


観光内容
1日目 成田より、済州島へ。その後 島内観光
2日目 島の東側観光
3日目 自由行動 旧市街、新市街の観光
4日目 島の南端観光後、成田へ



     


1日目 成田より、済州島へ。その後 島内観光
 
 円とウオンの交換は韓国でした方が有利だそうで、到着後早速、交換しました。1万円は、88,000ウオンでした。
 6年前のウオン安の時は、1万円で 125,000ウオンでしたから、その時と比べ、1.4倍以上高くなっています。
 なお、観光バスの中でもこれと同じレートでガイドさんが交換してくれました。

 成田発 9:45の大韓航空 KE718 便にて済州島へ向かい、到着は 12:25でした。時差はないので飛行時間は約2時間半でした。
 到着後、すぐに、市内観光でした。

 昨年、大韓航空の副社長が、客室乗務員の対応が悪いと文句を言って、飛行機を引き返させ、それが大きな話題になりました。
 それを契機に、韓国の財閥の実態も大きく報道されました。
 エコノミークラスで配られたこのナッツと、ナッツリターンでのナッツが同じかどうかは分かりませんが、そのような事件があったことを思い出すために、写真に収めました。



龍頭岩

 到着後の最初の訪問地でした。

 旧市街にあり、空港からも近い場所です。
 流れ出した溶岩が固まってできた奇岩で、龍が海中から頭をもたげているように見えることからこの名前が付けられました。
 この岩を見るために、たくさんの観光バス、見学者が押し寄せているのにまずは驚きでした。
 ミカンは済州島の名物の一つだそうです。



民族自然史博物館

 済州島の成り立ち、自然や風俗についての資料などが一堂に集められた博物館で、旧市街の中にあります。
 どこへ行っても観光バスで一杯でした。
 博物館の前にはチェジュ島のシンボル、トルファルバンと呼ばれる石の像が立っています。これは村の守り神だそうです。
 このトルファルバンは村のいたるところに作られています。



トケビ(おばけ)道路

 写真を見ると確かにこの道はこちら側に向かって登りのように見えますが、道路にペットボトルを置くと、勢いよくこちら側に転がってきました。
 バスの運転手はわざとエンジンを切り、下り道であることを証明してくれました。
 トケビとは精霊を意味しています。
 単なる錯覚によるものですが、このようなお化け道路は、日本にもたくさんあり、よく紹介されていますが、観光バスがたくさん乗りつけるほどの観光地にしてしまうしたたかさには驚かされます。
 新市街の近くにあります。



新羅免税店(日本人向け免税店)

 数年前まで、済州島へ来る海外からの観光客は日本人が圧倒的に多かったのですが、最近の日韓関係の悪化により、日本人の観光客がめっきり減ってしまい、多くの免税店は中国人向けに店構えを変えたそうです。ただ、この店は、旧来通りの日本人向けの店で、店内には日本語での案内があり、また、店員も流暢な日本語を話していました。
 ただし、買い物をするお客は余り居ないようでした。最近の日本人の旅行者は年配者が多く、また海外旅行を趣味にしている人が多く、海外に行くたびにお土産を買う必要もなくなっているのでしょう。
 私はあまり興味が無いので、外を散歩していましたが、済州島には日本並みにたくさんの桜の木が植えられていました。
 なお、この店ではありませんが、中国人の旅行者は若い人が多く、若い人ほどたくさんの買い物をしているような感じがします。



夕食

 今回の旅行は3日目の自由行動日を除いて、朝、昼、夕の3食付ですが、今日は黒豚5枚肉でした。
 試しに韓国のお酒、マッコリ―を飲んでみました。アルコール濃度はビールとほぼ同じですが、薄いお酒のような感じでした。 


       

2日目 島の東側観光

 グランドホテルの部屋からの写真です。
 新市街にはたくさんのホテルが林立しています。
 このホテルでは NHK地デジ総合チャンネルと BS1, BS3がそのまま見ることが出来ました。ただし、解像度はハイビジョンではなく、DVD並でした。



朝食

 今朝の朝食はホテル内ではなく、すぐ後ろにある韓国料理店でした。
 ご飯にわかめスープが付いている簡単なものでしたが、キムチなどは食べ放題でした。
 韓国での食事で助かるのは、キムチなどいろいろな補助食がお替り自由な点で、持ってきてくれなければ自分でとりに行けば、幾らでも食べられます。



万丈窟 (世界自然遺産:済州島と溶岩洞窟)

 済州島は海底火山により作られましたが、山頂から流れ出した溶岩は、真っ赤になりながら、火山の周りの比較的低い谷に沿って流れ落ちて行きました。
 溶岩の温度は約1100℃でした。どろどろの溶岩は、間もなく外側が大気により固まりだし固定化されましたが、その内側の溶岩は流れ続けました。その後、噴火が止まっても、真っ赤な溶岩は流れ続け、溶岩が流れ去った後に巨大なトンネルが出現しました。
 トンネルの壁面には、その時の状態によって様々な模様が刻まれました。
 チェジュ島では、現在、130もの洞窟が発見されていますが、そのほとんどは一般人立ち入り禁止で、洞窟の全貌は今も分かっていないそうです。



カメ石

カメ岩(溶岩漂石)

 カメ石は済州島の形をした溶岩漂石で、萬丈窟を代表する象徴的な岩である。溶岩漂石とは、洞窟内を流れる溶岩に天井から岩石が落ち、それが流されたものである。カメ石は溶岩漂石が止まった後、熱い溶岩が漂石の周りに付着して形成されたものと見られる。カメ岩の側面に残っている溶岩流線は、洞窟の壁面に残っている溶岩流線の高さと一致する。(看板より)




 さらに奥へ進み、入り口から1kmの所が観光客の行ける最終地点になります。実際には全長13kmもあるそうです。

溶岩流石

 溶岩流石とは洞窟内部を溶岩が流れる時に、溶岩の熱によって天井や壁面が融けて流れ、それが固まった構造である。壁面に沿って流れた溶岩は、温度や供給量によって多様な大きさや携帯の溶岩流石を形成する。溶岩洞窟の形勢後、洞窟壁の小さな穴から、まだ、固まっていない溶岩が流れ出して溶岩流石になる場合もある。(看板より)
溶岩石柱

 溶岩石柱とは天井から床面に落ちた溶岩が固まって積み上げられたもので、柱の形をしている。溶岩石柱は溶岩洞窟で多く見られるが、萬丈屈の溶岩石柱は高さが7.6mにもなり、世界的な規模を誇る。天井から落ちた溶岩は床面の両方向に流れ、溶岩爪を形成している。(看板より)



城邑民俗村 

 台風の通り道であるこの島の民家は、風から家を守るため屋根は低く、茅葺の屋根は碁盤の目のように縄で堅く結ばれています。家の壁や塀は石を積んで作っています。
 この民俗村には実際に人が住んでいるおり、数名の女性の案内者が居るそうですが、運よくこの村の名物女性が案内してくれました。
 その方の話によると、この島は3多島とも言われており、それは、風、石、女だそうです。風は朝鮮半島の10倍も強く、石は無数にあり、女性の比率が高いのだそうです。男性は漁に出て事故死する事が多いからだそうです。
 しかし、一般にこの島で働くのはもっぱら女性だそうで、男性はあまり働かないそうです。
 済州島は対馬海流がぶつかるところで、魚介類の格好の住処になり、海女さんが今も活躍しているとのこと、世界的に見ても、海女さんが実際に働いているのは日本とこの済州島だけだそうです。海女さんが取るのは、さざえやあわびで、うにを取れれば一番高価で売れるそうです。
 しかし、海女さんの平均年齢は今や60歳で、若い人のなり手は少なく、一日平均6時間は海に潜るそうです。
 案内の最後に、漢方薬の宣伝販売がありました。健康茶なのもありましたが、驚くほど高価でした。何人かが購入していました。



ビジャリム

 オールインのロケ地だそうです。韓国ドラマ、オールイン(運命の愛)はNHKBSで2004年に放送され、大評判になり、その後、多くの日本人がこのロケ地を訪れるようになったそうです。
 ロケに使用された別荘は、当時たいへんにぎわいましたが、日韓関係が悪化したこの数年、日本人観光客がばったりと来なくなり、そのため、別荘をチョコレートハウスに建て替えたそうです。
 海中から飛び出している岩の頂上が真っ白になっています。
 望遠レンズで見てみると、鳥の糞でした。
 海鳥がたくさんとまっていました。



城山日出峰

 島の東端にあり、海底から噴火して山を作ったが、周囲が海水で削られ、火口のみが取り残されて、現在の形になりました。
 火口に水はなく、草が生えていました。
 周囲は約1.5㎞、高さは180mで、約30分で登ることが出来ます。
 登り下りとも階段が整備されており、特に問題はありませんでした。仮に階段の高さを15cmとすると、1200段に相当します。約半分はスロープだと仮定すれば、階段の数は600段となります。
 香川県の金毘羅神社の標高は421m、階段の数は1,368段でしたから、それよりはずっと低いことになります。
 登りと下りは一方通行になっていて、これは下りの道路です。
 一方通行なのですが、時々、途中で登るのを諦めて降りてくる人もおりました。
 上るのにちょうど30分、下るのに約20分かかりました。
 私たちのグループで実際に登ったのは、約半数でした。
 山を見ただけで諦めた人も多かったようです。



 集合時間までには、まだ時間があったので、登り口近くにある日出峰東岩寺を覗いてみました。 
 参拝者は誰もおらず、中は良く見えませんでした。



古藪牧場

 石の多い畑を耕すのには頑丈な馬が必要でした。
 13世紀、モンゴル軍がこの地を征服した時に乗って来た馬と、この島の古来の馬を配合し、首が短く、足が短く、そのため背丈が低くおとなしく、その代り、畑田を耕す鍬を引くのに適する馬が作られ、その馬がこの島を長い間、支えて来ました。
 しかし、農耕の機械化が進み、馬が不要となると、急速に馬の数は減少してしまい、現在は天然記念物として保護されています。
 そういった保護活動により、現在はこの馬を使って、競馬大会が開催されるほどに回復しているそうです。


      

3日目 自由行動 旧市街、新市街の観光

 今日は自由行動日で、オプションのツアーも用意されていましたが、私たちは、タクシーを利用し、自分で旧市街の観光名所を回ってみました。
 新市街のグランドホテルから旧市街までは約4km、タクシーを利用しましたが、約900円程度でした。
 ホテルで頂いたこの地図を頼りに歩いてみました。
 ホテルから三姓穴まではタクシーを利用し、帰りもタクシーを利用しました。



ドルハルバン

 石の像、ドルハルバンは、無数にあり、今も職人により造り続けられていますが、このドルハルバンは歴史のあるもののようです。
 三姓穴の入り口に立てられていました。



三姓穴

 かって、チェジュ島が独立国であった頃の「耽羅(タムナ)」を創始したと言われる三神人の誕生伝説があります。
 3つの穴から三神人が現れ、海から三人の女性が現れ、結婚してこの国が栄えたそうです。
 下の展示館には三姓穴の神話に関する模型図などがあり、映像館では15分ほどの日本語による上映があり、見てみました。
 韓国語、英語など、時間帯が分かれています。幸い、5分ほど待つと日本語による上映が始まりました。
 私たち二人以外には誰もいませんでした。
三聖殿

 三乙那や三高氏の位牌が祀られています。1698年に建立されて以来、数回に渡って修造されています。

 偶然にも奉祭が行われていました。
 毎年、春(4月10日)、秋(10月10日)に春秋大祭や冬(12月10日)に乾始大祭が行われるそうです。



五賢壇

 かってこの地は流刑地であり、主に政治犯が送り込まれて来ました。そういった人たちの知識レベルは非常に高く、その結果、チェジュ島の住民の学力レベルは韓国内でも非常に高いそうです。
 ここにはそういった人たちや、官吏として赴任し地域発展に貢献した金淨・宋麟壽・金尙憲・鄭蘊・宋時烈など5人の賢人が祀られています。



東門市場
 
 市場の近くを通りましたが中には入りませんでした。海産物がたくさん売られているそうです。



済州牧官衛
 
 朝鮮時代や日本統治時代、ここは統治の中心地でした。内部の見学は有料でした。
 道路の脇の建物は1448年、兵士の訓練と武芸の研修場として作られました。

 済州牧使が執務していた場所です。済州牧使とはこの島の最高責任者だそうです。
 私たちに声をかけてきた人がおりました。ボランティアで観光案内をしているのだそうです。
 その方から、名刺を頂きました。済州特別自治道、韓国文化観光解説士と書かれていました。
 昔の日本統治時代、この政府で働いていたそうです。
 もう、かなりのお年の方でしたが、日本語は完ぺきでした。日本人を見つけると、案内をしているようです。有り難いことです。



新市街散策

 夕食を兼ね、ホテルの近くを散策してみました。かっては日本語の看板が多かったそうですが、今は中国人の観光客のために、漢字がたくさん使われています。
 円安の影響もあり、日本で食べるよりは少し高い感じでした。
 新大久保にはたくさんの韓国料理店がありますが、そこで食べるよりも約1.5倍する感じです。
 なお、コンビニで売られているコーラは1本210円ですから、円安、ウオン高を実感します。


      

4日目 島の南端観光後、成田へ

 今日は島の南端の観光なので、途中、ハルラ山に近くを通りました。


漢撃山(ハルラ山)
 
 韓国の最高峰ハルラ山を遠くから良く見える展望台です。
 済州島には360もの側火山があり、ハルラ山の周りにもたくさんの噴火した山が見えます。
 登山するに、登り5時間が必要で、本格的登山の用意が必要だそうです。
 済州島での最後の噴火は、今からおよそ1000年前、11世紀になってからでした。



ウェドルゲ

 海から突き出した奇岩があり、別名「孤石浦」とも言われます。この孤立した岩の高さは20mで、約150万年前の火山噴火で出来たそうです。
 釣り場としても有名だそうです。



薬泉寺
 
 東洋でも最大規模のお寺だそうです。中には1万8000体の仏像が祀られています。また、釣鐘は18トンだそうです。



柱状節理帯
 
 マグマが海水によって冷却され、収縮するときの歪によって作られました。 高いものでは20mもあるそうです。

 海に流れ込んだ溶岩は冷やされ、体積が減少し、6角形や、時には5角形の柱状の岩になりました。



天帝淵瀑布
 
 チェジュ島最大の滝です。
 天帝渓谷には仙臨橋が架けられ、7人の天女がよなよな舞い降りたという伝説をもとに天女のモチーフが飾られています。
 渓谷の下まで降りることが出来ますが、集合時間が短かったため、行けませんでした。


 この後、土産屋の韓国食料店に立ち寄り、空港へ向かいました。
 天気に恵まれた4日間でした。
 空港で、ガイドさんの見送りを受け、帰りの飛行機は 18時:00分発の KE717便で、成田到着は 20時20分でした。飛行機の空席は50%程度とかなり空いていました。
 なお、2014年の訪日外客数は 台湾 283万人、韓国 276万人、中国 241万人、香港 93万人、アメリカ 89万人、タイ 66万人と続きますが、伸び率でみると中国が 83%とダントツに多く、次はタイの 45%となっています。
 また、2014年の日本人の海外旅行先は、アメリカ 373万人、中国 272万人、韓国 228万人、台湾 163万人、タイ 127万人、 香港 108万人、シンガポール 82万人と続きます。 しかし、2012年の中国へと韓国への旅行者はいずれも352万人であったの考えると、両国への観光客数が急激に減っていることがわかります。






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